夏霧、別荘と記憶 02
霧がふわりふわりと泳ぐように漂っていた。
湿った草木の匂いが、私たちを招き入れる。
別荘からまるで逃げるように外に降り立った私とレイは、いつの間にか手を繋いで歩く。
レイと出会って数ヶ月が経過し、もう手を握って歩くこともあまり気にならなくなった。
嘘、
つくな!
って言わんばかりにぎゅっ、と握られた。はいそうよ未だにドキドキするわ。
内心赤裸々に心の中で告白しても、レイは知らんぷり。
レイの横顔をそっと見やるも表情一つ変えない。でも逆に怪しいわね。私の思考を読んでるんでしょ? だから敢えて表情に出さなよう努めている……なんてね。
──周りの目が気にならなくなった点に関しては、事実なのよ。初めはなんでいちいち手を繋いでくるの恥ずかしい……と思っていた。周りにイチャイチャしすぎじゃない? と揶揄われる、と危惧した。
けど、次第に……どうでもよくなった。というより、レイと手を繋いで、レイのピリピリする冷たさを味わっていると、レイ以外の存在が虚ろになる。見えるけど、感じない。私の脳がレイ以外の他の情報を処理しようとするのを、抑止する。レイと手を繋ぐと、まるでバグって表示がずれたゲームのように、私の視界が歪んだ。レイに集中しなさい。レイだけを感じろ、って、私が私に命令する。
「うわぁ~戻ったら絶対シャワー浴びよう。なんか下着まで濡れてる気がする」
「え、そう?」
「なんで引くの! 足の付け根辺りがパツパツに締め付けられない?」
濡れた匂い──アスファルトを濡らした時とはまた異なる匂いが漂っている。
ただ、レイの匂いもなんか濃い、と思った。
霧の中を掻い潜って私の元に届く。それは匂いだけじゃなくて、レイの体温や声の響き、肌の感触も一緒にぶつかってくる。まるで私の感覚器官が霧を介して延長し、レイにひたひたとまとわりつくように。
顎に溜まる水の雫を指で払いながら、早足で進んでいた。まだ林の手前なので地面は歩きやすいけど、それでも転ばないようゆっくり歩くべきなのに、自然と速度があがった。
どうして?
逃げるため?
──そもそもなぜこんなところに来てしまったの?
レイと一緒にお泊まりするため? 旅行、どこかに行こうよ、ってよく話してた。別荘についてレイに語ってから、時々羨ましそうに口にすることがあった。別荘について忘れそうになるたびに、レイが教えてくれる。次第にレイと一緒に泊まれたら……と考えた。レイを連れてきてあげよう、喜んでくれるはず。
あ、またすぐレイを言い訳に使う。
違う違う違う──。
否定すればする程ドツボに嵌るようで、はいはいそうです、と投げやりに認めていた。
「はぁ……ハァ〜〜。息するたびに肺に水が溜まってるよ。このままだと溺れる。陸で溺れちゃう……」
「せめて川で溺れなさい」
「え〜でも陸で溺れた方が事件性あってかっこよくない?」
「よくな……そうね」
「おいーめんどいからって適当に流すな」
「だって──あ、あれが川よ」
霧が晴れることはなかったけど、まるで私達の視界から逃げるようにふわっと薄くなった。
そこから木々が消え、開けた空間が垣間見える。
小川。
チョロチョロとせせらぎが聞こえる、気がしてくる程度の浅瀬。なんか広い水たまりが無限に流れている、そんな感じ。
「すげぇ、ガチの川!」
「そんなに驚く?」
「ほら、私って田舎に引っ越して学校行ったら都会のヒョロガリもやしっ子じゃん! って絶対いじめられる程の超都会人じゃん」
「……そうですね」
「舗装された人工的な川はもちろん見たことあるじゃん。けど、こういう大自然の力で偶然生まれた川は見たことないじゃん」
じゃんじゃんうるせぇレイに苛立つも、水分を纏うレイが可愛いからどうでもいいわ。お風呂上がりとはまた違う、ぷるっとゼリーみたいな頬はとても美味しそう。
でも、確かにレイの言う通り、そういう視点で川を見ることはなかったので、確かに新鮮だと感じる。
ってか、当時はそんなこと考えている余裕なんかなかった。
気分転換に、とあの人に連れられてここまで訪れた。でも頭の中を埋め尽くすモヤモヤは風船のように膨らんで頭が弾け飛びそ──いっそ弾け飛んでよ。訪れる母が怖くて、目標に全く届こうとしない自分の体たらくが心底絶望する程情けなくて──。
「サクラ! 冷たい!」
レイは片手を突っ込んではしゃいでいる。
私もレイの隣にしゃがみ込んで手を水につける。
冷たい……。
人の力では制御できない、暴力的で無機質な水の流れを直に感じる。
水位は数センチくらいなのに、予想以上の力強さに圧倒された。
腕から体の芯まで冷やされる。火照った思考がブルッと寒さに震えた。レイの指、やっぱり暖かいわよね。ピリピリするのは、冷たいからじゃないの? レイに対する思考が流れる水に引き寄せられるように展開する。
「くまたん泳いでたりしないかな〜」
「あっちの方にいるんじゃない?」一瞬熊を想像したけど、多分この辺りには居ないはず。
「……設定上、くまたんは水が苦手なので泳げません」
水の中でレイの指がもがき苦しむような動作の後、ぷかっと浮かぶ。
「じゃあ何で言ったの」
「だって……サクラが居るわけねぇだろボケナスって冷たく言い放つのを期待して」
「えっと……否定されるのを、待っていたの?」
「へい。そういう時のサクラは生き生きとしてるから」
「うわー罵倒されるのを心待ちにしてるなんて……変態」
「はぁ? 変態はそっちだろ!! いっつも私のこと盗撮してるし!」
「それ……は、レイに許可を取ってるでしょ。まぁ寝顔を何枚か撮ったこともあるけど許しなさいよ友達でしょう。何よその顔は……。ってかこの前レイに画像フォルダ見せて許可を得たじゃない」
その画像フォルダはブラフだった。
本命のレイの様々な姿を写したデータは、暗証番号付きの階層が深いフォルダに保存されている。レイの愛らしさ120点の寝顔から色々と……。これは確かにレイの言う通り盗撮になるかもしれないけど、ただ可愛い友達の寝顔などを撮っただけで罪に問われるとは思えない。本当です、信じてください……。ってかレイが可愛いから、シャッターを切ってしまうの。自分の愛らしさを呪いなさい。
ビシャっ!
その時、音が聞こえた。
「なんか跳ねたっぽい」
「魚かしら」
「いや、こんな浅いところに魚が居るとは思えない。もっと、他の巨大な水陸両用生物が、陸から川に飛び込んだ」
「それじゃあカエルとか。大きい奴」
「カエル、か……」
「苦手なの?」まぁ好きな人はいないわね。
「苦手ってわけじゃないけどさ、ちょっとメジャーすぎるよね。田舎=カエルじゃん。私だって見たことあるよ。指先くらいのちっこい奴だけど。こんな樹齢何十年もありそうな木々が生い茂る中で遭遇するなら、もっとレアリティ高い生物と遭遇したいなー」
「じゃあヘビとか」
「ヘビは危険度高いから辞めよ」
「ワニ」
「この国にはいない。あのな、もっと現実的な生物の名前を言いなさい」
「口を開けばくまたんくまたん! のレイにだけは言われたくないわ」
「やれやれ、くまたんは存在するから。目撃情報はネットにたくさんあるし。くまたんはリアルだから。ってかワニも怖いよ。存在しないはずだけど、口にしていたら実際に登場した! って展開になりそうだから危険な生物禁止……。もっと安全な生物を呼ぼう、例えば……オオサンショウウオ!」
「オオサンショウウオ」思わず復唱していた。「名前は聞いたことあるわ」
「私も。どんな形してるかわからない。名前からデカいのかな、龍みたいな形してそう」
「ウオ、って付くんだから魚っぽい姿だと思うけど……。そもそも私たちが姿を知らないのだから、出会ってもわからないじゃない」
バシャ、バシャっ!
また……と思ったら、今度はレイだった。
両手を水に入れ、流れる水を掬い取る。
横目でチラチラと私を観察している。
まるで距離を測っているかのように──。
「サクラ、これをサクラの顔にかけたら、怒る?」
「怒らない」
「なんで? もう濡れてるから?」
「うん。でも三倍はやり返す」「首根っこ掴んで水に顔突っ込む?」「やりかねないわ」
ひぃ……とレイは竦んで、水を川に戻す。
再びぴちゃぴちゃと指で水をかき混ぜる。
「水綺麗〜。なんかこういう穏やかな風景見てると、心まで洗われる……」
「口ばっか」
「マジで、この川の慎ましい流れに癒されてます。せせらぎも本物は違うよ。ぐっすり眠れる環境音って動画見つけてさ、せせらぎ入っていたから試しに流しながら寝たことあるけど、途中で雑音! ってスマホ叩いて消したもん」
「あら、眠れないの?」
「ん、なんか一人だと──え、いや違う! ほら、最近サクラと一緒に寝るようになってきて、サクラのポカポカした体が隣に無いから眠りにくいな~って、べ、別に一人が寂しいわけじゃないからね! ……え、すご、今私ツンデレみたいなセリフ言っちゃった~」
「はいはい、寂しいのね」まぁ私もだけど。私は寂しいというか、もっと別の──。
その時、立ち込めている霧がうねるのを感じた。
ふわり……と風が靡き、透明なベールが歪むような感覚。
「あれ……」
私は思わず指差していた。
その先には、複数の灰色の大きな岩が重なっている。
「でっか……」とレイは呟く。
川の向こう岸で、まるで聳える壁のように私たちを威圧する。
初めて見たはずなのに、どこか懐かしい──いや、見慣れた安心感を覚える。
レイもじっと眺めていた。
凛としたレイの美しい横顔に見惚れつつ(鼻から唇、そして顎のラインがマジでヤバい)、もう一度灰色の岩を眺めた。林の隣に突如生えたような岩の場違い感に見入ってしまう。
「初めからここにあったのかしら……。気づかなかったわ」
「流されてきたのかな?」
「まさか。この大きさの岩を流せるはずがないわ。どこからか持ってきて、降ろした……とか」
「えぇ、誰が?」
「なんか岩を工事で切り出して、途中まで運んでいたけど、何か問題が発生して仕方なく置き去りにした」
「なるほど理に適ってる。ふふっ、だがしかし、その推論には致命的な欠点がある!」
「車がここまで入ってくるのは難しい」周りは林で、ここまでの道も岩を運ぶトラックが入り込めるとは思えない。
「──自分で言っちゃった」
私は、水位が数センチ程度の場所まで進んだ。
数メートルの川を渡れば、向こう岸に到達する。
2人ともサンダルだから、水の中に入っても大丈夫。足首にも満たない程度の水流だから、流されもしない。
「サクラ……」
「ね、あの岩の空洞、涼しそうじゃない?」
「え〜〜おいおい危ないよ」
そう言いながらもレイはそっと私についてくる。
構えていた。
すっと腰を落としている。
まるで私が逃げ──「きゃ!?」
水中の石を踏んだ瞬間、ぬるっと滑った。
足が勢いよく前方に伸びた。倒れる! と思った瞬間にレイに支えられる。
「ほら〜危ないって言ったじゃん」
「ごめん、ありがとう……」
「今助けなかったら転んで頭を石でかち割ってたよ。命の恩人。もっと感謝感激しろ」
「ありがと、ございます。このご恩は一生忘れません」
レイは私の肩を支える。ぎゅっと指が肩の骨を掴むのを感じた。支えられる──ううん、束縛。ミシミシと骨にレイの指がめり込む感覚にゾクゾクした。
「もっと慎重に、一歩一歩、そう……ヤバい、今度は私がコケそう」
「巻き込まないでね」
「ひっど! あーもう次は助けねぇ! 1人ですってんころりんバッシャーンって無様に転んでな!」
私たちは特に転ぶことなく向こう岸に到着した。
近くで見ると本当に大きいわ。洞穴の入り口のように不気味に積み重なっている。崖から剥がれ落ちた岩のようなのに、どこか人工的な雰囲気もある。
「中になんか動物とか隠れていたりして……可愛い奴」
「猪とか?」
「か、可愛くなくない? あ〜でもペットのミニブタ? は可愛いけど野生の猪は獣だ。それに猪って結構危険らしいよ」
恐る恐る覗き込んだけど、何もいなかった。
岩の間は予想よりも広くて、薄暗くてひんやりとした空気が流れている。
「サクラ、いいかい、こういう涼しい場所が、避暑地って言うの。認識改めてね」
「はーい」
「舐め腐った返事! 全く反省してねぇよコイツ……」
一歩踏み入れると、ひんやりよりも冷気が足元から這い上がる。
「もう行き止まり」
「そりゃそーでしょ」
雨宿りはできる程度の数メートルにも満たない空間だった。
「不満げな顔してるね。この中が異世界に繋がってるとでも思ったの? JK異世界転生物語 -れ:私たちを舐めた奴らへの復讐から始める異世界スローライフするためとチートくたまんに転生した件ですけど、何か?【書籍化未定】- を始める気だったのかい?」
「そうかも」
「……サクラ?」
離れることができるのなら、どこでもいい。
異世界でも、宇宙でも、地の果てでも。
足が震えた。立てない。そんな嘘を私につき、そっと座り込む。ちょうどイスのように岩が突き出て、周りの岩で霧から守られていたのか濡れてない。
「暑いからここで休んでいきましょ」
「いいけど、その言い方……」
「なに?」
「私がサクラに──」
けど、そこまで口にしてからレイは何も言わず、腰を下ろした。
私の膝の上に。
「ねぇ……」
「え、だって今サクラが私のこと誘ったんだよ、私のところに来て、って」
「いや、そんなレイみたいに──」と言いかけて、先ほどレイが黙った理由がわかる。にぃっと、レイは微笑んだ。ベチャ、と潰れるように私の膝上にレイのお尻が張り付く。水分を纏っているためなのか、普段よりもしっとりへばりつく。
川のせせらぎが、聞こえない。
レイと私の息遣いだけがこの狭い空間に木霊する。
レイの体温がぬるっと汗と一緒に伝わってくる。
レイの両手が私の背後に回り込み、私を強く束縛した。
「……何?」
「え、なんかサクラを捕まえたくなった。逃げようとするからさ」
耳元で囁かれ、意識が解けそうになる。
なんか昔テレビで見た、毒針を刺されて麻痺して動けなくなった獲物を思い浮かべた。今からレイに捕食されます、と言われてもわかりました、と受け入れそう。
レイはクスクスと笑いながら片腕を伸ばし、私の指を掴む。
傷跡に指先を這わす。
痛くはない。
あの別荘に近づいたから痛みが増す、なんてファンタジーなトラウマは発症しなかった。
けど、レイの指が舐めるように触れてくる。
まるで痛みを甦らすために、傷跡をこじ開けようとする感覚。
いつもより執拗というか、逃さないという悪趣味な触り方。私の指が怖がるように震えても、傷跡を責め立てる。辞めて、と一言口にしたら終わるのに言えない。だって、本当は、もっと、触って、欲しいから。矛盾した私にいつも戸惑う。私の頭と体が綺麗に乖離していた。レイに紐づくこの欲望から逃れられない。ピリピリとしたレイ特有の感覚が毒のように私を蝕む。
私の体はその優しい刺激に、神経がぷつぷつとハサミで切り落とされたかのように動けない。クラクラする。レイが目の前にいるから。もうこのままレイに委ねていいかしら、と体が白旗を上げて諦めそう。水滴に一瞬冷やされた体温が、いつもより肌に溶けるように伝わった。レイの甘ったるい匂いが呼吸と共に私に混じる。草木や湿った衣服の匂いの中から、レイの匂い成分を嗅ぎ取ろうと五感が研ぎ澄まされていく。
体から力が抜けて、倒れそうになった瞬間、レイのもう片方の指が私の耳から首元を支えるように掴んだ。軽く触れただけなのに、私の体はレイの指に縋るように寄り添う。嗚呼マズい、これは危険──と全身から警告音が聞こえる。けど、レイの指が首に張り付くと消えてしまった。レイの細長い指が触手のようにうねりながら、私の首を完全に捉える。
同じ身長だから、私の膝に乗っている分、レイの背が高い。
腕を、抑えられ──
首を、捕まれ──
最後はレイの頭部で私の頭部を包むように抱き込む──。
レイの胸元に私の顔が張り付き、そこからピチャっと顔の皮膚が張り付くような恐怖を覚えた。顔を離そうとしたら、ベリベリっと私の皮が引き剥がされて、真っ赤なお肉が赤裸々に露出する。それも見てほしい。全部。レイ……と仄暗い笑みが私の頬に歪ませていく。
凄く静か。
私の脈打つ音すらうるさい。
でもレイの心音は心地良い、好き……。トク、トク……と微かに聞こえるたびに、好きが積み重なる。カチリ……とパズルのピースがハマるように、レイに捕まってしまった。
「……別に逃げないわよ」平静を装うように否定する。
「顔色悪い。ホントはイヤなんだよね?」
「わからない……」
この、胸の奥でグツグツと煮えている感情を言葉で表現できなかった。
イヤ、という拒否感も80%以上あるけど、またいつものように別荘に訪れたい気持ちも半分以上を占めている。絶対に近寄りたくない、という苦痛は120%くらい存在して、自分でも意味がわからないのよ。
「大丈夫だよ、今回はただ旅行に来ただけなんだから。怖いモノなんて何もないよ」
レイは頬を私の頭部に押し当てながら呟く。体重を押し付けて、私を強く縛り上げながら。
その声が頭の上から光のシャワーを浴びるかのように心地良く響いた。
私は小さく頷き、顔を擦り付けながらブルっと体を震わせる。
クスッとレイが微笑む。
レイの一挙一動に虚しく反応してしまう。これだけ密着してるんだから、全てレイに悟られているのでしょうね。呼吸するたびに、熱を感じるたびに、膝の重み、指から広がる恐怖心も、一秒毎にレイの情報が一方的に注がれ、私は右往左往しながらも喜びに震えている。
普段ならもうくっつきすぎ、膝重いって突き放せるのに、今回は完全に隙をつかれた。
するりと私のガードの内側まで入り込まれ、いいようにされている。
抵抗できない。
抗おうにもレイはぐりぐりと指で傷跡を刺激する。
──私のトラウマすら利用して、レイは私を……。
非道い、と思いつつそれすら利用する手段を選ばないレイに慄く。
ただ、今日はいつもよりレイが近い。もちろん密着度にそこまで違いは無いけど、精神的な部分で深く私に突き刺さっている。だからか、少しだけ意識が残っている。レイを浴びたことで発生するドロドロに溶けた幸福感の中で、石のような塊が私の中に転がり、それを足がかりにどうにか意識を保っている。
このまま……ずっとレイのペースに乗るわけにはいかない。
もちろんレイのことは大好きだけど、毎回レイに敗北するのは危険な気がする。
深呼吸を一回、二回……。空気に混ざるレイの匂いに翻弄されながらも三回目で覚悟を決めた。
勇気を振り絞り、レイの胸元から顔を引き剥がそうとする。が、レイはぐさッ、と力を込めて傷跡に爪を立てる。
え、え……痛い。
普通に痛い。
皮膚が誇張や比喩無しに切れそうでビクビクっと腕が悶た。でもレイは離そうとせず、杭を打ち込むように力を込める。私のカワイイ抵抗を文字通り押しつぶす力に圧倒された。記憶がゆっくりと花開くように蘇ろうとする。ただ、その記憶に混ざり上書きしようとレイを感じた。──そう思うように、誘導されているの? だから強く傷跡を弄るの? 必死に声を出そうとするけど、私の首を掴むレイの指が蠢いた。喉が振動を止めた。ぐったりと体がレイに取り込まれるように力を失う。あぁ、どうせ……そうよ、レイには叶わないわ、と不貞腐れながらレイにしがみつこうとした。
でも、指に食い込む爪の痛みは、私の意識の外から体を揺り動かすように響いた。
一瞬だった。
レイの拘束が間に合わない。
反射的に上半身が仰け反った。
レイから剥がれた。
でも、予想よりも離れてしまった。
あんなに私の体は逃げたがっていたくせに、いざレイから離れると再びレイを求めた。レイへの感情が手のひらから生まれる痛みを燃料にして膨れ上がった。ぞわっ、と背筋が震え上がった瞬間、その感情は一気に収束してぎゅっ、とレイの指を掴む。
「……っ」
ドクンッ、
とレイの心臓が一瞬だけ跳ねた。
真下から覗き込むと、レイの瞳は大きく広がる。まるで綺羅びやかな宝石を埋め込んでいるような瞳に、吸い込まれるように見つめてしまう。ぎゅぅぅ……と私たちの指が互いの指をへし折りそうなほど力を帯びて絡まり合う。恐ろしいほど整った顔立ちは、水分を含んだことで滲み、潤んだ瞳がそっと私に──。
☆★☆★
// 続く
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