第2話 ポロポロ橋の魔撃銃声

 ソワレ157年のこと、ニンポー国は、ズルワンデフ国がかのエグイニ国・メルルンケル国・エフェルタル国・アマニルク国・ニンポー国との戦いに敗れた後、ニンポー国はこのエリアの治安の維持と安定、経済発展を守る条件として、オロオロ川の対岸で、ポロポロ橋を渡った場所から、東のママン国の国境までの間の山や野原などで軍の駐留と軍事演習を行う権利をキータ・ノアイノアイ国と結んでいました。

 一寸もう少し時代をさかのぼって説明すると、ママン国ができた切っ掛けは、キータ・ノアイノアイ国のウェン・ウェン・セイは、ニンポー国の支援を受けてママン地方の実質的な支配者として君臨していた、マンリョウプンの子供で後継者のマンガクプンと手を結んで、ニンポー国と商売をするママン地方のママン人・ノアイノアイ人商人や交流のあったママン人を虐め出したのです。虐めと言っても、【人殺し・店の破壊・税金以外のみかじめ料・恐喝】などでまるでゴロツキのやることと同じです。ママン国の多くの人が、こういった非道行為に恐れて、ニンポー国の商人たちと手を切り出しました。

 これは、このエリアでの治安と経済に対する破壊行為と同じで、ニンポー国は【自衛】のために【宣戦布告】をしてたたきのめしても良かったのですが、ニンポー国は、協調と融和を大事にしていたので、行わなかったのです。

 それを良いことに彼等の行為はエスカレートしていきました。

 その中心は、【バラク国】の配下の【ユーブラー主義】の一団と、キータ・ノアイノアイ国のウェン・ウェン・セイの私設部隊の【青い服の人達団】や【KcKcKc団】という【慈善団体】を装った【抗ニンポー団体】で、より過激に、とうとうニンポー国が運営している鉄道の【ママン鉄道】の線路の爆破や【ニンポー鉄道警察官】に対して【暴力を振るって殺してしまう】まで行うようになったのです。

 地元に派遣されていたニンポー国の将校の一部は、この事を憂いてニンポー国政府になんどもなんども嘆願書を提出したのですが、【キータ・ノアイノアイ国】の反応を恐れて、【協調と融和】を建前に断乎とした行動に出ようとしなかったのです。

 とうとうある日、このエリアに在留の僅かな部隊の人達が、ニンポー国政府の無策に起こって、無断でこのママン地方に攻め入ったのです。

 ビックリしたのは、マンガクプンです。マンガクプンはニンポー国の部隊の何百倍の軍勢を持っていましたが、戦ってはニンポー国には全く適いません。

 ですので、オロオロ側対岸の西に逃げこみました。多くの兵士達も大将が逃げ出したので、我もわれもと先を争って逃げ出しました。

 ママン地方の南にはニンポー国の先のズルワンデフ国との戦争に勝った後新たに国として統合された場所で、そこにはニワトーリノド地方と呼ばれており、サラニキタナイ人が住んでいましたが、彼らも又ニンポー国民に温かく迎えられました。

 そのニワトーリノド地方には割りと大きなニンポー国の部隊があり、ママンエリアへ攻め込んだ極一部の部隊が次次と各地を占拠していった後、この大きな部隊のセンチャン将軍の副官がママンエリアに後を追って各地の占領を確保しだしたのです。

 ビックリしたのは、センチャン将軍で、その日の日記には、【駄目だ、俺の出世もここまでだ。ニンポー国の軍法で死刑になるどうしよう...】などと書かれていたようです。

 しかし、彼はその後【越境将軍】などと持ち上げられて、後にニンポー国の宰相までなります。

 当時のニンポー国のテンニチ王ことマコトニ王は激怒されて、当時の宰相のターカンギ宰相を対応できなかった責任を取らせられて辞めさせてしまわれたのです。

 その後、ママン地方は、日本軍が占領し続けて、滅亡したズルワンデフ国の生き残りの王族のヒキョウレツという人物をママン地方の代表統括という訳の判らない統治官に仕立て上げて、形だけのエリア支配の軍長にしました。

 実質的には、ニンポー国の一部の軍人達が実効支配していました。その代表として有名なのが、ワラワンジ中佐です。この人物は、誰も言ってないのに自分のことを天才軍略家】などと呼んでいました。

 そのニンポー国の一部の軍人達の暴挙に、世界中の国が批判殺到を行ったのですが、そもそもの原因は、キータ・ノアイノアイ国とマンガクプンの卑劣な行為であったことは間違いありません。

 余りに、世界中から批判が行われたことで、ニンポー国はかえって意固地になってママン地方をとうとう国として【承認】したのです。

 これに恐怖を抱いたのは、キータ・ノアイノアイ国のウェン・ウェン・セイだけではなく、ママン国に接するバルク国のヒビゲンからカバチョットは、恐怖の余り、便所から1週間も出られない有様でした。

 しかし、魔法使いのヒビゲンは流石に冷酷なだけではなく、冷静で逆転の次に打つ手をおもいつき、補足微笑むと便所のドアを蹴破って、部下のヒゲチョビンを呼びました。

 そしてつぎのように叫びました。

「西のポルラン国に外交団を送れ! 10年間の不可侵条約を結べ!」

「西のドドンコン国にも送れ、5年の軍事協定を結べ!」

「キータ・ノアイノアイ国のシュシュンカン(ユーブラー主義者)に命じろ! 何としてもウェン・ウェン・セイとシュンシュンカンの合意をして、抗ニンポー運動から、抗ニンポー戦争へ向かわせろ! マンガクプンに仲立ちをさせろ!」

 そして最後に、「アマニルク国でニンポー国の印象が悪くなるような宣伝を行うようにスパイどもに命じろ!」

 余にいう、カバチョットの5つの極秘命令といわれています。あれ一つ足りませんね。

 ヒゲチョビンは直ちに外交使節団を書く国へつかわして交渉をまとめ、キータ・ノアイノアイ国に密かに入って、シュンシュンカンに作戦と方法を伝えました。先ずマンガクプンは馬鹿なので、その秘書にシュンシュンカンの手先を送りこみ、先ずは利益でバルク国とよしみを通じることと、ウェン・ウェン・セイを騙して監禁して、脅して、バルク国と中よくなること、そしてシュンシュンカンと手を結ぶように、と打ち合わせをしました。

 そして、当時ウェン・ウェン・セイはユーブラー主義を嫌っていて、国内で弾圧・殺害していたのですが、シュンシュンカンとマンガクプンの計略にひっかかって、【西の果てのところ】で監禁され、命の保証に【抗ニンポー戦争】を承諾されてしまったのです。有名な【西くだもの事件】で、なぜ果物なのか判っていません。当時リンゴを囓っていたウェン・ウェン・セイが逃げる際、リンゴに入れ歯が取られて、無くしてしまったからともいわれています。まぁ、うわさですが。

 その時に出来たのが【抗ニンポー統一戦線】とよばれるもので、秘密の後ろ盾をバルク国にし、ウェン・ウェン・セイとユーブラー主義シュンシュンカン、マンガクプンの軍団での対ニンポー戦争の【協定】です。


 実際の所、当時、ウェン・ウェン・セイは、ニンポー国の軍事の先生でもあったドドンコン国から軍事顧問団を大枚払って雇い入れ、キータ・ノアイノアイ国の軍備を整えていたのですが、ニンポー国の実力には未だ程遠く、とても戦争など出来る状態ではなかったのは確かです。ただ、ニンポー国との戦争は、準備中で各地で攻められた場合の要塞化と徴兵を行い、兵士の数を大幅に増やして、訓練をしている最中でした。

 ただ、準備が整わない状態で【抗ニンポー戦争】など実行するつもりはサラサラなかったので、渋っていました。

 ヒゲチョビンは、帰国後なんの動きもないことに業を煮やし、留学者の一人のユーブラー主義のノアイノアイ人をシュンシュンカンに送りました。彼の名は、【シャシャマンセイ】です。


 そんな中、オロオロ側対岸で、例の【事件】が起こったのです。

 ニンポー国の軍隊が、ポロポロ橋から北西2kmの地点で深夜の軍事訓練を行っていました。実弾を発射することない暗闇での戦場移動訓練でした。

 部隊は、200名でオオムネノ連隊長が第二大隊第五中隊を引き連れて演習を行っていました。

 演習が始まって、1時間ぐらいが経った頃、小休止には要ろうかと言う時でした。

 ポロポロ橋方面から、魔撃銃声が聞こえると、部隊の近くで、青白い魔法の光を放って爆発しました。

 驚いたのは、オオムネノ連隊長でその様な行為は戦闘行為になります。ひいては【戦争】に拡大するかも知れません。

 直ぐさま、伝令をつかわしてポロポロ橋を警備しているキータ・ノアイノアイ国の軍隊に【抗議】を伝え、即時に【停止するように】申し入れをしたのです。

 しかし、伝令がポロポロ橋へいっている最中にも第二弾が飛んできました。

 連隊長は、部隊に臨戦態勢を取るように実弾を銃に込めるように命じ、本部に一応連絡と救援の要請を行いました。

 伝令が、戻って来て、キータ・ノアイノアイ国の軍隊の主張を伝えました。彼らは「その様な銃声は知らない。寝ぼけて夢でも見ているのだろう。ハハハハハ」と伝令に言い放ったそうです。

 しかし、伝令が戻ろうとする頃には、何故かキータ・ノアイノアイ国の軍が橋に終結しだしていることを確認しました。その数凡そ3,000名。

 オオムネノ連隊長は、これは困ったことがおきそうだと思い、不測の事態に備える為に200名の兵士にV字散開をさせました。

 一陣の風が草をざわめかせた時、もう一度、魔撃銃の銃声があり、散開していた部隊の間近で破裂しました。

 オオムネノ連隊長は、止む得ず右側面より警告射撃を天空へ挙げるよう命じました。

「ドドドドン」とニンポー軍のエヘテル銃が火を吹くや否や、直ぐ近くからもの凄い猛射がニンポー軍へ向かって撃ってきました。何名かの隊員の背嚢を弾丸がかすめていきました。

 距離にして500m。キータ・ノアイノアイ国の軍隊が攻め寄せてきたのです。

 弾丸が飛来する中、オオムネノ連隊長は、静かに、左の部隊に迎撃の命を出したのです。

「恐れることはない、演習だと思い正確に一人一人狙い撃て!」

 行叫ぶと、自身もエヘテル銃を敵目がけて引き金を来ました。

 エヘテル銃は、ドドンコン国のエテコー社が開発した魔撃銃エテコー01を輸入し、実験に実験を重ねた魔改造版のエヘテル3号改良版でした。精度もよく飛距離も攻撃力も増していました。ただ、玉込めに難があるのと、銃身の耐久度がないという弱点がありました。

 キータ・ノアイノアイ国軍の銃は、エテコー03という銃で、性能は良かったはずなのですが、キータ・ノアイノアイ国が勝手にエテコー03を分解して、マネをして粗悪な商品を量産し、自国の兵士に装備させていました。

 飛距離も、命中制度も、弾丸の威力もエテコー01より劣る粗悪品です。おまけに偶に暴発するというしまつ。

 キータ・ノアイノアイ国軍は、109師の部隊のようで、一部は左へ迂回したようです。所々で暴発して散開して攻撃しているところで青白く光り悲鳴が上がっています。

 人数で寄せて攻めている割りには、飛距離が出ずに、自爆とニンポー軍の兵士に暗闇にも拘わらず、狙い撃ちをされて、一人ずつ倒れていきました。

 左に展開した109師が展開地点に配置した頃を見計らって、オオムネノ連隊長は、10時攻撃を命じました。お互いにクロスするように斜め敵陣営に向けて一斉攻撃を加えたのです。ちょうど弾丸が交叉して十文字を描くように。

 この攻撃に度肝を抜かれた109師は、倒れた仲間や受傷者をほったらかしにして退却を始めました。

 ちょうどその頃、援軍のオオムネノ連隊の主力部隊2200が到着し、逃げるキータ・ノアイノアイ国軍109師に痛打を加えました。

 ポロポロ橋の手前には、多くのキータ・ノアイノアイ国の兵士の死者や動けなくなった受傷者が転がっていました。

 キータ・ノアイノアイ国109師は、ポロポロ橋を渡らず、北側の北辰廟という祠とさらにその西のミナハスチ砦にこもって、援軍要請を本国に送ったのです。

 まだ、夜が明けきらない状態で、オオムネノ連隊長は、本部に連絡を取り、至急キータ・ノアイノアイ国が撤退し、ポロポロ橋を渡って、帰営することを求めました。

 しかし、何も連絡がないまま、1時間が経ち、主力部隊併せて2400名を2つ二分け、主力1600を北辰廟へ向かわせ、残りの800をミナハスチ砦との中間点に隠して待機させました。

 そらが少し明るくなってきた時、北辰廟への攻撃が始まりました。109師もなかなか頑強にがんばったのですが、踏ん張りきれません。それを見かねたミナハスチ砦の残りの部隊が救援に出て来ました。

 その向かう道中で、伏兵の800で攻撃を加えて見事、壊滅させてしまいました。

 北辰廟の109師は、背後の山奥へ必死にちりぢり逃走してしましました。

 200の兵士に北辰廟の警備を任命すると、オオムネノ連隊長は、ポロポロ橋を占拠し、敵軍の援軍が来るかどうかを待ちました。

 すっかり、朝になるとノコノコト敵軍が押っ取り刀で、顔を見せました。その数1万です。しかし、ポロポロ橋にニンポー軍の旗が揚がっているのを見て、腰を抜かし、被弾距離を開けて待機しました。

 いちおう、これがポロポロ橋事件の顛末です。

 後年、キータ・ノアイノアイ国のこの戦闘に参戦した人物によるとあの【シャシャマンセイ】の姿があったそうです。3発目の銃弾の音とともに、彼は雲が消えるように消えてしまいました。

 後に、バルク国のスパイとしてアマニルク国の政府の役人となっていました。その間の彼の消息は不明です。

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