ダンマス像

 左右に往復する振り子が、幾重いくえにも俺達の行く手を阻んでいた。


 ぶつかれば身体が粉々に砕け散ってしまいそうな、巨大な鉄球だ。


 機械室といった雰囲気の中、底が見えないほどの高さにかった手すりのない一本道。その両側から、通行者を奈落の底に叩き落とさんとして、凶悪な振り子がブンブンと通路をかすめている。


 悪意丸出しの振り子トラップ。


 ゴウンゴウンと唸りを上げて響く機械音が、この鉄塊の無慈悲さを強調しているようだった。


 ここは時計塔内部の振り子通路。振り子にぶつかって両脇に落とされれば一巻いっかんの終わり。


 そんな危険極まりない通路を、へらへらと歩くショコラの姿を見ていると、これから何が起こるのか予想できる。そしてそれは確実だ。


「おいショコラ――」


「大丈夫ですよぉ。もー、ディーゼルさんは心配性なんだな~~~!」


 俺が手甲を伸ばすと、彼女はひらりとその手を置き去りにし、ブゥンッ! と目の前を通り過ぎていった振り子のタイミングを狙って、ひょいっとそこを飛び越した。


 そのまま彼女はひらりひらり。身軽な動きでもって振り子をクリアしていく。


 ――本当に大丈夫そうだ。


「……それは分かったが、足元には気をつけろよ。油断すると足を取られるぞ」


「へーきへーきぃ!」


 俺の小言を無視して、ショコラは気負わずにどんどんと先へ進んでいく。


「こういう、運動能力を試す系のトラップは平気なんだな」


 少しだけショコラを見直しつつ、俺も続いた。


「こんなところにも通路があるんですね! ディーゼルさんが、もぞもぞと穴に潜り込み始めた時はどうしようかと思いました」


 ここは時計塔の裏。いったん塔の最上階から外に出て、危うい足場キャットウォークを下っていった先にある、叩けば崩れる穴が入り口。


 ちなみにすぐ近くにハズレの穴があり、そこに入ると歯車に押し潰されて死ぬ。


「俺はこの絆の深淵の最奥にいるモンスターで、このダンジョンを管理をしているとも言っただろう。抜け道にも精通しているに決まっている」


「はいはい。聞きましたよー。本来ダンジョンの管理はダンジョンマスターさんの仕事なのに、ディーゼルさんがそれを肩代わりしているっていう話でしたよねー」


 ショコラが痴呆気味の老人を相手にするような口調で相づちを打った。


「そうだ。だからこういう高難易度なショートカットルートも把握しているのだ」


「これが高難易度なんですかぁ? アスレチックみたいで楽しいのに~~~。ふふ~んっ!」


 クルクルとバレリーナのように回転しながら振り子をけ、得意げに鼻を鳴らすショコラ。


「ダンジョンマスターさんは、思いつきでダンジョンを広げては、その管理をディーゼルさんに押し付けて、自分はお部屋でポテチを食べてゴロゴロしている、不健康で、ずぼらな、めんどくさがり屋さんなんですよねー?」


「……そうだ。もうひとつ付け加えると、時々俺がそのことで文句を言うと、ヒステリーを起こしてやっぱりダンジョンを広げようとするのだ。どうしようもない」


 もうだいぶダンマスの愚痴をショコラに漏らしている。おかげで少し胸のつかえが取れたほどだ。


 信じていないにしても、内容を記憶している程度には真面目に俺の愚痴に耳を傾けてくれるショコラには、もう少し優しくしてやってもいいかと思い始めている。


「ふむふむ……ここまでのディーゼルさんの話をまとめるとぉ……」


 ショコラがピッと指を立てた。


「絆の深淵のダンジョンマスターさんはメンヘラで、考え方が幼稚。嫉妬深く、ずぼら。不健康の極みな生活を好む、究極のめんどくさがり。トラップの張り方が精神的やまいを思わせ、おまけにヒステリー持ち、と……」


 彼女が披露した総論に、ギリギリと兜を万力で締め付けられたかのような痛みが襲ってきた。


「――ズバリ、女性ですね?」


 キリッと目を光らせたショコラに、「ああ」としか言えない。


「そういうヒス女が上司だと、部下が鬱になる率凄いらしいですよ? ……なんというか、そんな人とダンジョンっていう閉鎖空間で千年以上も過ごすなんてぇ、無理筋じゃないですか?」


「無理筋も何も、実際に過ごしているんだが……」


「それともぉ、そんな人がディーゼルさんの理想の女性なんですか?」


「俺は幽鬼アブザードだと何度言えばわか――」


「ひょっとして……ディーゼルさんってMなんですか?」


 俺が立ち止まると、ショコラも釣られて立ち止まった。


 ブゥンと、振り子が俺と彼女の間を走り抜けた。


「――これまでの俺の様子を見て、本気でそう思っているのか?」


「いいえ、ディーゼルさんは真性のドSです」


 迫真の答えが返ってきた。経験者だからか、言葉に重みがある。


「あと、前から思ってたんですけどぉ」


 ショコラが言いながら、振り子をひとつ通り抜けた。


「ディーゼルさんがダンジョンマスターさんと喧嘩して、最奥から出てきて帰れなくなったっていう設定には穴がありますよ」


「どういう意味だ……」


 俺も振り子をひとつやり過ごし、呻いた。


「そもそも最奥にいたのなら、自殺すれば元のアンカーポイントに戻れたはずなんです。それなのに帰れないっていうの――」


 ガシャリ。


 ショコラの言葉の終わりを待たず、俺は膝を折っていた。


 そうだ……その通りだ……いち早く死ねば良かったのだ……。


 俺は最奥のモンスターとして、最奥で復活するようになっていた。


 うっかり挑戦者気分になって、一層目のともしびに登録してしまったから……。


 両手で兜を抱えた。ガチャガチャと音を立てて兜を掻きむしる。


「俺と……したことが……」


 痛恨の極み。


「……まぁまぁ! 誰でもミスはありますから。修正して次に臨みましょう!」


 ショコラが俺の後悔をどう捉えたのかは知らないが、彼女は機嫌良さそうに、くるりとその場で身体を回し、器用に次の振り子を跳び越そうとして――。


「――に゛ゃ!」


 足を掴まれた。


 通路の下から這い上がってきた狂人インセインにがっちりと足首を押さえられている。


 そして今のショコラは、振り子の軌道上だ。


 グイグイと引っ張っても無駄だ。あの狂人インセインの握力と体重は巨漢プロレスラー並み。そう設定されている。


「でぃ、ディーゼルさぁん……」


 涙目で眉をハの字にしたショコラが、か細い声で俺を呼んだ。


 ぷるぷると震えたまますがる視線をよこす彼女に、かぶりを振って見せる。


「言わんこっちゃない。足を取られると言っただろう」


 ショコラは振り子ふたつ分先だ。運悪く俺は膝を折っており、今から立ち上がって走っても間に合わない。


 無言のまま、胸の前で神の印を結んでやった。


 意味はR.I.P.(安らかに眠れ)。


「あ、足を取られるって! そういう意味ぱぅ――」


 その場で胡座をかいてタバコを取り出した。


 シュコーッと頬杖をつく。


 この先の扉は一人では開かない。ショコラの死体も奈落の底。回収不能だ。


 ブゥンブゥンという音と、やかましい機械音が鳴り響く中で、しばしの一服。


 タバコの味は苦かった。


「死ぬか……」


 吸いかけのタバコを奈落の底にピッと投げ込み、俺はその赤い光を追って投身自殺した。


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