第58話【カオリ&ツキエピソード⑦】

 カオリとシュンはそれから一言も喋ることなく、その空気を何とか壊そうと苦笑いを浮かべながらツキがカオリと会話を続けていた。シュンはその会話を欠伸交じりに聞いているような光景が正面で先行している自衛隊員には見えていた。


「後ろは随分と盛り上がっているな……」


 マドの小言に高井と永井は「そうですね」や「危機感が無さすぎますよ。ピクニックじゃないんですよ」などと愚痴をこぼしながらも、辺りを警戒しながらゾンビや化け物がいない事を願っていた。当り前だが日本中がパンデミックになってから3日――埼玉に存在する駐屯地から実弾銃を持ち出しての行軍など経験する機会は無いに等しい。


 ――人を殺した事など、あるはずもない。


 迷彩服にフル装備で街を自由に歩き回る。訓練時代なら誰もが一度はやってみたいと憧れを抱いたものだが「まるでレンジャー部隊だな」などとマドから飽きれた声が漏れてしまう。これから化け物やゾンビを殺すことになるかもしれない……そう考えるだけで人殺しを国から要求されている気分だ。


「レンジャー部隊でも街の行軍なんて50年に一度あればいい方ですよ。それに実弾を持っての行軍何て今の時代、日本じゃありえないんです」


 気分転換をして少しでも緊張感を抜くためだろうか? マドの小言に対して尊像以上に返答が返ってくる事に何とも言えない気分になっていた。会話をしていなくては疲労困憊してしまうのだろう……高田がマドの小言に対して会話のキャッチボールをしっかりとする。


 その流れでマドに対して永井が口を開いた。


「それより本当にゾンビや化け物なんているんですか? ショッピングモールでは死体の山が大量に出来ていましたが、ヤクザのクーデターって言われた方が今の所信頼できるんですが。俺らは資料にしか目を通していませんし……正直、化け物になった人間に対して発砲許可が出ている事がおかしいですよ」


「ヤクザに運送ヘリを墜落させられるか? 発砲許可が直ぐ下りた理由については噂程度だが知っている」


「何なんです?」


「お偉いさんや政治家連中の家族が皆殺しにされたかららしいぞ? 普段は綺麗ごと並べて安全圏から好き勝手綺麗ごと並べているが、自分や家族に危害が加わりそうになった瞬間、誰も反対しなかったらしい」


「それ本当ですか?」


「言っただろ……噂だ。政治家と銀行は嫌いなんだよ」


「私情入ってますよね?」


「当り前だ」


「俺の妹が銀行員何ですよ」


「マジで?」


「嘘です」


「驚かせるなよ……なんか悪い気分になるだろ?」


「そもそも一人っ子ですから」


「はぁー、永井……お前は最低で最高にジョークのセンスが無いな? 朝起きた時に台風被害に合わない事を願うんだな」


「俺は自衛官候補生じゃないですよ。――懐かしいですね」


 マドと永井は年齢が近しい為か、お互いにジョークを言いながら会話の流れがスムーズに進んでいるが、そこに上手い事20代の若者である高田は入って行けない。年上の会話を聞きながら、途中からは後ろにいるカオリ達や桜の木を眺めていた。


 一方カオリ達の方では、ツキが眉間にしわを寄せながらカオリとシュンに担がれているお姉さんの後姿を眺めながら、先ほどから話に全く入ってこない事に疑問を口にした。


「あのぉ、さっきからお姉さんの様子がおかしくないですか? 大丈夫でしょうか?」


 カオリとシュンはツキの一言で視線をお姉さんの方に向ける。まるで泥酔したように下を向いており、ロングヘア―の髪が顔を隠して顔色が窺えない。足の痛みで喋ることも出来ないのだろうとカオリは考え、静かに優しい視線を向ける。


 一方シュンの方は嫌な予感がしていた。足元に視線を向けると、歩くことを諦めたように足が進んでいない。まるでカオリとシュンに引きずられているような不規則な足取りが、どうもシュンの中で矛盾を起こしていた。


 ――おかしい……この女は生きるためならどんな事をしてでも足掻くタイプの人間だったと思うが、足の痛みで歩くことを諦めるような人間には見えなかったぞ?


 ――まさか……


 シュンは慌ててお姉さんの髪をたくし上げてその表情を視線に入れる。白目をむいており、顔中にブクブクと浮き上がっている大量の血管と歯を食いしばる表情。そして鼻や口や目から血が流れだした瞬間――シュンはゾンビになったお姉さんをカオリのいる方へ蹴り飛ばしす。


「ぇ? ちょ!!」


 お姉さんが倒れ込んだ瞬間と残酷すぎる非情な表情を浮かべたシュンの姿がカオリの目に焼き付く。そのままカオリはお姉さんと共にその場で倒れ込んだ。背中を強くぶつけたカオリは、シュンの方を本気で睨みつけて大声を上げる。


「痛……ちょっと!! ――シュン、あなた何考えてるの!? 怪我人蹴り飛ばすとかありえないでしょ!?」


「はぁ、お前は偽善者にもなれないただの馬鹿だな。――死んでくれなんて言って、悪かった。俺は死んでも死ねないんだよ……本当にごめん」


「――ぇ? きゃぁぁぁっぁぁっぁぁっぁぁっぁあああ!!」


 カオリの上に倒れ込んできたお姉さんの表情を見た瞬間――叫んだ。ただただその恐ろしい顔つきと、目から流れる血がカオリの額に流れた瞬間に全身の皮膚が凍り付いたように動かなくなる。その叫び声にツキはその場でヘタレ込んで動けなくなり、前方を歩いていたマド達が慌ててこちらを向いて銃口を向ける。


 ――嘘でしょ……待って、待って、待ってよ……いやだ。こんなところで死にたくないよ……いやだいやだいやだいやだ!! 待って待って待て待て待て待て……いやぁだぁっぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁあああああああ


 ゾンビはカオリの上でマウントポジションを取っており、カオリは逃げることも出来ずにその恐ろしいゾンビの表情をまじまじと眺めることになる。その場にいた誰もがカオリを助けようとはしなかった。皆が怯えた表情をこちらに向けて、まるで世界から切り離されたような感覚に……絶望した。


 首をグラグラと揺らしながらゾンビはカオリに噛みつこうと、その鋭利な歯をカオリの腕へと持っていく。体中の穴という穴から様々な物が流れ出る感覚と共にカオリはただただ叫び声を上げる。人生でここまでの絶頂を迎えたことなど無いほど、体中が全くと言っていいほど言う事を聞かない。


 ――ダレガ……ダズげて……死にダぐ、ない……シンヤぐん、リアジャン……!!

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