カラオケ、レイの歌



 いつの間にかクラスの中でグループが生成され、決まったメンバーで集まっていた。同性、または混在したグループもあるけど、どこも和気藹々としている。中学の頃は、レベルの違う人間がクラスに集められることで、どうしてもつまらないカーストに縛られることもあった。でも高校は比較的近しいレベルのためか、余計な軋轢や摩擦は発生しない、というか、そうならないように早々に距離を取ったのね。


 私はレイとつるむことが増え、気がつけば毎日共に行動していた。

 鞄を置いた途端、レイがまるで愉快にはしゃぐ犬のように駆け寄ってきた。席は遠いのに、朝の僅かな時間もこうして私の下に訪れる。その屈託のない笑顔──と時々瞳が笑っていない冷めた表情にドキリと胸が疼く。


 ──天彩玲あまいろ れい、私は「レイ」と呼んでいた。互いに名前で呼び合う。まだ四月が終わる頃なのに。まぁ理由は単純にお互い呼びづらいから。レイが私を「柊さん」と呼ぶのが面倒くさいと言い出し、まぁ私も「天彩さん」と珍しい名字を口にするのはなんか慣れない。じゃあ名前で呼び合おう、となったのよね。


 レイは可愛い。

 息するみたいにそう思う。

 お世辞抜きでレイは可愛く、満面の笑みで声をかけられるとぞわっと体が震える。可愛い、という感覚でボコボコぶん殴られる気分。


 レイは妙に馴れ馴れしく、私がもうちょっと距離取って頂戴──オーラを発しても無視してすぐ隣に座る、くっついてくる、そして手を握られる──。傷に指が触れる。

 当初は驚くも、レイの勇猛果敢な攻勢とその無限の愛らしさに押し込まれ、今では隣にレイの存在を感じないと不安にかられるようになってしまった。そんなこと絶対にレイには言わないけど。でもレイは私の想いを察してなのか、常に私の隣に居る。


「部活どうする?」

「あ、もう仮入部の期間終わりかしら?」

「うん。サクラ、何かやりたい部活あるの?」


 特に無い。

 ──というより、行く気にならない。興味が無いわけじゃないけど、今は一つの物事に本気で取り組む事柄から離れたかった。


「レイは?」

「特に……まぁ強いて言えば」「帰宅部」「……私の心の声読まれた。サクラは読心術の心得あり?」

「まぁ私も帰宅部希望だから。ってか本当に入る気ないの? あんた運動神経良いいんだし」

「え~なんかそういうさ、一つの物事に対して努力するのって疲れるじゃん。大変だよ」


 レイこそ私の心を読んでるじゃない、と内心ツッコむ。ただ、レイの言い方はまるで実際に体験してきたようで妙な信憑性を含んでいる、気がした。


☆★☆★


 放課後。

 最寄り駅までは商店街を通り抜ける。小学生の頃、社会の勉強で昨今はシャッター商店街が増え、街の人々は離れてしまい……とか色々調べた記憶があるけど、ここは活気に溢れている。

 CDショップを通り過ぎる時、普段よりも人が集まっていることに気づく。そう言えばアルバム発売日だったわね。「行く?」とレイを誘ったけど「う~ん、今日はいい……」と興味なさそうな顔で進んだ。


 普段通りの仕草に思えた。

 けど……ちょっと早足、かも?

 ふわっとした違和感を覚えたけど、明確な何かを掴んだわけではないので、私はレイの後を追う。


「ここね、早くお店できたら最高なのに」

「私甘い物好きだから、毎日通いたいわ」「内装もお洒落で可愛いし……。はぁこれで卒業間際に完成だったらどうしよ」「来月オープンって書いてあるじゃない」「え、ホントだ! やった!」


 喜びを体全体で表すようにくるくるとレイは回転した。けど、その先に電柱がある! 「危ない!」と叫んだところで、レイはすっと腕を伸ばし、悠々と電柱に寄り添った。


「ふふっ、今焦ったでしょ?」

「顔から向かってたからね」

「能天気に激突するほどアホじゃないもん」


 にやっと、レイは笑いながら電柱から離れた。でも、目が回っていたのか、足元がふらつき、少し離れた場所にあったポストに腰からぶち当たる。ゴォンッ、と骨を打つ生々しい音が響いた。「ふぐぇっ?!」


「……わざと?」「じゃないですぅ……はぅぅぅ……ぅぅ……はぁ……下半身の骨砕けた……」「はいはい大丈夫?」「歩けないよぉ……抱っこして」

「嫌よ」

「お姫様抱っこ~。私の……夢なんです、白馬の王子様にお姫様抱っこされるという……」「そんなこってこての夢、逆に新鮮だわ」

「サクラ、お願い」

「あと三十キロ痩せたら良いわよ」「骨と皮だけになる……」


 レイはポストに凭れながらまだ痛そうに腰を抑えていた。


「……ホント大丈夫?」

「多分」

「じゃあきりきり歩く」「え~もっと心配して」「この後どうする? またハンバーガー?」「は、最近飽きてきたから……」


 レイが腕を組んで悩んでそうな顔(絶対何も考えてないだろうけど)をするので、なんかおかしくてまじまじと眺めていると、その背後に電飾の施された看板を発見した。


「ねぇ、カラオケ行かない?」

「カラオケ?」「そう。ほら、後ろのビルの……四階にあるみたい」

「ほーん」

「レイ?」


 レイはふぇ……と変な声を出し、潰れるようにポストに上半身を載せて、私を見つめてきた。私を観察する視線。だけど今日はなんか……きついというか、刃を喉元に当てられるような怖さを覚えた。


「い、行かないの? もしかして、カラオケ苦手?」

「ううん」

「嫌なら辞めるわよ」「いいよ、行こう──。サクラがどんな歌い方するのか、見てみたいから」


☆★☆★


 とりあえず一時間。

 僅かに漂うタバコの香りに、数年前の記憶が蘇る。ピアニストだった母を慕う後輩や弟子の方々に私は妹のように可愛がられ、よくレッスンの後などに連れて行って貰った。


 私は、そんなに歌が上手くない。けど歌うことは好き。──ある意味、弾くよりもね。いや、初めの頃はどちらも同じ『好き』の部類だったけど、片方はのめり込んでいくうちに、好きという感情が薄れ、気がついたら苦痛に変わり果てていた。


 あと、人が歌う姿を見るのが好きだった。外見通りの人も居れば、普段と異なる表情でハキハキと歌う姿は魅力的に感じた。歌うことで普段と異なる内面が引き出されて、ちょっと楽しい。

 レイは無造作に鞄を放り投げると、倒れ込むようにソファに座った。


「ジュースと、あと何か頼む?」私は受話器を取り、レイに聴く。

「……ポテト」

「そういえば、あんたいつも食べるわね」

「食べやすいし腹持ちいいし、何より……美味しい」

「これ一つで足りそうね」


 メニューに大皿のポテトフライがあったので注文した。レイはキョロキョロと室内を見回した後、部屋の奥に置いてある歌本を掴み、パラパラとめくり始める。


「アナログねぇ」

「ん……」

「こっちのタブレットの方が探しやすいでしょ?」「こうやって一生懸命探し立てた方が歌にも気合、入る気がする」「過程を頑張っても意味ないでしょ」「意味なくなーい」


 と、言いながらも私がタブレットを操作すると隣でしげしげと眺めている。……履歴ボタンを選択し、以前この部屋で歌った人の履歴を見る……フリをしながらレイを観察する。やはり、なんか様子がおかしい。口数少ないし、ちょっとそわそわして、心ここにあらず……という感じ。


 ──コンコンッ!

 扉が叩かれた。途端にレイはびくっ! とこっちまで驚くほど体を揺らした。ガチャ……と音を鳴らして扉が開き、店員さんが入ってきた。山盛りのポテトフライが入ったお皿とドリンクをそそくさとテーブルに置き、部屋から出て行った。レイは何食わぬ顔でポテトを口に咥えた。


「あの、大丈夫?」

「何が?」「ホントはカラオケイヤだった?」

「サクラのタブレットを操る可憐な指さばきに集中していたから驚いただけ」

「非道い言い訳」

「ねぇ、歌わないの?」

「レイは?」「サクラの後でいいよ」「じゃあ……」


 と、私は適当に流行りのJPOPを選択した。


「ってかサクラ、音楽とか聴くんだ」「……聴くわよ」「なんかクラシックだけ聴いて、俗世の喧しい音楽なんて雑音じゃない~とか思ってると信じていたのに。裏切られた……」

「勝手に信じるな。ってかあんたちょいちょい私をお嬢様キャラにしようとするわね」「実際お嬢様だし」「どこがよ……。ま、音楽は昔からよく訊いていたから。好きなの」

「ふうん……」


 ──だったらどうして捨てたの? とレイの代わりに私が私自身に訊いていた。微かに心のどこかでレイがじゃあ何故あの時にピアノを弾かなかったの? と声をかけてくれることを、期待していた。でもレイはすっぱり切るように頷くだけで終わった。それ以上、訊こうとしない。私も答える必要、義理も無いから言わない。

 

 誰かに吐露したいのかしら?

 胸の内にまだ依然として痛みを伴う記憶がある。ピンク色に変色した傷痕のように、触れるだけで痺れるような痛みを覚える。それを誰かに伝え、共有して貰うことで、薄めようと? 無意味だって、寧ろ返って非道くなりそうなのに……。


 私はその想いを振り切るように歌った。ロックミュージシャンの楽曲は歌っていて心地良い。音程は取りやすいし、サビの部分の疾走感はなんか癖になる。あっという間の数分が過ぎ、隣にレイが居ることを思い出した。


「サクラ、結構歌上手いんだね」

「そう?」

「めっちゃ全力で歌ってたからちょっと驚いた」「全力ってわけじゃないけど」「なんか珍しくて動画撮っちゃった」「……いや撮るな!」「ね、このサビとかサクラかっこいい~」「もう、誰にも見せないでよね」


 文句垂れつつマイクを渡すと、レイは一瞬躊躇するように指先を揺らし、掴んだ。


「なに歌おうかな~」

「あ、もしかして、歌……苦手なの?」

「音痴じゃないよ」

「さっきからの動揺っぷり、カラオケというか、人前で歌うことが苦手だったり?」「……まぁ……うーん好きじゃないかも」「別に下手くそでも誂ったりしないわ」

「信用できない。はぁ、きっと十年はサクラにクソ音痴巨乳ってイジメられる。……嗚呼、可愛そうな、私──」

「憂いていないでさっさと歌いなさいよ。時間勿体無い」

「え~じゃあ、どれにしようかな~」


 レイはのらりくらりとスローなテンポで画面遷移を続ける。なんかワガママを言う子どもみたいで若干苛立ちを覚えるけど、でもこんなレイの姿は初めてで、やっぱり気になるわ。普段は飄々としながら、どこか余裕があり、地に足ついた姿で私をおちょくるのに、今は……ふわふわしている。これ以上は──と控えようとする私と、どうにか更にレイの何かを引き出してみたい私が居る──。


「……これは?」

「名前だけは知ってるけど歌は、多分サビしか知らない」

「あ、この曲知ってる?」

「わからん」

「歌う気ないの?」「ふふっ、何でそんな私に歌わせたいの?」

「だって……」

「ん?」

「誰かが歌う姿を見るの、好きだから」


 正直に答えると、レイは一瞬私を見つめた後、すぐにタブレットに視線を戻す。ランキングのページに到達したところで手が止まった。


「ねぇ……星屑ソラは? デビュー曲、まだランキングトップじゃない。流石に知ってるでしょ?」


 ──その曲は、爆発的にヒットした星屑ソラのデビューシングルだった。

 全盛期の半分以下、とまで揶揄されるCD音楽市場において驚異的な売上数を叩き出し、今現在も国民皆に愛される楽曲だった。私も聴いている。そこまでファンってわけじゃないけど、星屑ソラの歌声には惹かれるモノを感じた。もちろん歌詞やテクニックも抜群なんだけど、それ以上の強烈なパワーを受けた。まるで聴くことを無理やり『命令』されるような力強さ──。


「まぁ、うん」

「じゃあ……歌って」


 私が強引に選択すると、マイクを受け取ると、やる気の無さそうな顔でモニターを見つめる。……どうしよう、本当に滅茶苦茶下手くそで、後でレイにどうやってフォローしようか、そう考えた時だった。


 歌う刹那、

 すぅっと息を吸い込んだだけで、レイの横顔に見惚れた。視線が、……ううん、私の何か全てがぐっと鷲掴みにされる。え、なにこれ──と思った瞬間にレイの第一声、そして続く歌声を聴いた瞬間、全身の鳥肌が立った。ぞわっと体が震える。


 上手い、

 なんてレベルじゃない。


 凛とした歌声が私の頭を突き抜けて行く。たった一つの音に無数の想いが混ざり、レイの歌声に混じって幾度も響き渡る。サビの高音に達した瞬間はゾクゾクゾクって背筋が震えた。質量を持った音に包まれるようで、身動きもできない……。

 この感覚に覚えがある。

 ……母と、そして、あの人の演奏、だった。


「はぁ……久しぶり。結構ムズいね……。あ~疲れた……って、え、なになにサクラどうしたの?」

「ふぇ?」

「泣いて……え、涙? ちょっと大丈夫? お腹痛くなったの?」


 ──何言ってるの? と思ったけど、頬を触れると指先に生暖かい液体が付着した。鏡を取り出すと、……ホントだ、泣いてるわ。


「痛くは……ないわ……ぐすっ」

「サクラ?」

「レイ……歌が……」

「私の?」

「えぇ、とても綺麗で。ううん、言葉じゃ言い表せないほど美しくて……す、凄くて……う……うぅぅ……」

「ほらほらティッシュ! 涙拭いて……」

「レイ──」


 言葉が続かなかった。

 代わりに、ぎゅっとレイの指を握っていた。レイは驚きつつも、ゆっくりと私の指に指を絡めてくれる。言葉にできない感情を、レイに流し込むように力を込める。

 私自身、何故涙を流したのか、わからない。人の歌声で感動して涙まで流すなんて初めての体験。レイに指摘されて私自身が混乱していることに気づく。レイの圧倒的な歌声と、それに連鎖する私の記憶……。潰えた夢と、それに近しい何かの片鱗を感じて、感情が纏まらない。


 ただ、レイの歌に感動したのは本当だった。

 まだ胸がドキドキうるさい。

 星屑ソラの曲のはずなのに、レイの印象が鮮烈に私の中に刻み込まれる。

 さっきレイが私の姿を動画に撮っていたけど、私もレイを撮影しておけば良かった、と後悔した。


☆★☆★


 帰り道。

 カラオケを出た私たちは、最寄り駅を目指して進んでいた。


「急に泣き出すからホントびっくりした~」

「……ごめん」

「はぁ……でもおいおい泣くサクラちゃん可愛かった……。今度カラオケ行ったらまた泣く?」

「もう慣れたから泣きません」


 レイは何故か嬉しそうに私を見つめてくる。


「ってか、レイ歌上手いのね?」

「サクラも上手いじゃん」

「私なんて相手にならないでしょ。まるでプロとアマチュア。習っていたの?」

「中学の頃ね……」


 ──ごくっと唾を飲み込んだ。

 レイの思わせぶりな言い方。これ以上は言いません、って顔してるけど、……聴きたい衝動にかられる。一歩踏み込んで、どうにかして、レイの何かを聞き出したい──。

 でも、レイはため息の後「でも……ありがとう、サクラ」とはにかんだ笑みを浮かべ、私を見つめてきた。その表情に思い留まる。これ以上は、踏み込んではいけない領域と理解した。


「何が?」

「あまり、自信なかったんだ。上手いとか、そういうの関係無しに……。だから……サクラが聴いてくれて、涙流すほど感動させちゃって……、私の歌を聴いたリアルの感情を堪能できたよ。まぁ泣かせちゃって悪いと思うけど、でも……嬉しかった。本当にありがとう。──なんか救われたよ」


 レイはにぃっと微笑む。

 その瞬間、西日がレイを包むように照らした。微かな光の線がレイの輪郭を作り、くっきりとその姿を浮かび上がらせる。



//終

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