追跡、ネコ 03



 レイは駅前のCDショップの前に立っていた。

 つんと口を尖らせ、眉間にシワを寄せて怒っている? かのような表情を浮かべる。

 強い圧迫感をこの距離でも感じた。

 怒気のオーラを纏っているかのようだ。

 それでも可愛いから驚く。小綺麗に切り揃えられた真ん丸なボブカットが可愛さを爆発させている。


 でも不思議ね……。

 だってレイが眺めているのはあの星屑ソラのポスターだから。レイは結構ファンなはず。その限定っぽい花の髪飾りや、机の上に隠すように並べられたアルバム、スマホの音楽アプリの履歴に残る曲などから、星屑ソラのファンというのが感じ取れる。

 ただ、私にそれをおおっぴらに見せつけることは一度も無い。


 ……私に対して星屑ソラを感じさせたのは……そうそう、あの時──星屑ソラのデビュー曲で記録的な大ヒットを収めたあの名曲を、カラオケでレイが熱唱した時。

 綺麗だった。

 完璧だった。

 歌ってみた、という無理やり歌に声を合わせたわけじゃなく、まるでレイの声色に沿うように作られた歌に思えた。

 まるでレイの歌。


 レイはふん、と鼻を鳴らすように顔を上げた後、CDショップには入らず商店街の中に消えていく。私はレイを追いかけて、「レイ」と声を出そうとして再び思い留まる。

 もう少し、

 もう少しだけ……観察してみよう、と好奇心が囁く。


 普段はレイと常に一緒に居るから、レイが一人でぶらぶら街を探索する姿は珍しい。

 私の知らないレイを目撃できるかも、しれない。

 ワクワクとした愉快な感情と一緒に、私の知らない……知りたくなかったレイを目の当たりにする可能性もあることに気づき、ちょっと怖くなる。

 いや、とても怖い。

 足首から先を切り取られたみたいに力が消えた。

 私の知らない友人が居て、なんかとても仲良くしちゃって、それを物陰から眺める私の哀れな姿──。


 嫌な妄想。

 別に、レイは私のモノではないし、私以外に友人知人が居てもおかしくないから、いちいちそんなことで凹まないでよ、と私の中の私が語りかける。けどダメだ。私以外の人間──いや私以外にそのキラキラした好意を向けないで欲しい、私だけを見つめてください、私だけのレイになってよ、と子供っぽい独占欲が私の胸の中から溢れ出てくる。普段は特に感じることも少ないけど、こうして距離を取って観察することで、そっか……レイは私以外にも喋っていいのね、と気づく。

 その瞬間にメキメキと音を立てて感情が荒ぶる。


 胸が痛いわ。

 頭の先から変な汗が滲むのを感じる。

 もう辞めにして、あらレイ偶然ね! とレイに声をかけたい。

 でも、もう少しだけ……レイを観察する。

 声をかける勇気が無いわけじゃないわ。

 魅せて欲しい、レイに尾行を気づかれるまでの間、私以外の何かに愛想を振りまかないか、それを証明して私を、安心させたいの。


「ふふふ……」と笑っていた。

 口元に手を当てて隠した。

 周りには誰も居ない。それなのに隠す。私自身にも見せないように。


 なんか、虚しくなるわね。

 足取りが鈍る。足に鉛が詰め込まれたみたいに歩くことすら億劫に感じる。

 けど、別にこの気持ちを私以外の誰にも知られることは無いし、レイにも隠し通せば大丈夫。

 大丈夫、

 そう……私がレイ大好きなことを、──その上っ面だけの感情以外にも何かもっと大きな想いを感じたけど、私は目を背けた。

 

 いつの間にかレイがCDショップから離れていることに気づいた。

 慌てて尾行を再会する。

 ストーカー。

 犯罪行為。

 ねぇサクラ、隠れて私を撮るのは犯罪なんだよ、自覚しろ! とレイから声が聞こえてきた気がして、右手で構えていたスマホをそっとポケットに戻した。

 違い、ます。

 これは……ただ、偶然レイに出会い、そう……そしてレイを追いかけるけどレイは歩くのが早いためなかなか追いつけず写真の1枚でも撮ろうかしら? と思っただけでして、……今殆ど立ち止まるような速度だけど例えるなら亀に追いつけない英雄のように──ってそれじゃあ一生レイに近づけないじゃない! と一人ツッコミを入れながら足音を消して進む。


 まだ夕方、黄金色に照らされた世界でレイは一際煌めいていた。レイという新たな燈火、距離を取ることで強く感じる。

 不意に、レイが速度を早めた。

 駆けるように道を進む。

 にぃっと顔が──笑顔になった。

 嫌な予感がする。

 警報、みたいに私の体が震えた。

 ドキドキ……と不安に押し潰される。心臓がぎゅぽぎゅぽと全身に血を巡らせているのがわかる。

 傷跡がじんじんする。痛い痛いいたいたいたいたい……。


「……くまたん、か」


 レイは一人満足げに頷きながら、商店街の垂れ幕に視線を注ぐ。近所の小学生達が描いたのか、多くの人気キャラクター達が描かれている。で、その中にひっそりと描かれているくまたんを見つめていた。

 スマホを構える。

 写真を取った。しばらくスマホをいじるとメッセージが私のスマホに届いた。


『スゴイ! 小学校でくまたん大人気!』とその画像を強調させるように表示し、さも全面に描かれているかのように錯覚させてきた。

 私は……驚くキャラクターのスタンプで返すと『くまたんの世界が来るよ、世界征服の秒読みに入ったか……』とレイはぐっと握りこぶしを作りながらメッセージを送ってくる。

 ……本気なの?

 わからなくなった。

 なんか、そういうネタとして調子に乗って強がっていると私は考えていた。けど、一人で嬉しそうに微笑んでいるレイは、くまたんが成り上がることを信じて疑わないオーラを漂わせている。

 ………………まぁ、くまたんを愛でるレイは可愛いからどうでもいいけど。


 再びレイは歩き始める。

 一人だから、すぐに帰宅すると思っていたのに。

 まだ、どこかに行くの?

 時々レイは立ち止まり、振り返る。私は咄嗟に路地に身を隠した。そこから顔を出して様子をうかがうと、レイは……スタスタと道を進んでいく。

 気づかれた?

 レイは、私の心が読めるから。でも今は手を繋いでいないので読めないはず。ってか別に繋いでも読めないけど、レイはよく私は人の心の声が聞こえるんです、と意味深に言うから、本当にそうなの? と疑うこともある。


 私は慎重に抜き足差しで進む。

 レイはぶらぶらと商店街を散策しながら、特にお店に入ることも誰とも会話することも無かった。

 レイは、一人だった。

 一定のテンポで商店街を通り抜ける

 その姿にほっと胸をなでおろしているはずなのに、不安は拭えない。まるでコップに水が注がれるように増大していく。

 その不安感が最高潮に達しようとしたところでレイは立ち止まる。

 ジロジロと喫茶店──私が以前レイに隠れてバイトをした喫茶店を覗いている。入るのかと思ったけど、そのまま通り過ぎてしまった。


 ──あの時は、レイが私を尾行していた。

 レイから距離を取る私を不審に思ったレイは、なんと私をストーキングしたのよ。

 今の私と同じ気持ちで?

 ううん、もっと酷い状態だったはず。

 だってあのいつも飄々として元気いっぱいの小型犬みたいにはしゃぐレイが、焦っていた。追い詰められていたというか、余裕が無くて、誤解が解けてもなんか余所余所しい感覚。


 当たり前でしょ。

 レイは、傷ついていた。そう、私がレイを傷つけた。

 レイのことを思って行動したのに、私の身勝手な我儘で振り回し、レイを傷つけて──。

 申し訳ないと思い、レイには謝り、反省もしたけど……こうしていざ自分が同じような立場に陥り、レイが感じていた苦痛をトレースしてようやくレイの恐怖を理解した。ううん、だからこんなのレイが感じた10分の1にも満たない。それでも辛い苦しい怖い……レイ、ごめんね……ごめんなさい。


 あの後、レイは私が二度と同じことしないように、となんか調子乗って調教しちゃおう! って言っていたけど、実は物凄く私に甘えてきた。普段よりも二倍くらい私にべったりと……。

 レイからふわっとして柔らかい触手が伸びているようだった。

 それが私に絡みつくようで、逃げ出せない。

 一緒に寝る時も、私の体を拘束して……最後に指が重なり合い、レイの感情が傷に突き刺さる。「ちょっと、レイ?」「もう勝手にどこか消えないように……念入りに……ふふっ」

 体を絞られるように抱きしめられ、レイの匂いや感触、レイの情報がヌリヌリと体に染み込む。レイの太腿を挟みながら、私はもうしませんもうレイから離れません……と一晩中レイに心の中で懇願していた……。


 最近はもう落ち着いたけど、時々その記憶がフラッシュバックする。どばっと汗と一緒にその時感じた快楽が体を巡る。今も、思い出してしまったことで胸が痛むように歩みを止めた。3回大きく深呼吸をして、どうにか落ち着く。


 はぁ……と前を向いた時、レイと目が合った。にぃっとレイの顔が可愛らしく歪んだ。私は咄嗟に電柱の影に隠れた。



// 続く

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