第8話 キリストの身代わり

キリストの身代わり

    三崎伸太郎 04・03・2021


城壁から、遠くないところに「ゴルゴタの丘」と呼ばれている場所があった。キリストは、この場所に十字架の刑を受けた。「父よ、彼らをお許し下さい。自分が何をしているのか分らないのです」と、血の気のうせた弱々しい端正な顔を持つ青年の口から言葉が漏れた。

「人類の敵」「うそつき!「ペテン師!」「きちがい」「女たらし」「国の恥」など、ありとあらゆる暴言が処刑見物に来ていた地元民から浴びせられた。処刑執行人達は、見せしめとした十字架の上の青年を、哀れと思うこともなく、民衆を見渡すと「反逆者は、処刑された!」と、声高々に述べた。声は城壁にこだまし、乾いた草原の上を谷の方に流れて行った。カラスが数羽城壁の上にとまっている。

キリストは釘付けされた足や手の痛みがしびれに代わり、自分の身体が少しずつ崩れて行くことを感じていた。

(私は、神のご意志のままに・・・人に、人としての真の道を説いてきた。神は私を見捨てられることはない)と、青年は思っていた。しかし、何時になっても彼に神の手はさし述べられなかった。

やがて、キリストの十字架の先に止まったカラスがイバラの冠で切り裂かれた頭のキズをクチバシで突いた。痛みが走った。彼は、思わず頭を動かした。カラスは羽音を立てて飛び去った。その風が朦朧とした意識の中で彼の頬を撫でた。

キリストは、薄く目を開けた。既に見物人の姿はない。城壁内に戻ったようだ。槍を持った下級兵士が岩場の影で二人ほどいた。

「アンタは、妖術を使うそうじゃあねえか。俺を助けてくれ」隣で、磔の刑になっている男がうなるようにイエスに言葉を投げた。

「止せ、イエスは罪人ではない。おめえは、自分の罪をしれ」他の磔から、声が聞こえた。イエスは、自分の立場を思い出した。(だれだ、私を信じている人間は・・・)少し頭を向けて声の方を見上げた。少しへこみのある場所に手足を縛られて十字架に掛けられている男だった。釘は打たれていない。その分、十字架の上で長く苦しむ処罰である。

「あなたが、神なら・・・」と、男は言い「私をお許し下さい」と続けた。

「あなたは、私とともに行ける」と、イエスはつぶやいた。

夕刻近く、弟子のヨハネがイエスの母親のマリアを伴って、ゴルゴダの丘に来た。マリアは変わり果てた息子のすがたに十字架を抱いて泣き崩れた。

「かあさん・・・泣かないで下さい。親孝行が出来ず、すみません」と、イエスは言うとヨハネに「私に代わり、私の母の息子となり、彼女に孝行をして欲しいと」と頼んだ。

ヨハネは、十字架の上から聞こえるキリストの言葉を、全身で受けた。

「主よ、私は全身全霊をかけて、あなたの母親に孝行いたします」と、手を合わせて誓った。

「ありがとう・・・母よ、ヨハネは私の代わりにあなたの息子として尽くしてくれます」

マリアは、言葉にならない嘆きで十字架を抱きかかえて泣き叫んだ。涙が十字架を滴り落ちた。兵士が脇に来て、荒々しくマリアを十字架から放した。

ゴルゴダの丘に最後の陽の光が長い影を作っていた。城壁の影だろうか。影が辺りを薄暗くしている。赤い血の様な夕陽が、荒野の端に見えている。

兵士が城壁の門に向けて歩き始めた。彼達が城壁の中に姿を消すと、ゴルゴダの丘には静寂が訪れた。磔の上の受刑者は、意識を失い磔の苦痛さえも感じないほどだったが肉体は時々あがいて苦痛の呻り声を上げた。

夜が来ると、狼や野犬が群がり始めた。夜空は、惨酷で無慈悲な刑場のうえに、美しい星空を見せている。

イエスは、磔にされた男達の唸り声を耳にしながら、無力な自分を感じていた。荒野で聞いた聖霊の言葉が脳裏に飛び跳ねる。

(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか)キリストは思わず神に頼っていた。しかし、意識は朦朧としており言葉が口から出てこない。

「おい、キリスト。生きてるか?しっかりしろ」誰かの声が十字架の下から聞こえた。

「ああ、神様。罪ある人たちをお許し下さい」

「ばか、何を言っているんだ。今、助けてやる」

数人の男達がキリストの背後に梯子(はしご)をかけた。男達は、キリストの脇の下から身体に麻のロープを巻きつけると、一端を十字架に縛り付けた。

「親分、これでよいですか?」

親分と呼ばれた男は「よし・・・」と短く言葉を出し、キリストの足と手に打たれた釘に酒をかけた。

「ひでェことしやがる・・・」と彼は言い、腰に下げていた道具で釘をつかむと引き抜いた。キリストの口から呻り声があがった。

「辛抱しろ」

「神様・・・」

「何を言っているんだ。神も糞もあるか。命を無駄にしやがって」

キリストは、この言葉に聞き覚えがあった。彼は目を開けた。近くに父

ヨセフの顔があった。

「おとうさん・・・」

「・・・・・・」男は返事をしなかった。すべての釘を抜き終わると、彼は手下に「よし、降ろせ」と言った。

梯子の上でイエスを支えていた手下二人が少しづつイエスを十字架から降ろし始めた。ヨセフは我が子を両手で受け止めた。

「軽いな」ヨセフは言った。やせ細り、衰弱した息子キリストは空気のように軽かった。彼はキリストを抱きかかえて運び麻で出来た布の上に横たえた。

釘を抜いて血が出ている足と手を再び酒で洗浄すると、布で括(くく)った。

「よし、次はこの死体を十字架に縛り付けろ」彼は手下とともに、運んできていた死体の男性をキリストのように十字架にかけ、手足を十字架の柱に釘で打ちつけた。荊(いばら)の冠を、被せると良く似ている。

「まあまあの出来だ・・・野郎ども、キリストを運び出すぞ」と、ヨセフは手下に声をかけた。

麻の布に寝かされたキリストを、四人の男がゴルゴダの丘から盗賊の洞窟(墓)に運びこんだのは夜の八時ごろだった。

ヨセフは、変わり果てた息子を洞窟で再び手早く治療すると、手下にロバを用意させた。

「出来るだけ、ここを離れる」彼達は、キリストをロバに乗せ、他のロバには盗品を括りつけると歩き始めた。

意識が戻って来たキリストは、大工だと思っていた父親のヨセフが盗賊の首領だったことに気づいた。

「とうさん。泥棒はよくない・・・」キリストは、ロバの背に揺られながらつぶやくように言った。

ロバの綱を握って歩いていたヨセフは「馬鹿者。為政者や金持のものだ。人々に配り与えるのさ。それよりも、命を無駄にするなと、なんども言っただろう。羊飼いの仕事もろくにせず、神だとか主だとか、人間の正しい生き方などと説法して歩くのは許せても、命を無駄にして母を悲しませるのは罪だぞ」ヨセフはギロリとキリストを睨んだ。

キリストは無言でロバの背にしがみついていた。ロバの皮膚の暖かさが手に伝わってくる。(いきている。いきている)と、彼は心で繰り返していた。


了 05・31・2021*題名を四月に書いていたが今日、二時間で書き終えた。



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