料理

Chiara Wednesday

第1話

 暴力的な日差しと暑さの中、僕は喉の乾きを潤すため、ペットボトルに残ったお茶を思いっきり飲み干す。

 ふと視線を落とした先、腕時計の針は十二時を指している。連日続く猛暑で時間の流れすらゆっくりに感じる中で、僕と先輩は汗を流しながら、横断歩道の前で信号機を見つめていた。


 僕の名前は山田幸一、都内で働く、ごく普通のサラリーマンだ。歳は二十三。地元の大学を卒業した後に上京し、今は都内の某商社で働いている。


「腹ァ減ったな」

「ですね、岡崎さん」


 岡崎さんは僕の三歳年上の先輩だ。既婚者で、薬指につけた結婚指輪が反射する光が、時折僕の顔を掠めていく。


 少ない昼休憩の合間を縫って、僕と岡崎さんの二人で昼食を食べるのが日課となっていたが、最近どうも飽きが来ている。

 というより、この生活自体に飽きている、と言った方がいいだろう。日々同じことを繰り返す、代わり映えのない日常に嫌気が差していたのだ。


「岡崎さん、今日はたまに違う所行きませんか?最近天丼とカツ丼のローテーションじゃないですか、飽きませんか?」

「俺は飽きねえぞ」

「僕は飽きました」


 岡崎さんは困ったような表情を見せた。


「じゃあしょうがねえな。たまには違うところにでも行ってみるか」


 横断歩道を渡り終えた後は、普段ならば真っ直ぐ駅前の方へ向かうのだが、今日は見慣れない細い路地を歩いていった。


「山田、お前食えないものとかあるか?」

「特にないです」

「まあ食えなくても無理矢理食わせるけど。なんてな」


 世間ではパワハラに当たるような会話も、僕と岡崎さんの間柄では日常茶飯事となっていた。




「着いたぞ、ここだ」


 僕達が歩いてきた先にあったのは、まるで普通の民家のような建物だった。

 のれんも、看板も出していない、ただ至る所の劣化が目につくだけの家だ。とても飲食店とは思えない。


 僕が躊躇していると岡崎さんは建物の引き戸を開け、建物の中を覗いた。


「大将、やってる?」

「あいよ、らっしゃい」


 どうやら店であることには間違いないようだ。


 店の中は思っていたよりも飲食店のそれだった。カウンター席が六席、四人分の席があるテーブル席が二つ程、あまり大きな店ではないらしい。湯気が立ち込める厨房には初老の男性が立っている。恐らく、この店長らしき人物が切り盛りしている定食屋か何かなのだろう。


 僕らはカウンター席に座り、一息ついた。


「大将、いつものアレ、お願いします」

「はいよ、████████ね。お客さんも好きだね」


 突然、聞きなれない単語が耳に入る。

 いや、単語と言うべきなのか、それは明らかに日本語ではない、そもそも人が発音できて、理解出来る、言葉ですら無かったような気がする。


 岡崎さんは今何を注文したんだ?


「岡崎さん、今のは?」

「ん?████████か?ここの結構うまいんだよ、お前も食うか?」


 やはり聞き取れない。だが、岡崎さんはハッキリと発音した。それは言語であり、さらに言えば何かしらの食べ物であることは間違いないだろう。


「いえ、僕は他のを」


 物は試し、と言うが、僕はそれが一体何か分からないまま待たされて、それを食するというのが恐怖でしか無かった。いや、そもそも食べるものなのかですらも危うい。


「何言ってんだ、ここは████████で有名なんだぞ?食わなきゃ損するぜ?」


 有名、と言うからには恐らく一定数の人間には認知されてる食べ物なのだろう。だが、それが口へ運べる理由になるかと言われればそんなことは無い。


「結構です、岡崎さんとは違うものを食べたい、今日はそういう気分なんです」

「そうか。ほれ、メニューだ」


 そう言うと岡崎さんは僕にラミネートされたメニュー表を渡してくれた。


 しかし、メニューに一度目を通すと、僕の頭の中は再び混乱してしまった。


 品数は老舗らしく、味で勝負、四~五品といったところだろう。しかし、名前が読めないのだ。『お品書き』と書かれた部分は読めるが、肝心の料理に当たる部分が初めて見るような文字で書かれていた。いや、文字と言っていいのだろうか、漢字やアルファベットのように曲線や直線で構成されているものの、まるで絵とも形容できるような文字ばかりだった。

 冷房は確かに効いているはずなのだが、どうしても汗が止まらない。


「やっぱり、岡崎さんと同じものが食いたいっす」

「心変わりが早いな。そうすりゃ、大将!████████もう一つお願いします!」

「はいよ」


 何かおかしい。

 直感的にそう感じた。

 何が、とは具体的に言えない。僕がおかしいのかもしれないし、この店がおかしいのかもしれない。もしかしたら岡崎さんが店ぐるみで僕をドッキリに引っ掛けようとしてる、という可能性も捨てきれないわけであって、何がおかしいのか、それを断定することが出来なかった。


「岡崎さん、その、ソレって、どういう料理なんですか?そもそも、どこの料理なんすか」

「なんでも元々は████の家庭料理らしいぜ、████とかいうの使った████でさ、学校の給食で食ったことないか?████████風の████████、みたいな感じでさ」


 岡崎さんの口からは決壊したダムのように次々と聞き取れない単語が発せられる。


「ええと、訳がわからないです、料理、で間違いないんですか?」

「失礼だな、大将の前で。料理は料理だよ」

「味は、味はどういう感じなんですか?」

「████に似てるかな?」

「違うんです、もっと大雑把に例えてくれますか?甘い、とか、辛い、とかで」

「そんなこと言われてもなあ。まあ一言で表すなら、しょっぱい、かな」


 しょっぱい、という味覚情報からは、ラーメンやカレーといった、普段食べるような、至極まともな料理を連想させた。


「今日のお前、どうしたんだ?何か変だぞ?疲れてんのか?」

「ち、違います」


 いや、もしかしたら本当に疲れてるかもしれない。よく、疲れやストレスが原因で言語障害を引き起こす、というのを聞いた事があるが、もし僕がそうだとしても、会話や文字をこんな部分的に認識出来なくなることなどあるのだろうか?


「お待ちどうさん、████████二つ」


 料理が出来上がったらしく、大将は僕達の前に皿を置いた。


「え?なんすか、これ」


 それは、何にも形容しがたいものだった。


 ごく一般的な大皿の上に乗ってはいるのだが、見た事のないような色をしていた。料理では普段見ないような色、という訳では無い。この地球上には存在し得ない色、とは言い過ぎかもしれないが、赤や青、といった既存の色では言い表すことができない色をしていた。


 辛うじて軟体生物の触手らしきものが入っていることは認識できるのだが、それ以外は例えようのない食材ばかりだった。煮たり焼いたりして原型を留めていない、という次元ではない。それは明らかに生物や植物の造形ではないのだ。


 立ち込める湯気から香る匂いだけはとても美味しそうなのだが、肉や魚、香辛料の匂いとも違う、これもまた表現のしようがないものだった。人によってはお香や花の匂い、とも形容するだろう、この謎の匂いは僕の不安をより煽った。


 総じて言うならば、その料理は「人間には認識できない何か」だ。


 大将は、続けて僕らに何かを渡してきた。それは何かの器具にも見える。我々の知っているもので例えるならフォークが一番近いだろうが、よく分からない機構が取り付けられており、とても食器とは思えない。


「珍しいだろ?大将の████████、自家製の████入れてるらしいぜ。普通入れねえよなぁ」

「そういうことじゃないです」


 明らかに岡崎さんはこれをしっかり料理だと認識している。ごく一般的な脳みそなら、これを一目見て料理だと認識することは不可能だ。


「岡崎さん、あまりレシピを口外してはいけませんよ?」

「へへ、すいません大将。あ、お冷も二つお願いします」

「はいよ、カァーサン!お冷二人分頼む!」

「はーい」


 すると、厨房の奥から禍々しい形をしたエレキギターと小さなアンプを持った中年の女性が現れた。

 女性はテーブル席の椅子に座ると、慣れた手つきでアンプをコンセントに繋ぎ、ギターを繋ぎ、チューニングを始める。


「あれ、何してるんですか?」

「シッ、あまり大きな声だすな」


 女性はチューニングを終えると、僕達に一礼した。


「吟じます」


 そう言うと、女性は「ハァー!」という掛け声と共に大音量でギターをかき鳴らしはじめた。往年のヘヴィメタルよろしく、重くて邪悪なリフだ。


「な、何ですか!一体これは!」


 困惑する僕を他所目に岡崎さんは器具を手に取り「いただきます」と呟き、その器具の先を料理に突き刺した。


「おいおいどうした山田。早く食わねえと冷めちまうぞ」


 岡崎さんは器具で突き刺した料理の一部を頬張り、数秒間咀嚼し、飲み込んだ。


「お!美味い!大将、さすがっすわぁ、ゲボッ」

「岡崎さん!?」


 岡崎さんは突然、かなりの量の血を吐き出し、椅子から転げ落ち、苦しそうに少しばかり痙攣したあと、岡崎さんは白目を向きながら動かなくなってしまった。


 その様子を見て大将が口を開いた。


「気に入ってもらえて何よりだよ」

「どこをどう見たら気に入ってるように見えるんですか!早く救急車を!」

「おい山田、そんなに慌ててどうしたんだ?」

「え」


 厨房の奥から出てきたのは岡崎さんだった。

 紛れもなく、寸分違わず、岡崎さんだ。


「岡崎さん?いやいや、岡崎さんはここに」


 そうだ、血の混じった泡を吹いて死んでいる岡崎さんが真横で倒れているのだ。


 この世に同じ人間が二人と存在するはずがない。


「何がおかしいんだ?やっぱお前疲れてんじゃねえの?」


 もう一人の『岡崎さん』はキョトンとしていた。


「そんなわけないじゃないですか!一体どういうことか説明してくださいよ」

「「どうしたんですか、冷めないうちに早く召し上がってくださいよ」」


 大将の声は、後方左右から同時に聞こえた。

 すぐに後ろを振り向くが、二人の何者かが僕の腕を掴んだ。


 厨房にいた大将と瓜二つの人間が二人、僕の後ろに気付かれず立っていたのだ。

 二人の『大将』はそのまま僕の肩を押さえ込んだおかげで、僕は全く身動きが取れなくなってしまった。


 もう一人の『岡崎さん』は厨房を出て、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


「どうして、どうしてこんなことをするんですか!?」

「どうしてって、山田、お前腹減ってんだろ?早く食えよ」


 『岡崎さん』に頭を押さえつけられ、僕の顔は料理に近づけられた。


「やめてください!こんなことして何になるんですか!」

「いいから食えって言ってんだよ山田ァ!」


 僕は必死に抵抗するが、力では『岡崎さん』に劣る。段々と激しさを増すリフをバックに、料理が徐々に、また徐々に、眼前へ近づいていく。


「嫌だ!嫌だ嫌だ!誰か助けて!!」


 そして、抵抗虚しく、まるでパイ投げのように、僕の顔面は料理へめり込んだ。









「いやー、腹一杯だ」


 先に店を出たのは岡崎さんだ。


「めちゃくちゃ美味かったですね」


 続けて僕も、同じく店を出ていく。


「隠れた穴場、っていうところかな。あまり人に教えるなよ?これ以上人気になっちまえば大将も手が回らなくなっちまうからよ」

「ええもちろん。僕らだけの秘密、ですね」

「なんだよ、キモイこと言うなよ。早く会社戻るぞ」

「はい!」


 僕らは笑いながら会社へ戻った。


 こんな日常が続けばいい。


 小さな幸せを噛み締めながら、大きな幸せのために働く、こんな、どうしようもない当たり前の日常さえ続けば、それでいいのだ。












「岡崎さん、また████████食べに行きましょうね」

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