見舞い

原野誰

永遠に終わらない第1話

鉄条網に前面が覆われたステージの後方で、円状に配置された青と赤のライトが交互に点滅する。日本におけるシューゲイザーの元祖、ヤマジカズヒデが、自信なさげにフランジャーが強度にかかったギターを奏で出す。2つのノートだけを繰り返して。そこにBABYMETALのバックバンド・神バンドで知られる超絶ギタリスト、大村孝佳ーーDCPRGのギタリスト、といった方が通りがいいのだろうか。DCPRGの首謀者・菊地成孔のナルシシズムは好きではないがマイルス・デイヴィスのエレクトリック・フュージョンの音を目指した心意気は買うし、DCPRGのギタリストでありBABYMETALのギタリストでもある彼が参加しているのならば、ここで紹介するバンドメンバー全員について言えることだが、好きなものにお金を落とす中年のサブカル層に受けるだろうという安易な目論見で彼を起用したーーによる極度にディストーションがかかったギターが機械的なリフレインを奏で始める。そこにーー和製オルタナティヴロックのシーンを確立したバンド・ナンバーガールの中心人物のーー向井秀徳のバンドZAZEN BOYSの女性ベーシスト・MIYAが大村孝佳と同じフレーズを重ねていく。最初は穏やかに演奏しているが、その単純なメロディを繰り返して2分ほど経つと、静かに頷くような彼女の動きは、どうして眼鏡が外れないのだろう、と不思議に思う程の、激しいヘッドバンギングに変わっていく。彼女は日本で一番ステージ映えのするベーシストだ。そのリズムに合わせて、ヤバイTシャツ屋さんのドラマー・もりもりもとーーヤバイTシャツ屋さんはEDMのヒット曲をコミカルかつエモーショナルにカバーしていたのでダンスミュージックに興味があると見込んで起用したーーのバスドムとスネアがBPM130の定期的なリズムを刻み出す。これが真利夫が撮るべき映画の理想的な映画のオープニングだ。真利夫は映画を撮ったことはないし、そういう環境に身を置いたこともなければ、映画の文法も学んだこともない。iPhoneで映画が撮影できる時代になっても、真利夫には友達がいなかったので、スタッフや役者を集めることができず、よって映画など撮れるはずがないが、映像が伴った妄想は次々に溢れてくる。真利夫が理想のメンバーだと思うこのバンドが奏でる曲は、ドイツのテクノ・アーティスト、ハードフロアの「イントゥ・ザ・ネイチャー」。1988年のイギリスにおける、アシッド・ハウス(TB-303という、生のベースの代わりに発明された、しかし生のベースではあり得ないドラッギーな音を奏でる日本産の電子ベース楽器を使った、1980年代半ばにシカゴで発生したダンスミュージック)を中心にしたダンス・ムーヴメント、セカンド・サマー・オブ・ラブについては、少しダンスミュージックをかじった程度のライターによる、あたかも見てきたかのような断定的な文章が紙媒体に何度も掲載されていたのでーー真利夫ももちろん実際に経験したわけではなく、そういった情報は音楽誌から知ったのだが、実際に現地で体感した日本人はどれほどいたのだろうかーードラッグとダンスカルチャーが奇跡的に大規模に融合した一大事であった、と情報としては多くの人に知られている。しかし、本当に「アシッド」が真価を発揮し始めたのは1991年位からだと真利夫は思っている。前述のように、セカンド・サマー・オブ・ラブについては、アシッド・ハウスと共に語られるが、あの時代の音はまだ生温かった。本当にドラッギーなのは、1990年代に興ったアシッド・リバイバルだと思う。セカンド・サマー・オブ・ラブのアシッド・ハウスとは違い、1990年代のアシッド・テクノは急性的で「文化」という言葉で表現されるには享楽的すぎる音楽だった。もはやドラッグなど必要のない程にリスナーの鼓膜と脳細胞を震わせた。その享楽的なクラブシーンの中心となったのは、TB-303と、レトロな日本製のリズムマシンだけで作られたハードフロアのアルバム「TB-リサシテイション」だった。アシッド・ハウスではなく、アシッド・テクノ時代の幕開けだ。そこに収められた反復音楽の極北が、この「イントゥ・ザ・ネイチャー」だ、と真利夫は思っている。遅刻ギリギリの電車に乗るために全速力で走り、閉まりかけのドアに飛び込み、呼吸を整えると、パンツのポケットからiPhoneを、メッセンジャーバッグからオーディオテクニカ製のワイヤレスヘッドホンATH-M50xBTを取り出して頭にかけ、スポティファイを起動させ、ヘッドホンを耳にかぶせる。いつも通り、1曲のみのリピート設定にして、「イントゥ・ザ・ネイチャー」を再生する。真利夫は、この静かな、しかし根暗なパッドが流れてくると、脳内麻薬が過剰に分泌してくるのを感じ、身震いする。身震いする、というのは比喩ではない。いつも文字通り体が震えるのだ。真利夫は、この曲が生演奏されるのを何度も夢想する。バンドメンバーは、人力でこのフレーズを演奏しているので、演者ごとにリズムのブレがあり、それがこの曲に込められたダイナミズムを増幅させる。そして約3分のブレイク。リズム音がなくなり、大村孝佳によるギターだけが冷徹に鳴り響く。そこにレゾナンスーー電気的な発振ーーがかかった2台のTB-303が紡ぎ出す、単音で奏でられる異なるメロディが浮き上がり、徐々にそれぞれのメロディが区別できなくなるほど複雑に絡まっていく。TB-303を操作しているのは、中央のブースに鎮座したーー電気グルーヴの活動を通して日本のテクノシーンを盛り上げた立役者ーー石野卓球だ。しばらくTB-303の音だけがうねりながら音階を見失いつつ会場の空気を震わせる。小さなクラップ音を合図にしてブレイクが終了し、2台目のドラムが加わり、タムを中心にした複雑なビートを鳴らす。そのドラムを奏でているのはサカナクションの江島啓一。サカナクションは電気グルーヴのファンだからダンスミュージックに多少は理解があるだろう、という適当な理由で彼を選んだ。リズムの手数が多いこの曲には2人のドラマーが必要だ。タムを忙しなく叩き続ける1人と、ハイハットとスネアのリズムを淡々と刻んでバンドメンバーを挑発するもう1人。そして、ステージ向かって左奥、MIYAの後ろのDJブースで終始俯いているのが真利夫だ。一見、真利夫は、メンバーのサウンドを支える何かしらの機材を何かしらの形で操作をしているようだったが、真利夫の手元は観客席から見ることはできない。何かの電子楽器を演奏していると観客からは想像されていたのだが、実際に真利夫がやっていたのは、日本のおつまみの定番「柿ピー」の柿とピーナッツの仕分け作業だった。柿とピーナッツを分け終わると、ピーナッツを半分に割り、半分に割ったピーナッツの先端の部分についている突起を取り分ける。柿ピーが「柿」「ピーの半分」「ピーの突起」の3種類に別れたら、それぞれを別の銀のステンレスで出来た弁当箱に入れる。分別し終わると、DJブースの下に仕込んである新しい柿ピーの袋を開け、ザーッとDJプースに撒き散らす。そして同じ作業を続ける。楽器のできない真利夫が考えた、独自の演奏方法である。TB-303は銀色の弁当箱のような形をしているので、銀色の弁当箱を使って柿ピーを仕分けするのと、TB-303を演奏するパフォーマンスは大差ない。ライブの観客の間では真利夫が演奏において何のパートを演奏しているのかは謎のままになっていた。真利夫が柿ピーの仕分けをしていることは、真利夫の死後、密かにスタッフが盗撮していた映像が10年後YouTubeに流出するまで世間に知られることはなかった。真実が明らかになると、真利夫の「仕分け演奏」のブームが起きた。韓国人の人気女性テクノDJペギー・ゴウが、あらかじめパソコンで選曲したDJセットを自動演奏させる横で、アポロチョコレートの「ピンクのチョコ」の部分と「黒いチョコ」の部分を割って、色の違うチョコを仕分けはじめた。日本では、その動きを受けて、テクノ女性DJリカックスがーーわざわざ女性と述べる必要があるのだろうか?ーーアポロチョコレートの「仕分けプレイ」を取り入れた。彼女は最初から演奏方法を明らかにしていたので「仕分けプレイ」は新しい世代にも広く知られることになり、さらに多くのフォロワーを生み出したが、手にチョコが着いてしまい、仕分け作業と同時に「本当」のDJプレイをしたい時に手やDJ機材がベトベトになってしまうという問題が発生した。特に夏フェスではアポロチョコレートが溶けて「仕分けプレイ」をすることが困難だということで、徐々にこのプレイは廃れていき、アポロチョコレートの見た目から「時代遅れのフジツボ奏法」という蔑称が付けられることになった。だが、それから5年後「仕分けプレイ」はアンダーグラウンドなインターネット上で活動するアーティストの間で局地的に取り上げられた。ノイズ音楽およびドローン音楽のアーティストが、柿ピーの仕分け作業をする際に出る音を過度に増幅してノイズ演奏をする動きが発生したのだ。一方で、ポップミュージックや商業的なロックのアーティストが新たに「きのこの山」の仕分け奏法を取り入れた。しかし「きのこの山」のビスケット部分とチョコ部分を仕分けするためには、口を使ってチョコ部分をかじらなくてはいけないので、「仕分けプレイ」を取り入れた古参たちには早速馬鹿にされる対象となっていたが、新しい「仕分けプレイヤー」たちはそんな評価を「老害の戯言」だと相手にしなかった。ムーブメントは紆余曲折を経て、DJブースに広げた蒙古タンメン中本が監修したセブンイレブン限定の「ベビースター 北極ラーメン味」という激辛菓子をブースに広げて食べるだけ、という演奏法として一般的には定着した。あまりに辛すぎるので水を飲みたくなるが、如何に水分を摂らずにプレイするかに重きが置かれていた。とはいえ、プレイ中に水分を摂らないので熱中症で倒れるDJが多く見られるようになったため、時々は水分を摂っても良いのではないか、という声が大きくなり、その過程で「何を飲むのか」という議論が発生した。烏龍茶なのかポカリスエットなのか、十六茶なのか、イチゴオレなのか、派閥が幾つにも別れた。それとは別の流れで「ウルトラ」や「EDC」などの大規模で流行のダンスミュージックのフェスにおいて「仕分けプレイ」はガラパゴス的に進化した瞬間が訪れた。その手の大規模なフェスで人気を博していたDJスネイクらの世界的に有名なEDMのトップDJが、来日の際、演奏の終盤に「柿ピー」を観客に向けて紙吹雪のように大量に圧縮空気で放出するというパフォーマンスを行ったのだ。もはや「仕分けプレイ」ではない奇抜なアイデアに観客は驚いていた。彼ら彼女らは、大元となった真利夫による「仕分けプレイ」を全く知らない世代で、ただただパフォーマンスに戸惑っていたが、しばらくしてダンスフロアに落ちた柿ピーを奪い合って食べることがアーティストをリスペクトする行為だ、という解釈がなされた。もはや「仕分けプレイ」は日本から発信されたローカルなパフォーマンスではなく、各国の秘境や離島で行われる海外のマイナーでコアなフェスでも「柿ピー噴射」が導入されたが、観客はフロアに撒かれた柿ピーを拾って食べるようなことはしなかったーー日本以外の海外の観客には柿ピーが美味しそうなものには見えなかったのだーーので、フェスが終わると踏み砕かれた柿ピーの残骸が山のように積み上げられたことに非難が殺到し、代わりに欧米人に馴染みがあるグミキャンデイが発射されるようになり、嬉々としてグミを拾って食べるという行為が観客にとって当たり前になり問題は収束した。事前に決めたDJのセットをパソコンで再生するだけで、あとは演奏する「フリ」をしているアーティストが少なくない打ち込み音楽・電子音楽シーンにおいて、このスタイルは「食べること」と「音楽」についての哲学的な賛美を生んだ。食べることと踊ることは誰かに教わってするものではない、地面に落ちたグミを食べるということは、全人類が音楽を使って共有できる、地面=世界=地球=音楽=体験を皆で共有する行為であり、心だけでなくフィジカルな面でも一体感を感じられる瞬間なのだ、といったような。グミの影響で「柿ピーを使った仕分けプレイ」は忘れ去られ、メーカーの過剰在庫となっていた柿ピーを恵まれない国々に送ろう、という趣旨で大規模なチャリティコンサートが開催されたのだが、大量の柿ピーを乗せてアフリカに向かったタンカーは、柿ピーで給料が支給されることを知り、やる気をなくした船員と船長のおかげでタンカーは岩礁に乗り上げて沈没してしまい、全ての柿ピーは海に流れてしまった。その柿ピーの塩分はアメリカ大陸にまで流れていき、イヌイットによると、その後20年ほど海の水は「美味しかった」そうで、海水の中に野菜を入れただけの「柿ピー鍋」が定着した。ライブパフォーマンスに話を戻そう。このライブは、真利夫がFXで稼いだ私財を投じて実現した、幕張メッセでの公演だった。もちろん、ステージの前に鉄条網を取り付けたのは、機械的なビートとノイジーなメタルサウンドを合体させたインダストリアル音楽の祖・ミニストリーのライブ映像から着想を得たものだ。事前に公式webサイトにある「自分が好きなアシッド・ハウス/テクノの名曲を20曲挙げて、感想をご記入ください」という質問に対して回答できた観客のみを招待したライブだった。1990年代初期から活動するテクノの大御所、リッチー・ホーティンによるアシッド・テクノ、サーキット・ブレーカーの「オーヴァーキル」を挙げた人は無条件で入場できた。このドリームバンドは、音源を発売・配信しておらず、覆面バンドとして前述の「イントゥ・ザ・ネイチャー」が演奏されたーーそのバンドは1度だけライブを行ったことがあったが、フジロックのパレス・オブ・ワンダーでのお忍びのパフォーマンスであったため、どこからかリークされた情報を仕入れたコアなマニアしか参加しなかったーーアシッド・テクノを「よく分かっている」観客は、前述の通りヤマジカズヒデによるシンプルなギターのフレーズが流れると狂喜の声を挙げた。石野卓球によるアシッドなフレーズが浮き上がってくると、幕張メッセにいた全ての観客が飛び跳ねて踊り出し、バンドが歪な「テクノらしきもの」を演奏し終わると「アンコール!」という声が起こったが、バンドにはこの一曲しか持ち曲がなかったため、そのままメンバーはステージから去って行った。このライブ音源は公演から2ヶ月後、12インチのアナログシングル盤で発売され、1時間の演奏はA面、B面、C面、D面と4面に渡る二枚組で収録された。パッケージは、元セックス・ピストルズのジョン・ライドンによる突然変異的なニューウェイヴバンド、パブリック・イメージ・リミテッドのセカンドアルバムのように金属で出来たフィルムケースのような形状だった。この二枚組シングルはアナログ盤としては2万枚超える異例のヒットとなった。初回限定特典サービスで7インチジングルが同梱されていて、そこには「イントゥ・ザ・ネイチャー」を、サッカーチーム・湘南ベルマーレのサポーターたちの声だけで作られたバージョンが収録された。しかし、何度ものオーバーダブを繰り返して作られたそのバージョンは、もともと応援歌として作られた意図はあったものの、サポーターが実際に試合中に応援ソングとして歌うには複雑すぎたためスタジアムで歌われることはなかった。ただ、一部の和モノーー日本の歌謡曲の中からダンスミュージックという観点で発掘された日本の歌謡曲たちーーが流れる小さなDJバーでは、ピークタイムのアンセムとして定着した。真利夫は妄想を繰り返して、映画監督になれるのなら、やはりこの映像を映画のオープニングシーンにしたいと改めて思う。真利夫は何かを言葉として発しようすると、まず映像が浮かんでしまい、それを言葉で説明しようとするので、次々に移りゆく映像に「言語化」が追いつかないので、結局何も話すことができない。脳の中をそのまま映像化したい。こうして文字に起こしてみたが、固有名詞が多すぎて、恐らく多数の人には意味不明な文章になってしまうだろうが、これが映像だったならば単なる普通のライブ映像になってしまうから、言いたいことは伝わらないだろう。ともあれ、このライブを真利夫が映画化するのならば、映像はライブの演奏をそのまま収録するだけで1時間の尺になる。きっと退屈ではないのだろうが、各演者の持つ技量ならば盛り上がらないことはないだろう。しかしオープニングシーンだけでは、演者や曲を知らない人にとって単にコンサートを映しているだけの映像になってしまうので、公募している映画祭のコンペティションには箸にも棒にもかからないだろうし、話の筋というべきものがないので、その後に映画の本編を作るべきだろう。本編の長さは10分くらいでいい。すでに1時間も使っているのだから。最近の映画は長尺のものが多いが、70分くらいがちょうどいいと真利夫は思っている。タル・ベーラ監督の『サタンタンゴ』などは7時間以上もあるが、各演者のバックグラウンドや「仕分けプレイ」を説明して8時間の映画にすることも一瞬頭に過ぎったものの、そんなに時間を拘束されたら観客にとって面白いのか面白くないのか分からなくなる恐れもある。観賞ではなく単なる「体験」になってしまう。映画を見ることは苦行ではないのだ。本編はこんなふうに始まる。喫茶店と思しき場所に、男性2人が、恐らく向かい合わせに座っている。恐らく、というのは、2人が同じ画面には現れないからだ。スクリーンの右側に寄った1人の男の横顔。顔の正面にある空間は狭く、頭の後ろには不自然な空間が映されている。男は何かを話そうとする。ほんの少し唇が動いたところで、画面はもう1人の男の横顔を映している。彼は話を聞いているだけで微動だにしない。そして彼の顔は画面の左側に寄っている。やはり顔の正面の空間は狭く、頭の後ろには不自然な空間ががらんと映されている。男は何かを話そうとするが、ほんの少し唇が動いたところで、画面はもう1人の男を映し出す。この繰り返し。台詞に合わせて唇が動いているところを撮る必要がないので、とりあえずこれを30分撮っておいて、後で適当に台詞をアフレコすればいい。真利夫は台詞を捻り出そうとジャン=ピエール・レオそっくりの天井のシミを眺めているが、そのシミが、昔、訪問介護の職に就いていた時にケアをしていた、知的障害者の顔に張り付いていた大きな黒いシミを思い出させた。そのシミはルーマニアの地図の形にも似ていた。真利夫はルーマニア産の、一聴すると退屈な反復音楽だが、時間の経過とともに少しずつ少しずつ音の装飾が変わっていくミニマル・ハウスが好きなので、ルーマニアの国境の形を知っていた。次の瞬間、真利夫は、ルーマニアの形とジャン=ピエール・レオの横顔は全く似ていないとも思った。そうだ、その映画で2人が話している喫茶店はルーマニアの寂れた街にあるということにしよう。ルーマニアでオーディションをしたところ、ジャン=ピエール・レオそっくりな双子の俳優を見つけ、すぐに彼らを使うことにした。ヌーヴェルヴァーグの監督、フィリップ・ガレルの作品で『孤高』という映画があるが、これは完全に音のない、後から音楽が付け足されることもない、モノクロの完全なサイレント映画で、2人の女性の笑顔や悲しげな表情が延々と映されている、というものだった。監督の意図は何だったのだろうかと真利夫はふと考える。恐らく、人間は顔の表情だけでどれくらいの「想い」を伝えることができるのだろうか、観客はそこにストーリーを見出すことができるのだろうか、という監督なりの実験だったと思う。その映画を思い出したところで真利夫は台詞を思いついた。片方のジャン=ピエール・レオは昨夜見た夢の話を始める。そういえば自分もこういう夢を見た、ともう一方のジャン=ピエール・レオが話し出す。彼らは昨晩同じ夢を見ていたことが分かる。2人は交互に夢の断片を語り出す。漆黒の闇が広がっている。踏みしめるべき地面がない。何かをつかもうと思ったが、何もない。宇宙のようなところにプカプカと浮かんでいる。ここは一体どこだろう。体を見下ろすと、自分が全裸であることがわかった。あたりは真っ暗なのに何故自分の手足が見えるのだろう、と思ったがすぐに気がついた。頭に手をやると、つむじに火がついたろうそくがへばりついている。そのろうそくの灯りで、かろうじて自分の体を確認できたのだ。そのろうそくを頭から取ろうとすると脳髄に激痛が走った。どうやらこのろうそくは自分の脳髄に直結しているらしい。体の下の方を見ると、ほのかに小さな光の点が見える。その光が少しずつではあるが、大きくなっていく気がする。手足をバタバタ振り回すと、少しずつ体が右の方に回転し始めたようだ。恐らく丁度180度回転すると、いきなり人の顔が現れた。ビックリして口をパクパク言わせていると、その顔が話しかけてきた。お前、新入りか? 男の頭にもろうそくが乗っていて、頭にめりめりと根を張っている。男も全裸だった。あの、ここどこですか? 俺もわかんねえんだよ。とりあえず無重力? ちょっとお前の体かりるわ。そういって男は自分の体を突き飛ばした。自分の体が男の体から遠ざかっていく。ありがとよ。男の体は小さい光の方へ向かっていく。3日後、男が向かっていった空間からぐしゃり、という音が聞こえた。実際に3日後なのかは分からないが、3日ぐらいだろう、多分。ここには踏みしめるべき地面がない。何か掴むものを見つけられれば良いのだが。もう一度ろうそくを頭から取ろうとすると、やはり脳髄に激痛が走る。痛みをこらえていると、別の男が上方から降ってきて自分の体を掴んだ。男も全裸だった。あの、ここどこですか? 俺もわかんねえんだよ。とりあえず無重力? ちょっとお前の体かりるわ。そういって男は自分の体を突き飛ばした。自分の体が男の体から遠ざかっていく。ありがとよ。男の体は3日前の男と同様に小さい光の方へ向かっていく。1週間後、男が向かっていった空間からぐしゃり、という音が聞こえた。実際に1週間後だったのか分からないが、1週間後ぐらいだろう、多分。という夢だった。偶然同じ夢を見るということもたまにはあるだろう、と呟く一方のジャン=ピエール・レオの上半身をカメラが真正面から捉えると、彼はタバコを口にくわえる。ジッポーをジャケットの内ポケットから取り出し、火を付けるシュボッという音が鳴った瞬間に画面は暗転する。これが映画の本編だ。エンドクレジットはない。映画はそこで突然終わる。真利夫はずっと病院の天井のシミを眺めている。ルーマニアの形にやはり似ているが、ずっと眺めていると、そのシミはタバコを加えている男の上半身を真正面から描いているように見える。真利夫は右肩に鈍痛を覚える。その痛みを紛らわそうと、そのシミのある天井を凝視していると、学校の教室の天井のように無数の小さな穴が開けられていることに気がついた。その穴の向こう側には、人間の平均身長の5分の1ほどの背丈の小人が住んでいて、穴からこちらの様子を伺っている。病院の食事の時間になると彼らは、その小さな穴から、人間が摂取すると体のありとあらゆる穴から分泌液が大量に吹き出す症状が現れるという、無色、無臭、無味の液体を2、3滴垂らす。うまく液体が食事の中に落ちると、それを食べた人間は、今まで感じたことのない熱を体に感じる。汗が大量にダラダラと流れ出す。次は鼻水と涙が止まらなくなり、嘔吐のような勢いで唾液が口から噴出し、小便が止まらなくなる。どうやら隣のベッドにいる男は食事にその液体を小人に垂らされたのだろう、大量の汗をかきながらナースコールを必死に何度も押している。しばらくすると大量の体液を吐き出し始めた。男の症状をずっと眺めていると、その滑稽さに真利夫の喉の奥から爆笑が込み上げてきた。男の口から、そして体のありとあらゆる穴から噴出した透明な体液で病室全体の床が覆われて、水深は10センチほどになった。見る見るうちに男は萎んでいき、ミイラのように干からびていく。真利夫は、自分の食事にもその液体が入っているのではないかと思い、箸をつけるのをやめた。それ以前に病院で出されている食事がまずかったので、妻が持ってくる差し入れを食べることにしていたのだ。いつのまにか、その体液は、真利夫のいる2階のフロア全体に広がっていたようで、看護師たちは、日常的にこういうことがあるのだろう、なんの表情も浮かべず、水掃除機で液体を吸い込んで行き、水深が1センチほどになると、モップをかけ始めた。食欲をそそられる柑橘類のようなツンとした匂いが充満していたので、妻が差し入れたプレーンのクロワッサンを床を覆っている液体に浸して食べてみた。クリームチーズに程よい甘さのホイップクリームを混ぜたような味がした。クロワッサンを食べ終わると、真利夫は天井に向かって小人たちに声をかけた。意外に美味しいですよ。美味かったが、少しピリリとした刺激を口の中に感じた。小人たちの話によると、彼らの伝説では部屋の天井に届くほどの体液を分泌する人間がおり、それを期待して1年に1度はこのような事をするという。天井に軟禁されている小人たちは、部屋が体液で満杯になって天井まで達したら、天井の壁を壊し、建物の梁を使って組み立てたボートに乗ってこの病院を脱出する計画を立てているという。小人たちの経験上、内省的な人間ほど体液を大量に分泌するらしい。真利夫ならば、彼らの期待に応えられるかもしれない。ベットから降り、床に広がる液体に素足を浸すと、湿布のような冷たさを感じた。病院生活は悪いものじゃない、と真利夫は思う。真利夫が入院したのはとある10月下旬のとある金曜日のとある午後11時半頃だった。会社で残業をしていると携帯で会社の先輩に飲み会に呼び出された。ちょっと仕事がありまして、行けたらいけます。電話を切った直後に、真利夫は月曜日の朝イチにデザイナーに入稿しなければいけない原稿に誤りを見つけてしまい、過去のページに遡って同様のチェックをしたところ、事実関係がことごとく間違っていることに気付いた。社長から2週間で作るようにと指示された、胡散臭いイギリスのスピリチュアル研究家が出版した世界のオカルトスポットガイド本の翻訳書を出すという仕事で、そんなの簡単にすぐに出せるだろう、と言われて引き受けた翻訳本の仕事だった。訳者から原稿があがったら2日で原稿整理しておけ、という突貫工事だった。訳文自体はそれほど問題はない。とりあえず早くやれと命令されていたので機械的に「てにおは」や用語統一のチェックをしていたところ、内臓をぶら下げて空を飛ぶ頭だけの東南アジアの妖怪「ペナンガラン」がインドの妖怪だと書いてあったのだ。スピリアチュアルな物事にあまり興味はないが、これくらいは知っている。目次を作るために、国ごとにスピリチュアルな出来事をまとめていたテキストをメールに貼り付けて、妖怪やスピリチュアルに詳しい、先日同窓会で20年ぶりに会った旧友に送ってみたところ、パッと見ただけでも20個は間違ってるね、という返事が返ってきた。原文からして間違っているものを、このまま放り出してしまって良いのだろうか。突然、自分の中にはないと思っていた編集者としての矜持がむくむくと湧き上がってきた。あと2週間は本を出せない、と社長に説明したところで、どうせ吸い殻が山のように積み上げられている灰皿と、手元にある「禁煙本」を数冊投げつけられるだけだ。真利夫は、すこしはマシな本を作ろうと思った。事実関係を全くチェックをしていなかった訳者にも腹が立ったので、英文の信用の置けそうなサイトを調べてリンクを貼り、明らかに間違っているものは修正してください、とメールをして、真利夫は大きなため息をつき、パソコンの電源を落とした。訳者がチェックしている合間に「4値PSK方式が廃止された以降のデジタル警察無線を解読した」という持ち込み原稿を整理しよう。無線雑誌を編集していた真利夫は、この記事は絶対に話題になると確信していた。なんといっても警察無線が聞けたからこそ受信機を使った「傍受」の趣味が盛り上がったのだ。90年代以降、趣味というものを忘れていた中年以上の男性には絶対にウケる。これは楽しんで作業が出来る。ガランとした誰もいないフロアでタイムカードを押し、明かりを消してドアの電子ロックをかけた。関係者専用の鉄扉を開けて、SHUREのカナル型イヤホンを耳に突っ込みMDプレーヤーでピーター・ウィルソンの「エヴリィ・リトル・ビット」を再生し、ダッシュをして駒中京橋店に向かう。ピーター・ウィルソンを初めて発見した時、きっとPWLーーストック・エイトケン・ウォーターマンというプロデューサートリオがユーロビートという80年代に大流行した商業ダンス音楽のスタイルを「発明」し、自身のレーベルPWLから幾多の名曲が生まれたーーが流行っていた頃の無名な曲だと思ったのだが、2012年にリリースされた曲だということを知り驚愕し、他の曲を聞くと、PWLの要素を完コピしている上に、当時ではあり得なかった細かなプログラミングが施されている、単なるリスペクトを超えた音作りに感心して、何度もリピート再生していた。ピーター・ウィルソンを聞いているうちに真利夫は、先程の「映画」が「突然終わってしまう」というのは、ありきたりのように思えてきたので、底抜けに明るいこの曲をエンディング曲として採用することにした。暗転した画面には、大きな文字で「関係者のクレジットにつきましては、上映開始から一ヶ月間限定で公式ホームページに掲載いたします」という文字が、曲が終わるまで表示されている。エンドクレジットを見ないで帰る客もいるので非常に効率的なやり方だ。しかし、エンドクレジットにこだわる少数の観客による粘着質な署名活動により、映画の製作会社は映画に関わった全てのスタッフが掲載されている「普通」のエンドクレジットのみの上映をせざるを得なくなり、それは入場料100円で全国公開された。上映した映画館は連日満席で、話題が話題を呼び、地上波テレビでも放映されたが、肝心の本編が流れることはなかった。実は映画の本編にはサブリミナル映像が挟み込まれていることが分かったからだ。真利夫はセンスの悪い編集マンをクビにしたのだが、サブリミナル映像を紛れ込ませたのが彼の復讐だったようだ。挟み込まれた画像は、映画館で、ある男が前の席に座っている客の脳天を巨大なハンマーで叩き潰しているというものだった。サブリミナル効果の影響で実際にハンマーで殴り殺す客が出てき始めると、殴り殺されたいという自殺願望のある客が次々と映画館に訪れた。ハンマーを持ち込む客も急増した。いつ死んでもいいと思っていた自殺志願者だとはいえ、上映時間の間、いつ殴り殺されるのかわからない不安を払拭できず、上映開始時前にハルシオンを大量摂取して眠りが訪れるのを待つようになった。だが、映画館にやってくる自殺志願者は、これから死ぬと分かっている人間特有の、蚊の羽音のような奇妙な音のいびきを発していて、それが10人も重なると、とても同じ空間にいられないような大きな不快な音になるのが耐えられず、殺人者は皆映画の途中で劇場を後にしてしまい、それに伴って自殺願望者も映画館に興味を失ってしまった。客は激減し、その現象は急速に衰えていった。映画館のグッズ売り場ではハンマーが売れなくなり、大量にハンマーを映画館に卸していた取り扱い業者は大量の不良在庫をかかえて次々に倒産した。見かねた経済産業省と文部科学省は、マーヴェル社が制作したヒーロー映画『マイティーソー』を独自に解釈した映画、ハンマーで全ての登場人物の頭を延々と破壊するという長編のスラッシャー映画を企画し、全国の劇場で放映することで事態の収束を図った。『マイティソー』の北欧神話から、八百万の神にモチーフを変更したストーリーで、紆余曲折あり、松本人志が監督することになった。主役には、映画会社が総力を挙げて探し出した、サブリミナル映像に映っていた男を勿論採用した。人によっては彼は野見隆明のようにも、ジェイソン・モモアのようにも見える不思議なルックスを持つ男だった。松本人志の意向により鉄製のハンマーはピコピコハンマーに変更されたことが波紋を呼んだが、おかげでピコピコハンマーは山ほど売れ、ハンマーからピコピコハンマーに鞍替えした業者は大変に潤った。映画の主人公は、血管をはじめ、主人公の体内のありとあらゆる管がプラスチックの透明な管を通じてピコピコハンマーに繋がっており、ピコピコハンマーで誰かを叩くたびに、ピコピコハンマーの中にある空気が大量に主人公の体の中に混入する。その空気にはサリンが含まれていたのだが、主人公はサリンに耐性があったので死には至らず、その代わりに、膿を大量に含んだ吹き出物が体全体に現れる、という設定が採用された。最終的に主役のヒーローは、自分にできた吹き出物の中にある膿が発火性を持つことを発見して、ピコピコハンマーに膿を塗りたくり、敵を爆破させるという技を発見した。映画が完成し、男に倒すべき相手が世界にいなくなると自分の存在意義を見失い、路上生活者としてあちこちを渡り歩いていたところ、渋谷の線路の高架下で、周辺の「シマ」を仕切っている初老の男性に声をかけられたのがきっかけで、千葉県は舞浜のビーチで行われる路上生活者たちが集うバーベキューパーティー、つまり、大規模な炊き出しに招待され、鉄板の下に横になったところを膿に火をつけられ、燃料としての役割を果たすことになった。ドキュメンタリー作家の森達也がこのヒーローの密着映画を製作したのだが「元になったヒーロー映画がキッズ向けに作られたおふざけだということはさておき、このドキュメンタリー映画は、誰もが自分の居場所を見つけたがっているという当たり前の題材を描いただけの、主人公の馬鹿馬鹿しい承認欲求と陰鬱で屈折したマイナス思考を混ぜ合わせた胸くそ悪い映画であることに加えて、ラストを見ればわかる通り、お涙頂戴の安易な恋愛映画を見るような客層のレベルを想定して作られた『堕落したクリエイティヴィティ』というほかない空虚な映画」というようなことを複数の映画評論家に論じられたが、海外の客層には概ね好意的に受け入れられ、その後、主人公はアメリカのサブカルチャーのイベント、コミコンやサウス・バイ・サウス・ウエストのサイン会に招待され、彼の穏やかな性格もあって世界中から真のヒーローとして評価されることになった。ブームが落ち着いた今、彼はシアトルに住んでいる。野良犬を保護することを専らの仕事としているが、時々、メディア関係の催し物で、サブリミナル効果についてのセミナーが開催されると、サブリミナルの生き字引ということで招聘されることが少なくなかった。彼はそうして91歳まで生きたという。映画そのものに話を戻そう。映画が終わり、微動だにしない文字だけが写されている暗闇の中、エンディングにピーター・ウィルソンを流すことは決めたが、出来るだけ音楽をキャッチーにするために日本語カバーにした方が良いだろうと真利夫は思った。レイフ・ギャレットの「New York City Nights」をカバーした田原俊彦の「哀愁でいと」がいい例だ。曲がヒットすれば映画にもいい影響を与えてくれるだろう。プロデューサーはやはり石野卓球がいい。彼にTB-303のアシッドな音色を付け足してもらい、ボーカルはトミー・フェブラリーを起用しよう。世間は忘れているかもしれないが、彼女は本業のバンド、ブリリアント・グリーン以外に、80'sポップスをリバイバルさせた曲を歌っていたことがあり、PWLのスタイルをそのまま踏襲していた。残念ながらシンセの音や構成は障子紙のように頼り甲斐がなくペラペラだったけれども。彼女なら引き受けてくれるだろう。その旨を石野卓球にTwitter経由でダイレクトメッセージを送った。無理、俺はPWL嫌いだし。トミーなんとかはもっと嫌いだし。そっけない返事だった。真利夫は納得がいかなかった。PWLが手掛けたユーロビートの型を作ったと言っても過言ではない名曲、デッド・オア・アライヴの「ユー・スピン・ラウンド」を石野卓球はよくプレイしていたからだ。そんなことを考えながら、真利夫は歩行者用の信号が青になっているのを確認し、足早に交差点に入った。すると突然右側からまばゆい光が視界に飛び込んできた。一瞬の後、彼は空中で回転していたーー視界がぐるぐる回っていたので、多分そういうことが起こったのだろうーー空中を舞っていた体感時間は2、3秒だっただろうか。どこが地面なのかわからなくなるほど視界が乱れ、黒いアスファルトが急速に視界の右側に現れたように思えた直後、その大きな壁に体が叩きつけられた。しばらく時間が経ったのだろうか、目を開けると、自分は横向けに寝そべっており、目を360度ぐるりと回すと、視界の右下の方にタクシーが1台、その後ろに数台の車が停まっているのが見えた。その中の1台の車から人が下りてきて、おい!救急車!と叫んでいる。ああ、仕事がぜんぜん終わっていない。もうすぐ死ぬかもしれないのに、まだ仕事の事を考えている。真利夫は自分の社蓄ぶりに少しうんざりした。次に生まれてきたら、押し付けられた理不尽な進行で出版点数だけを稼がなくてはいけない出版社には絶対に勤めない。けれど対人関係に悩まされたくはないので大手出版社も難しいだろうか、マイナーな趣味を生かしてフリーの編集者として身を立てるか、だが、真利夫のマイナーな趣味を生かせるような職では生計が成り立たないだろう。 そんな考えが頭の中でぐるぐると回っていると救急車の音が聞こえてきた。救急隊員が駆け寄ってくる。お兄さん大丈夫?え?えーと?ああ、大丈夫?え、何がですか?じゃあ担架載せるから、いっせえの、せっ。肩のあたりを掴まれ、もう一方の隊員には膝のあたりを掴まれると、どこが痛いのかはわからないが、体中に震えるほどの激痛が走る。いてててて。じゃあこれはどう?一方の救急隊員が脇の下に手を入れて上半身を抱え込み、もう一方の救急隊員が腰を持とうとする。いぎぎぎぎ。今度は腰のあたりに激痛が走る。ああ、だめです、だめだめ、痛いです、痛たたた。ちょっとそのまま我慢してね、せえの。真利夫の口から出てくる激痛を訴える声を無視して隊員が真利夫の体を担架に載せた。お兄さん、名前は?自分の名前は、なんだったろう。どう読んでいいのかわかりにくい名前だった気がする。生年月日はわかる?6月、いや、もっと寒い頃だった気がする。住所は?最寄駅はどこだったかな、何か自然豊かなところにあるような、植物を連想させるような、そんな名前のところだった気がする。右腕を動かそうとすると激痛が走る。痛みを忘れようと固く目を閉じて彼女のことを思い出そうとするが「忘れよう」としている段階で痛みのことは意識してしまっているわけで、ますます痛みが増してくる。いつの間に意識を失っていたのか真利夫は廊下らしきところを担架で運ばれていて、天井の蛍光灯がどんどん足元から頭の方へ流れて行く。はい、レントゲン撮るね、ちょっと痛いけど我慢しよう。こっちの台に移るからね。いっせえの、せっ。脳髄に鉄棒が差し込まれるような感覚。いひっ。言葉にならない声が思わず漏れる。ああ、これは酷いね、なんでこんな風になってるのかなあ。真利夫の妻がいつのまにか病院に来ていたようで、泣きながら真利夫の両親に電話をしている。職場の先輩もやって来ていて笑いを堪えながら写真をバシャバシャ撮っている。再び担架に乗せられて、10畳ほどの部屋に運ばれた。真利夫はどうやら麻酔を打たれたのだろう、頭が朦朧としていたが、天井に張り付いているカーテンレールをじっと見つめていると、真利夫はカーテンレールの端に設置された駅のホームに立っていた。全長300mほどの巨大なガーゴイルが、のそのそとカーテンレールの上を進んでくる。ガーゴイルの爪は凸型になっており、凹状のカーテンレールを噛むにはちょうど良い形をしている。ガーゴイルが駅に到着すると、真利夫はその巨大な口をこじ開けて中に入ろうとした。鼻にツンとくる匂いが充満している。ガーゴイルは車掌のメンテナンス不足で胃酸過多からくる胃痛に悩まされていたのだ。中を覗くと乗客が防護服を着用している。駅員がやってきて、ちょっとちょっと、困りますよお客さん、そんな下半身剥き出しで乗車するのは。中は胃液でいっぱいなんだから溶けちゃいますよ、1人溶けるたびにうちらは減給されるんだから、これを着てもらわんと。これ、いくらですか?あなたお金を持ってないようだから、お金はいいですよ、はい、着て着て。真利夫はタダで何かを渡されるのに慣れていないので、たまたま胸ポケットに入っていたつくば万博の500円記念硬貨を手渡した。駅員はそのメダルを地面に叩きつけ、何度も足で踏みつけていた。踏みつけながら、左腕にかけていた防護服を真利夫に渡した。腕と上半身と足と下半身と頭部にパーツが別れた防護服を着てガーゴイルの口の中に入っていき、真利夫の背の高さの2/3ほどの高さの食道を進んでいくと、どうやら胃らしき広場に出た。天井の高さは真利夫の身長の3倍ほどもある。床は一面胃液で濡れている。壁にはベンチのような段差ができてたのでそこに座る。隣の客が話しかけてくる。バカリに行くんか?バカリってなんですか?バカリはバカリだろうが、バカリも知らねえでコレ乗ってんのか?そういえば真利夫はなんの目的もなく乗車、いや乗獣したのだった。ふと思い付いたので真利夫は答えた。いえ、私は終点の駅で降りてシネマトグラフを見に行く予定なんです。シネマトグラフなら俺も知ってるわ、その後はバカリに行けよ、村八分にされっぞ。真利夫は壁にかかっていたナイフを手に取り、胃袋の壁に突き立てて1平方メートル分四角く切り取った。ちょうど良い窓ができて、外を見やると、巨大なナナフシで出来た踏切が、蚊が泣くようではあるがどこまでも響き渡る声、つまり警告音をあげて、大型のコモドドラゴンの行く手を遮っていた。ガーゴイルの歩みは遅く、いつになっても踏切が上がらず、コモドドラゴンの背中に乗っている老人がイライラしているように見える。顔が見えなくなるほどぼうぼうに生えた髭の白色と、日焼けした上半身の黒色の肌のコントラストが、そう見せているだけかもしれない、と思っていると、老人は突然、真利夫が空けた窓に火炎瓶を投げ込んだ。すぐに火が胃液に着火し辺りが炎に包まれた。真利夫は、その様子に慌てて逃げ出そうとしたが、隣の乗客は微動だにせず、防護服内のチューブからニコチン入りの水蒸気を吸いながら真利夫に声をかけてきた。防護服着てっから大丈夫だよ、いつものことだから、おめえも吸うか?彼は右の脇腹にあるダクトからチューブを伸ばし、真利夫の、やはり脇腹にあるダクトに接続した。するとヘルメットの中が水蒸気で満たされた。かなりニコチンの含有率が高いのか、一呼吸をしただけで頭がクラクラする。ああ、タバコが吸いたい。真利夫は「生きることは抵抗を感じることた」といつも思っている。タバコを吸うといつも咳き込んでしまう。喫煙し始めたのは三十歳になる頃で、妻から「すうーっとするから吸ってみたら?」といわれたのがきっかけだった。本能でタバコを欲している感覚はなかったが、咳をする度に自分の肺が確かに機能していることを実感する。真利夫はベッドの上で寝返りをしようとすると、どこかに激痛が走ったが、どこに激痛が走っているのか分からない、それくらいの痛み。そう、この痛みは生きている証拠だ。思わず真利夫は、フォー!と叫び声を上げた。部屋中に自分の声が響きわたる。その直後に妻が、さっきの叫び声、何?と半笑いで近付いてきた。真利夫は半笑いが嫌いだ。妻は何かと言うと、ホームベース型の顔の中心から少し下の位置にある鼻から微量の空気を吹き出して、嘲るような表情を浮かべる。何かを咎められる時、半笑いを浮かべながら言葉を発せられることほど腹立たしいものはない。半笑いというのは、自分の発言に責任を持ちたくないのと同時に反論の余地を与えない、そんな態度の表れだと思う。ここから出たら妻と別れよう。本能のまま彼女と付き合おう。彼女は身長が150センチほどの身長で痩せすぎず、抱擁すると真利夫の胸に頭を埋めてくるのが心地良く、丁度良い身長差だと感じていた。何かにつけて夜の用事をでっち上げて彼女に会った。彼女の陰核を緩急と強弱をつけて舌で舐った後、中指で少し強めに陰核に触れると、ねえ、どうして私の体がこんなにわかるの?と毎回苦しそうに呻いた。真利夫も、陰嚢を頬張りながら舌の先端をくるくる回す彼女の技に毎回驚かされるという、お互いに性的な経穴を心得ている濃密な情事だった。陰茎を膣口の奥に差し入れると、ねえ、首絞めて、お願い、と言われ、彼女のいう通り両手で首をぎゅっと絞めると、もっと締めて、締めて、と苦悶の表情を浮かべて絶頂に達していた。行為が終わるとシーツには直径1mほどの透明なシミがついていた。首を絞めながらセックスをする人がいる、というのは話には聞いていたが、彼女は本当に首を絞められると快感が倍増するらしかった。彼女には冗談まじりで、結婚したかった、と告げたことがある。彼女は、ちゃんとプロポーズされてたら真利夫さんと結婚してましたよ、と笑いながら答えた。そういえば彼女はセックスをした後いつもタバコを吸っていた。再び真利夫は無性にタバコが吸いたくなった。真利夫が入院していることを知って、彼女が息を切らしながらやってきたら、タバコの買い出しをお願いしよう。甘えるような声で、来ちゃった、 という声が窓の方から聞こえたのでそちらを見ると、外で複数の色の光が明滅している。窓にかかっているゴムの暖簾を潜り抜けてダンスフロアに足を踏み入れる。フロアを横切り、奥の扉を開くと、そこはバーになっていて、元電気グルーヴの砂原良徳がカウンターでウィスキーのロックをチビチビと飲んでいる。真利夫は彼の作る端正で繊細なエレクトリックな音が好きだ。砂原良徳は以前はiQOSを吸っていて、吸い心地が軽いことは思っていたが、iQOSはタールを1mm以下しか含んでいないということを知ったのと、iQOS独特の香りに飽きたということもあり、再び紙タバコを吸うようになっていた。カメラ、つまり真利夫の視線が机にぐっと寄っていくと、灰皿の隣にハエが止まっていた。砂原良徳は、グラスを1つもらえませんか?とバーテンダーに告げる。そのグラスをハエの上に被せる。数秒間グラスの中でハエが飛び回る。ハエがカウンターに留まると、砂原良徳は少しだけグラスを持ち上げて、その隙間からタバコの煙をフーっと吹き込み、グラスを元に戻す。ハエは動かなくなり、多分死んだ。こんな映画のワンシーンがあったような気がする。ちょっと僕にも吹きかけてみてください、タバコの煙。真利夫の頼み通り砂原良徳は顔に煙を吹きかける。鼻からその煙をすーっと肺いっぱいに吸い込む。吸い込みすぎて肺胞が膨張し、彼の体は七色に光り出しフロアの天井までプカプカと浮いた。そのクラブにはミラーボールが付いていなかったので、照明係が脚立を持ってきて天井と真利夫の体を太さ9mmのピアノ線でくくりつけ、それだけだと物足りないと思ったのか、照明係は偶然モーターを持っていたので、一旦ピアノ線を天井から外し、モーターを天井に取り付けた後、そこにピアノ線をつなぎ、真利夫の体をグルグル回転させミラーボール代わりに仕立て上げた。真利夫のおかげで、フロアは大変盛り上がった。パーティーが終わっても真利夫の体は宙に浮いたままだった。客がはけた後のフロアでクラブのオーナーがタバコを吸った。真利夫は、そのタバコの煙をめいいっぱい深く吸い込むと肺胞が破裂し、血と肉片が四方に飛び散り、浮力をなくした真利夫の体は、オーナーの頭に激突した。オーナーも血だらけになり一瞬は驚いていたようだが、すぐに控え室にあるスピーカーの部品を持ってきて真利夫を人間スピーカーにしようと考え、真利夫の体を改造し始めた。コーンとウーハーが手際よく組み込まれた。胴体は一見するとファンクション・ワンーークラブやフェスでは非常に高い評価を得ているスピーカーだーーのようだったが、そこに手足が生えている。DJブースの横に設置され、立派な人間スピーカーとなった真利夫から放たれる音の良さが、客だけでなく同業他者の間でも話題になり、毎晩多くの音響エンジニアが訪れることとなった。真利夫はアルコールを大量に摂取しないと良い音を発することができないので、定期的に客が真利夫の口に濃いめのブラッディマリーを注ぎ込んだ。胸は破裂したが、運が良いことに食道と胃は無事だったので心置きなくアルコールを楽しんだ。客の他にDJも真利夫の口にアルコールを差し入れ始めた。摂取するアルコールによってスピーカーの各帯域の出音が異なってくるので、音にこだわりを持つDJは真利夫に差し入れるアルコールの種類を慎重に見極めた。ある日、オーストラリアのディスコDJ・トルネイド・ウォレスは度数96パーセントのスピリタスをショットで3杯差し入れたのだが、いつもより体からクリアな中高音と迫力ある低音が出るようになり、各音域の分離が良くて悪くない音だ、と真利夫は自分で思った。客からは、低音やばい、低音やばいよ、と声をかけられていたのだが、初対面の相手にどう答えればいいのか分からずに適当に相槌を打っていると、真利夫が奏でる低音のメカニズムについて一方的に講釈を垂れる女性が現れて、私がやってるクラブにも来ない?と説得されるのを退屈しながら聞き流していると、自分の低音の気持ちよさに眠気を覚え始めた。真利夫は同じことを続けているとすぐ飽きてしまう。小心者の癖で不平不満を口に出せず、自分の中で不満が積もっていくたちで、自分の出音が良いからと言ってこのままスピーカーでいて良いのだろうかと思った。現状維持という言葉を、真利夫は忌み嫌っていたから。クラブでのコミュニケーションは退屈だ。前述した通り、真利夫は何かを相手に伝えようとすると、最初に脳内にイメージが浮かぶ。いくつか同時に頭の中に浮かぶイメージの、どれを最初に言語化するべきなのか、優先順位をつけることができない。真利夫はまずそのイメージを相手と共有できるかどうか、断片的な言葉で確認しようとする。クラブのコミュニケーションのように瞬発力を必要とする言葉は、真利夫にとってはイメージ不在の何か一定のパターンがある呻き声でしかない。眠気を覚まそうと両手でまぶたをこする。そういえば、先程から病室の窓から遠くの空に赤い光が明滅しているのが見える。あれはなんの光だろう?飛行機やヘリコプターにしては動きが早すぎる。猛スピードで空に三角形を描いている。真利夫はUFOを信じていない。神も信じていない。宗教も、国家も、天国も、地獄も、科学も、政治も、法律も、あらゆる統一を目指す体系を。体系は人の思考を拘束する。全てが繋がっていると考えると、途端に世界から生々しい現実が失われる。砂浜で、砂一粒一粒を意識する。真利夫には「砂浜」だとは思えない。砂浜から離れて体から砂を洗い流すためにシャワーを浴びて、細かな砂が体の皮膚を伝って慣れていく時には砂の存在を感じるが、洗い流した途端に砂が砂であることを忘れる、そしてまた「砂浜」という大きな認識へと戻っていく、そういう人もいるだろう。砂の一粒一粒。数え切れない砂が一体どれだけ集まっているのかと思うとめまいを感じる。そうして世界のどこかにある広大な砂漠のことを考えて恐ろしくなる。エジプトのスフィンクス像やピラミッドは、真利夫のように砂が砂であることに耐えられなくなり、少しでもその恐怖から逃れたいという意図で作られたのではないかと思う。何か意味がある形を持たせなければ、ありのままの「砂」と共に暮らすのは狂人のやることだ、と思っていたに違いない。世界の中で、意味のないものを意味があるように認識することは真利夫にとって辛い思考だったので、統一を目指すものを信じていないとは言え、真利夫の内面では統一を求めることを止めることができない。つまり、その先に何があるのか、それが何らかの裏付けに基づいているのかを追求せずに、行き先が分からないまま、どこか一方に向かおうとする思考。例えば、今、病院の外で鳴いている山鳩の鳴き声は、真利夫が誰かに恨みを買うようなことをしてしまい、その恨みを忘れさせないために、誰かが山鳩を鳴かせているのではないかと考える。日に日に山鳩の鳴き声は大きくなっていき爆音と化した。誰かを傷つけてしまった罰なのか、ならばそれは誰だろうと1週間眠れないこともあった。2度妊娠させた彼女に対してしたことは最低だったと思っている。未来を決定したくない自己中心的な考えでその2回とも堕ろしてしまい、最終的に彼女に別れを告げると、彼女は自殺未遂を3度繰り返して、真利夫が勤めている会社に1日に3回は電話を掛けてきて、地獄へ落ちろと言い放ち、それを毎日続けられた。もしかしたら彼女が日本一有名な新興宗教と結託していて、24時間真利夫を監視するために集団で真利夫にストーカー行為をしているのではないか。鳩の鳴き声は、地獄へ落ちろ、お前がしたことは一生許されない、と深層心理に直接訴えていて、お前はあの出来事を忘れることはできないと言っているのに違いないと、根拠のない確信を得るに至った。通りすがりの男性が咳払いをするのも、周囲の人間が一斉に真利夫を蔑んだ目で見て口汚く罵り始めるための合図だとも思っていた。その度に横隔膜が緊張し、心臓の鼓動が早まり、最終的に真利夫は職場で泡を吹きながら倒れてしまった。医師からはストレスが原因のパニック障害だと診断され、1ヶ月の自宅療養を命じられた。しかし自宅で横になっても眠れない日が続き、十分に休養する間もなく1ヶ月が過ぎてしまった。ベッドから起きれなくなるほど憔悴しきっていたが、休職期間が終わった日に、何とか会社に這っていった。会社に辿り着いてもキーボードの配列を忘れてしまい、職場で何をどうすれば仕事ができるかも分からなくなり、突然やって来た眠気を解消するために、午後になると会社の近くにある仮眠宿で2時間ほど眠った。これらは全ては彼女の復讐で、その罰を自分は受け止めなければならない。そうして彼女の気がすむのなら。しかし同時に、世の中に起こる全ての現象はやはり無意味な出来事なのだ、自分に言い聞かせる。全ては単なる偶然で、何の意味もない。真利夫は、主人公が全ての物事がある法則の上で成り立っていると思いつめた結果、狂気に至り、自ら頭にドリルで穴を開けて終わる映画『π』のことを思い出した。完全なる無意味の中で生きるのは苦しいが、真利夫はそうすべきだと思う。統一は別の統一と対立し、反発し合う、例えば差別や戦争のような。まだ見ぬ未来を過去の記憶や経験に照らし合わせて、進むべき方向を決定することから逃れたい。だが、それは天才のなせる業だろう。真利夫はギャンブルをやらないが、ギャンブルとは、根拠なく空虚な未来に足跡を残すためにするような行為で、それは勇気のある行為だと思っており、そうか、自分はギャンブルに熱中すればいいのだ、と確信して十万円ほど注ぎ込んだが、パチンコやスロットにも法則性があると聞いてしまいーーICでランダム化されたアタリの確率を、果たして人間が読み取ることができるのか疑問だったがーー真利夫は考えを改めた。厄介なのは、今後どのように生きてくか判断するための脳の働き、つまり記憶は誰かにとって都合のいいものであるということだ。誰にとっての都合なのかは分からないが、自分の過去が利用され、妄想が生み出されることがある。いわゆる「洗脳」だーー真利夫は、意図せずに宗教施設に軟禁されたことがあった。レコード屋で目当ての盤を探していると鈴木紗理奈に似た20代後半と思われる女性に、音楽好きだったら私のサークルに入らない?と誘われるがまま窓が1つもないビルに連れて行かれた。パーテーションで区切られた狭い空間に連れて行かれ、その女性とは別の女性から、堕胎の話を含めた真利夫の陰鬱な過去を引き出されて、何も無駄なことはない、あなたの人生は素晴らしものだった、と過剰に褒められたのだが、また別の女性がやってきて、過去の出来事や思いをすべてを冷徹に否定され、思考能力を失った真利夫は、富士山麓の合宿施設で宗教を学ぼう、と言われるがまま参加費の30万円を支払ってしまった。真利夫の叔父が自衛隊のカルト宗教を調査する部隊に所属していて、母親とその叔父の尽力のおかげで30万は全額返金され、すんでのところで宗教に入らずに済んだーー人を騙す人間は、とにかく過去を収集するのだ。これは「〇〇主義者」になる一部の人にも当てはまるかもしれない。過去は、肯定的なものならば自分を慰められる心地よい場所でもある。だが頻繁に、心地よい記憶でさえも「真っ白」な「今」に急襲されることがあり、恐怖を覚える。どうやって「今」と折り合いをつけられるのだろう。逆に「今」が真利夫の過去や経験の記憶を浸食し、思考をすること自体が脳の片隅に追いやられ、時々は「今を生きている素晴らしさ」を実感する瞬間は確かにある。だが、それはあっという間に去ってしまい、自分の逃避する場所であったはずの過去がーー避難できるのはほんの一瞬だが、その一瞬は何度もやってくることを経験上、真利夫は知っているのだが、それでもーー陰鬱で残酷な顔をしながら近づいてくる。大抵の場合において、過去と現在のどちらかは常に真利夫を攻撃するために追いかけてくるのだ。アルコールを飲んで逃げ切ろうとしても、意味不明な、もしくは意味を持って追いかけてくる過去が同時に真利夫の脳内が支配しようとするときに感じるであろう不安、いや、その不安がやってくるであろうことへの不安から逃れられそうになくなると、真利夫は安定剤と睡眠剤を飲んでベッドに潜り、禍々しい白昼夢が過ぎ去っていくのを待つしかない。そうして眠りにつくと、大抵の場合、抽象的な話の筋らしきものを持ちながら、皮膚で感じられるほど具体的なイメージを伴った悪夢を見る。目覚めた後、悪夢の意味するところを推測しようとしても、推測する直前に夢は飛散してしまう。その夢には問題を解消する正解があったような気がするが、正解が消え去ってしまったという不安に囚われるだけだった。この話は要領を得ない。真利夫は常に混乱しているのだから。その混乱を話した彼女は1人しかいない。目を開けると妻が着替えを持って来てくれていた。妻は病院に毎日来てくれる。真利夫は妻に感謝の念を抱いていているが、最初に出会った次の日から恋愛感情を抱いたことがない。老後のことを想像できないの?一人で老いるなんて寂しいことだよ?と涙を浮かべる妻に、文字通りの意味で「首を絞められて」結婚させられた。恋愛感情とは、単に慣れないものに対する時の戸惑いなのだろう。妻が自分を必要としているのだろう、ということは言動から何となく推測することはできたので、彼女の言うことに従って、ぬるま湯のような日常を過ごしてきた。性欲が消え去った関係の向こう側に愛があるのだろう、と妻と平和な関係が続く日常を過ごしながら思っていたが、第二子を授かる親戚や友人が頻繁に現れ始めたので、その考えはどうやら間違っていたようで、性欲と愛情が同居することはあり得るようだった。そう、彼女に対してはそうだった。ある日、妻がハワイへ旅行に出かけたのを見計らって、彼女の家に遊びに行き、本棚にあった樋口毅宏の小説を読み「カンダウリズム」という言葉を知った。カンダウリズムとは「原義的には、自分の妻の裸体を第三者に晒すことによって興奮する性的嗜好のこと。リディアの王・カンダウレスが自分の妻の裸体を家来に見せていたことが語源である。しかし、最近では、転義として、自分の恋人、妻が他人と性行為をするのを見て悦ぶ嗜好を指すようにもなった。その意味では『寝取られ』に近いが、寝取られる側が意図的にそのように仕向けている、というニュアンスがあるので、「寝取らせ」と言ったほうが良いかもしれない」(Wikipediaより)というものだった。Wikipediaにも載っているし、AVはあまり見ないが、上野オークラ劇場で見たピンク映画の大半は寝取られモノだったのでーーピンク映画とは何なのかを知るために1年、映画館に通ったのだーーそれほどマイナーな趣味ではないのだろうと思い、樋口毅宏の小説を読んだ次の日の夜、彼女が通っている有名な渋谷のハプニングバーに足を運んだ。カップル同士でパートナーを交換する性行為、つまりスワッピングが行われる場所だという。いつも映画館やライブハウスに行く時に通る細い道を左に曲がり、さらに細い路地に入ると目当てのハプニングバーはあった。彼女は仕事が終わってから合流するというので一人で入場すると、受付で入場料とは別に入会金を上乗せされ、三万五千円も払わされた。中に入ると、一階はイベントスペースらしきガランとした空間にソファが置いてあるだけだった。そのソファに座って男女3組のカップルが談笑している。60代半ばと思われる男性が、30代前半と思われるネグリジェ姿のパートナーの胸を、他のカップルの男性に触らせている。真利夫は手持ち無沙汰でカップルから少し離れた場所にあるソファに座っていると、その男性と女性が近づいてきて隣に座り、僕の可愛い子、すごくいい形のおっぱいの持ち主で、揉み心地が凄くいいんですよ、よかったら触ってやってください、と声をかけてきた。女性を近くで見ると年上のような年下のような、年齢不詳で、中村うさぎによく似た、整形かと思うほど涙袋がぷっくり膨らんでいる目鼻立ちのはっきりした、少し太めの女性だった。ネグリジェ越しに彼女の胸を触る。皮膚の裏側に、粘り気のある液体が溜まっているような感触。30秒ほど控えめに胸を揉んだ真利夫は、乳房にはあまり興味がなかったので、いいものを触らせてもらいました、ありがとうございます、と言って席を立ち、二階への階段を登っていった。そこには教室ほどの大きさのガラス張りのスペースがあり、その中では6組のカップルが全裸で体を重ね合わせていた。彼ら彼女らは微動だにしなかったから、セックスをしている男女、というよりも、巨大な冷凍魚を眺めているようだった。ガラス越しに魚達を眺めていると、隣に彼女がやってきた。ごめん遅れちゃって。極度に日焼けした茶色の肌をした男が彼女の後ろに立っていた。ねえ、しようよ、しようよ。いやいや、と笑いながら彼女はやんわりと拒否の姿勢を見せている。それを尻目に真利夫は、魚達はいつ動き出すのかと辛抱強く眺めていると、1人の男が腰を静かに動かし始めた。真利夫がいる場所からはよく顔が見えない。ガラス張りの部屋の向かって左側の奥の方に移動すると、女の顔だけはある程度見えるようになった。少し眉間に皺を寄せているだけで、快楽に溺れている様子は見られない。彼らにとってはセックスすることは副次的なもので、見られていることが興奮の種になるのだろう。少し拍子抜けした真利夫が元の場所に戻ると、彼女がいなくなっていた。裸の魚達を見飽きた真利夫は再び一階に降りていった。先程のカップルはいなくなっていた。イベントスペースの片隅の暗闇から聞き覚えのある喘ぎ声が聞こえてくる。近づいていくと、先程の日焼けした男が彼女の膣に二本指を差し込んで、前後に激しく動かしている。真利夫はその瞬間、妻が旅行に行っていると電話で告げると、土砂降りの雨の中、傘もささずに部屋までやってきた時の彼女のことを思い出した。午前2時くらいに玄関前にやってきたらしいが、睡眠薬を飲んで寝ていた真利夫は呼び出しチャイムに気づかず、午前6時頃になって鳴り続けていたチャイムで目が覚め、寝ぼけ眼で、え、何?と聞くと、彼女は涙を浮かべて、会いたかったからに決まってんじゃん!と叫んだ。その時、多分初めて「愛されていること」に気づいたのだと思う。そして、一ヶ月もせずに彼女に振られたときのことも思い出す。彼女にクリトリスを舐めてと言われてその通りにしようとしたところ、隠部からゴムの腐ったような香りがしたときのことも。自分は彼女を好きではないのではないか、と思っていたが、別れ話を切り出された瞬間に、初めて心が動いたことも。真利夫は「これではとても生きていけない」と思わされるような「抵抗」を覚えるほどの衝撃を感じないと、生きていることを「感じる」気持ちが湧いてこなかったが、この瞬間、まさに「抵抗」を伴った感情が湧き上がり大量のドーパミンが噴出した。彼女が喘いでいる横に腰を下ろして、茶色い男の指が彼女の体に出入りするのを眺める。男は血走った目をして、ねえ、入れていい?入れていい?という言葉を呪文のように繰り返している。彼女は快楽で何も聞こえないようで、仰け反りながら、自分が知っているよりも大きな声で喘いている。真利夫は、左手を彼女の口にひっかけて、右手で彼女のつむじのあたりの髪の毛を引っ張って頭を引き延ばす。ぐいと引っ張ると唇が練り消しゴムのように縦長に伸びていく。その彼女の喉の奥に陰茎を挿入した。真利夫が入っていっても彼女の喘ぎ声はやまない。真利夫の陰茎が声に敏感に反応し、震え、脳髄に電撃が走った。真利夫の体が溶解して、真利夫の頭、肩、腹、腰、足が彼女の口にするりと入っていく。真利夫は彼女の食道を通り抜け、胃へ、腸へと進んでいくと、何故か彼女の膣に辿り着き、出口に向かっていくと、浅黒い指が出入りしているのを見つけた。真利夫は、快感を覚えるときのいつもの癖で、自分の舌で前歯の先端をなめると、前歯が鋭すぎて舌が切れて出血をした。浅黒い指がこちらに深く入ってきたタイミングで、その指を噛んでみた。人差し指と中指の第1関節は意外にも簡単に噛み切ることができて、その食感に少しの幸福を覚えたが、男の血の味は非常に不味かった。そのまま膣の外に出ると、茶色の男が手を抑えて、ぎゃあぎゃあと叫びながらのたうちまわっていた。真利夫は男に向けて口の中の二本の指を、ぷっと吐き出した。体が体液まみれだったので、彼女を置いてハプニングバーの外に出てユニクロに向かいジーパンとニルヴァーナのニコちゃんマークのTシャツを買った。普段は80年代のUSオルタナティヴかUKニューウェイヴ、あとは2000年代のブラックメタル、その中でも陰気な雰囲気を醸し出しているバンドTシャツしか着ない真利夫は、ニルヴァーナのTシャツを買ったのが恥ずかしくなったが、とりあえずはバンドTシャツだとこの選択肢しかなかったわけで、ユニクロを出てすぐにタクシーに乗って車内で着替え、彼女の家に向かった。真利夫の髪の毛が濡れていたので、今日雨でも降ってた?それに何、ニルヴァーナのTシャツなんて着ちゃって、と彼女に訊かれたが、ホテルのパーティーで酔っ払ったやつにプールに放り込まれたんだよ、と答えた。彼女は男遊びに慣れていて、今日は人に会ってくるわ、と言って頻繁に男に会いに行くのだが、外出を許す代わりに彼女に性交の様子を撮影するように、という取り決めを交わしていた。彼女が帰り道にその動画を送ってくると無上の幸福を覚えて3回ほど自慰をした。彼女と真利夫はセックスをしなくなって約2年になるが、彼女は20代後半で、溢れ出る性欲を持て余しており、出会い系で接触した不特定多数の男性と効率的な性生活を送るようになっていた。私は賢いヤリマンだから、どんなに誰かとセックスしてもあなたと別れることは絶対にない、というのが彼女の口癖だった。いつも宿泊先を教えてくれるので、一度その現場に訪れたことがあった。ドアを開けると筋肉隆々の裸の男が立っていて、誰?と訊かれたので、彼氏です、と答えると、男は黙って室内の方を振り返った。部屋の奥を見ると、1人の男が彼女と性行の真っ最中で、やはり筋骨隆々の男4人がベッドを取り囲んで立ったまま自慰をしていた。真利夫も慌ててズボンとボクサーパンツを下ろし、陰茎を擦り始めると、瞬時に絶頂が訪れるのを感じ、急いで彼女のそばに小走りで駆けていき、絶頂に達すると彼女の顔に性液をぶちまけた。すると、精液が放射された場所からしゅうしゅうという音がして煙がたち始め、彼女の顔半分がじゅくじゅくと溶け出した。その酸性反応は彼女の脳味噌に達した。溶けていない顎をパクパクと開いたり閉じたりしながら、あーあー、という叫び声を発し続けていたので、真利夫は陰茎を手で擦り勃起させて、彼女の口の中に突っ込んだ。彼女は窒息したのか、叫び声は程なくして聞こえなくなった。それ以来、彼女の顔を思い出すことができない。そして、彼女の顔も同じく他人のように思える。真利夫の、世界中の全人類に自分は嫌われている、もしくは常に誰かに嘲笑されているという卑屈な魂のあり方にまで好意を持ってくれた彼女は、揺るぎない意味を持つものはたくさんあって、それ以外のものは全く無意味だ、という世界のあり方について、説得力のある言葉で真利夫のネガティヴな思考を否定し、認知の歪みを修正してくれた。仕事が終わって、これから飲まないか、とメールをすると自転車でやってきて、いつも世界と個人の関係性について語り合った。そういう付き合いが一年ほど続いたのだが、ある日、真利夫は頓服の抗うつ剤を飲んで酔っ払い、気分が高揚したのか、1回ぐらいセックスしてみようよ、と彼女にそれなりの勇気を出して言ったところ、目を見開いた能面のような表情を浮かべたのを見て、あ、これはまずい事を言ってしまったと思い、急いでタクシーに飛び乗った。彼女はいつも真利夫のことを友達に紹介する度に、私の大事な人だから、と言っていたので、口説いた言葉を冗談として、嫌だよ、真利夫くんとはそういう仲じゃないでしょ、と笑って軽く受け流してくれると思っていた。タクシーの中で、ごめんごめん、酔っ払って変なことを言って、忘れて、とメールをしたところ、幻滅した、という一言だけが返ってきて、その後、連絡が取れなくなった。彼女はメールを受け取った時、どんな表情をしていたのだろう。真利夫に何を期待していたのだろう。2週間後、自転車に乗っていた彼女が交通事故に遭い死亡した、というメールが共通の友達から届いた。その日はちょうど彼女の誕生日で、フェイスブックを覗くと、コメント欄はお悔やみの言葉で溢れかえっていた。中には何故か真利夫が2週間前に彼女と会っていたことを知っている女性がいて、真利夫に対して攻撃的なコメントを書いていたので、ディスプレイの中に手を突っ込み、その女性のアイコンを掴みパソコンの外に引きずり出すと、その丸いアイコンは3分待つと人間の形になった。横たわっている女が瞼を開けたタイミングを見計らって、壁にかけていた大型の液晶テレビの角を女性の顔に何度も叩きつけ、顔が判別できない状態になると、女をパソコンの画面の中に押し込んだ。死んだものと思っていたが、フェイスブックには破壊された顔のアイコンが表示されていて、カレーが食べたい、という投稿をしていた。そういえば女に叩きつけた大型テレビに、本格的なネパールカレーを作る料理番組が映されていた。ちょうど病室のテレビにもネパールカレーの作り方が映されていて、ネパールカレーとインドカレーは何が違うのだろうか、と真利夫が考えていると、消灯時間になり、部屋の明かりが消えた。2時間経っても眠気が襲ってこない。5時間経っても、9時間経っても。そうしている内に窓から陽の光が差し込んできた。真利夫が、うーん、と唸ると、看護師らしき人間がやってきて、意味不明の専門用語だらけの言葉を投げかけてくる。文字がごちゃごちゃと詰め込まれている書類がテーブルの上に置かれた。いいですか?なにを?同意されるということで。ああ、はい。ようやく眠気が襲ってきそうになったので、目を閉じると、網膜に焼き付いた光の残像が、白い横長の長方形になって瞼の裏に現れた。長方形の光をじっと見つめていると、それはじわじわとこちらに向かってくる。映画館のスクリーンのような残像の中央に、ピントが合っていない染谷将太の顔のアップが見えてきた。雨が激しく降っている。ずぶ濡れの染谷将太は、顔をくしゃくしゃにしていて、涙を流して悲しそうな表情をしているのか、それとも喜びに溢れた表情をしているのかわからない。1分ほど無言で真利夫を見つめている。あまりにまじまじと見られるので、気まずくなり目を開こうとすると、突然、染谷将太は大声で叫んだ。好きだ!お前のことが好きなんだ!アメリカのパワーポップバンド、ウィーザー の1994年に発表されたファーストアルバムに収録されている「ザ・ワールド・ハズ・ターンド・アンド・レフト・ミー・ヒア」が爆音で流れ出す。90年代におけるアメリカのアンダーグラウンドシーンで奏でられていた曲と、当時の商業ポップスと、80年代のハードロックの垣根を超えた瞬間を捉えた曲、と言っても過言ではない。しかしイントロの適度に歪んだギターリフが流れた後、ウィーザーのボーカルであるリバース・クオモの歌が入ってこない。音楽が鳴っていることに気が付いた染谷将太はやけっぱちの大声で歌い始める。歌詞は英語だが、字幕で和訳が表示される。


世界は廻る 僕を残して

君が現れる前に僕がいた場所

君の居場所に空いた空間が

僕の表情に隠れた心の穴を埋めてくれる


君の甘い思い出と愛を育んだす

頭の中で千回も

今までより愛をあげるって

君は言ってくれたけど


君はずっと遠ざかったまま

日に日に遠くへ行ってしまうんだ


世界は廻る 僕を残して

君が現れる前に僕がいた場所

君の居場所に空いた空間が

表情の裏に隠れた心の穴を埋めてくれる


財布の中の君の写真に何時間も話しかけていたら

君はそれを聞いていて

笑って僕の考えを喜んでくれたよね

本当はそうではなかったかもしれないけど


君は相変わらず遠ざかったまま

日に日に遠くへ行ってしまうんだ


世界は廻る 僕を残して

君が現れる前に僕がいた場所

君の居場所に空いた空間が

表情の裏に隠れた心の穴を埋めてくれる


君はただただ遠ざかったまま

日に日に遠くへ行ってしまうんだ


世界は廻る 僕を残して

君が現れる前に僕がいた場所

君の居場所に空いた空間が

表情の裏に隠れた心の穴を埋めてくれる


君には信じられるかい? 僕が歌っているものが

君には信じられるかい? 僕が歌に乗せているものが

君には信じることができるかい?


歌いながら、染谷将太は前に進み始める。カメラもそれに合わせて後退する。ラッパーのように音楽に合わせて両腕を動かす。突然画面が暗転する。染谷将太は誰に向かって歌っていたのだろう? 真利夫は、彼女を思い出し、いつのまにか涙を流していた。真利夫が目を開けてもウィーザーの曲は鳴り止まない。乱暴に点滴の管を外し、恐らくは肩と腰から来る激痛に堪えて、ひょこひょこした足取りではあるが、真利夫は走り出した。病院の門を超えて右に曲がり、堤防を登る。河原に、紫色の薄手のワンピースを着た彼女の小さな背中が見える。彼女は映画のなんたるかを真利夫に教えてくれた。職場でバイトをしていた彼女は、真利夫の趣味が映画鑑賞であることをどうやってか察知し、真利夫の行きつけの寂れたカレー屋に突然現れて、映画お好きなんですよね、とマヌエル・ド・オリヴェイラのDVDを、もう何回も見たから、と言ってプレゼントしてくれた。誕生日にくれたのは『メリーポピンズ』のリマスターのDVDだった。封が開けられていて、彼女は、我慢できずに見ちゃった、と少し申し訳なさそうに言った。二人きりで飲んでいる時、真利夫がDVDを見たというと満面の笑みを浮かべて話を聞いてくれ、真利夫の言うことに事実関係の間違いがあると、映画史を勉強していた彼女は鋭く指摘した。彼女との性交の相性は驚異的に良く、その度に真利夫のことが好きだとストレートに言ってくれた。彼女は当時5人の男性と付き合っていて、真利夫のことが2番目に好きだと告げられた時は嬉しさで頭にかあっと血が上ったのを覚えている。彼女にメールで病院名を告げると、じゃあこれから行くね、と返信があった。しばらくすると、近くまで来たんだけど、やっぱり帰る、と連絡が来た。病院を入退場する時に入り口で名簿に名前を書かなければいけないのだが、すぐ上の欄に妻の名前が書いてあったのだろう。真利夫さんはわたしだけの人じゃないんですよね、逢いたかったけど、帰ります、というメールが届いた。ウィーザーの曲が終わる。すぐに同じ曲がリピート再生で頭の中で流れ出す。河原で座っている彼女の背中に向けて叫んだ。好きだ!お前のことが好きなんだ!その言葉を繰り返しながら、河原の砂利を踏むたびにどこからかやってくる激痛に堪えながら、川辺で座っている彼女に近付いた。彼女は静かに立ちあがり、振り向いた。果たして彼女の顔には、眉毛も目も鼻も口も、それから耳も付いていなかった。その顔に向かって、真利夫は繰り返し絶叫した。お前のことが好きなんだ!その叫び声で看護師がやってきた。真利夫さん、どうかされましたか?いや、なんでもないんです。部屋が薄暗い。喘息のような咳が周囲から沢山聞こえてくる。この部屋はどうやら老人しかいないようで、はい、今、管を交換しますからねえ、という看護師の声が聞こえる。いつのまに真利夫は腕を包帯でぐるぐる巻きにされていた。そういえばここに来てから一週間は経っているような気がする。なにか手術が行われるのだろうか。妻が朝になるとやってきて、この病院のことを色々調べたよ、と言った。ここは、死が近い老人が多く「あとは看取るだけ」というターミナルケアの病院らしい。急患で受け入れてくれる病院がここしかなかったようだった。タクシー会社のお偉いさんだという人がベッドの近くまでやってきて、この度は大変申し訳ないことをいたしました、こちらお納めください、と高級そうな菓子折りを妻に渡している。妻は怒り心頭に発していたようで、どうしてくれるんですか?ここじゃあ手術できないんですよね?こちらで転院先を選ばせてもらいますね、と言った通りに新富町にある大病院に転院した。緩和ケアで有名な病院だった。いわゆる「金持ち」が入院するような格式の高いところで、玄関前にはベンツをはじめ高級車がいつも停まっていた。べらぼうな入院費がかかるらしいが、妻は様々な人の様々な意見を無視して、真利夫をここに転院させ、入院費用と手術代をタクシー会社に負担させた。広い個室にトイレ、風呂が付いているウィークリーマンションのような間取りだった。真利夫の部屋に看護師が次々と出入りする。特に真利夫は「開運!なんでも鑑定団」で長らくアシスタントを務めていた吉田真由子似の看護士がやってくるのを心待ちにしていた。主治医は詳しくは言わなかったが、真利夫は腕のどこかを骨折していたようで、骨を固定するプレートを埋め込む手術がなされた。全身麻酔で1分ただずに気を失い、目を開けたら手術が終わっていた。どうやら麻酔が残っていたせいか病室でゲロゲロと吐いていると、吉田真由子がやってきたので、僕の職場の若い奴らと合コンしませんか?と声をかけてみたのだが、眉に皺を寄せ、露骨に嫌な顔をされたので、いやいやなんでもないです、ははは、と言って真利夫は個室の外にあるトイレにおぼつかない足取りで逃げ込んだ。頭が火照ってクラクラした。合コンの誘いをしたのは人生でこれが初めてだった。個室の便座に座って、ひどい腹痛を感じつつ、出ない大便をひねり出そうとしていると、頭に血がどんどん上っていきーーそれでなくても合コンの誘いに失敗して恥ずかしさで顔が紅潮していたのだがーーふとデヴィッド・クローネンバーグ監督の超能力映画『スキャナーズ』で頭が爆発するワンシーンが脳裏をよぎった。その瞬間、まさにそのワンシーンのように真利夫の頭が爆発した。真利夫は超能力が大好きで、小学生の頃、劇場版アニメ『幻魔大戦』を見てからというもの、高校生になったら当たり前のように超能力を手に入れられると思っていたものの、20年経っても一向にテレキネシスの能力が得られないことに常に苛立っていたのだが、どうやら自分の脳を爆発させるくらいの能力は身に付いたようだ、と安堵した。不思議なことに、脳が爆発しても体を動かすことができた。脊髄が体を操っている感覚。ベッドに戻りナースコールのボタンを押すと、数分後に吉田真由子ではない看護師がやってきた。あらら、お漏らししちゃったんですねえ。今お掃除しますね。真利夫がタバコを吸おうと松葉杖を掴んでベッドから起き上がろうとすると、彼女が病室に入ってきた。妻が暇つぶしに、と持ってきたジャクソン・ポロックをネタにした小説に彼女は反応した。私、頭悪いかもしれないけど、ジャクソン・ポロックくらいは知ってる。読み終わったら貸すよ。彼女に手伝ってもらい車椅子に移乗し、車椅子を押してもらい病院の中庭に出た。頭はなかったが、気管支は残っていたので、彼女にタバコの火をつけてもらい、気管支だと思われる穴に直接タバコを差し込み、深く息を吸う。あと、知ってるよ、「人間は考える葦」だって、パスカル、真利夫くんは今なんか考えてんの、こないだ教えてもらったビオイ=カサーレス面白かったよ。真利夫はその本の内容を思い出そうとしたが、読後の感動すらも忘れてしまい、何も答えないでいると、彼女は、築地に寿司に寿司を食べてくる、と言ってスタスタと歩いて行ってしまった。タバコは美味かった。肺いっぱいに一気に吸い込んだので少しむせてしまい、気管からひゅーという音を鳴らして勢いよく肺から多めの副流煙を吐き出した。すみません、ここタバコ禁止なんですが。病院の職員が近付いてきて注意されたのだが、頭がなかったので返事ができず、慌てた真利夫はタバコを食道から飲み込んでしまった。すぐにトイレに向かったが、一日何も口に入れていなかったので、空っぽの胃の中では火が消えず、そのまま大腸にタバコが流れていき、フィルターが肛門に引っかかった。その違和感から真利夫は便秘の時に大便をひねり出す要領で排出しようとしたが、火が点いたままのタバコのせいで、肛門の周りを火傷した。すぐに真利夫は手で肛門をかきむしり、タバコの火を消した。水膨れができてしまったので肛門科に行くと、いぼ痔だと勘違いした医者は、その水膨れを肛門の中にグイグイと押し込んだ。もし真利夫に声帯が残っていたら絶叫していたに違いないほどの激痛が走った。水膨れが肛門の中に入っていかないのを確認すると、医者は、手術しましょう、と言って真利夫を手術室に移動させ、麻酔のために水膨れに太い注射針を突き刺した。さらに激しい痛みが走り、真利夫の気管支はぴゅーぴゅーというという音をたてた。メスで摘出された血の塊を医者は真利夫に見せた。真利夫に目はなかったが、プルプルとした赤いそれは、レバ刺しのように見えた。そういえば、と、頭脳がなくなって初めて、人間が思考する部位は頭だけではないのだなと真利夫は思った。以前、真利夫は訪問介護ーー老人が集う介護施設に勤めるのではなく自宅に伺って介護をするーーの職に就いていたのだが、そこでパワハラを繰り返していた50代半ばの男は、きっと脳みその働きが麻痺しているような、神経だけで生きているような、常に怒りという感情に体が支配されていた人間だった。真利夫が生活介助をするために利用者宅で食器を洗っている時にその男が同行していたのだが、男が発しているプレッシャーから緊張で体が上手く動かず、鍋の蓋をシンクに落として割ってしまい、その時の凍りついたような「無表情な表情」を浮かべていたのを思い出す。事務所に帰るなり、他のスタッフがいる中で大声で叱責された。お前1人のミスで、おたくの会社にはもう頼まない、ってことになって、会社が潰れたらおまえはその責任取れんのか? 俺が教えたことを覚えてねえのか?お前は今日から1週間人形相手にオムツ交換でもしてろ。ちなみにこの男は真利夫よりも年齢が上というだけで、なんの役職もない、単に経験が少しあるだけという1ヘルパーだった。男に罵倒された真利夫は定時に退社して、妻と離婚する際にマンションを追い出されて急いで契約したワンルールム8畳のアパートにうなだれながら帰っていった。引っ越し後、一切封を開けていない段ボールが山と積まれた部屋の片隅でーーレコードが多分8千枚以上は入っている、これでもだいぶ処分したのだ。それと主に幻想文学の大量の書籍が詰まっているーーセブンイレブンで買った「とみ田」監修のつけ麺をすすっていると、社用携帯にメールが入っていた。ある一部の人間にやる気が全く感じられない、会社が傾いたら誰が責任を取れるのか?その人には辞めてもらった方が良いのではないか?男性がそのようなメールを送信する時は大抵自宅で酔っ払っている、と人伝てに聞いた。女性スタッフに対しては、いや、酔っ払うとメール送りたくなるんだよね、ごめんごめん、あはは、といつもおどけていた。清拭に失敗しベッドのシーツを汚した時。車椅子にすわったままの利用者がオムツから溢れるくらいの下痢便をしてしまい、それを拭いていてケアの時間を大幅にオーバーした時。その度に、真利夫へのダメ出しが社員全員にメールで送られてきた。あいつが1日でも早く死にますように、という文章を真利夫は自分宛に何度もメールを送った。朝起きて、昼休みに、寝る前に自分へのメールを1日3回。男は山田五郎のような、坊主の前髪だけをモヒカンにしたような髪型をしていたのだが、自分宛に、死ね、というメールを送る習慣を続けていると、どんどん彼の額は後退し、後退するに従って襟足がどんどん長くなっていき、最終的に襟足だけが腰の長さまであるという、奇妙なヘアスタイルになっていった。同時に男性は日に日に透明になっていき、最終的に目に見えるのは襟足だけになり、70センチほどの髪の毛が空中に浮かんでいるだけになった。声も聞こえなくなった。その髪の毛は時折ゆらゆらと揺れて、真利夫に何か罵声を浴びせているように見えたが、真利夫がその髪をハサミで毎日3センチほどカットしていき、全て切り落としてしまうと、男の存在は消えてしまった。ただ、時折、隙間風のような奇妙なノイズがかすかに聞こえてくる気がしたが、それは真利夫に対する罵声の名残だったのかもしれない。そう、脳の話だ。真利夫は人間の肘や膝の関節にも予備の脳が収まっていると思っている。一時期タコの生態に興味を持ち調べたことがあったが、タコには、触手の中に分散した脳みそがあるそうだ。おそらく人間も同じなのだろうと思う。頭脳というのは身体中にある小さな脳を統括して、小さな脳が何かトラブルを起こさないよう、少しの抑止力を持っているだなのかもしれない。あの介護の男はきっと小さな脳を管理することに頭脳が疲れてしまったのだろうか。そういえば男の体の節々はやけに膨れていたような気がする。真利夫は妻の頭部を自分の首に取り付けてみたことがあるが、装着すると全身が痺れ始め、肘と膝に鈍痛が走り出した。彼女に会いたい、という気持ちが全身に溢れると、いや、会ってはいけない、という指令のような電流が脳みそから体全体に走った。しばらくすると肘と膝にゴルフボール大のおできが出来てきたので、手元にあった安全ピンの針を突き刺すと、その小さな穴から黄色い膿がダラダラと流れ出した。おできを強く押すと、ぴゅっと勢いよく粘液が飛び出した。全ての膿を絞り出すと、次に赤い粘着質な、親指の爪程度の大きさの複数の赤い塊がじゅくじゅくと溢れ出した。すると、彼女に会いたいという気持ちが全く無くなったので、妻に頭部を返した。頭部を再び首に取り付けた妻は、なにか諦めみたいなものを感じる、心が平和になったみたい、と言った。真利夫が肘と膝の脳みそ、もしくは膿を絞り出すと、何故か世界の全てのシステムが一本の運命に従って動いていることを理解した。二酸化炭素を減少させるための企業の持続可能な開発目標は無意味であり、日本の夏の平均気温は10年後には50度を超えること、人間を不死にできる細胞のシステム、太陽が膨らんで地球を飲み込む具体的なタイムリミット、AIが2100年においてどのような働き方をしているのか、もしくはシンギュラリティが訪れる瞬間に起こった混乱、SOCIETY6.0の時代が訪れる前に核戦争が起こり人間の半分が死んでしまうことについて、全ての詳細を理解した。そうか、自分勝手な理論で理解しようとする頭脳とその他の脳は、目の前の出来事に対応するためにだけ存在していて物事を複雑にしているだけだった。あるものをただ眺めればいいのだ。全てのシステムを理解したという確信を得た真利夫は、既に無い目で経済誌に目を通し、瑣末すぎる経済に関する記事にうんざりし、骨粗しょう症が原因で入院した年老いた父親の顔を思い起こしながら、その号で特集していた相続税についての記事を読んだ。父親は確か1週間ほど前、平坦な道で転倒し、大腿骨と背骨を骨折した。多分歩けなくなるだろう。もう直ぐ父親は死ぬかもしれない。経済誌を読みながら、自分が理解した事柄の細部をーー20年後の北朝鮮についてもーー頭の中で整理していると、真利夫は白い円状の機械のようなものに囲まれていた。これがMRIというもほだろうか。機械が発するノイズに一瞬気が狂いそうになる。頭が無いのに何を調べるのだろう。手術はすべて終わったのだろうか。ベッドに戻ると、誰かが側にやって来たような気がする。視界がぼやけている。少しシャッキっとした気分になりたい。真利夫は、しばらく掃除していない耳の穴の中に人差し指を突っ込むーーかろうじて耳だけが爆発を逃れていたのだーー指が鼓膜にたどり着く。ちょっと撫でてみると少しくすぐったい気がした。その鼓膜を指で破ると、自分の息が耳の穴の中からブワッと吹き出した。真利夫は、ない口でクシャミをしたのだ。そのさらに先に指を伸ばし、拳を入れて、指を開く。ぐちゃりとしている何かの塊があり、掴んで耳の外に引っ張り出した。近くにあった食事用のテーブルに置いてみる。なるほど、これが蝸牛というものか。実際カタツムリのような形をしている。この器官を引っ張り出したことで全く音が聞こえなくなるのではないか、と思い、看護士を呼ぶと、看護師の声がぼんやりと体に響いてくる気がする。しかし、話している唇の動きと、話の内容が一致していないように見える。看護士は、病院食のトレイに、先ほど取り出した蝸牛を乗せると、何か言葉を発したように見えた。「この蝸牛、後で美味しくいただきますね」と聞こえた気がするが、看護師は無表情で、真利夫を罵るような唇の動きをしていたような気もした。看護士が出て行く前に「なんですか?」と真利夫が訊くと、手のひら程度の大きさの、ひらがなの形をした「な・ん・で・す・か」というオールドファッションドーナツのような物体が真利夫の口、いや気道から飛び出してきて、宙に浮かんだ。文字が病室を一周したところで、看護師は「か」の文字をつかんで食べた。シリアルに砂が混じっているようなジャリジャリとした音をたてて食べながら、看護師は満足したような顔をした。彼女は口の中にあるものをごくりと飲み込んで、他の文字も食べはじめた。全部たいらげた直後に突然、看護師は嘔吐し始めた。「で」と「す」の文字吐き出されて、その文字はとれたての魚のようにビクビクとしている。真利夫は「です」という言葉が吐き出された理由を考えた。「デス=死ね」と言いたかったのだろうか。そういう意味だとしたら少しショックではあるが、真利夫は、空気を読んだり、言葉の裏にある意味を理解することができないので、これが物理的な、直接的なコミュニケーションなのだ、と感動した。その瞬間、蝸牛がピクリと動いた。蝸牛には口がないが、何か言いたそうな表情をしている。一服したいね、と言っているようだったので、病院の外にある喫煙所に出かけた。耳の主な機能を摘出してしまったので平衡感覚がなくなり、さらに久しぶりにタバコを吸っはせいで気持ちのいい目眩がして、体の緊張がほぐれるような気がした。耳の穴から煙が吹き出る。隣でタバコを吸っていた50歳くらいだと思われる看護士だと思われる女性に、鼓膜、破るといいみたいですよ、と話しかけると、満面の笑みで耳から煙を吹き出した。わたしもそう思いますよ、と言っているのだろう。頭部がなくても人と雑談くらいはできる。頭脳は結局、効率的なコミュニケーションを妨げるだけの役割しか持っていない、そして時には人を暴走させる、と思った。体には、体から絞り出してしまったもの以外に体のどかにまだ脳が埋め込んであるのだろう。本当の意味での「脳」は内臓の中にあるのだろうか。真利夫は、見るもの全てが1920年代のサイレント映画のように見えてきた。意図が伝わりやすい大仰な動作と、時折暗転して挟まれる字幕。世界はこんなにも分かりやすいものなのだ。その分かりやすさに気分が高揚したので、真利夫はそのまま歩いて代々木公園に向かった。音楽イベントが開催されていて、鼓膜の代わりに横隔膜が震えるので音楽が鳴っていることが分かる。そこのお兄さん、ちょっとちょっと。斜め前から、相当酔っばらっているらしき女性が話しかけてきた。黒い髪を胸まで伸ばして、不自然なほど真っ白な顔をした、ほぼノーメイクで、眠そうな二重瞼が根暗な性格を表しているような陰気な雰囲気の女だった。なんですか?と訊くと、頚椎と脳神経の調子が悪いの、聴覚過敏症みたいで、うるさくて音楽聞けなくて、今私耳栓してるの、と答えた。音楽のイベントなので音楽の話をしようとすると、私、ちょっとおかしな人なんだよね、あんたなんか調子悪そうじゃない?絶対なんか病気持ってるでしょ、私、発達障害、ADHD、あんたは何?と問い詰めるような口調で迫られた。これは妙な人間に絡まれた、と、そろそろ友達と合流しなきゃいけない、と言ってスマホをポケットから取り出すと、ごめん、私、電磁波過敏症、3m離れてくれない?と言う。その通りに真利夫は彼女から3m離れた。おごってくれない?お酒。初対面でおごれとは馴れ馴れしい。真利夫は彼女に背を向けて歩き出した。ふと振り返ると、丁度3m離れて彼女がついてくる。仕方がないので、「本搾り」の350ml缶を二本買って、一本を彼女に渡そうとすると、切って、と言う。携帯の電源、切って。真利夫は、盗聴波やヤクザや薬物や偽札などの記事を扱うアングラ雑誌の編集者として働いたことがあるからか、日常の中にある奇妙な出来事をネタとしてストックする癖があり、このことも誰かに面白く話せるかもしれない、と、携帯の電源を切って彼女に近付き「本搾り」を渡した。名前なんていうの? 真利夫。じゃあさ、真利夫くん、お酒は好きなんだよね、あとは何が好き?まあ、音楽かな。これから江ノ島行かない?ニック・ザ・レコードが回すんだって、ちょっと調べてくれない?ああ、江ノ島のクラブっていうと、オッパーラでやるの?と携帯を取り出して調べようとすると、ごめん、3m、3m離れて、と言う。オッパーラのスケジュールを調べると、確かにニックがDJをやっている。真利夫は大学時代にニックがやっているイベントには必ず顔を出すくらいニックのファンで、1990年代初頭に一部のアンダーグラウンドなシーンで話題になった、ハウスというにはサイケデリック過ぎ、ダンスミュージックの割にはビートが頼りなさげで、テクノと言うにはメロディーが甘すぎる「ニューハウス」と言われた音楽を、何もひねくれることなく淡々とかけているニックが本当に好きだった。いいね、江ノ島行こう。「本搾り」を飲みながら彼女は早足で駅の方に歩き出す。改札に着くとこちらを振り返った。私、ちょっと前にカイロやったんだけど、それから急に電波過敏症になっちゃって、カイロって良くないよね、携帯、電源切った?お金ないからさ、電車賃、ちょうだい。このままずっと金をせびるつもりだろうか。江ノ島電鉄に乗り換えると、いきなり、ねえ、私と付き合わない?と言う。いきなりの告白に驚いて、思わず、え、は、はい、いいよと答えてしまった。じゃあさ、江ノ島行かないで、私の家行こう。私の家、横浜。電車の中で、彼女は自分がどんな草の根的なフェスに行ってきたか話し始めた。なるほど、その辺りのフェスに行っているのだったらきっとドラッグをやっているだろう。横浜駅に着くと彼女は途端に全く話さなくなり、手を繋いできた。駅から30分ほど歩いて彼女の部屋についた。ドアを開けた途端、ペットショップの匂いがした。部屋に上がろうとすると、羽がちぎられて血だらけになっている鳩が部屋の中央に置いてあるのに気づいた。あ、これね、ちょっと前まで猫飼ってたの、猫がよく食べるんだわ、鳩、でも私猫アレルギーになっちゃってさ、友達に猫あげちゃった。真利夫は、あ、ごめん、ちょっとコンビニまでタバコ買いに行ってくるわ、と言い部屋の外に出て、そのまま電車に乗って病院に戻った。病室に戻ると、生活に秩序が戻ってきたような気がした。まだ夕方だったが、睡眠導入剤を飲んだ。ベッドに横になっていると、彼女が猫を抱いて病室にやってきた。猫の口の周りにはべっとりと血が付いていた。ここって真利夫くんの病室? いや違います、と答えると、少し眉をひそめて彼女は出て行った。そういえば真利夫には顔がなかったので、真利夫を真利夫だと認識できなかったのだろう。顔でしか相手を認識できない人もいる、それが不思議に思えた。彼女と入れ違いに妻が部屋に入ってきた。あの女、誰?うん、まあ友達。あのさ、いい加減にしようよ、と離婚届を目の前に差し出した。横隔膜に鈍い違和感を感じた。突然の告白だったので鼓動が早まり、びゅっびゅっと首から血が噴き出した。病人の自分を見放すのか、と思ったが、彼女がいるから、まあいい。真利夫は、犯罪ではないあらゆる物事を体験したいと思っていたので、これもいい経験だ。脳味噌がないせいか真利夫はすぐに冷静になり、躊躇なく離婚届にサインをして、首から出ている血液に親指を押し付け朱肉がわりして印鑑の欄に親指で捺印した。さて、これからどうしようか。退院したら就職活動を始めよう。証明写真には自分の顔は写るのだろうか。人は手足をなくすと、ないはずの手足にかゆみを覚えるそうだが、頭のない真利夫は、ないはずの頭が痛かった。タバコが吸いたい。病院の中庭を少しだけ散歩すると、奥に喫煙スペースを見つけた。中庭を囲む建物の趣が少し違うような気がした。夜だから雰囲気が違うのだろうか、喫煙所はここだっただろうか。こんなに広い中庭などなかった気がする。こんにちは。中庭の中央に座っている、入院患者らしい人たちに挨拶をされた。どうやら彼らには自分の顔が見えるらしい。あれ、そのTシャツってメガデスじゃない?その内1人の50代と思われる男が真利夫のTシャツについて話しかけてきた。メガデスは、現在は日本を拠点として活動しているギタリスト・マーティ・フリードマンが在籍していたスラッシュメタルバンドで、真利夫が着ていた黒のTシャツには、彼らがブレイクしたきっかけとなったアルバム「ラスト・イン・ピース」のジャケットがべったりと張り付いていた。病院でTシャツについて突っ込まれるのは意外だったが、男の上半身をよく見るとカオティック・ハードコアの元祖、ディリンジャー・エスケイプ・プランのTシャツを着ている。俺はあんまり音楽について分からないんだけどね、メタルっぽいハードコアバンドは好きなんだよ、来日公演にも行ったよ。そうなんですか、羨ましいなあ、解散しちゃいましたよね。ギターのベン・ワインマンがマーズ・ヴォルタのメンバーとかとバンド組んだでしょ、あれは良くないね、普通のハードロックっぽいボーカルでさ、似合わないよ、枯れちゃったよねえ、まあ、彼なりに年相応の音楽をやらなきゃってことなんだろうけどさ、あんたギター持ってる?あ、はい、フェンダージャパンのジャズマスターですし、全然弾けません。あんな軟派なギター使ってるの?俺はデイヴ・ムステインに憧れてキングV使ってるんだわ、そうか、じゃあ、あんちゃん、一緒にバンドやらない?うちの病院デカイからさ、広い診察室があってちょっとした催し物やるんだよ、そこでライブもやっててさ、俺の十八番はパンテラの「カウボーイ・フロム・ヘル」でさ、ギターのダイムバッグ・ダレルはやっぱり憧れで、俺はランドールのアンプを持ってんだよ。意気投合した真利夫は男とバンドを組んだ。レントゲン技師がベースを弾けることがわかり、そして病院の受付の女性がドラムを弾けることもわかり、バンドメンバーはあっという間に揃った。楽器の弾けない真利夫は必然的にボーカルの担当になり、演奏する曲はメンバー内で多数決をとって、結局「カウボーイ・フロム・ヘル」になったのだが、ライブ当日、一曲目の演奏が始まり、間奏で男のギターソロが始まると、ダイムバッグ・ダレルと同じように観客に射殺された。翌朝、パンテラのTシャツを着て病院の喫煙所に行くと、射殺された男がやってきて、言った。やっぱりパンテラはああいうことになっちゃうからダメだな、次は健康的なやつじゃないと、悪魔主義の……例えば……北欧ブラックメタルは好き?はい、普通にメイヘムとか。いいね、じゃあ次はメイヘムで行こう。また同じバンドメンバーが揃い、広い診察室で練習を始めることになったのだが、時間になっても彼がやってこない。何か焦げている匂いがする。煙がただよってきた。大急ぎで外に出ると、東棟の玄関が燃えている。その様子を、恍惚の表情で男が眺めている。俺さあ、自分っていうものがないから、すぐ誰かに感情移入して、その人と同化しちゃうんだよね、今日だったらメイヘムと、そうそう北欧ブラックメタルだったらバーズムとかね、教会燃やしちゃったヴァルグ・ヴィーケネスみたいに、ここら辺は教会がないからさ、教会は燃やせないけど病院も教会も同じようなもんだろ?火は中央棟にも延焼していた。火って、綺麗ですよね、ずっと見ていたい。真利夫が呟くと、男が言った。腹減ってねえか。はい、空きました。じゃあこれ食べなよ。彼はリュックからカニパンを取り出した。カニパンは飲み物がなければ口の中がパサパサするので、一度断った。だが彼は、いいから、今食べてみろって、と、あまりに強く勧めるのでカニパンを食べることにした。不思議なことに、火をじっとながめながらカニパンを食べると、唾液がブワっと溢れてきて、いつも食べているカニパンよりも滑らかな甘みを感じた。いつのまにか真利夫の頭の下半分から舌が生えてきていて、カニパンがこんなに美味しいものだったとは、と驚嘆した。程なくして消防士と警察官がやってきて、男と真利夫は逮捕された。真利夫は無罪放免となったが、それ以来男の姿を見かけなくなった。病室に帰って改めて食べたカニパンは、パサパサしていてそれほど甘くもなかった。1/5ほど食べて残りは冷蔵庫に入れておいたが、1ヶ月経つと腐ったのでゴミ箱に捨てた。そのままカニパンは腐り続けて異臭を発するようになって、何かの香りに似ている、と真利夫は思っていたが、それは磯の香りだった。そうか、カニは海の生き物だものな。真利夫はゴミ箱から腐ったカニパンを拾って、病院からすぐそばにある岬まで行き、カニパンを海に投げ入れた。カニパンは一度沈んだあと、再び海面に姿を現し、サヨナラとでも言いたげに、無いハサミをこちらに向けて左右に振った。真利夫は、無い顔に満面の笑みを浮かべてカニパンに手を振り返した。病室に戻ると彼女がいた。妻が別れを切り出してから彼女が頻繁にやって来るようになったが、彼女は口を揃えて、ねえ真利夫くん、顔色悪いよ、何かあった?と言う。真利夫はその言葉を聞いて理解した。真利夫の「無い顔」は、「そうあってほしい」表情を相手に見せているのだ。そうだとしたらこんなにありがたいことはない。真利夫は、思ったとおり、感情のとおりにダイレクトに表情を作ることがとにかく苦手で、今浮かべている表情で自分の考えが相手に伝わっているのだろうか、といつも不安に思っていたから。相手が勝手に気持ちを汲み取ってくれるのなら願ったり叶ったりだ。その代わり、彼女が「すごく体調が悪そうだよ」と言ってくるので、それに合わせて真利夫は実際に体調を崩してしまったのには困った。彼女はそれぞれ面識はなかったのだが、真利夫の病室ですれ違ううちに仲が良くなったようで、ここから退院したらみんなで一緒に住まない?という話で盛り上がっていた。彼女は真利夫が寝ている病室の端に、チョコクロワッサンを使って「かまくら」を作った。真利夫がいつもチョコクロワッサンが好きだと言っていたせいで、皆がチョコクロワッサンを差し入れに持ってきていて、病室の中に山ほどあったので、使い道を見つけてくれた彼女の行動に真利夫は喜んだ。積み上げられたチョコクロワッサンの中で彼女が共同生活を初めて2週間後、彼女は空腹のあまり、かまくらの内部からチョコクロワッサンを食べたところ、かまくらがバランスを失って崩れてしまい、彼女は圧死した。看護士や担当医師や友人、知人をはじめ、かまくらの存在は誰にも気付かれなかったので、チョコクロワッサンに埋もれた彼女は放置されチョコクロワッサンとともに腐っていき、グロテスクな肥料のようなドロドロとした粘液と化してしまった。友達と言えるような人間は、妻以外に彼女だけだったので真利夫は悲しんだ。その様子を眺めていると、端の方から粘液がパリパリと乾きはじめたので、試しにその粘液を使って真利夫は自分の顔を作り始めた。粘液が乾くと顔が完成したが、少し男前にし過ぎてしまったかもしれないと思った。彼は病院を出て空を見上げると、相変わらず太陽が眩し過ぎた。日焼けのせいで水膨れになった皮膚をまとった人間たちがゾンビのような足取りでゆっくりと歩いていた。真利夫の頭部は強い太陽の日差しをうけて、完全に乾燥した。いい気分だった。仮初の頭が彼女たちの意識を受け継いだのか、彼女の思考が頭から心臓に大量に流れてきて、横隔膜に疼きが走った。愛を感じたことのなかった真利夫は、身体中に強烈な火照りを感じた。他人の感情や思考は完全には理解できないものだと真利夫は考えていたが、今初めて彼女のことを理解した、と思った。それなりには自分に好意を持ってくれていたのだ。だが、今となっては遅すぎる。しばらく日向の道を歩いていると、乾燥し過ぎた頭はバリっという音を立てて表面が剥離し始めたこんなに強い直射日光に当たっていたら皆死ぬだろう。この瞬間の、この気分で死にたいと思う。死期が近いと感じた象のように、自分の死に場所に向かいたい。真利夫の死に場所はどこだろう。病院に戻って屋上に出ると風が強く吹いていた。突然強い耳鳴りに襲われ、真利夫の頭に鈍痛と鋭い痛みが同時に走った。立ち眩みを覚えながらコンクリートの床に崩れ落ちると、目を見開いているのにもかかわらず視界が真っ暗になった。耳鳴りがさらに大きくなる。その轟音は、しばらくすると真利夫が大好きだったアイドルグループ・アイドリング!!!の曲のメロディに変化していった。


初めて会った日のこと 覚えてますか?まだ

私ずっとあなたを思ってた

どれだけ背伸びしたって やっぱ乙女だよ まだ

なんかこのへん 痛くなるもの


この場所 何度通ったかな?

一緒の思い出が増えてくね 走馬灯みたい 淡くて

楽しい時 あっという間に過ぎ 帰らなきゃいけない

なんて寂しいの もう一度


うんと明るい笑顔つくれるの私は

あなたをいつでも喜ばせていたいの

またね またね またね きっとまたね

今日はありがとう 忘れないでね 元気でいてね


この次会う日のふたり 見えていますか?もう

眠れない程待ち遠しくなったり

思っても仕方ないけど ちょっと楽しみだよね

どんなドラマが 待ってるのかな


この場所 何度通ったかな?

一緒の思い出が増えてくね 星が降るよ「大好き」

楽しい時 あっという間に過ぎ 帰らなきゃいけない

後もう少し もう一度


うんと明るい歌を歌えるの私は

あなたを優しく包み込んでいたいの

またね またね またね きっとまたね

今日はありがとう 忘れないでね や・く・そ・く


うんと明るい笑顔つくれるの私は

あなたをいつでも喜ばせていたいの

またね またね またね きっとまたね

今日はありがとう 忘れないでね 元気でいてね


大音量に耐えられず一度目を閉じ、再び目を開くと、真利夫は映画館で1人で座っていた。

他に客はいない。エンドクレジットが流れる真っ黒なスクリーンを見つめていると、画面の中央から円状にまばゆい光が現れて、どんどん大きくなった。真利夫はスクリーンに近づき、その光の中に入っていった。以来、真利夫は、その映画館で上映される映画の全てに登場するようになった。その映画館に通っている1人の観客が、どの映画にも現れる謎の男がいる、とSNSに書き込むと、検証のために多くの観客が来館して、真利夫の情報を集めようとしたが、結局、詳細は分からずじまいだった。最新の映画では、アメリカはコロラド州のデンバーにある小さなスーパーの入り口の階段に座った真利夫が、カメラ目線でこちらを見つめている。観客全員を、ではなく、特定の誰かを見つめているような表情を浮かべていたが、すぐに悲しそうな顔をして歩き出し、画面から消えた。20年後、ネットフリックスなどのサブスクリプションサービスのシェア拡大により、映画館はこの世から消えた。サブスクリプションサービスのオリジナル映画に真利夫は現れなかったので、真利夫の存在は忘れ去られた。20年は真利夫には長く感じられなかった。体感時間は24時間ほどだったろうか。彼はドキュメンタリー映画は嫌いだったが、とある「出演」した映画で、象の「死に場所」を取材したドキュメンタリーがあり、真利夫が象の後をついていくと、すでに骨だけの姿なった象が10体ほど横たわっていた。その内の一頭の肋骨の隙間に真利夫は横たわった。真利夫も「死に場所」を誰にも知られたくはない、と思うーーちなみにこの映画はフェイクドキュメンタリーで、実際には象の墓場など存在しない、というのは周知の事実である。象の屍肉はハイエナなどに食べられ、骨は風化するだけなのだーー真利夫が出演した映画は国立映画アーカイブに保存された。映画館がなくなってしまったので、50年ほどは上演されていなかったのだが、ネットフリックスが5DXという新しい規格の劇場を作り「スクリーンに映る或る男」という題名の特集上映を開催した。映画館で映画が上映されること自体の物珍しさで初回の上映前には1キロメートルほどの行列が出来た。全員オンラインで予約していたのだが「♯映画館に並ぼう」というSNSのハッシュタグが流行したからだ。特集上映の2日目の夕方、建物が放火されて全てのアーカイブが消失した。火事の原因は、病院で出会ったあの男の放火だった。真利夫はフィルムと共に煙になって空に向かって飛んでいった。やっと解放された。自分の姿を客観的に表すものはなくなった。必然的に、いつも見つめられている「自分の中の他人」も消えた。そんな想像をしながら、真利夫はまた喫煙所でタバコを吸った。タバコの煙に親近感を覚えつつ、吸い終わると病室に戻った。いつになったらここを出られるのだろう。病室は寒い。寒すぎると看護師に伝えると、ここは院長の好きな温度で管理されてるんです、良かったら院長にかけあってみて下さい、と言う。院長室に行くと、世界的に有名なDJ、スティーヴ・アオキのようにサラサラの髪を胸まで伸ばしている男が大きなデスクの後ろに座っている。あの、冷房が効きすぎているんですけど。ああ、すまんね、この部屋に真空管アンプを置いていて、暑いんだよ、ほら、このアンプに電球みたいなのが刺さっているでしょ、これが真空管、熱いから気をつけてね。真利夫は真空管を掴む。熱い。真利夫の皮膚がじゅくじゅくとケロイド状になっていくのがわかる。熱を発する2つの真空管をアンプ本体から外して、その真空管をスティーヴ・アオキの両目に突き刺す。突き刺した眼孔から血の涙が流れ始めたが、すぐに真空管の熱でかさぶたになり乾いていった。映画は好きかね、とスティーヴ・アオキが言った。そうですね、好きな方ではありますが、一方的に感動を押し付けられるようなものは嫌です、鏡を見ているように、自分の過去、今持っている行動指針のようなものを確認するために見ています、そういう鏡のような映画なら、つまらなくてもいいんです、外界を見ると言うのは、自分が投影された世界を見るということであり、事実や歴史に裏付けられた他人からの客観的な視線が、人類を殺すと思うのです。スティーヴ・アオキは静かに首を振りながら部屋を出て行く。どうやら真利夫はスティーヴ・アオキという神に見放された。多分彼は神だったのだろう。結構だ。真利夫は今、自分がなにをすべきなのか、今この瞬間に気が付いた。その次の瞬間に、それがなんだったか忘れてしまった。後日また思い出そう。思い出せなければ、そのアイデアはその程度のものなのだから、とよく言われるが、ついさっき思いついたものは、その瞬間にしか気付かなかった真理だったのだろうと思う。さっき思ったのは確かに真実だった。残念だ。何かを思い描き、そして忘れていく、だから真利夫が「撮るべきもの」に終わりはない。いつまでも続きがあるということは未来が際限なく開かれているということだ。思い付くだけ思いつけばいい。多分それらは何の形にもならず、その代わりに生き生きとしていて、未来に開かれたものとして成立するかもしれない。未来を自分の脳の中で完結させて、真利夫にとっての世界の入口と出口を閉じる事はするまい。そう思っていると、今まで顔を合わせたことのない医師が部屋の中に入ってきた。悪い知らせなのだろうか、良い知らせ?どちらでもいい。人生に区切りのいいラストシーンなどはない。どんな中途半端なバッドエンドでも時間が経てば幸せな結末として、いかようにも捉えられるのだろうし、その逆も真なりで、結末というのは単に「終わり」を迎えた時に訪れるもの、本当にそれだけのものなのだ。部屋に入ってきた白衣の男は本物の医者なのだろうか。丸眼鏡をかけていて、何を考えているのか表情からは推し量ることができない。闇の種族である主人公たちを描いたホラー/ファンタジー映画『ミディアン』に登場した、彼らと敵対するサイコパス医師を演じたデヴィッド・クローネンバーグを彷彿とさせる、身長175センチの白髪の男だった。横にいる看護士が、こほっと小さく咳をした。それは何かの合図であるはずだ。真利夫は今から起きることは、全てに意味があり、そう思った瞬間に予想出来ないものになり、予想外であると感じた瞬間に意味を持ち出し、すぐにそうではなくなるのだろう、と思う。このサイクルはいつまでも終わらない。この咳が、これから起きる最悪で幸せに満ちたものかもしれない出来事のスターターピストルになる。真利夫は再び頭痛を感じた。


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