メイド、雨の音 01

「はぁ……ふぅ……」


 ──今日で、最後。

 意を決するように息を吐き出した。肺の中に溜まっている空気を無理やり押し出す。数回繰り返した後、そっと視線を上げると、まるで私を待ち構えているかのようにメイド服が映り込む。


 頬を赤く染める私を見て、なんだか余計に恥ずかしくなるじゃない。


 メイド服なんてアニメや漫画の世界の服装で、なんだか現実味が湧かない。だからか、この服に私が袖を通さなければならないのね……と理解するたびに溜息をついてしまう。


 まぁ、可愛いわよね。当初メイド服と聴いた時はバリバリのコスプレメイド! 風のスカートが短かったり露出が激しかったりする派手な雰囲気を想像したのだけど、そういう部分を削ぎ落としたシンプル・イズ・ベスト(?)なメイド・コーデ。


 鏡に映る私は、いつも以上に眉間にシワを寄せている。レイに怒ってるの? と訊かれる表情ね。接客なんだから笑顔笑顔! と励まされた言葉を頭の中で反復する。その通り……。これからお客様を出迎えるんだから笑顔を浮かべる必要が──ある。しかし、姿見に映る私は恥ずかしさを誤魔化すために微笑んでいるけどなんか冷笑的で、我ながらこんなメイドには絶対家事などされたくない、と思う。ってか私、メイドってキャラじゃないわよね。どちらかというとレイ。こういうの似合いそうだし、レイを服従させたい。……ホントよ、レイのメイドになりたくなんかないし、レイに服従とか、考えたことも……ない、し──。


 ザー

 ザー

 ザー


 鏡の前でメイド服を纏う私を睨んでいると、外から響くような雨音が聴こえてきた。振り返ると彼女が慌てた様子で扉を開けた。表に出した手書きの看板がずぶ濡れになってしまうので、入り口に戻して欲しい、私は隣接した裏側の実家に戻り、洗濯物を急いで入れる必要がある、と捲し立てて消えてしまった。


 私は小走りで外に向かった。扉を開けるとカランカラン……と音が鳴る。即座に雨に掻き消された。バケツをひっくり返したような土砂降り。雨の予報も無かったから、傘を持っていない人は多いはず。きっとびしょ濡れになってしまうのでしょうね、ほら……電柱の影で蹲る──レイのように。


 レイの……ように。



 レイ……の




 ん?

 え?

 レイが、電柱に寄り添うように蹲っている。


 ザァァァァアアアア! と音が響く雨の中、惚けた顔で私と目が合う。生気の抜けた表情だった。この子はレイ……? と不安になるほど。けど、僅かに細めていた瞳がぐわっ! と見開き、そっと立ち上がるとヨタヨタと揺れながら近づいてきた。まるでゾンビのように。私は持ち上げた看板を引きずりながら店内に逃げ、扉を思い切り閉めた。──閉めてしまった。


 あ、これはヤバイかも。

 べちゃんッ!

 果たせるかな、凄まじい音が響き渡った。


 どうしよう、反射的に逃げちゃったじゃない……。恐る恐る扉を見やると、格子状の模様の合間には曇りガラスが貼ってあるけど、そこにレイが無様に体を打ち付けた姿が浮かび上がっていた。「う……うぅ……うぅぅ」と呻き声が漏れてくる。


☆★☆★


「痛いよ……」

「ごめんね」


 お店の子に借りたタオルをレイに渡し、私はレイに頭を下げ続けていた


「いきなり扉閉められて、全身を強打した……。とても痛いです。このミシミシ具合だと肋骨が数本イカれてます」

「少年漫画か。とりあえず頭拭きなさい」

「……うん」


 あれだけ雨に髪が濡れたはずなのに、タオルで拭き取るとさらりと靡くのは流石ね……。


「ってかさ」

「ん?」

「何故にメイド服?」

「──メイド? あっ! ……こ、これは……そのええっと……」


 しまった、と思った時にはレイはスマホを構え写真を撮っている。しかも連射モード。続いてムービー。


「ちょっと、辞めなさい、撮りすぎ!」

「へぇ~サクラ似合ってるじゃん」

「もう……。ってか、あんたこそどうして……外に?」


 訊いた瞬間理解した。

 ──尾行したのね。

 この店が構えている場所は、普段私たちが帰宅する時には通らない道。一度二人で訪れたこともあるけど、あれはレイのくまたん探索で迷った末に……。


「なるほど……ついてきた、と……」

「ううん、たまたま偶然通りかかっただけだよ」

「絶対嘘! ……帰りなさいって言ったのに」


 私の言葉を躱すように、レイはふんわりマシュマロみたいに微笑むとジロジロ私を上から下まで舐め回すように見つめた。


「サクラちゃんの秘密は……メイド、ですか。メイド……何故、ここは……喫茶店じゃないの?」

「ふ、普通の喫茶店よ……。ただ、なんかここで働かせてくれた子がメイド服着て欲しい! とお願いされて」

「……そういうお店なの? メイドサービス、的な?」

「店員の趣味よ趣味! 私もこんな服初めてだし、本当は着たくないわよ」

「じゃあ断ったら?」

「だって──」


 メイド服を着ることが条件なので、断れなかった。レイの問いかけから逃げるように「……ご、ご注文は決まりましたか?」と訪ねた。


「ひぇ~びっくりするほどあからさまに逃げたよこの人……」

「一応仕事中なの」

「お客さん私以外におりませんがな」

「まぁ、今日は雨降ってるから……。注文しないの?」

「ご注文はくまたんですか? ……って訊け」「く、くまたん? ……意味わかんないからイヤ。……ほら、珈琲美味しいから、これでいい?」


 レイは興味無さそうにそっぽを向き、「じゃあ……それで」と頷いた。

 なんか友達が訪れ、注文を伺うのは変な気分になる。それもレイに……。ただ、なんか普段のレイと様子が異なる。まぁ、私がレイを無下に追い払って隠れてバイトしてるんだから、不審に思われて当然といえば当然だけど──。


「おまたせ……しました」

「ぎこちない接客デスネ~、店員さんカワイイね~」

「変に絡んで来るな。スカートも捲るの辞めなさい」「下はガーターベルトつけてるの?」「つけてません」

「やん、つまんない! ……まぁ、戴きますか……熱いっ」

「ホットなんだからちゃんと冷まして」「サクラ~ふーふーして」「自分でやりなさい」「ケチ~。あ、JKがふーふーするサービスしたら? 絶対人気でるよ」「想像しただけでも気持ち悪い! あんたがやりなさいよ」「うぅ……サクラだったら絶対人気出るのに……」


 レイは珈琲をゆっくり飲みながら、「でも何でバイトするの──はッ! 遊ぶ金欲しさに?」

「違うけど……」

「そうだよね、サクラはお金たんまりあるし」「そんなに無いわよ」「じゃあ、どうして──」


 ザーっと雨音の間を突くように、レイの問いが私に降りかかる。「何だっていいでしょ?」


「ふうん、私に隠れて、コソコソと……怪しい」

「別に隠れてはいない」「嘘、私には……レイには知られたくない! って思ってたはず」「お、思ってなんか無いわよ」


 この子は人の心を読む──。

 レイを睨むと、レイは不敵に微笑んだ後、私から視線を外す。


「サクラ、人に言えないなんかやましいことでもあるの?」

「違うったら……」

「サクラ……」

「私がどこでバイトしたって別にいいじゃない」「えぇ~何その言い方。私は……サクラのこと心配して訪ねているのにどうしてそうはぐらかすの?」

「レイには関係ないから」

「私に秘密にするってことは、関係あるんじゃないの?」

「それは──」


 鋭く突かれて、言葉に詰まる。

 私が黙っていると、レイはふぅふぅ……と珈琲を冷ました。嫌な沈黙が流れる。雨音が雑音みたいにうるさくて、余計に不安になる。レイはしばらく珈琲を飲んだ後、外を眺めながら口を開いた。


「……別に、サクラがどこでバイトしようが何しようがサクラの勝手だけどさぁ、そんなの一言くらい私に『バイト始めようと思ってるじゃない』って言ってくれたら、健気に頑張ってね……って応援できる。ハラハラドキドキしながら尾行しない。まぁただの友達なのに干渉し過ぎて……なんか自分でも重いかもしれないと思うよ。でもさ……だってだって……サクラは、なんか私のこと……どうでも……ねぇ……」

「レイ?」

「ふぅ──」


 レイは一気に捲し立てた後、不意に言葉を切り、溜息をつく。深呼吸のように、何度も何度も。


「今日は、サクラと喧嘩するために表れたんじゃないので、もう言わないけど……まぁ色々と心配しちゃったんですよ」


 レイは珈琲を口にする。もう冷めたのか、グビグビと飲み続ける。

 そういえば、レイは最近、私に触らなくなったわね。普段なら、サクラ~と息するように抱きついてくるのに、なんか……よそよそしい。


 どうしよう……。

 これ以上は流石に……と思った瞬間、突然レイは目をまんまるに見開き、「ぐぅばぁたごぉっッ!」と器官に珈琲が詰まったような声を口から出した。

「だ、大丈夫?」と慌てて駆け寄る。レイは「ゲホっ! ゴホ!」と咳をしつつ、震える手で私の背後を指差す。


 そこには、「はぁはぁ……く、くまたんが……空を……飛んでいる」


 レイが口走った通り、巨大なくまたんが宙をふわふわと浮いていた。12枚の羽をつけたくまたんが、私たちにゆっくりと近づいてくる。


「くまたんが……私をお迎えに? え、そうなの、そういうこと? じゃあ私は天国がいいです……。あ、それか、チート能力備えて異世界転生もいいかな……」

「もう、馬鹿なこと言ってるんじゃないの」


 その巨大なくまたんは、どんっ! とテーブルの上に置かれた。わざわざ運んできてくれたのは、お店の子。私に、今日はもう雨だからあまりお客さんも来ないし、このままゆっくりしていいよ、と伝えれくれた。

 そして、バイトの報酬である『くまたん』を運んできてくれたのだ。


「ってか、これプレミアエンジェルコーデ・くまたん!!!!! あ、あの……20枚も必死ハガキ送ったのに……金持ってるクセに渋るどケチ・サクラ様にもご協力いただいたのに当たらなかった……くまたん!?!?!?」

「そう──待って、今途中に余計なこと言った?」「ううんサクラの聞き間違い。そんなことより、え、え……これどうしたの?」

「……このお店のモノ」

「そう……なの?」

「けど、私が譲り受けた」「……えっ!?」「で、レイにあげるわ。欲しかったんでしょ?」


 指差すと、レイはコクコクと頷くもガタガタと小刻みに震えている。目の焦点もなんか定まっていない。突然のくまたん襲来、譲る、手に入った!? と理解が追いついていないらしい……。


「一体全体どういうことなのでしょうか?」

「つまり、かくかくしかじか……」


☆★☆★



//続く

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