春分

夢美瑠瑠

春分

      掌編小説・「春分」



 地球の地軸というものが、少しづつ傾斜していって、明石標準時の日本に、ダイレクトに、適切な太陽との角度を示したその日が、すなわち春分である。

 一分一秒のずれもないのかは、不明にして曖昧ですが、春の分岐点で、この日から昼のほうが長くなる。一陽来復、そういう日なのである。


 その日に、おれと春子は入籍した。


 春子はおれが好きで、猛烈にアタックしてきたのである。


 メールをひっきりなしに送ってきて、四六時中ケータイに電話してくる。


 「好きよ好きよ」というだけのことを、千変万化、千篇一律、百花繚乱、同工異曲の、多彩な言い回しで表現してくるのだ。

 好きだということに別に合理的な理由はなくて、ただやたらに、触れ合いたくて、抱擁されたくて、唇やら、そういう粘膜のデリケートな部分をめったやたらに

重ね合わせたいという欲望が、熱烈に生じるだけなのである。

 そういう欲望の餌食になるということはおれのようなちょっとマゾっぽい男には

むしろうれしく楽しいようなことで、春子の好き好き攻撃に組み伏せられて、肉体と精神の自由を奪われて、エクスタシーに浸ってしまう…寧ろそういう被虐愛の理想郷、そういう結婚に相成ったのである。


 新婚さんだから、蛇のセックスのように、何時間もずっと布団に入って、抱き合って、敏感な部分を刺激し合っている。女体と男体というものがこんなにもジャストフィットして、相互にすごい快楽を与え合うということが、一種の奇跡のような、福音というのか、そういう極楽的な恩恵に思えるのである。二人の全存在が蕩け合うのが、本当のセックスなのである。


 壺中天という言葉があるが、肉の快楽の極致には、世間も人生も他人も介在する余地がなくて、二人のみが世界なのである。それこそが生きることだと思えてくる。

 そうして本当にそれこそが生きることの全てだ、とおれはそう思う。

 春分の分は例えば分水嶺の分と同じだろうが、男女が分水嶺を超える、超えた後には、素晴らしい蜜月が展開する、待っている、そうして新婚の蜜月が醒めるまでに、人生の最も幸福で甘美な部分は味わい尽くされてしまう…


 春分の日の夜、春子の豊満な肉体を散々味わい尽くして、おれは新婚初夜を寿いだ。


 オチは無くて、二人は幸福に生涯を共にするだけなのである。


 事実は小説より奇なり、だから、小説が平凡なほうが当たり前なのである。


 

<終>


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春分 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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