17. 生まれたての小鹿が平泳ぎできるかよ
「ここと、ここでボールのこの辺りを蹴る。だいたい分かるやろ」
「なるほど、簡単ですね」
狭いゲージの中に俺と楠美の二人という、よく分からない構図が完成している。
このクレイジーサイコレズストーカーのことだ。俺よりも良いところを見せて、倉畑からの評価を取り戻したとか、そんなことを考えているのだろう。
まさか、そう簡単にはいくものか。
彼女の運動能力は知らないけど……。
(しっかし、並んで立つとホンマ小さいな……)
倉畑も小さいが、楠美はそれ以上に小柄だ。勿論、金澤よりも背は低い。
それでいてこの巨乳ぶり。長瀬と並んで18禁ゲームのキャラクターみてえだな。
「比奈、私は少し、思い違いをしていました」
「う、うん……?」
「いくら関心が無いこととは言え、比奈がこれだけ熱中しているわけですから。それを経験もせず、頭ごなしに否定するのは違うと思うのです」
今日初めて真っ当な意見喋ったなコイツ。
「ということは、私がこの方以上の成果を出せば、比奈も「あぁこんなものか」と思って、部活動に入るなんてことは辞めてくれると。そういうことです」
「いやその理屈はおかしい」
思っていてもその理論、人前で話さないでほしい。人格を疑われるぞ。
「比奈に付け込んだことは許されませんが、簡単なことです。取り返せばいいだけの話ですから」
「あ、はい」
「比奈にとっての一番は、私でなければいけないんです。貴方は必要ありません」
その自信、一体どこから。
「じゃ、頑張れ。外出てるから」
「なにを言っているんですか。私がもし怪我でもしたら貴方の責任ですよ。ここにいてください」
「えぇ……なんそれ」
「お金出してください。生憎、手持ちが無いので」
「暴君かよお前……」
仕方なく200円を手渡す。
嗚呼、貴重な生活費が。
彼女の頭と同じくらいの大きさのボールを、ジッと見つめている。
なんだよ。もうスタートしてるぞ。念力とか使ってもボール動かんからはよ蹴れて。
「……行きますよ、比奈っ!」
助走を付けボールに駆け寄る。
学校指定のスカートがひらひらと舞い、ダイナミックなフォームから渾身のシュートが。
「たぁっ!」
繰り出され、
「あっ」
なかった。
「琴音ちゃんっ!?」
ボールの上を盛大に空振った彼女は、蹴った勢いのまま身体を捻る。
体勢も悪く、片足ともなればバランスなど取れるはずもなく。楠美は転んだ。そりゃもう思いっきりコケた。
十分に危惧された事態だが、更に問題だったのは、彼女が学校指定の制服を着ていたという点。
真面目な口振りの癖してスカートは一丁前に短いのだから。そんな状態で転んでしまえば、下着が露わになってしまうのも当然の話で。
「……ッ! みっ、見たんですか……っ!?」
「いや、全然。なっ、倉畑」
「あっ、うん。大丈夫、見えてナイヨー?」
こちらを向きもせず棒読みで返す倉畑。
演技力ゼロかよ。お前。
わざわざ見えていたことを伝える必要は無いだろう。というか、事実を話した時点で俺は死ぬ。
だから、本当に見ていないのだ。シルクのちょっと大人っぽい下着とか。マジで。まったく。
「……何故当たらないのでしょう……言われた通りに蹴ろうとしたのに」
「最後に足当たるところまで見てねえからだよ。理屈は簡単や」
「……分かりました」
なんで不服そうなんだよ。
ちゃんとアドバイスしただろ。
ともかく彼女はボールをセットし直し、再び前の的を見据える。こんな雑なアドバイスで良いなら世界は○○のマラドーナで1000万超えるわ。
で。ちょっとだけ、ちょっとだけボールに足が当たるようにはなって来た。
だが、当たるのと前に飛ぶのとではまた別の問題だ。一向にボールが的へ届く気配は無い。
なんだかもう可哀そうにまで思えて来る。圧倒的な運動センスの無さに絶望したという点も少なからずあるのだが。
楠美琴音は形だけでも真面目な口振りに反し、案外スカートが短い。つまり、ボールを蹴ろうとするたびに見えまくっているという話である。絶対言わんとこう。
「もっとボールを押し出すイメージや。当てるだけじゃ飛ばねえよ」
「押し出す……?」
「当たったらグワッと、前に」
「……はぁ」
せっかく教えてやってるのになんだその態度は。
不服そうにしながらも、彼女は俺のアドバイスを忠実に実行する。
するとただ足に当たっているだけの状態から、ボールが前に転がるようになって来た。
それでも、転がるだけだけど。倉畑とは比べものにもならないが、まぁ進歩は進歩だ。
「残念、俺越えはまだ難しそうだな」
「…………分かりません。何故、こんな大きいボールをあんなに強く……糸でも引いているのですか?」
「だとしたらそれはそれで凄えよ」
二人が見ていない間に小細工し掛けたと。
んなこと出来たら苦労せんわ。
さて、残念な結果に終わってしまった楠美。さっさと先にゲージを出るのだが。
一向に納得できないと言うように、彼女はボールをジッと睨み続けている。
「これで分かったやろ。倉畑も変なこと始めるわけちゃう。真面目にスポーツするだけや」
「…………癪です」
「え、はい?」
前髪が長くて様子は分からんが、身体がぷるぷる震えている辺り、お怒りモードなのは把握する。
なんだろう。この、突拍子もないことを言い出しそうな、嫌な雰囲気。
「この私が未体験のスポーツであっても、誰かに馬鹿にされるようなことは許されません」
「いや、別に馬鹿にはしてな」
「いいでしょう。フットサル部とやらですか。入ります。私も入部しましょう」
ああ。拗れてきたぞ。
「琴音ちゃん、無理してわたしに付き合う必要は無いんじゃ……」
「いいえ。例え良さの分からないものでも、比奈が興味を持ったというのであれば、私にはそれを確認し、見届ける義務があります」
んなもん要らんからはよ捨てろ。
「それに、貴方。鈴木さんでしたね」
「廣瀬だよ掠りもしてねえじゃねえか」
二日で偽名を二つも頂戴したんだけど。
昨日は俺からか。ともかく覚えろ殺すぞ。
「貴方と比奈のやり取りを見て、大よそ理解はしました。フットサルという得意分野で比奈に近付き、あわよくば男女の関係を迫ろうとしていたことを」
「俺の話さっきから一つも聞かねえな」
「そして比奈が思いの外、フットサルにハマってしまったことも。ええ、分かりました」
だから何一つ掠りもしていないって。
「ならば、私はあなたと言う毒刃から比奈を守る必要があります。例え貴方にその気が無くても、私が納得しない限りこの問題は終わりません。そうですよね?」
「同意を求めるな」
そもそも問題など何も発生していないし、あるとしたらお前の存在なのだ。気付け。
とにかく、よく分からないうちに彼女のなかで何かが纏まり、何かが生まれたのは確かである。もう一人、部員が必要だったのはその通りだが……それにしたってこの入部動機は不純すぎるだろ。
「琴音ちゃん、昔からちょっと思い込みが激しいっていうか、わたしのことになるといっつもこんな感じで……」
んなことコッソリ言われんでも分かるわ。
「試験の成績とかいっつもトップだからねえ……廣瀬くんに未経験とはいえ負けたのが結構悔しいんだと思うよ」
「バカが。生まれたての小鹿が平泳ぎできるかよ」
「今日はこのまま同行させて頂くので、ご了承を。比奈、構いませんよね」
二人して顔を見合わせる。
引き攣った笑みを浮かべる倉畑は、もうどうしようもないことなのだと、そう訴えていた。こうなってしまっては、楠美も引くつもりは無いだろう。
「貴方のことを信用したわけではありませんが、まぁ、比奈が一定の信頼を置いているわけですから。今回は見逃します」
「あ、はい」
「不束者ですが、よろしくお願いします山田さん」
「覚える気クソほどもねえなテメェ」
試合が成立する五人目のメンバーは、度の超えたストーカーであった。
なんでこう、微妙に面倒くさい美少女ばっかり集まるのだ。もう辞めていいですか。
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