紅芋貝
「あ、ありましたーっ!」
ショコラが、ぺかーっと頭上に掲げたのは
大きな木の
「宝箱の蓋の裏にスイッチとは、酷いですねぇ」
ここは森。清浄な空気漂う原生林。
その木々のひとつに、ぽっかりと空いた
中身は手袋だった。それなりに良いやつだ。しかしその第一の中身は引っかけで、本当のお宝はその宝箱の蓋の裏にあるスイッチを押すと、上から落ちてくる。
そうやってショコラが手に入れた指環は〈対毒の指環+〉。優秀な毒耐性のあるやつだ。この森を
「この先には、目に見えない神経ガスが漂う領域があって、その奥に大物がいる」
「なるほど。それでこの指環なんですね? ディーゼルさんは大丈夫なんですか?」
「ああ、俺は
「なるほどなるほど……既に毒耐性装備を持っていると」
そんなことを話しながら指環をはめた手を空に掲げ、にんまり満足そうなショコラ。もう言い返す気も起きなくなってきた俺。
「――で、ここの大物って、どんなボスなんですか?」
「……貝だ」
「貝、ですか……?」
「
「え、なんか美味しそう……」
ショコラが目を輝かせて口から少し涎を垂らした。
「身が紅芋のような色をしているのだが、その実、猛毒だ。食えるところがない。そして凄い速度で毒針の生えた触手を何本も伸ばしてきて、
「ですよねー、知ってました」
目の光を消してがっくり首を垂れたショコラ。しかしすぐに「まさか……」と呻きつつ顔を上げた。
「私にも、この指環をはめて手伝えと……?」
「いや、俺が単独でやる。お前はもうしばらく行って、神経ガスの領域に入った直後で待機していろ。毒霧の領域の中だと、他のモンスターが活動できないから、逆に安全だ」
「な、なーんだ。あははは……」
「紅芋貝の近くは特に毒霧が濃くてな、その指環でも対処できずに徐々に体力が削られていく。もっと上位の指環をつけるか、ガチガチに魔法でエンチャントしていかなくては、普通の冒険者では手も足も出ない。そんなところに、普通の冒険者以下のお前を連れていくわけないだろう」
「ははは、よかった~……?」
乾いた笑いを上げて複雑そうな表情を浮かべたショコラ。
実際のところ、俺は世間話がてら、紅芋貝に道を開けてもらうつもりだ。奴が塞いでいるルートはかなりのショートカットになる。
紅芋貝は話ができる奴だ。本来、こんな浅い層にいるには不自然なほど強く、それなりに上位のモンスターなのだが、ダンマスの気まぐれでここに配置されている。
曰く、綺麗な森に致死毒が漂っていて、さらに硬くてでっかい貝が通せんぼしていたらびっくりするかな? だそうだ。びっくりというか、ただただ、むかつくと思う。
結果、ベテラン冒険者には面倒くさがられて無視され、時々挑戦しに来る間抜けな冒険者を食べるだけ、という美味しいポジションを満喫している紅芋貝。羨ましい限りだ。
大ボスではないので、
しかし俺の愚痴くらいは聞いてくれるだろう。
少し話をして、周囲の毒を弱めてもらい、そして道を空けてもらうつもりだ。
しばらく鬱蒼とした森を歩いてから、立ち止まる。
「さて、ここら辺でいいだろう。二十分程度で戻るから――」
振り返ると、ガフっと血を吐いたショコラが。
彼女は血まみれになった自分の両手を愕然と見つめていた。
俺に向けて、恨めしそうに、震える手を伸ばしてくる。
「……なん、で……」
かすれた恨み節を漏らし、苦しそうにキツく眉間のしわを深めたショコラ。
「……でぃ……ぜる……ざ……」
俺に向けて伸ばした手で空気を
物言わぬショコラの死体を
「――あれ?」
ここはまだ指環で耐えられるはずなのに……毒霧が強化されている?
何かがあったのか?
まさか……。
まさか俺の帰還を妨害するために、ダンジョンの防衛態勢レベルを上げたのか⁉
ひでぇ! そこまでするか普通⁉
ダンマスの、あんちきしょうめ……絶対に最奥に
俺は怒りにまかせてタバコを口に突っ込んだ。
ショコラの死体を担ぎ、肩を怒らせてズンズンと毒霧の中を進む。
すると目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。
「なにぃ……」
紅芋貝が死んでいる。
奴の貝殻は分厚く硬い。基本的にまともに戦う相手ではないのだ。
故に、ほとんどの冒険者は紅芋貝を回避する。
にもかかわらず、その貝殻ごと綺麗に切られている。
しかも、この森に潜む三匹全部だ。
「――おい、何があった」
まだ息が残っていた紅芋貝に歩み寄ると、ピクピクと痙攣しながらも、俺の接近に気が付いて蓋をパカパカした。
「はっ……でぃ、ディーゼル、さま……ゆ……ゆ……ゆぅ」
そう言い残し、紅芋貝は息絶えた。
パカリと巨大な貝殻が開いた。見た目はアサリそっくりだ。しかし中身は紅芋のマッシュポテトみたいな色をしていた。
……まぁ、数日後には自然復活するが、ちょっと驚きだ。
どういうことだ?
紅芋貝を正面から撃破できる冒険者くらい、ざらにいる。覚悟を決めたA級冒険者以上なら正面から渡り合えるはずだが、そもそも、それくらいのベテランになると、こんな面倒臭い紅芋貝は無視するはずだ。
あるいは、この先にショートカットが存在することを知る、超ベテラン……。
よほどこの絆の深淵に入り浸っていなければ、そんな
そして、そんな冒険者はここ数十年見ていない。
空っぽの喉を鳴らし、立ち上がる。
俺の知らない間に、ダンジョンに何かが起こっているのか?
――とにかく、もうショコラは死んでいるから、このまま死体を運んで先のアンカーポイントに急ぐとしよう。
黙々と思考を巡らせながら、モクモクとタバコを吹かし、森を歩いた。
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