吹雪に現れる甲冑




 ◇◆◇




 ゴウゴウと吹雪ふぶきが氷の粒を叩き付けてくる。


 その冷たい圧力を押し返し、六人の冒険者が肩を寄せ合って雪原を進んでいた。


「――これで道は合っているのか、リック⁉」


「大丈夫だ! このまままっすぐ進めば、あと数時間で次のアンカーポイントにつくはずだ‼ まっすぐ進め‼」


 風の音に負けないように大声を張り上げて叫ぶ冒険者達。


「ヘファイストン! その先は雪庇せっぴだ! 右に迂回しろ‼」


「まっすぐじゃないのか⁉ ボルドー、目印をよこせ!」


「おうよッ‼」


 赤く光る石がポーンと投げられ、遠くに落ちた。視界がほとんどない中でも、その魔石の光ははっきりと視認できるほど輝いていた。


 ボルドーが投げたその赤い目印に向けて、先頭のヘファイストンが後ろの仲間を引っ張ってまた吹雪を進み始めた。


 雪山遭難寸前の彼らは、スターチェイサーのメンバーだ。


 四チーム十二人分隊構成で進んでいた彼らだったが、意地の悪い分離トラップ――泣いている金髪の少女がおり、助けに近づくと転送で飛ばされる――に引っ掛かり、その半数に当たる二チーム六人がこの雪原エリアに放り出された。


 運良くダンジョンのルートに詳しいシーフのリックが所属する〈チャーリーチーム〉と、地形を読む力があり、サバイバルの経験もあるドワーフ聖騎士のボルドーが所属する〈エコーチーム〉が飛ばされたため、なんとかこの絶望的な雪中行をここまで生きながらえた。


 次のアンカーポイントを超えれば、正規ルートに合流できるはず。シーフのリックはそう確信していた。


「――アデリーヌ! ミトラはどうした⁉」


 リックがふと、魔法使いミトラが近くにいないことに気が付き、後ろをついてきていた軽戦士のアデリーヌに声をかけた。


「――ええっ⁉ さっき私の後ろにいたけど……!」


「ここでーす! ここ、ここーッ‼」


 ホワイトアウトしかけている視界の奥から、ハーフエルフの魔法使いミトラがペースを上げて追いついてきた。胸には真っ白いふわっふわの羽毛を抱いている。


「はぁはぁ……フラミーあったかーい……!」


「ミトラが限界だよリック! 一回休憩しよう!」


 白い羽毛が喋った。バサバサと翼をはためかせている彼はフラミー。置いていかれかけたミトラにあえて付き添っていたようだ。


 この雪山に飛ばされたチームにフラミーが含まれていたのは、まさに幸運だった。彼はまだ身体が未成熟で弱いミトラの緊急熱源として大活躍していたのだ。


「全員、こっちへ来いトゥギャザー‼」


 先頭を行く狼獣人のヘファイストンの号令に、全員が彼の周りに集合する。


 ヘファイストンは司令官パラゴンというクラスにいており、彼の号令には仲間全員に効果が及ぶ〈シャウト〉という効果がある。


 ボルドー。ドワーフの聖騎士。癒やしの魔法が扱え、壁役としても優秀。ドワーフらしく山に詳しいタフガイ。


 アデリーヌ。女の軽戦士だが、甘く見てはいけない。彼女の死角から送る鋭い刃は確実に敵の急所を掻き切る。チャーリーチームの重要なアタッカーだ。


 リック。シーフで軽薄そうな男だが、腕は一流。ダンジョンのトラップ解除を一手に引き受け、ルートにも精通している。


 ミトラ。ハーフエルフの女で魔法使い。彼女が扱う魔法は強力な精霊術が主だが、光魔法も扱え、場面を問わず強力な火力を提供する。大物デカブツと戦うには彼女の力が必要だ。


 フラミー。白いふわっふわの毛玉に見えるが、侮ってはならない。秘めたる純粋な力でいうと、今いる六人の中で最も潜在能力が高い。成長性は抜群だ。彼はまだ、幼生なのだから。


 自分を含めて六人全員の無事を確認したヘファイストンは、髭を真っ白く凍り付かせたボルドーに向き直る。


「ボルドー、休憩する。風よけが必要だ。岩陰でも良いから探してくれ」


「ふーむ……そんな都合よく岩陰っつってもなぁ……おぉ?」


 ボルドーが声を裏返し、目を細めた。


 その視線を追ったヘファイストンもまた、目を細めた。


 彼らの凝視する先に、かすかにオレンジ色の光が見えている。


「あれは……火か? まさか、こんなところにアンカーポイントが? そんなの〈勇者の追憶〉の地図にはねーぞ」


 リックもまた目を細めて言った。


「まだ分からんが、あれはどう見ても……火だな。ヘファイストン、この吹雪で火が焚かれているなら、そこは風よけになるはずだ。あそこへ向かってくれ」


 ボルドーの言葉に、ヘファイストンが頷く。


「ミトラ、いけるか?」


 ヘファイストンが見ると、ミトラは後ろからアデリーヌに抱きしめられ、胸にフラミーを抱えたままコクリと頷いた。


「よし、行くぞ。お前達……気合いを入れろブレイス・ユアセルフ‼」


 ヘファイストンの号令によって、その場の全員の凍りかけた血流に熱が戻ってきた。沸き立ての熱湯が身体に注ぎ込まれたようだった。


 この雪山は頭上を分厚い雲に覆われているかのように常に薄暗く、視界が悪い。風も強く、ここまで一度たりとも吹雪が収まることはなかった。


 当然クレバスや雪庇せっぴなどの危険は、ほとんど視認できないのだが、そこはボルドーのガイドが効いていた。ドワーフである彼は、特に山の地形を読む能力に長けている。


 謎の光源まで、さほど距離はなかった。


 やがて白い視界に浮かび上がって見えてきたのは、ぽっかりと空いた洞窟の入り口と、その中から漏れる火影ほかげ


 息も絶え絶えに洞窟に飛び込む一行。


「――っはぁ! たすかっ――たあぁ⁉」


 斥候せっこうはリックの仕事だ。彼は、いの一番に洞窟に駆け込み、内部を警戒しようとして、そしてぽかんと口を開けることになった。


 彼の目の前には、半裸の美女が立っていた。


「え」


「え」


 想定外の事態に、唖然と見つめ合う二人。


「――ッ! きゃああああああああ! ちかぁああああああああああん‼ でぃいいいいいいいぜるさああああああああああああん‼」


「は、はああああああ⁉ いや、違う違うッ‼」


 大声を上げ始めた女に向かい、両手を振って否定するリック。しかし彼の視線はしっかりと美女の裸体に注がれていた。


 頭上には三角形の耳が突き出して、後ろには長い尻尾が揺れているのが見える。瞳も縦に割れており、獣人であることは間違いない。


 股間に薄衣一枚つけただけの彼女は、片腕を豊かな胸に押し付けて恥部を隠した状態だ。彼女の白い柔肌は、ほぼ全て焚き火のオレンジの明かりに晒されていた。


 一方で靴は履いており、腰に下げた剣、黒いネックレス、髪飾りなどもしっかりと着用しているというアンバランスさ。


 なによりも、胸の谷間のハートマークが、男には抗いがたい引力を放っていた。


 あまりに不自然な出立いでたちながらも、恐ろしく扇情せんじょう的な姿だった。


「――な、何事だッ⁉」


 残りのチームメンバーも続々と洞窟になだれ込んでくる。


「――え、誰?」


 当然、全員の視線が女獣人に集中する。


「――ちょ! ちょっとぉ! あんまりジロジロ見ないでくださいッ‼」


 その言葉に、はっとなって後ろを向いたのはボルドーとヘファイストン。一方のリックはまだ彼女の柔肌から視線を外せない。そんな彼の頭をぶん殴って後ろを向かせたのはアデリーヌ。


「こ、こんなところで、どうなされたのですか?」


 フラミーを抱えたまま、ミトラが聞いた。


 彼女は女獣人に気遣う眼差しを送りながらも、その瞳の奥に警戒心を隠していた。なにせ、つい先日この手のトラップに引っかかって、こんな雪山に飛ばされたばかりなのだ。アデリーヌも、いつでも腰の剣を抜ける体勢を崩していない。


「――え? えっ、とぉ……私、冒険者なんですけどぉ、ちょっとここに来るまでに色々とありましてぇ、最後は……こんな姿になっちゃいましたぁ……」


「はぁ……」


 女獣人は言いながら肩を落していった。それ困った風に見るミトラ。彼女に代わってアデリーヌが前に出る。


「私はアデリーヌ。あなたは?」


「……ショコラって言います」


「一人なの? 仲間は?」


「もう一人いるんですけどぉ……今ちょっと私の装備を取りに行ってくれていて、席を外してます。私がこんな感じで、動けなくて」


「そう……こんなところで装備を失うなんて、何があったかは知らないけど、災難だったわね」


 女性同士で進む会話の後ろで、男性陣がヒソヒソと会話していた。


「(おい、ヘファイストン! おかしすぎるぞ!)」


「(いや、さすがに会話が成り立つなら、彼女はトラップではないだろう)」


「(ここまで二人で到達したって事だぞ、そんなの嘘に決まってるだろ!)」


「(あの子、めっちゃ可愛い……)」


「(リック! ……あの女、どこかで見たことないか?)」


「(なんだと?)」


「(うーん、そう言われてみれば、どっかで……?)」


 それを背中に聞いていたアデリーヌが、嘆息混じりに続ける。


「――少しの間だけ、私達もここで休ませてもらえるかしら? もう半日吹雪を彷徨さまよっていて、限界だったのよ。あの男たちなら大丈夫だから、ああ見えてみんな身元はしっかりしたA級冒険者なの」


「それは、構いませんけどぉ……」


 ショコラはチラリと洞窟の奥を見やった。


 そんな二人のやり取りを眺めつつ、焚き火で暖を取るミトラ。その腕の中で、白いふわふわが身じろぎした。


 フラミーの視線は、先ほどからピクリともショコラから動いていない。彼女の胸に光る黒い輝きを眼光鋭く睨み付けている。


 それは一見して綺麗な黒い結晶。


 しかしその内部に吐き気をもよおす禍々しい気配が渦巻いているのを、フラミーは本能で感じ取っていたのだ。それは、彼のつかさどる力とは対極の力。


「……ミトラ。あのひと、なんか危ないよ」


「? どういう意味なのフラミー……」


 その時、おずおずとショコラが尋ねた。


「――ひょっとしてぇ、皆さんはスターチェイサーさんですか?」


「え? ええ、そうだけど……どうしてあなた、私達のことを――」


 ショコラに外套を渡そうと腕を伸ばしたアデリーヌが、ギョッと目を剥いた。


 差し出した自分の腕を、突然黒い手甲が掴んだからだ。


 氷よりも冷たい黒鉄くろがねの手。彼女がその先を視線で追うと、それはショコラの背後の闇黒くらやみから伸びてきていた。


「あ」


 誰のものとも知れない声が上がった。


 洞窟の奥。焚き火が作り出す淡い光の領域の外から、それは姿を現した。

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