第5話

「ただいまぁ」


 佳代子が店の軒先に向かって声をかけると、奥の番台らしきところから、タオルを頭に巻いた男が顔を覗かせる。彫りの深い色黒な男は、佳代子の親父さんだ。


「おかえり――。おっ、今日はたっちんとしょーやんも一緒か?」


 葛西と江崎の顔を見て、佳代子の親父さんは、わざとらしい笑顔を浮かべた。沙織の死は、当たり前のことながら佳代子の親父さんも知っている。そもそも、葛西達が幼馴染なのは、両親同士に親交があったからだ。学校からの連絡より先に両親間でやり取りがあったに違いない。なんせ、葛西も第一報は両親から聞いたのだから。


「あ、はい。お邪魔します」


 立場としては客なのだが、葛西は頭をぺこりと下げる。それにならって、江崎も頭を軽く下げた。


「ちょっと着替えてくるねぇ」


 佳代子はそう言うと、番台の向こう側へと姿を消した。とんとんとん――と、階段を上る音が天井から聞こえる。佳代子の家は店の奥と二階が居住スペースになっているのだ。


「おじさん、奥の小上がり使わせて貰うな――。とりあえず明太子チーズのミックス。もんじゃのほうで」


 江崎は左手にある小上がりの方へと視線を移し、もんじゃ焼きの注文をしてさっさとそちらに向かう。ここは駄菓子屋ではあるが、葛西達にとっては自分達の家のようなものだ。それでも、江崎はもう少し節操というものを覚えたほうがいい。親しき仲にも礼儀あり……そう言って、両親間で取り交わされた【親しき仲にも礼儀あり条約】もあることだし。


 江崎に続いて暖簾をくぐると、ちょうど席を立とうとしていた先客と出くわした。頭を丸めた二人組である。江崎の存在に目をそらした二人組は、葛西も一緒にいることに気付いたのか、なぜだか安堵の溜め息を漏らす。同じクラスの津幡亮司つばたりょうじ高橋隼人たかはしはやとだった。二人共野球部の人間であり、ピッチャーとキャッチャーでバッテリーを組んでいる。


「おぅ、匡。これから昼飯か?」


 津幡のほうが声をかけてくる。佳代子を校門前で待っていたがゆえに、午前放課ながら時刻は午後二時になろうとしていた。言われてから腹の虫が自己の存在をアピールした。


「あぁ、まぁね。今日は練習も休みかい?」


 甲子園予選も近く、普段のこの時期ならば、夜遅くまでグラウンドの明かりが煌々こうこうと点いているはずだ。この時期に富々で野球部と遭遇するのは珍しい光景だった。


 江崎は二人のことなど気にしていない様子で、小上がりの奥の席へと腰を降ろした。幼馴染である葛西はなんとも思わないのであるが、江崎は中学時代にやんちゃをしていた名残りで、クラスメイトのほとんどから恐れられている。それを本人も自覚しているのであろう。


「いや、明日の朝から他校で練習試合でさ、今日の夜に出発するから、それに備えて休みってだけだよ。浦沢さんがあんなことになった後だから、自粛しようって声もあったんだけどな」


 高橋が江崎のほうをちらちらと気にしながら口を開く。でかい図体でキャッチャーのくせに、相変わらず気は弱いようだ。自ら壁を作って、クラスメイトと距離を置く江崎も江崎ではあるが、腫れものにでも触るかのような態度を見せる高橋も高橋である。確かに中学時代は悪さをしていたが、根はそこまで悪くない奴なのに――と思うのは、小さい頃から一緒にいるからであって、それこそ高校からの付き合いである高橋や津幡からすれば、江崎は単なるヤンキーにしか見えないのかもしれない。


「匡。その……浦沢さんのこと、本当に残念だったな」


 四人で一括りにされることが多かった葛西達。津幡達も当然ながら、葛西と沙織が幼馴染であることを知っている。沙織のことを【浦沢さん】なんて言われると、なんだかこそばゆい。


「そうだな――まぁ、仕方ないことだったのかもしれない」


 葛西は当たり障りのない返し方をし、江崎は面白くなさそうに舌打ちをする。お前らに何が分かる――江崎の目がそう語っているような気がした。いや、きっと似たようなニュアンスで津幡達のことを睨んだのであろう。


「そ、それじゃあ、俺達は行くよ」


 逃げるようにして津幡達はレジの横にお金を置き、奥で包丁をリズミカルに扱っている佳代子の親父さんに向かって「ごちそうさまでした!」と、野球部らしく礼儀正しい挨拶をして店を出て行った。佳代子の親父さんは「おぅ! ありがとな!」と、言いつつ、銀色のボウルを両手に奥から出てきた。


「……しょーやん、もう少し周りと打ち解ける努力をしたほうがいい」


 暖簾に手をかけたまま、常日頃から思っていることを口にすると「ツレは、たっちんとかぁこで充分だし」と、江崎は溜め息を漏らした。


「お待たせ。明太子チーズのミックスと、たっちんは豚玉のお好み焼きで良かったか?」


 まだ注文をしていないというのに、まるで葛西の心を見透かしたかのように望むものを持ってくる親父さん。長年通っていると、頼むものも決まってくる。葛西は小さく頷いた。


「えぇ、ありがとうございます」


 ようやく小上がりに腰を下ろすと、親父さんが銀色のボウルをテーブルの脇へと置き、鉄板に火を入れる。


「――さおりんのことがあったからよぉ。今日はうちの奢りだ」


 そう言いつつ席を離れようとした親父さんの手を掴み、葛西は首を横に振った。


「おじさん、それは【親しき仲にも礼儀あり条約】に違反する。お代はちゃんと払うよ」

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