幽鬼のホームカミング 〜苦労性のラスボスはついにダンジョンを追い出されたけど絶対に帰宅してみせる〜

赤だしお味噌

ダンジョンの入り口から帰宅する幽鬼

早く帰らないと

「ん゛にゃああぁぁぁぁ……」


 そんな悲鳴が背後で落ちていった。


「あぁ……まじか……」


 振り返ると、俺の後ろにいたはずの猫耳の冒険者が消えていた。


 死んだんだろう。


 その瞬間は見ていなかったが、多分、墜落ついらく死だ。


 俺の見ていないところで足を踏み外したか、落石に巻き込まれたか……あるいは、壁から飛び出した槍で突き飛ばされたか?


 可哀想だが、まぁ、仕方がない。


 どうせ俺も、もうすぐ落ちて死ぬ。


 ここはヒューヒューと寒風かんぷう吹き付ける、切り立った崖の道。


 落ちれば間違いなく死ぬ。それは俺とて同じ事。


 何人なんびとたりとも迷宮のおきてには逆らえない。


 遠くに見えるのは雪をかぶった険しい山脈。絶景だ。


 この光景だけを見て、まさかここが穴の中だとは誰も思うまい。


 ここは幽世かくりよの迷宮――“あの世”と“この世”の狭間はざまに根を張るダンジョン。


 この崖道ルートは足場が悪く、トラップまみれ。


 だが突破できたはずだ。


 なぜならトラップの場所も、タイミングも、俺には分かっている。全部知っているのだ。あの女冒険者にも伝えていたはずだ。


 それなのにあいつ……。


 あれだけ口酸っぱく言ったのに、あっさりしくじりやがって……。


 土台どだい無理な話だったんだよ……A級冒険者ですら途中で泣きべそかいて諦める、この超難易度ダンジョンを、E級冒険者が攻略するなんて。


 ガラガラ……と崖道が振動し始めた。


 このルートの攻略には最低でも二人は必要だ。


 そう、俺一人では駄目。一人ではどう頑張っても突破できない。


 目と鼻の先、崖道の上に小さな横穴がある。そこに滑り込まなければ。そのために一人を踏み台にして、もう一人が穴に上り、そして後続を上から引き上げる。それがセオリーな突破方法。


 一人じゃあ、もう……どうしようもない。


 今から引き返しても間に合わない。


 あの女冒険者が死んだとき、俺の命運も尽きたのだ。


 ほら、向こうからどんどんと崖道が崩れてくる。


 また死に戻りか……。


 ゴソゴソと、道具袋をあさる。


 目当ての物を見つけて取り出した。


 それは一本のタバコ。


 兜の隙間にそれを突っ込んでパチンッ、パチンッと指先を弾けば、飛び散った火花がすぐにその先端を焼いた。


 大きく吸い込んで煙を甲冑の中に送り込み、タバコを赤々と燃やす。


 ――あいつ、また服が一枚なくなってギャーギャー文句を言うな。


 次は下着だけになるんじゃないだろうか。


 そろそろ、このゾンビアタックも打ち止めか……。


 早く帰らないと……。


 早く帰らないと、ダンマスを世話する人、いないのに……っ!


 あの人は自分の部屋がゴミ屋敷になると、今度は俺の部屋に引っ越してきて、堂々とよごし始めるんだよ。


 ……俺は、自分の部屋に、他人が入り込むのが、嫌いなんだ‼


 整理整頓の行き届いた俺の部屋が、めちゃくちゃにされていくのを想像するだけで、あるはずもない胃がキューキューと締め付けられる。


 順不同に並び替えられる本。


 失われるボードゲームのこま


 何度片付けても、部屋中にまき散らされる着替えの数々。そもそも、なんで俺の部屋にダンマスの服が?


 知らず知らずのうちに位置が入れ替わっている塩と砂糖の位置。混ざっていることさえ。


 ちょっと寒いとかいう理由で引っ張り出される、せっかく圧縮して収納しておいたはずの羽毛布団。結局、寝てる間にいでるし。


 あぁ……やめてくれ……俺のベッドの上でポテトチップを食べるんじゃない。


 食べカスとか、あんたの手垢てあかとかで、なかなか取れない匂いと油汚れが、清潔なベッドシーツに染みついてしまう……!


 ――っていうかあんた、昨日ちゃんと風呂入ったのかよ⁉


 ぐわぁぁ……俺の真っ白でつやつやなベッドが汚濁おだくに沈んでいく……ッ!


 早く。


 早くダンジョンの“最奥さいおう”に帰らないと……。


 俺の部屋が……。


 俺の部屋が汚部屋おべやになってしまうッ‼


「ふぅ――」


 鎧の底から湧き上がる焦燥感を、タバコの煙に巻き込んで吹き出した。


 白い煙の向こうに寒々さむざむかすむ遠景に向かって、ポツリ。


「タバコ吸いになんて、外に出るんじゃなかっ――――」


 俺の諦観ていかんめいた呟きは、崖道の崩落に巻き込まれてかき消された。


 浮遊感。


 暗転する視界。


 三九回目の全滅。


 俺はまだ、帰宅の道筋すら見い出せていない。

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