第8話 ケリル視点
「今日は楽しかったね、ドクトー君。私、ずっとあそこのケーキ食べてみたかったの!」
私、ケリル・ゲリゾンは、ドクトー・ホピタルと並んで、学校に隣接した林を歩いていた。
林と言っても道はあるし、町から学校に戻るにはここを通ると近道なのよ。
それより何より、デートの終わりに静かな林を散策するのも悪くない。
たしか今はなんでか立ち入り禁止らしいけど、少し通るくらいはいいわよね。
私達は今日2人で町に行って、包帯やガーゼを注文した。
必要な数はよく分かんなかったから、なんとなく要りそうなだけ。
その後、町で有名なケーキ屋さんでのんびりお茶してから帰ってきた。
ちゃんと委員の仕事をしたんだから、これくらいのごほうびは良いでしょ?
注文した物は店が学校に配達してくれるから手ぶらだ。
「私、苺のケーキが大好きなの」
「ははは、ケリルは可愛いな。だったら、次は町の西側にある評判の良い店に行かないか?いくらでもごちそうするよ」
「いいの?ドクトー君、大好き!」
ギュッと腕に抱きつく。
ドクトー・ホピタル。
こいつの恋人で保健副委員長、という立場は、期待通りのうまみがあった。
こいつのお遊びに付き合っているだけで、委員会費にまで手を付けられるんだから。
「ケリル…」
ドクトーの手が私の髪に触れた。
そして、まあまあ美形の顔が私の顔に近づいてくる。
人がいない静かな林の中だもの。
そうなるわよね。
望むところよ。
私の恋人としての立場はより確固たるものに―
―ブーン…
「ひっ!」
唇が触れ合う前に、耳元を掠めた羽音に私は反射的に身をすくめた。
辺りを見回す。
あれは…
「モンスター…!」
羽音の持ち主は、虫型のモンスターだった。
人間の握り拳くらいの大きさで、尻の先端には大きな毒針がギラついている。
黒色と、毒々しいオレンジ色がまだらになった体が気持ち悪い。
私、虫は大っ嫌い!
しかも、このモンスターの針で刺されるとすごく痛いし、死ぬことすらあるらしい。
「ドクトー君、助けて!」
当然私はドクトーの背中に隠れた。
可愛い恋人に良いところを見せるチャンスよ!
後でたっぷり褒めてあげるから!
そう思ったのに―
「…ケリル、君は攻撃魔法、どれくらいできる?」
「え…?攻撃魔法は…火炎魔法と風魔法の基本くらい…かしら?」
「僕はね…君以上に医療魔法に特化した魔法使いなんだよ。つまり…」
「つまり…?」
「おそらく君の方が強い。ここは任せるよ」
そう言ってドクトーは、自分の背中側にいた私を、前面に押し出した。
ちょっと…嘘でしょ…。
血の気が引いた。
…いや、相手は拳くらいの大きさしかない虫モンスターが1体。
私でもなんとか倒せるんじゃないかしら?
それに、この虫を倒したら、ドクトーの中で私の株はもっと上がるはず。
せっかくホピタル家の息子を捕まえたんだから。
お金に困らない生活は約束されたも同然。
やってやるわよ。
―ボンッ!
私は火の玉を放った。
でもすばしっこく避けられた。
「ケリル、何してる!ちゃんと狙え!」
「わ、分かってるわ!」
そんなこと言うなら、自分でやりなさいよ!
心の中で毒づきながら、さらに何発も火の玉を放つ。
でも当たらない。
そもそも私は攻撃魔法が苦手なのよ!
そのうちに、虫めがけて放った火の玉が木にぶつかった。
その衝撃で、ボトリと木から何か落ちてきた。
何、あれ?
…丸くて…茶色い…木の実かしら…?
―ダッ!
大きな足音がしたから後ろを振り返ると、ドクトーが猛ダッシュで学校に向かって逃げ出していた。
ちょ、ちょっと!待ちなさいよ!なんで―
―ブーン…
虫の羽音がした。
恐る恐る音の方を見ると、木の実だと思ったものから、あの虫型モンスターがどんどん出てくる。
なぜあいつがあんなに慌てて逃げたのか分かった。
この丸い木の実は、このモンスターの巣。
全身から汗が噴き出す。
この数相手じゃとても歯が立たない。
私もドクトーと同じ方向にダッシュで逃げ出した。
「ハァッ…ハァッ…」
私の少し前を走るドクトーの背中の向こうに、学校の裏門が見えてきた。
でも、虫も私の後ろすぐまで迫っている。
火炎魔法で倒すことは諦めて、風魔法でなんとか追い払いながら走ってきたけど、もう魔力はほとんど残っていない。
私は虫への恐怖とドクトーに対する怒りで頭が煮えたぎっていた。
女の私に戦わせようとするなんて!
最っ低!
しかも状況が不利になったら私を置いて逃げるなんて!
私を囮にしようとでも思ったの!?
囮…あ、そうだ。
私は残り僅かな魔力を手に込めて、前方にいるドクトーの足元を狙って風魔法を放った。
「うわあ!」
バランスを崩したドクトーが派手にすっころぶ。
私は地面に這いつくばるドクトーの横を、全速力で駆け抜けた。
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