第119話 夜はこれから

 それから俺は目の前に置かれた食事を今一度見る。


 ……先程のコーヒーの件を考えると、どうにも不安だ。といっても、さすがに俺を殺そうとしているのならば、すでにこの段階で殺しているはずだとは思うのだが。


「キリ」


 と、俺がそんなことを考えていると、ヤトがキリの名前を呼ぶ。


「……な、なんでしょうか? 大姉様」


「アスト様の料理を少し食べてご覧なさい」


 ヤトにそう言われるとキリは逆らうことはできないようで、渋々そのまま俺の食事を少しスプーンで掬うとそれを口に入れる。


 キリが食事を飲み込み、責めるような目つきで俺のことを見る。


「……これで安心ですか?」


 完全に毒見役をやらせてしまった感じで申し訳なかったが、俺も正直、ようやく安心することができた。すまないという感じで苦笑いしながら俺は食事を始める。


 既にミラも食事を始めていたが、なんというか……進みが遅い。やはり、こういった状況ではあまり食も進まないのだろう。


「ときに、アスト様。アスト様にこれまで……恋人などはいたのでしょうか?」


「ゲホッ……!? ゴホッ……な、なんの話ですか?」


 いきなりの質問に俺はむせてしまった。ヤトだけでなく、ミラも、そしてキリも俺のことを見ている。


「そのままの意味です。貴方様にはこれまで恋人がいたのか、付き合っている人間がいたのかを聞いているのです」


「……そんなこと、言いたくないですよ」


「え……い、いたの……?」


 と、そう聞いてきたのは……机の向こうのミラだった。俺は思わず顔をしかめてしまったが……正直に言うことにした。


「……いませんよ。ただの一度も」


 俺がそう言うとミラはなぜか安心したようだった。俺としてはあまり納得できなかったが。


「そうですか。それならば、アスト様のことを好きな女性がいたら、それはアスト様にとって初めての女性ということになりますね?」


 気持ちの悪い聞き方をしてくるな……しかし、実際その通りなので、俺は小さく頷いた。


 ヤトはなぜか満足そうに微笑んだ。それから特に会話もなく、食事が終わるまでは静かだった。


「さて、食事も済みましたので、お部屋にお戻り下さい」


 ヤトは俺にそう言う。しかし、俺としてはミラもキリとも再会できたし、さっさとリアとメルのもとに戻りたかった。


「あの……とりあえず、装備を返してもらえませんか?」


「駄目です」


 ……またしてもはっきりと否定されてしまった。


「既に今日は夜も遅くなりました。それならば、今夜はこの屋敷に泊まり、明日の朝、出発したほうが安全でしょう」


「それは……そうかもしれませんけど」


 俺はチラリとミラの方を見る。と、ミラはなぜか少し調子が悪そうにうつむいていた。俺はミラの方に近付いていき、話しかける。


「ミラ、大丈夫?」


「へ!? あ、あぁ……だ、大丈夫……だよ……」


 ミラは明らかにオーバーな動きでそう言った。


 なんだか、ミラの様子がおかしい。と、その様子を見ているヤトは嬉しそうに微笑んでいる。嫌な予感しかしない……


「ですので、アスト様。本日はどうぞ、ゆっくりお楽しみになってください」


 意味深な言葉を言って、ヤトとキリはそのまま食堂を出ていってしまった。


 と、ミラは未だに椅子に座ったままである。


「ミラ……本当に大丈夫ですか?」


 心無しか、ミラは少し頬も紅い気がする。そして、トロンとした目で俺のことを見ている。


「だ、駄目かも……アスト君が……すごく男前に見えてきた……」


「はぁ? 何を言っているんですか……とにかく、立てますか?」


「あ、それは……大丈夫……」


 そう言ってミラはヨロヨロと立ち上がる。それから、俺のことをなぜか舐めるような視線で見てくる。


「ど、どうしたんですか……本当に……」


「アスト君……先に言っておくね……ホント……ごめん」


「ミラ……もう謝らなくていいですから。ほら、部屋に戻れますか?」


「うん……大丈夫……じゃあ……後でね」


 ミラみそう言って食堂を出ていった。しかし、なぜだろう……ミラのあの目、いつもののんきなミラの目じゃなかった。


 まるで、肉食動物が獲物を見定めているかのような……そんなギラギラした目つきだった。


「ミラ……本当に大丈夫なのかな?」


 俺はそんなことをつぶやきながら部屋に戻ることにした。これから起こることをまるで予想することすらできずに。

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