夏霧、別荘と記憶 01
「涼しい〜〜〜〜〜!!!」
レイは悲鳴を上げた。アホ面で口を大きく開いて喚く。はぁ〜と盛大なため息をついた後、普段の表情に戻った。汗を頬にさらりと走らせながら。涼しさを気取った顔で。
「いや、そこまで涼しさ感じないでしょ」
──新幹線を乗り継ぎ、山道をカタコト緩い走行音で走る列車に揺られ、別荘の最寄駅に到着した。
降りた瞬間、全身に張り付くようなぬるい風に襲われた。露出した肌を包むように、べっとりとした湿度が絡みつく。
レイは何か言いたげな顔をするも、黙ってカラカラとスーツケースを転がす。2人して別荘までの道のりを沈黙して歩いていたところで、不意にレイが叫んだ。
「ほら、この前一緒に見た映画の舞台は夏の小島だったじゃん。物語が始まるや否や主人公が開口一番大声で夏だ! 海だ! リゾートだ! ヤッホーイ! って叫ぶ、それをやりたかったんです」
「そう……」
「あぁ〜涼しい〜避暑地万歳〜森の空気うめぇ〜!」
私が黙っていると、レイは真顔で続けながら、ふぅ……と一息入れてから口を開く。
「あのさ、一応確認するね。違うならそれは違うじゃない、って否定して欲しいんだけど、あの……その……私を、騙した?」
「何よ、その質問」
「だってサクラが私に別荘について説明した時、夏でも避暑地にあるからもうびっくりするくらい涼しい通り越して寒くてそこら辺をペンギンが涼しい顔してペタペタ闊歩してるじゃない、って言ったよ」
「涼しいと言ったけど、そこまで盛ってない」
「けど、筆舌にし難い清涼さにさぁ震え上がりなさい! って調子こいてたのに……これは一体全体どういうことですか? まず普通に暑いし、もわもわっと霧が立ち込めてる。サウナに匹敵する湿度!」
レイは大きな瞳をさらに一段ととくわっと開いて訴える。
レイのふんわりとしたボブカットは、湿気を帯びてまるで蕾を閉じた花のように萎んでいた。水分を含んで潤むレイに妙な色気を感じて直視できないでも見たい可愛い。
「いや私もね、サクラお嬢様にご招待されている身分でございますから、話がちげぇーぞコラ、とは面と向かって言いにくいんですけどね……、でもほら私そういう身分の檻を壊して世が世なら革命とか目指すタイプだから果敢に立ち向かう!」
「たまたま、雲が降りてきて……」
「寒いからせいぜい風邪を引かないことね! って脅されてさ、私はサクラを信じて上着まで持ってきたのに、べっちょり肌に張り付いて絶対着ないよ。万全を期してマフラーも持ってきたんだよ」
「それは嘘!」
「くっ、マフラーは嘘だ。けど、私に嘘ついて誘い出したんだな!」
「嘘はついてないわよ。私もここまで天気が悪いのは初めて。山の天気は変わりやすいのよ」
──夏休み。
レイと一緒に母の別荘に泊まりに向かう。
本当は、辞めようと思っていた。
だって、あまり……いや、楽しい思い出なんて存在しない場所だから。
でも、レイと一緒に泊まろうと約束したから、再び訪れてしまった。レイとなら大丈夫。もう一年前の話じゃない。何よりレイと2人での宿泊はまるで旅行のようでとても魅力的だった。
傷痕が熱を持っている。
湿気で汗ばむ水滴が、傷痕に触れた瞬間に蒸発して湯気になる、気がした。そんな大げさな少年漫画のような妄想を真面目に考えてしまう。
もう完全に塞がっている。
痛み、無し。
なのに未だに囚われている私がイヤになる。
「はぁぁぁ〜〜ベトベトするぅぅ〜」
レイは、そんな私を気遣ってやけに喚いている。
申し訳ないと思いつつ、実は結構有難い。
なぜなら、気を抜くとすぐに思い出してしまうから──。
あの時の記憶はもう遥か彼方の思い出、と見くびっていたわ。
灰色になってボロボロに朽ちた廃墟のような記憶が、別荘に近づくたびにドクンドクン! と血管の張り巡らされた心臓のような脈を放ち、鮮明に蘇ってくる。
「サクラ!」
「ん?」
「大丈夫? 汗ヤバいよ」
「えぇ、湿度が本当に非道いわね」
私がため息混じりに答えると、レイはそっと手を握ってくれる。
レイのいつもの指。
現実がふわりと揺らいで、レイの情報が私の中にトクトクとコップに水を注ぐように満ちていく。
嗚呼、もう……一番触れて欲しい時に触ってくれる。助けて……と目で訴えてすらないのに。嬉しい、嬉しい嬉しい嬉しい。
ピリピリして普段は寒気を感じるはずなのに、今は私の方が体温が低いのか、レイの指の暖かさが心地良くて安心する。
☆★☆★
「おぉ、これが……別荘! 丸太が積まれたような壁のコテージっぽい家を想像していたけど、まさにその通りでなんか……焦る。これに、お邪魔していいの?」
「もちろん」
「はっ!? でも入った瞬間、実はここは別荘じゃありませ〜ん! ってドッキリ喰らうかも。私の無邪気な心がまた弄ばれようとしている。……もう騙されない」
「鍵開けるから。入り口はそこね」
夏休みに別荘に友達と訪れていいか聞いたところ、母は二つ返事でOKしてくれた。あれ以降母もしばらく使っていないとのことだったけど、管理人に依頼して宿泊予定日までには一通り綺麗にしてもらった。
「お邪魔します。うっわ、しゅ、しゅごい……。こんな空間に私みたいな平民がお邪魔して良いのですか?」
「どうぞどうぞ」
「あ〜この匂い、小学校の頃のキャンプで訪れたコテージの匂いがする……。自然だ、私は今自然の中に居る!」
「はいはい。2階に寝室、トイレとお風呂は1階……あと──」
「あと?」
「キッチンは、多分そこにある」
「多分って、見りゃわかる」
そうね、ただピアノが置いてある部屋を伝えようとして、思考が硬直してそれをどうにか誤魔化そうとしただけ。
自分で超えてはならない線を踏み越えようとして、それに気づいて戸惑と恐怖を覚える。さっきからずっと。まだここに戻ってくるのは早かったのかしら? いや、訪れないよう徹底するべきだったの? 一生逃げるの?
あぁ、もう、今からレイと楽しい楽しい別荘お泊まりが始まるのよ! 余計なこと考えないの! と自分に釘を刺す。レイに集中しなさい。
「顔ぶるぶるしてどうしたの?」
「湿気を飛ばしてるの」「なるほど、って騙されないよ。また何か企んでるな……」「とりあえず、荷物は2階に置きましょう」
2階に向かった。
寝室には、大きなダブルベッドが設置されている。
「デケェ……」
「そうね」
「ねぇねぇ、飛び込んで、いい?」
「どうぞ──」
言った瞬間跳躍した。
助走無しの大ジャンプに驚いたわ……。
レイはボヨン! とトランポリンに跳ね返されるように跳ねた後、中央に埋まる。
「や、やらかい……。雲の上に乗ってるみたい。ほら、サクラも──」
「うん」
普通に何も考えずに私も飛び込んでしまった。
宙を飛びながら戸惑う。いつものクセだ。レイと過ごす時間が増えてから、レイに触れる機会が多くなる。当初はサクラ暖かいから、とレイがひっつき私も仕方ないわね、と受け入れたけど、もう夏よ。
もちろん空中で反転できるはずもなく、ボヨンボヨンと跳ねてレイの胸元に収まった。
「ホントに来た」
「レイが、呼んだから」
湿ったレイの匂い。
じめっとした感覚が不快になるはずなのに、レイ成分が混ざるといい匂いに変わるから凄いわ。
私も濡れているので、真新しいシーツを汚すみたいで気が引ける。レイから離れようとするけど、指が重なってる。まるで蜘蛛の糸に絡め取られた獲物のように、レイに縛られる。
「え〜もっと可愛いのがいい〜」
「タコ……」
「せめてイカ!」
「どっちも大して変わらないじゃない」すぐ人の心を読む。でもこれは私が何か考えているのを感じ取り、レイがそれっぽいことを言ってるだけで、本当に心を読まれている訳じゃないわ。
「ってかさ、別荘という言葉の響きに胸を躍らせてここまで来ちゃったけど、別荘って、来て何するの? 遊べるアトラクションとか、あるの?」
「あるわけないでしょう」
「じゃあ近くに何かある?」
「少し歩くと商店街があるけど、特に遊べる場所はないわよ。あ、でも……ここから50メートルくらい先に、小川が流れてるわ」
「川! ねぇ泳げる?」
「ううん、足先が浸かるくらいのちょろちょろした感じ」
「残念。まぁ流されたら困るしね。……いやむしろ、なんかそのくらいの川の方が丁度いいのかも」
「なぜ?」
「"自然"を感じたいの」
「"自然"……」
「そう草、木、林、森、森林、ジャングル!」
「そこまで木々は生い茂ってないわよ」
「こちとら生まれも育ちも大都会都心部コンクリジャングル、だから自然を、知らない──。木々の空気を吸い、小川のせせらぎに耳を澄まして、日々の喧騒から離れてほっと一息つきたいの。はぁ、イカ泳いでるかな〜」
「そうね、いっぱい泳いでるわよ」
「めんどくさいからって適当に返事するな!」
☆★☆★
//続く
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