脚と足、露出 01

 コートで身を包んでも、吹き荒れる寒風は肌を裂くように通り抜けていった。

 びゅうっ、と風の音が聞こえるだけで竦んでしまう。

 自然と早足になる。駅に到着して電車の中に入ってしまえばこっちのモノ。朝の通勤ラッシュは苦しいけど、運良く座ることができたらレイと……。


 自然と笑みが零れる。

 抑えようとしても頬の筋肉がピクピク痙攣した。朝の通学から放課後に至るまでのレイとの時間を思い浮かべるだけでじんわりと喜びが広がる。


 何より今日は金曜日……。つまりパジャマパーティ開催日だ。先週はレイの家にお泊まりしたから、今日は私の家でお泊まりね。いや、でも二週連続レイの家の可能性もあるわ。まぁ、レイと一緒に過ごせるのならどこでも構わない。


 愉悦が蒸気のように私の中で吹き荒れる。気がつけば寒風なんて何のその。駆け抜けるように駅に向かった。


 平日はどうしてもレイが足りない。もちろん、毎日くっついてるけど(特に最近は寒いから、と密着度がすごい)、でも全然足らない。レイに触れ、一瞬何かが満たされるけどすぐに消える。コップに水を注いでも即座に蒸発する気分。


 飢えてるみたい。でも、空腹とはまた違った。レイからしか補給できない何かが恋しくてたまらない。


 駅まで後もう少し。

 気分はステップ。できないけど……。あと少しでレイに会える。毎日会ってるはずなのに、久しぶりに主人に出会えた飼い犬のように私は喜んでいた。


「あ、サクラ~! 遅いよ、置いてくよ!」

「ごめんごめん、準備に手間取って……」


 明朝の灰色の世界の中で、レイだけがきらめいている。

 私の心は一瞬で春に出会ったかのように息吹きを放つ。

 嗚呼、明るいブラウンカラーのPコート、レイにぴったりでカワイイ。

 カワイイ……。

 かわ……いい?


 なに、この違和感は。

 レイに近づけば近づくほど、ノイズのような違和感を覚えた。

 泥を顔にビシャっと浴びた気分。

 強烈な不快感――。

 そんな、どうして? レイに近づいて負の感情を抱くなんて絶対にありえない。不安と焦りで心臓が壊れたみたいに脈を打つ。


 あれは、レイ、よね?

 当たり前、私が見間違うはずがないわ。レイは、冬に差し掛かってから、何故か髪を伸ばすようになった。丸っこいボブカットも究極カワイイけど、今みたいにミディアムボブを崩した形も少し大人びて今っぽくて至高だった。

 うん、頭は可愛い。いつものレイだ。

 続いてコートを着ることで上半身のシルエットに厚みが増した姿もキュートね。


 ということは――。

 視線を少し下げたところでビキッ! と頭蓋骨に亀裂が入るような衝撃を覚えた。そのままパンっ! と頭がはじけ飛びそうになったけど、寸前のところで堪え、じっとレイを見やる。

 なるほど、ね。

 レイまであと数メートルのところで、私はその距離を飛び越えるように走った。自分でも驚く速度でレイに接近する。不意に加速したことで、レイの顔が引き攣った。


「……え? な、ちょ……な、なになになにっ!?!?!?」

「はぁはぁ……はぁ。ふぅ、おはよう」

「お、おはよう。どうしたの、いきなり走り始めて。何かあった?」

「こっち台詞よ……。それは何?」

「それ? ん、え? ぎゃぁあぁあっ!?」


 私はレイの制止を振り切ってコートのボタンを外す。

 パンパンパン! と小気味良く弾け飛ぶようにコートが開く。


 ――クリスマスに私がプレゼントしたくまたんマフラーがまず目に飛び込む。悔しいけどレイにぴったり。で、マフラーからチラリと覗く淡いブルーのリボンと、濃いネイビーカラーのブレザーに、雪のようなホワイトカラーのカーディガンは最凶にカワイイムーブしてるじゃない。レイと一緒にカーディガンを買いに行き、数時間迷いに迷って購入しただけはあるわね。


 だけど、それは上半身の話だった。この先に異臭のように漂う違和感の元凶がある。ここで終わりにしたい。私は何も見なかったフリをして、そっとコートを閉じる。で、いつものように手を繋いで電車に揺られて過ごす。それで終わり、それで世界は平和になる。


「はぁ……」

「まるで何かを決意したかのような、すげぇデケェため息」


 でも、やっぱりダメ。

 許せない。

 今回ばかりは、逃げたら後悔する。

 私は意を決して視線をレイの下半身に注いだ。


「あ、あの……サクラさん? そろそろコートを閉じてくださいな。寒いでございます……」

「レイ……」

「ひゃい! 思わずひゃって言っちゃった。なんか声のドスがやばいよ。あ、あの私なんかしちゃいましたか?」

「あんた、今、何を穿いてるの?」

「はいてる?」

「その下半身──。それは何?」

「な、何って……え……普通に、スラックスです。制服の……だよ」


 きゃあああああああああっ!!!!!


 ──絹を引き裂くような悲鳴は、どうにか口を抑えることで我慢できた。でも、私の中に膨れ上がる絶叫するような恐怖は消えない。ワナワナと身の毛のよだつような感覚に吐き気すら覚えた。嗚呼、なんて似合わないの、そのスラックス!


☆★☆★


 ――女子高校生の制服はカワイイ。


 それに気づいたのは、レイと出会い、レイのコーデを日夜考えながらふとレイを見た時だった。え、待って! 制服姿のレイも普通にカワイイじゃない! と悟った。私たち女子高校生の制服は、お葬式や結婚式まで着用可能なフォーマルな服装です! って顔しているけど、ブレザー&スカートやセーラー服など、あきらかに可愛い寄りの格好だった。


 私たちの学校はネイビーカラーのブレザー、淡いブルーのリボン、シャツ、チェックのスカート、とごくごく一般的な制服だった。でも、創立10年に満たない比較的新しい学校だからか、付近の高校よりも制服が可愛い、というか時代に合わせて垢抜けている。洗練されたシルエットを描くブレザーに、派手過ぎずも地味でもない媚びないバランス感覚のスカート。


 加えて、私たちの学校はスカート丈にうるさくないため、各々自由な長さに折っていた。もちろん、私が生まれる前のギャルみたいな超ミニスカは流石にいないけど、他の校則が厳しい学校と比べたらカワイさに歴然とした差がある。


 レイみたいな小顔ですらっとした背丈の子には、制服が惚れ惚れするほど似合う。装飾が少ないことで素材の味を引き出すというか、特にスカートはレイのすらっとした足の魅力を最大限に引き出した。長い足さらにスマートに映る。ブレザーやカーディガン or セーター+シャツと合わせた時の破壊力は凄まじいものがあった。


 だけど、スラックスは…………これをデザインや作成、昨今の風潮的に一つの選択肢として加えてくださった大人の方々には大変申し訳無いのだけど……ダサい。

 ダボダボ~ってしてる。

 シルエットに厚みが出るブレザーと合わると、途端に制服に着られる野暮ったい女の子になってしまう。スカートだったら上半身が膨らんだ分、丸みを帯びた腰から足のラインがスッキリしてフレッシュなのに……。シャツと合わせてもバランス崩壊してチグハグな違和感に打ちのめされる。

 小顔で脚の長いレイでも、そのダサさから逃れられない。レイの可愛さを相殺、いや、マイナスまで引き下げている。


 せめてレディーススーツのパンツスタイルのように、ブレザーやシャツなどのトップスと合わせてもスマートなデザインなら問題ないのだけど、このスラックスにはお洒落のおの字もなかった。


 まるでこの世の誰にも似合いませんように、と邪悪な祈りが込められて生み出されたようなやる気の無いデザイン。スカートのように長さを調節して抵抗することも許されない。


 学校指定のスラックス、私は今まで穿いたことがなかった。クローゼットの奥の見えないところにパンツ用ハンガーにかけて隠している。……いや、思い出したわ。一度だけ足を通した。でも姿見に映る絶望的な私の姿に慌てて脱いだのよ。それっきり。


 校内でもスラックスを穿いた女子は稀だった。寒い冬でも負けじとスカートをキメる。入学時に女子にはスカートだけじゃなくスラックスの選択肢もあると聞いて、昨今の意識をアップデートする情勢に置いていかれることのない先進的な学校なのね、と嬉しかった。ただ、もう少しJKが身にまとう服としての配慮が欲しかった。


 そんなクソダサいスラックスを、レイが身につけるなんて一瞬たりとも想像したことがなかった。

 まさかここまで非道いとは思いもしなかった。

 辛い……。全身を刃物で切り裂かれるような苦痛を味わった。


「……今まで、穿いてこなかったじゃない」

「まぁみんな穿いてないから。でもスカートは足が凍る、寒さに白旗です、ヒラヒラ〜」

「負けないで。いいじゃない、凍っても」

「いくないでしょ。ほら、いつまでも私のコート掴んでないで行こうよ。また乗り遅れる!」

「……やだ」

「え?」

「……りえない」

「え?」

「ありえないって言ってるの!」

「サ、サクラさん?」

「今日はレイのお母さんが居るって言ってたわよね? それ見て何も言ってこなかったの?」

「爆笑! 見た瞬間だっせ~ってゲラゲラ笑ってた。でも風邪引くよりはいいよね、せっかく買ったんだから穿け! ってさ」


 ……あれ?


 レイのお母さんは、……ええと、敵なのかしら?

 私の中で真っ黒な何かがゆらっと生み出される。


 レイママはレイをそのまま成長させたような感じで、格好良くて綺麗でお洒落でユーモアがあり美人で、私はとても尊敬している。私の母とは全然違う、私の思い描く理想の母親像に近い。私にも優しくて、まるでもう一人娘ができた! みたいなノリで接してくれる。連日の激務のためか、見かける時は殆ど気絶するように寝ているけど、それでも私を見かけるとニコっと気さくな笑みを浮かべて受け入れてくれる。


 それに、レイの写真がぎっちり詰まったアルバムを、レイの幼い頃のエピソードと共に度々披露してくれる。ちっちゃい頃のレイ……もう筆舌にし難い愛らしさで思い出すだけで胸がシクシクと痛む。カワイイという感情は、ある一定のラインを超えると痛みを伴うと知った。可愛さの極限。結晶、宝石=レイ! もしも私が時空を超えて幼いレイに出会っていたら、理性が消し飛んで普通に誘拐して監禁していた。二段アイスの上だけ落として号泣しちゃったレイ、補助輪無しの自転車に乗って倒れる真剣な眼差しのレイ、マイクを片手に満面の笑顔で歌うレイ──。幼い頃のレイは、キラキラと光をその髪に灯す。長髪だった。


「ちょ、人の親を敵認定しようとするな! 別にサクラが穿いてるわけじゃないんだからさ、スラックス穿いてもいいでしょ」

「いくないっ!!」

「ひぃ……。ね、サクラ離れて……もう電車来るって……え? 待て、それは駄目! やめろ〜〜〜っ!」


 無意識だった。

 レイの腰に手をかけ、その邪魔な存在をどうにか無にする、そのためにスラックスを脱がせようとしていた。

 でも寸前のところで、レイに振り払われる。

 レイはハァ……ハァ……と真っ白な湯気のような息を漂わせながら、信じられないモノを見るような目つきで私を見つめていた。私も、そんな私自身に驚く。道行く人はみんな下を向いてトボトボと駅に向かっているから、私たちには目もくれない。それでも公衆の面前でレイのスラックスを引き下ろそうとしていた。

 常識を疑う蛮行。

 狂ってる。でも、狂わされたのよ、レイに。私は悪くない。むしろ被害者! レイが自身の魅力をぶち壊すスラックスなんて、穿いてくるから……。


「ごめんなさい。脱いで」

「無理無理! 人を露出狂にする気か!」

「JKならパンツ丸出しでも許されるから」

「んなわけあるか! JKに夢見すぎ! JKがキャンプしたり釣りしたり落語したり暗殺者(でも殺しはしない)したりバイク乗ったりしたら人気でるけど、それは二次元の話! パンツ出したら捕まるんだよ」

「わかったわ。脱いで」


 でもレイは顔ブルブルと左右に振って脱がない。

 じゃあ……もうどうすればいいの?

 私はこのまま一日……いや、この寒さが続くのなら、この冬の間、スラックスを穿いたレイと過ごさないといけないの?


 ぶしゃああ!!

 と、胸がざっくりと切られるような感覚を覚えた。

 全身の骨が歪に折れ曲がり、私の中でグシャグシャと絡まり合うようなカオスが広がる。

 私がプルプルと震えていると、レイは戸惑いながらも近寄り、そっと私の手を握る。


「あ、心をグシャグシャにしてる……。ここで出しちゃう? うわっ、今度はザラザラした感覚も……。あのさ、サクラ言ってるでしょ、そういう感情はもっと然るべきタイミングで表現してって……。違うじゃん、もっと追い込んだ時に出てくるヤツなんだよ。こんなスラックスを穿いた程度で生み出さないで──」


★☆★☆



//続く

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