第1章 自覚編

第1話 Crosslamina ver.1.0  Leave to Chance


  ―――2021年 4月7日午後23時55―――


 電気を消すと部屋には暗闇と共に静寂が訪れた。


 6畳間の部屋は電気が消えていて全貌はよく見えない。


 そこに立つ男の子は眠るのではなかった。


 その証拠に彼の手にはスマートフォンと昨年発売したばかりのゲーム機器「VRHS(ヴァーチャル・リアリティ・ヘッド・セット)」が握られていた。


  一度膝くらいの高さのベッドに腰をかけ、スマホの電源を入れた。


 そしてインストール待機中となっているアプリを起動させた。


   ――23時59――


 男の子はVRHSの電源も入れた。


 ウィィン……といかにも機械的な音が小音ながら流れると側面に付いている3つのランプのうち1つが点灯した。


 VRHSの形は至ってシンプルで、少し誇張されたアイマスクほどの大きさで、ぐるりと頭の周りに円状の機械がくるようになっており、小さな子供でも固定ができるようになっている。


 そして慣れた手つきでスマートフォンをVRHSに取り付けると側面のランプが1つ、合計2つのランプが点灯した。


 そうすると、男の子は頭にこれまた慣れた手つきでVRHSをはめ込んだ。


 電源ケーブルに注意しながら仰向けになると側面にあるボタンをカチッと押した。


 すると3つ目のランプが点灯した。


 これは仮想世界への接続可能状態を意味する。


 そして男の子は目の前に広がるスマートフォンの画面に目を向けた。


 大きな砂時計が表示されており、そこには00:00:42と表示されていた。


 Crosslamina ver.1.0のリリースまでの時間を示していた。


 残り30秒。


 その先には何が待っているのか。


 残り20秒。


 男の子は期待に胸を膨らませていた。


 残り10秒。


 9.8.7.....2.1.....


 サッ……っと妙にリアルな砂時計の最後の砂が落ちた。


 その瞬間目の前が一瞬暗くなり、白くなったと思えば大きくゲーム会社のロゴマークが表示された。


 そして可愛らしい声で「クロミナ!」と始まりを告げる声が聞こえた。


 そして。


 壮大なBGMと共に大きく目の前にゲームの名前であるCrosslamina (ver.1.0)と書かれていた。


 この画面はまだ仮想世界とは繋がっておらず、VRHSを付けていなくても入る事ができる。


 次には選択画面が表示された。


 1番上が「contactしてプレイする」。


 2番目が「contactせずにプレイする」。


 そしてその選択の下の方には


 ※なお、contactする場合は専用のVRHSが必要です。


 とご丁寧に書かれていた。


 contactとはVRMMO空間との接続を意味している。


 1番上を選択すると通信中と一瞬表示され、すぐに"接続完了!"と表示された。


 この間0.5秒程である。


 そして徐々に画面が暗くなっていった。


 目を開けるとそこは白い空間。


 目の前にはピンク色の髪をした猫耳の女の子が立っていた。


 全身をピンクに統一しているが、でも淡いピンクや濃いピンクを合わせる事で調和を実現していた。


 服は上が長袖のパーカー、下はミニスカートだった。


 全身から"ゆるふわ"感が漂っていた。


 周りを見渡すと果てしなく続く白い空間が広がっていた。


 多分ここは初期設定エリアだろうと男の子は思った。


 そしてずっとそこに立っている説明用NPCの方を向いて話しかける事にした。


 しかし、話しかける前にその女の子がこちらを向いた事に気づき、話しかけてきた。


「はじめまして!Crosslamina ver.1.0の世界へようこそ!」


 バージョンまで全部言うんだ……という静かなツッコミを押し潰し、話に耳を傾けた。


「私の名前は"マナ"!貴方の名前を教えて?」


 その言葉に対応したように名前記入欄が目の前に表示される。


 さらにその下にはキーボードが隣接しており、自らの手でそれらを押す事ができた。


 男の子は不思議な感覚に陥っていた。


 ふと自分の手に目を落としてみる。


 自分の意思で手を動かす事ができる。


 男の子は素直に感動した。


 そして男の子は画面に"カイト"の文字を入力した。


 現段階では同じユーザーネームを入力した人はいないらしく、そのまま「OK〜!カイトか!いい名前ね!」


 と会話が繋がった。


 さらに説明用NPCマナの話は続く。


 ゲームの仕様や転売対策が述べられた後、


「そして2つ目、もし、スマートフォンからクロミナのデータが消えてしまった場合のために、このコードを覚えておいて。」


 すると目の前に8桁の数字の羅列が表示された。


 [00002581]


 説明を聞くとこれが"自己認証コード"というらしく、プレイヤーの目の情報と照らし合わせる事でデータを復元する事が可能になるというシステムらしい。


 プレイヤー「カイト」はVRMMOの世界から一時的に離脱し、机の上にあった適当な紙にコードを書き記しておいた。


 再び接続し、一連の話を終えるとようやくゲームの世界へ行けるそうだった。


 その際、"早期入会者ガチャ"と題して特別に2回ガチャを引く事ができると、連絡してもらった。


 もちろんプレイヤー間では周知の事実で、それ目当ての人が殆どだ。


 カイトは一刻も早くクロミナの世界へ行きたかった。


 そしてついに、


  「長らくお疲れ様!私の長い話を聞いてくれてありがとう!良いクロミナライフを!いつも貴方のことを見ているよ!」


 マナの言葉と共に目の前がパァっと明るい光に飲み込まれていった。



 *



 目を開けるとそこはファンタジーの世界と現代の世界を合体させたような景観が広がっていた。


 地面を見るとコンクリートになっていて、目の前に設置されていた噴水の周りには円状にレンガが綺麗に整備されていた。


 建物を見ると現実の世界にもありそうなベージュ色をベースとした家々が多く目につき、しかし遠くの方には巨大なビルが林立していた。


 時間は現実の世界と連動しているらしく、空には星空が輝いていた。


 噴水の水の綺麗さに目を奪われていると目の前に[中心都市 Lamina(ラミナ)]の文字が表示された。


  ここがクロミナの世界の中心。


 カイトは周りには意外と人が歩いている事に気がついた。


 全員説明用NPC"マナ"の説明の時に製作した自身のアバターを使用しており、男女問わず様々な自分の分身アバターがいた。


 この中心都市を歩く人はカイト同様みんな同じような初期配布装備を装着していた。


 しかし、皆同じような装備だと自分の個性を完全に潰す事になる。


 そこで登場するのが、ガチャのみで獲得できる"スキン"という存在である。


 もちろん、"スキン"だけでなく、商店街や冒険先で防具や服を獲得できるのだが、"スキン"は防具一式セットになっているいわば1つの"特殊アバター"のようなものだ。


 それはとても希少で排出率が低く、早期入会者の憧れだった。


 歩く人々は皆一目散に走ったり、肩を落としたりと大忙しだった。


 それもそのはず、今日からリリースが始まったこの世界で一番になって脚光を浴びるために準備をしているからだ。


 一目散に走っている人は"ガチャ"が設置されている場所へ向かっているのだろう。


 肩を落としている人はどうやらお目の物が当たらなかったらしい。


 カイトは一言、「ディスプレイ」と言った。


 すると自身のステータスの情報や中心都市の地図マップ、周辺の情報やこの世界のニュースなどが表示された。


 ステータスに関してはレベル上昇に応じて獲得することができる"Point《ポイント》"によって変動する。


 ポイントを体力(HP)、防御力(DE)、攻撃力(AT)、素早さ(QU)、特殊(SP)の5つに自分が好きなように振り分けることでそれぞれの効果が得られる仕組みになっている。


 例えば素早さの数値をポイントによって上げると移動速度が速くなったりするのだ。


 因みに"放置"によるレベル上昇の場合はポイントは発生せず、平均的に全てのステータスが上昇する仕組みになっている。


 カイトは初めにマナに与えられた10のポイントを平均的に2ずつ上昇させた。


 自分のステータスを確認した後、カイトは地図マップを開いた。


 今立っているのが"始まりの噴水前広場"で区画にして第1区だった。


 ガチャ施設を検索すると存在する場所は中心都市の中でも主にクロミナの世界の商品が多数出品されている大通り、「クロス」の一角にある事がわかった。


「クロス」は第8区にある事がわかり、少し歩く事が判明した。


 仕方なく歩く事にしたカイトだが、少し歩いた先に駅を見つけた。


 この中心都市内には電車やバスが通っており、移動手段の一つとして提供されていた。


 しかし、1G《ゴールド》も持っていないカイトは電車を諦めるしか無かった。


 どうりで走っている人が多かった訳だと理解した。



 *



 なるほど、ポイントを初めから素早さ(QU)に全振りしておけば移動も早かったのかと少し後悔していたカイトはようやく中心都市第8区に到着した。


 そこは活気で溢れていた。


 様々な装飾を施した商店街は夜の街を煌びやかにライトアップさせ、見る者を引き寄せていた。


 木造建築をベースにしたような商店が連なり、夜にも関わらずその灯りは消えることは無かった。


 しかしそんな中、一際目立つ建物があった。


 何故目立つのかというとそこだけ時代が何世紀も先なのだ。


 ガラス張りの高層ビルがそこには立っていた。


 派手なライトアップがされ、巨大な入り口を構えてプレイヤーを待っていた。


 例えるならば田舎の村の商店街に1つだけパチンコ屋が建っているようだった。


 そこがガチャ施設である。


 プレイヤーは皆そこを目指していた。


 カイトも流れに身を投じるようにガチャ施設へと入った。


 入るとすぐに目に入ったのは下に広がるレッドカーペット。


 その先には何千と設置されたガチャの機械があった。


 そのフォルムはATM、またはパチンコのスロットを連想させ、それがまた隣り合い、向かい合うように設置されていることから本当にパチンコ屋のようであった。


 カイトは空いたガチャの機械に向かうと"初回入会者ガチャ"をタップした。


 このガチャは通常は入会したら無償で1回ガチャを引く事ができるのだが、この"初回入会者ガチャ"はなんと2回引く事ができるガチャだった。


 それだけで十分リリースと同時に始める意味はある。


 排出されるガチャの中にはクロミナの世界の中で一つしか存在しない武器や道具もあるらしく、それは全て早いもの勝ちなのだ。


 カイトは排出率や排出する武器や道具、スキンを気にせずまず一回目を引いた。


 すると、なんと予想もしていなかった"スキン"が出てしまったのだ。


 "聖騎士エグバート"それがこのスキンの名前だった。


 説明にはこう書いてあった。



  [聖騎士シリーズNo.3 防具装備済み (エグバート・ベッド/エグバート・チェスト/エグバート・レッグ)]



 全身を黒光りした鎧で包み、頭装備はロボットのように歪ながらそれでも男心を擽るデザインとなっており、胴、脚は西洋の騎士のようなデザインだった。


 カイトは心底驚いたが、それよりも興奮と嬉しさが勝った。


 そのせいか、ステータスを確認するのを忘れて早く次を引きたいという欲が出ていた。


 2回目を引くと豪華な演出が登場した。


 期待を胸に膨らませて見ているとそれは武器だった。


 カイトは「おおー!」と思わず声を上げてしまった。


 周りのプレイヤーから少し不審な目で見られた。


 少し恥じながらもリザルトを確認する。


 そこには、"魔滅剣 シャイリアル"と書かれており、鉄でできているのか銀色の、でも少し白く光っているようにも見える刃はとても輝いているように感じた。


 カイトはすかさず説明とステータスを確認する。



  【この剣は"聖騎士シリーズ"にのみ装備可能。この世界に一本の名剣であり、魔物を切り裂く力を持つ。剣自体も時と共に成長し、時間が経つにつれてステータスも上昇していく。攻撃力30/防御力15/耐久値30】



 カイトは完璧すぎると思わずにはいられなかった。


 これほど完璧なガチャ結果はあるだろうか、いやない。


 思わず心の中で反語表現を使用したカイトはまた心の中で大きくガッツポーズを取った。


 カイトは自動ドアで外へ出ると依然として賑わっていた。


 しかし、その賑やかな中に行って混ざりたいほどカイトの心は踊りに踊っていた。


 だが、まずは自分1人でこの姿を堪能して、それから周りの人に自慢しようと考えた。


 その考えを実行する事に決めたカイトは耐えられず走り出した。


 プレイヤーの声が途切れて聞こえる。


 夢中になって走っていたカイトは気づくと第10区に来ていた。


 人通りが少なく、というかほとんど誰もいなかった。


 カイトはすぐさま「ディスプレイ」と叫ぶと"スキン"を手にした者にしか表示されない"スキン"の欄をタップする。


 そこには当然ながら"聖騎士エグバート"のスキンが。


 カイトは速攻選択するとずしりと重さを感じた。


 だが、動けないことはなく、少し歩くのが遅くなるレベルだった。


 さらにカイトは剣の方も装備してみた。


 ガシャリと手に収まるその剣はとても格好良く、心底気に入った。


 これで、準備は整った。


 カイトは満足げにステータス表示画面からログアウトボタンを探した。


 これからこの最強装備でこの世界を遊び尽くしてやる!


 カイトはそう決心し、ステータス欄から「ログアウト」を選択すると、この世界との接続を中断した。



 *



―――26時06―――


 ウィィン……と機械的な音が遠くから聞こえて来る。


 それとともに先ほど立っていたのに寝ている自分を一瞬不思議に感じる。


 現実世界に戻ってきたのだ。


 本当に区別がつかないほど仮想世界はリアルだったと感慨深くなっていると、深夜2時を回っている事に気づき、すぐさま眠る事した。


 VRHSを丁寧に机の上に置き、スマホを取り出し充電ケーブルに差し込むと明日はクエストに行ってみようとか考えながら深い眠りに就いたのである。




 *




  目が覚めると、そこは彼がいつも見ていたいつもの部屋ではなかった。


  布団も寝ていた布団とは全く異なり、汚れを許さぬ真っ白な布団だった。


  真っ白に塗りつぶされた純白の壁。


  窓からはもう午後なのか、夕日が差し込んでいた。


  それだけでここが何処なのか、理解するのは難しくなかった。



  ……病院だ。



  口には酸素供給器がはめられ、腕には何本もの管が通っていた。


  目を大きく見開いてこの状況になった経緯を思い出そうとする。


  が、思い出すことはできない。


  しかし、こう意識があるということは別段悪い事ではないのかもしれないと推測した。


  だが、彼が手や身体を動かそうとしても全く動かない。


  仕方なくそのまま動かずにいると何処からか聞き覚えのある声が聞こえてきた。


  母親と祖母の声。


  それと知らない男の人の声だ。


  ここでパニックを起こしても仕方がないと感じ、彼は耳を澄ます事にした。


  「戒斗かいとに何があったっていうの?!まだこの子は10歳になったばかりじゃない!」


  祖母の声が聞こえる。


  「ええ、お母さん…この子は今日の夜中に心肺が停止したんです…」


  泣いている母親の声も聞こえる。


  彼は現実を受け入れる事ができなかった。


  何故?!どうして……。


  昨日の記憶が曖昧だった。


  なんだ?今日は何日だ?


  彼は少しパニックに陥った。


  しかし、身体を動かすこともできない彼は自分の今の気持ちを吐露する方法が無かった。


  その事が一番辛かった。


  「戒斗君は新種のガンかと思われます。新種のため、まだ薬ができていません。なので新薬開発の時間と入院時間を合わせて少なくとも5年は入院してもらう形になると思います」


  先生と思わしき人からの絶望的な発言。


  それは彼だけでなく彼の母親、祖母までを苦しめた。


  5年……?


  母親と祖母はなんとかならないのか話をしていたが、どうにもならないことを確認すると静かに座った。


  彼は10歳。


  この医者の話通りに事が進むとなると高校入学の頃に退院することになる。


  彼は感情的になっていたが表現の仕方がないため、頭の中で考えることしかできなかった。


 彼はいつしか涙を流していた。


 これから5年間、この植物状態に近い状態で生活する事が決まったのである。


 母親は彼の涙をそっと拭いた。


 その時戒斗の頭の中では「Crosslamina」の事などすっかり忘れていたのである……。

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