第4話 新しい家族

 ただひたすらに走った。どこに行ったのかも分からない。でも止めなきゃいけない気がした。エリルが何かを失ってしまいそうだったから。どうしたら見つかるのか頭を回転させる。あの速さだと何処に行ったか分からない。

「そうだ」

 僕は目を閉じて、頭を真っ白にした。出来る限りエリルの顔を、黒く長い髪を、少しキツイけど大きくて優しい目を、イメージした。

「見えた!」

 一瞬だったけど、周りの景色も少し見えた。あの男達もいた。あの場所はここからそう遠くない公園だ。僕は一目散に走り出す。体力はほとんどない、ガリガリの身体で、無我夢中に走った。しばらく走ると何かが倒れる大きな音が聞こえた。近い。

 ようやく辿り着いた時、男達は膝を付いて謝っていた。エリルの手の周りには、目には見えないが何かが急速に動いていて、空気が震えていた。そして彼女の目は獣の様に鋭かった。まるで獲物を捕らえた虎のようだ。もしかして、このままこの人達を殺すの?

「エリル、駄目ー!」

 呼びかけに反応してこっちを見たエリルは言った。その目は凶暴でありながらも冷たく、怒りを通り越している。

「何故?こいつらはあなたの家族の命を奪ったのよ。大切な物をゴミみたいにあっさりと、ただイライラして殺したんですって。こんな事があって良いの?」

 きっとあの時だ。牢屋の壁が壊れた時に一緒に逃げてたんだ。僕が助かったばっかりに、ヨンスは殺されたんだ。僕のせいだ。気付くと僕は男達の目の前に立っていた。

「何故邪魔するの?そいつらはあなたの家族の仇よ。腹いせで?イライラして?そんな理由で世界に一人の家族を殺したのよ!」

 エリルは感情が昂っていた。きっと自分に重ねてしまっているんだ。でも何か違うんだ。数時間しか会っていないけど、エリルは優しかった。こんなのエリルじゃないって思っちゃうんだ。

「違うんだ。ヨンスが死んじゃったのは僕のせいなんだ。僕が牢屋から助かっちゃったから、ヨンスは」

 僕はエリルに抱きついた。それはヨンスが亡くなった事とは違う恐怖だった。暖かい人がそうでなくなる。ここでこいつらを殺したらエリルじゃなくなっちゃう気がしたんだ。

「エリル、もう僕、目の前で誰かがいなくなるの見たくないよ。さっきのエリルに戻ってよ。ご飯作ってくれた時の優しい顔に戻ってよ」

 エリルは腕を降ろし、僕の頭を撫でた。呼吸は優しくなり、深く息を吸い込んでいる。少し顔が柔らかくなった。

「少し気が動転していたわ。ちょっと感情的になっているみたい。ありがとう、ビン」

 公園の土は抉られ、木々は倒れ、男達は傷だらけで、服もボロボロだった。少し落ち着いた表情を見て僕は安心した。たがその時の隙を男達は見落とさなかった。地面から植物の根が無数に生えてきて、僕とエリルの身体に巻きつき、身動きが取れなくなった。

「はっはっは。油断するなんて良い度胸じゃねぇか。俺にはこの《植物との意思疎通》のメモリーがあるんだ。捕らえちまえばこっちのもん。散々痛ぶってくれたお礼だ。後はこちらが痛ぶってゲームオーバーだぜ」

 捕まってしまったが、エリルは一向に焦りを見せなかった。それどかろか少し笑っていた。

「あなたもメモライザーだったのね。しかも超常種、良い物持ってるじゃない」

「馬鹿にしやがって。強がっていられるのも今のうちだ。そのまま絞め殺してやる」

 根は力を増して締め付けた。苦しい。でもヨンスと一緒に逝くなら怖くはなかった。

「諦めないで。大丈夫よビン」

 エリルはとても優しい笑顔を作った。しかしその奥には怒りを留めていた。そして根を操る男に言い放つ。

「あなたの敗因は、言霊を理解していないことね。名前はとても大事なのよ。己の技に名前も付けられないほど洗練されていない能力なんて、電池切れのコンピューターと一緒だわ」

「はぁ?何を戯言を言ってやがる。負け惜しみはあの世に逝ってからにしな」

 また地面から根が生え、今度はエリルの顔の目の前で何層にも重なり、巨大なドリルのようになった。こんなのが当たったらすぐに死んでしまう。どうにかしないと!

「俺様に出会った事を地獄で後悔しな!」

 もう駄目だ。ここで二人して死ぬんだ。僕のせいでせっかく助けてくれたエリルまで巻き込んでしまった。悔しくて目を閉じた。すると耳から、かすかにエリルの声が聞こえた。

「『鎌鼬』」

 その声が終わる瞬間、僕の身体は地面にふわりと落ちた。周りにはバラバラに斬られた植物の根が転がっている。エリルは?!彼女も同じく、拘束から解放され、宙に浮いていた。ゆっくりと地面に、ふわりと降り立つ。

「言うと言わないじゃ天と地の差よ」

 そう言って彼女は男達の前に立った。瞬時に形成逆転された男達には、既に戦意を感じなかった。

「あなた達には分からない。大切な人を失う悲しみが、もう記憶が戻って来ない憎しみが!あなた達は殺さない。だが、一生後悔し続けながら自分を恥じて生きろ」

 エリルが手をかざすと、男達の両腕は捻れ、骨の折れる音がした。苦痛に叫ぶ声より大きく、エリルは言った。

「二度とその面を世間に晒すな!」

 男達は何も言わず、足早に公園を去って行った。


「ごめんね。取り乱してしまったわ」

 僕はエリルのお腹を殴った。涙しながら、何回も殴った。その拳の弱さといったら、虫も殺せないくらいだったろう。それでも続けた。

「エリルの馬鹿。エリルの馬鹿。エリルの馬鹿!」

 僕はもう訳が分からなくなっていた。怖かった。エリルまでいなくなったらと思うと感情がごちゃごちゃになった。たった数時間しか過ごしていないけど、何故かとても深みのある時間に感じていた。いつの間にか救われた事に気付いたんだ。でもほんの一瞬の出来事で、大切な家族が消えた。もう何も残っていない。もう誰もいない。思い出したら悔しくてまた泣いた。

「ごめん。ごめんね」

 エリルが悪いんじゃない。そんな事は分かっていた。でもヨンスがいなくなった悲しみをどうしたら良いか分からなかった。しばらくずっと殴っていた。疲れ果てるまで。力を出し切った僕は、地面に座り込んだ。するとエリルも横に座った。

「私ね、凄く後悔してるの。あんであの時、お母さんの仇を取りに行かなかったんだろうって。何で自分だけ逃げちゃったんだろうって。怖くて、何も分からなくなって、自分だけ助かろうとして。それからずっと自分を憎んだんだ。来る日も来る日も、あの時の記憶が脳裏に浮かぶの。私は最低な人間だ。大切な家族すら目の前にして逃げたって。…でもあなたは逃げなかった。ここへ走ってきた」

「でもヨンスを置いてきちゃった。逃げて来ちゃったんだ」

「ビン、それは違うのよ。あなたは逃げたんじゃない。前に進んだの。目の前の救えるかも知れないと思った何かのために。だから結果的にあなたは私を助けてくれた。だから自分を誇りなさい。あなたは強い子よ。まぁ、パンチは超弱かったけどね」

 ニコッと笑うエリルは、ご飯の時の顔に戻っていた。

「でもこれで僕は独りになっちゃった。家族はもういないんだ」

 また涙が溢れてきた。そんな僕を抱き寄せて、エリルは小さな声で呟いた。

「大丈夫。私がいるよ。私が新しい家族になるから」

 見上げるとそこには、登る朝日に照らされた優しい顔があった。

「私もずっと独りで旅してて少し寂しかったの。ねぇ、ビン。私の弟になってよ」

 また泣いた。僕は枯れるまで泣いた。嬉しかった。今までそんな事言ってくれる人はいなかった。


 涙が枯れ果てた頃を見計らい、エリルは立ち上がった。そしてヨンスのお墓を作った。長いこと二人で手を合わせた。今日はもう寝よう、と二人で家に帰った。僕はエリルと一緒のベッドで、シャワーも浴びず眠りについた。小さな声で聞こえた『ありがとう』と『おやすみ』を子守唄に。


 その日から僕達の、新しい旅が始まる。と言ってもすぐには出発出来なかったので、しばらくジャニアに残ることにした。エリルは情報収集やお金稼ぎ、そして料理を作ってくれた。僕は記憶がなさ過ぎたので、たくさん勉強した。色んな知識を教えてくれたし、最低限必要なカプセルも手に入れた。身体を鍛え、武術を学び、いつの間にか逞しくなっていった。家事も炊事もこなせるようになり、ようやく下準備が整った頃には、三年の月日が流れていた。僕は自分が成長していく事に喜びを感じた。だがそれ以上に、家族と過ごせている事を幸せに感じた。

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