23. パスっ!!


「は? なんだよお前」

「邪魔してんじゃねーよ。オラ。殺すぞ」

「あれぇー? どちたのボクぅぅ、可愛い女の子が危険な目に……はぁぁぁーー! 僕たんが助けないとぉー! って感じですかー!?」

「ウヒャハハハっ! 流石にひでぇなっ!」


 矢継ぎ早に罵倒が飛んでくる。

 大して歳変わらねえだろ死ねクソが。



 入口近くに置いてある棚の箱入り洗剤を手に取り、少し苛立ちを見せる風に声を掛ける。が、あまり効果は無かった。


 相手にされないのも馬鹿にされるのも予想の範疇。こんな覇気の無い、顔も確認出来ないような男の何が怖いのか。自分だって鼻で笑い飛ばすわ。


 ただ不思議なことに。

 怖くもなんともないのは、俺も同じ。



「女一人に大勢で取り囲んで、エライ大したことぁ抜かしとったな。エエ? 恥ずかしくないんか?」

「あ? 急にどした? 喧嘩したいの?」

「……お前さぁ、結構勇気あっけど、この人数差で勝てるとでも思ってんの?」



 後ろでニヤニヤしていた奴の一人が、挑発混じりの乾いた笑みを浮かべ吐き捨てる。さっきまでリーダー格の後ろでヘコヘコしてた癖によく言うものだ。なんて口にはしないが。


 が、彼の言うことも案外的外れでない。喧嘩とかしたことないし。ていうか人数さエグすぎるし。普通にピンチ。


 奥にはすっかりフリー状態の長瀬。俺の方を観ているのは必須だろうが、イマイチ焦点がどこに合っているか分からなかった。


 ただ確信できたのは、彼女が今すぐにでも泣き出してしまいそうな。とても不安げな顔をしていることだけだ。



「マジで調子乗んなよ、お前さ」

「いいねぇー! フルボッコしちゃうぅ!?」

「おい、逃げんじゃねえよっ!」


 間を抜けて店の奥側に入ろうとしたが、失敗。半袖で無駄に筋肉質の男が、俺の肩を遠慮なしに思いっきり掴む。


 それを合図に、後ろの四人が一気に距離を詰めた。

 なるほど、まず一発入れられちゃうパターンだ。

 で、怯んだところで外に連れ出されボッコボッコと。


 よしよし、順調に敗北コースを進んでいるな。

 え、いや、なにやってんの俺。



 逃げ出そうと身体を強く横に振るが、思いのほかしっかり掴んでいるようで全く動けない。今になって、ロクに運動の一つもしていない現状を悔やむ。


 あーあ。何やってんだろ。

 威勢よく飛び出しといて、こんな結末か。


 肩を掴む手と逆の腕が、ゆっくり俺へ伸びてくる。腹か。腹だな。間違いない。軌道は顔よりも遥か下を通過していく勢いだ。殴られるのは慣れていないが、まぁ死にゃしないか。


 よし、覚悟はだいたい決まっ――――。



「ハルト、パスっ!!」

「はい?」


 突然聞こえてきた声の主は、さっきまでレジの内側にいた長瀬。気付かぬうちに彼女は店側へ出てきていて。


 あのポーズは一体なんなんだろう。

 頭を働かせることもなく、答えに辿り着いた。


 両手を伸ばし指先を足元に向けるその姿は、間違いなく何かを『要求』しているようにしか見えない。


 そしてそれは、今まで俺が見てきたなかでも、飛び抜けて見覚えがあって。



(パス?)


 視線の先には、恐らく俺の手に辛うじて握られている、箱入りの洗剤が映っている。これを? パス? お前に?



 正直なところ、彼女がどんな意図を持ってそうしたのかはすぐに分かった。それでも行動に踏み切れなかったのは、単に心配だったからだ。


 俺の想像している未来は、おおよそ悪い方向にしか進まない。渡したところで、もし外したらどうするのか。それこそ次の標的は長瀬だろう。


 邪魔をするのは不安要素の重なりだけではない。

 俺が。俺が不満なのだ。


 今こうやって、か弱い女性である長瀬に助けを求めること自体、既に恥じるべきこと。元の原因は彼女だが、火を付けたのは俺。なら、俺がその火を全責任を持って消さないといけないのに。



 それでも、身体は終始震えていた。


 情けねえ。情けなさすぎて、恥という概念を捨てたくなった。だから、今の俺は恐らく相当にカッコ悪いけど、もうしょうがないことだったのだ。


 

 片手で持つ分には少し重い、それなりの大きさを誇る箱が。一秒にも満たない時間だけ宙を舞う。


 それこそ時間が止まったようだった。

 突然の言葉に、連中も一瞬動きが止まっていた。



 視線が重なる。


 驚いたようなその瞳には、どんな表情をした俺が映っているのだろうか。きっと笑えるくらい怯えていて、不甲斐ない顔をしているに違いない。



 一方、俺は変わらず不満だった。


 今回だけ。今回だけだ。

 お前に助けてもらうのは。

 そう、今回だけ。お前に華を持たせてやるのは。



 だから、絶対に外すな。



「ブチ込め、長瀬ッ!!」

「任されたぁぁ!!」


 大きく振り被った右脚に、箱型洗剤が命中。


 そして、そのまま真っ直ぐ。それは尋常ではない速度で、俺を掴んでいたヤンキーに向かって。



「ドボォア゛ァェァーーッ!!!!」



 ……………………



「………はっ……?」



 不良達の一人から、そんな間抜けな声が漏れる。


 いや、実を言うと自分も同じような感想を抱いていた。ただ、目の前で起った惨劇が衝撃的過ぎて。



 勢いよく振り抜いた長瀬のキックは、完璧に箱の側面を叩いた。


 ベストコースを狙った正確なシュートなどいらない、と言わんばかりに力いっぱいインステップで蹴り込んだのだ。そりゃこうもなる。



 ――――完璧だった。


 本来なら人に蹴られることなく役目を果たすであろう箱入り洗剤は、その男の顔面に直撃した。同時に蓋が外れて中から煙のようなものが店内を覆う。


 あまりの衝撃に、中身が出てくる。

 宙を優雅に漂う粉末洗剤。



 誰も言葉を発しようとしない、無言の時間が続く。それも仕方ない。煙と粉塗れになって、男が完全に気絶しているのだから意味不明である。


 ただ、二つだけ確かだったのは。



「……か、掛かってきなさいよっ! 全員、こんな感じにしてやるんだからっ!」


 俺と彼女が完全勝利を収めたことと。


「長瀬さん?! なにやってるの!?」

「…………あっ」


 彼女の今後が非常に危ういということだ。




*     *     *    *




 驚いた様子で店の奥から出てきた店長らしき中年の男性に、長瀬はかれこれ十分ほど叱られていた。


 もっとも居合わせた俺が説明したおかげで、彼女の無実も証明された。監視カメラに事の一部始終が写し出されていたのも決定打となって、晴れてDQNたちを追い出すことに成功したのであった。


 それにしたってやりすぎだよ!! と俺まで店長に注意されてしまったが。完全に伸び切ったリーダー格の男を、連中が懸命に担いで逃げ出していく姿を遠目に眺めているうちは、まぁ悪くない判断だったなとは思う。



「ごめんっ、遅くなっちゃった」

「おう。もうええんか」

「だいたい掃除し終わったし、細かいところは夜勤の人がやってくれるって。すっごい嫌がられたけどっ」

「そりゃ無駄な仕事押し付けられりゃな」

「あははっ……でも、良いシュートだったでしょ?」


 少しだけ息を切らせ、長瀬が店から駆け出して来る。随分と楽しそうな弾む声色と対照的に、意地悪げに白い歯を覗かせ微笑んだ。


 高校の可愛くないと評判の灰色チックな短いスカートが風で揺れ動く。遊ぶように靡く美しいロングヘアーは、どこぞの名画を思い出させる。



「あ………いや、その。笑ってる場合じゃないわよね。ごめん、面倒事付き合わせちゃって」

「やめろ、役立たずに情けを掛けるな。あんなん勝手に首突っ込んだだけや」

「そんなことないわよっ。ハルトが助けてくれなかったらわたし、なにも出来なかったと思うし……うん。ナイスアシスト」


 どうだろう。俺がしたのはパスを渡しただけだ。果たしてそれが勇気とも、アシストとも呼べるものなのかは、甚だ疑問。



「取りあえず、今後十年は語り継げる武勇伝やな」

「語り継がないって……もう嫌よあんなの」

「はいはい……………あぁ、ほんでお前、家どっちや。送ってやるよ」


 何気なく零れたフレーズだったのだが。


 それこそさっきよりも段違いに目をパチクリさせて、驚きを隠し切れていない。なんだよ。俺が人のために善意を働かせるのがそなんい珍しいか。殺すぞ。



「………い、いいの? ていうか、え、バイク?」

「原付」

「原付って確か、二人乗り禁止なんじゃ」

「見付からなええねん。嫌なら置いてっけど」

「あ、ちょ、待って! 乗る乗る、乗るからッ!」


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