第4話

【2】


 ひと雨来そうだなとは思っていたが、葛西達が富々を出る頃には、ぽつぽつと雨が当たり始めていた。それでもバイクで街に向かうと言い出した江崎をなんとか説得し、三人は駅へと向かう。


 通勤時と帰宅時以外は、ほとんど乗客のいない電車に揺られること数十分。到着すると葛西達は駅の改札口を抜けた。


 駅前はすっかり雨模様であり、傘を差した人々誰もが、急かされるかのように駅前を行き交っていた。いい加減、からりと晴れた日が欲しいものであるが、どうやら今年は雨が多い年らしい。一概に雨が降ることが悪いとは言わないが、ごくごく普通に生活する分には、やはり雨というものは鬱陶しい。さっさと梅雨明けして欲しいものだ。


 三人は駅前で適当に時間を潰しながらバスを待つ。都会中の都会ともなれば、それこそ数分おきにバスが出るのだろうが、田舎の中の都会では、一本の間隔が三十分空いてしまうなんてざらだ。そして、それに慣れてしまっている葛西達からすれば、三十分の時間潰しなどお手のものだった。


 バスが到着するとこぞって乗り込み、今度はバスに揺られる。幾つかの無人のバス停を通り過ぎ、バスは次のバス停が噴水広場前であることを告げる。何を競っているんだか、佳代子が素早く降車ボタンを押し、どこか勝ち誇ったかのような表情を浮かべた。葛西と江崎はそれを見て溜め息をつく。バスを降りると、道路の向こう側に噴水広場が見えた。


 噴水広場は街中から少し外れたところにある。辺りは住宅街であり、今でも住民のいこいの場として活用されていることであろう。ただ、雨足が強くなってきたせいか、噴水広場にはほとんど人の姿が見え見受けられない。


 イエローヘッズが根城にしている廃工場とやらは、この噴水広場にある音痴時計を起点とした範囲内にある。音痴時計の音はそこまで大きくないから、調べなければならない範囲はそこまで広くはないはずだ。


「さて、ここからどうするよ――」


 江崎が辺りを見回しつつ漏らす。噴水広場に来てみたはいいものの、どこに廃工場が幾つあるのかまでは把握していない。スマートフォンを駆使すれば周辺の地図を調べることはできるだろうし、ここからは地道に足で稼ぐしかない。地元の人間に話を聞きたいところだが、この雨だ。出歩いている人自体が少ないだろう。


「とりあえず工場らしきところを片っ端から訪ねてみよう。餅は餅屋に聞くのが一番だ」


 葛西はスマートフォンで地図情報を引っ張り出しつつ、音痴時計を見上げた。


「餅は関係ねぇだろうが……」


 江崎のお約束ともいえる勘違いをかわすと、葛西は住宅街のほうを指差した。


「とりあえず近くに個人経営の鉄工所があるみたいだな。そこで話を聞いてみるか」


 世の中は随分と便利になった。大抵の分からないことは、ネットに繋ぎさえすれば分かるようになった。知らない土地に行っても、どこに何があるのか分かってしまう。初めての場所でもネットに案内されてたどり着くことができるようにもなった。もはや当たり前の世の中になってしまったが、なんだか楽なほうへと人間が流れてしまっているような気もする。このままでは人間が駄目になってしまうのではないか。そんな危惧感はさておき、今の葛西達にとってネットは強力な武器となっていた。


 葛西を先頭に歩き出し、すぐに鉄工所を見つけて、グライダーの火花を散らしていた従業員らしき男に声をかける。けげんそうな表情を浮かべた男であったが、それでも親切に教えてくれた。もとよりこの辺りは、個人で経営している工場が多いらしく、潰れてしまった工場も多いらしい。わざわざ地図まで書いて渡してくれた男に、田舎ならではの親切心を感じつつ、葛西達は礼を言って工場を後にする。


 雨は相変わらず降り続いていた。地道に一軒ずつ工場を回って歩くことしかできないが、このような時、車の運転ができればと思う。まぁ、もう免許を取得できる年齢にはなっているのだが。


「あれぇ? あの人、平沢君じゃない?」


 ひとつ目の工場を空振りし、再び住宅街を市道沿いに歩き出した時のことだった。佳代子が向こうからやってくる人物を見て呟いた。


 平沢健斗ひらさわけんとは、目立たない地味なクラスメイトだ。教室の片隅で本を読んでいることが多く、友達がいないわけではないのだが、随分と気が弱いようで、その身長の低さから小動物のような印象があった。


「この辺りに住んでるいるのか。あまり話をしたことがないから分からないけど――」


 クラスという集団には様々な人間が詰め込まれる。社交的なやつ、独りが好きなやつ、頭髪検査の常連である江崎のようなやつもいれば、平沢のように大人しいやつもいる。全員が全く同じ気質であるということなどなく、それゆえに同じクラスメイトであっても、関わる頻度は人によって違う。もちろん、葛西は平沢と喋ったことはあるし、こちらが話しかければ平沢も受け答えをしてくれる。ただ、仲が良いかと問われれば微妙なところだ。事実、どこに住んでいるのかさえ知らないのだから。


「ちょうどいいや。あいつが近所の人間なら、イエローヘッズが使ってる廃工場のことも知ってるかもしれねぇ」


 うつむき気味に歩いているせいか、まだこちらに気付いていない様子の平沢。江崎がやや早足になって平沢のほうへと向かう。葛西は思わず江崎の背中に向かって「いや、声をかけるなら俺のほうが――」と言葉を放ったが、ややタイミングが遅かったようだ。


「よう平沢。ちょっと聞きたいことがある」


 江崎が声をかけると、平沢は顔を上げて体をびくりと震わせる。まん丸になった瞳は、やはり小動物そのものだった。まぁ、悪い意味でクラスから一目を置かれている江崎が声をかけたのだ。平沢が恐れのニュアンスを含んだ反応をするのも当然である。


「やぁ平沢。この辺りに住んでいるのか?」


 フォローを入れようと慌てて声をかけるが時すでに遅し。


「か、葛西君。ごめん、僕ちょっと急ぐんだ」


 明らかな逃げ腰で、平沢は江崎の脇をすり抜けようとする。一切目を合わせようとしない辺り、どれだけ江崎がクラスから恐れられているのかが分かる。


「おい、ちょっと待てや」


 江崎からすれば、平沢の反応が面白いわけがない。少々苛立った様子で、おもむろに平沢の腕を掴んだ。しかし、平沢の防衛反応が発揮されたのであろう。江崎の腕を振り払い、軽く葛西のほうに向かって会釈をしながら、平沢は早足で住宅街へと消えて行った。江崎は平沢の腕を掴んでいた手を見つめながら、ほんの少し首を傾げる。普通に接したつもりなのに平沢から拒絶されたのが不思議でならないのであろう。


「――普段からクラスに馴染もうとしないからこうなる」


 葛西が言うと、佳代子が「根は悪い人じゃないのにねぇ」と続いた。フォローのつもりなのだろうが、それに対して「うっせぇよ」と呟く江崎。なんにせよ、最初から自力で廃工場を探すつもりだったし、平沢と会ったのはイレギュラーにすぎない。気を取り直し、三人は辺りの探索を再開することにした。


 話を聞いた工場で描いて貰った地図を片手に、廃業してしまった工場をひとつずつ当たる。住宅街に突如として現れる廃工場は、どこか異様に感じられた。かつては個人経営の工業で栄えたのであろうが、時代の流れと共にすたれていったのであろう。過去の遺物は、現代になっても自身の居場所を主張していた。


 どれを当たっても伸び放題の雑草が出迎えるような状況の中、恐らく最後になるであろう廃工場の前へとたどり着く。

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