第89話 絶対零度

「なっ……こ、これは……」


 さすがに俺も驚いてしまった。なんだ? いきなり周りの気温が一気に下がりだしたとでも言うのだろうか?


「アスト! 早く姉上を止めてくれ!」


 と、リアが必死の形相で叫んでいる。見ると、リアやメル、ミラの身体も部分的に凍ってしまっているようだった。


「り、リア……一体何が起きているんです?」


「姉上の魔法……『アブソリュートゼロ』だ! 私も話にしか聞いたことがなかったが……これがおそらくそれだ! 一度発動すると周囲のものを完全に氷漬けにするまで終わらない魔法らしい!」


 ……なんでそんなとんでもない魔法を発動させてしまうのだ? ラティアは俺達に協力的ではなかったのか?


 いずれにしてもこのままでは俺達全員氷漬けになってしまう……だとすれば、選択肢は一つしかない。


 すでに足の部分も凍り始めており、手の感覚はほとんどなくなっていた。それならば……


 俺は今一度転生の腕輪に祈った。光がさらに強さを増す。


「それならば……さっさと終わらすだけですね」


 そして、俺はそのまま一気にラティアとの距離を詰めようとする……しかし、ラティアに近付いていくにつれて体全体が凍っていくのがわかる。


 ラティアは……俺が転生する以前から経験した中でも相当上位の敵といえるだろう。おそらく、最初から明確に敵であるとわかっていたのならば、俺は最大の力で殲滅していたはずである。


 ラティアの目の前まで来て俺は剣を振り上げる。すでに剣を持っていない左腕は凍ってしまって動かない……そして、そのまま俺はラティアの首筋の直前まで剣を振り下ろした。


 しかし、それ以上は俺は剣を動かさなかった。


「……何をしている?」


 と、それまで黙ったままであったラティアが低い声で喋りかけてくる。


「……我を討ち取らないのか? 言っただろう? 我が認められる強さでなければリアの願いを聞き入れることはできない、と……」


「……えぇ。ですが、アナタはリアが姉と慕っている人物です。そんな人を俺は魔物と同じように倒すことなんてできません……ですから、俺ができるのはここまでです」


 喋っているうちにも体全体が凍っていくのが感じる……このままでは本当に全身が凍ってしまうのではないか……そんな危機感が俺を襲ってきた、その時だった。


「……そんなことだろうと思った」


 そう言うと同時に一気に凍っていた身体が自由になった。それまでの冷気も瞬時に消滅しているようだった。


「……まぁ、まずまずと言ったところか。我を本気で殺しに来ようものなら、我もお前を殺そうと思っていたが……少なくともお前は、リアのことを狙ってパーティに参加したわけではないようだな」


「え……ま、まぁ……それは……」


 と、元の表情に戻ったラティアは、なぜかいきなり俺の耳元に口を近付けてささやく。


「それに、お前……まだ本気を出しておらんだろう?」


 思わず俺は後ろに飛び退いてしまった。しかし、ラティアは不敵な笑みを浮かべて俺を見ている。


「……よし! リア!」


「え……な、なんでしょう、姉上……」


「我はお前に協力する。お前の願いを聞き入れてやろう」


 ラティアのその言葉をリアは最初あまり理解できていないようだったが、しばらくすると、嬉しそうに微笑んだ。


「……無論、お前にも活躍してもらうぞ、アスト」


 そう言ってからラティアは俺にも不敵な笑みを浮かべる。


 ……どうやら、リアと違ってこの姉上は、どうにも察しが良いようなのであった。

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