第21話【それぞれの覚悟】
洗面台で服を雑に脱ぎ捨てたシンヤはシャワーを浴びながら、正面に設置されている鏡で自分の姿を見ていた。制服の重みから解放されたのにも関わらず、体の重みは全くと言っていいほど抜けていない。むしろ増していく。
誰もいない風呂場はとても静かで、シャワーの音と体を包み込む温かさのみが、この場を支配していた。そして、流されていく返り血が今日という日の出来事を嫌というほど思い出させてくれる。
昼休みまでは本当に退屈で、幸せな日々だった。
――なのに
化け物が先生を殺したことを思い出す。学校の生徒を化け物が皆殺ししたことを思い出す。女子生徒の顔を蹴り飛ばして、首をへし折ったことを思い出す。先生を殴ったことを思い出す。校庭にいる生徒を見捨てたことを思い出す。そして、正門の前で気絶した自分自身に絶望する。
非力な自分は、そんな鏡を真っ黒な瞳で見ている。
あんな軽い気持ちで外にいたゾンビを殺すつもりは無かった。元は人間で、そう、普通の人間だったんだ。ウイルスか何かで操られているだけの、罪のない人間だったんだ。いつか、誰かが、みんなを助けるためのワクチンを生み出す可能性だってあったかもしれないのに。
「はは、また逃げてる。ある訳ねぇだろ……馬鹿かよ」
生きるためには化け物を殺さなければならない。でなければ、こちらが殺されてしまう。しかし、今まで生きてきた環境を抜け出せないシンヤは、命がけのサバイバルに飛び込むための一歩が踏み出せずにいた。第一人者になる事をどこかで恐れており、適当なリーダーシップの取れる人間に付いていきたいと思っている。
自分の罪を全て背負ってくれるような、何も考えていない馬鹿の後ろを人形の様についていきたい。そうすればどこかで第三者として人を殺しても、ここまで考え込まずに済むのに。
「本当に死ぬなんて思わないだろ? BB弾だぞ、普通死ぬかよ」
(あの武器はなんだよ?)
(誰が作ったもんだよ)
(なんで俺の元に届いたんだよ? 関係ないじゃんか)
そんなことを考えながら、分からないことだらけの現状に膝を付いた。(シャワーヘッドを交換するべきだったか? 勢いが強すぎて、少し痛い)などと、今考えなくてもことを考えながら、湯気でぼやけている自分の姿をもう一度だけ見る。歯を食いしばって、何もしてくれない日本という国に文句を言ってやりたい。
他人任せで自己中心的な自分が、また嫌いになる。
怒り・苛立ち・憤怒・逆上・殺意・不機嫌・叱る・不満・激怒・立腹――溜まっていくストレスは小さな出来事も許してはくれない。ギリギリと歯を鳴らしながら自分自身を睨みつけた。
「意味わかんねぇよ。何でこんな目にあってんだ? ふざけんなよ! どいつもこいつも好き勝手に暴れやがって、何でこんな気分にならなくちゃいけないんだよ!?」
鏡に映る自分自身が、笑っているように見えた。錯覚だと理解しながらも、鏡に映るシンヤはニコニコと笑いながら自分の触れてほしくない内面を包み隠さずに問いかけてくる。もしもその光景を外部の人間が見ていたら、怖くて逃げだすことだろう。
(あれは人間か?)
「違うだろ!? あれはゾンビで、化け物だ! ――人間なんかじゃない」
(お前はどうしたい?)
「生きたい、死にたくない、生きたい、生きたいんだよ!」
(――どうすれば生きられる?)
「……」
(――どうすれば生きられる?)
「こ……」
(――どうすれば生きられる?)
「っ、やめろよ」
(――どうすれば生きられる?)
「はぁはぁはぁ」
(――どうすれば生きられるんだ、信条シンヤ?)
「っく、殺せばいいんだろ!? 殺せば!! だってしょうがないよな、襲ってくる化け物が悪いだろ? 殺しに来るんだから殺すしかないだろ!? それがいけない事だって分かってるよ。じゃぁ、何か? ナマケモノみたいに無抵抗で殺されろってのかよ!? 武器は、殺すための武器は持ってるんだぞ! ――はぁはぁ、なに1人で熱くなってんだよ。馬鹿みてぇ」
(生きるためなら、殺せるだろ?)
「ふぅ、殺してやる」
天井を見上げると、勢いよく噴き出すシャワーが何度も眼球に刺激を与える。それはもう、一種の洗脳と言っていい。壊れそうな、いや、すでに壊れている精神を立て直すための自己防衛本能。
(生きるために殺す。あれは死者だ。大丈夫、どんなことをしてでも生きてやる。死にたくない。俺にこれから殺されるゾンビだって分かってくれる。天国にも、地獄にも、行きたくない。――……ここに居たいよ)
極限状態の人間を理解することなど出来ない。外から見ればただの不審者のようにしか見えないが、その行動原理には必ず意味が存在する。一般人が犯罪者の気持ちを理解できないのと同じだ。
シンヤは曇っている鏡を手で拭き取る。すると、そこには今までじゃ想像もつかないような信条シンヤが映し出されていた。人を殺せる……殺人鬼のような目をしたシンヤの姿だ。彼はそんな自分自身を見ながら、ニッコリと笑みを浮かべた。
パチ……ノイズ音。
《俺と同じ事をしたか。でもそれは、幸せから最も遠いんだぜ?》
■□■□
【4月6日(火曜日)/12時16分】
天能リアはいつも通りの生活を送っていた。少し変わり者の先輩と一緒に、退屈しのぎの変わらぬ日常を、違和感を抱きながらも楽しんでいる。そんなリアだからこそ、こんな状況になるなんて想像すらしていなかった。昼休みの時間、目の前にいきなり現れた化け物は生徒を次々と殺していく。この時、私は恐怖というものを生れて初めて体験した。
(人が死んだ。人が死ぬ。人が殺される。――人が)
「カツン!!」
「「!」」
廊下にいたリアは目を見開いた。何故なら、瞬間移動でもしたように目の前にいきなり現れたからだ。目の前に現れたカブリコは、膝の辺りまで手入れの行き届いていない髪を前にたらしながら、片腕を振り上げる。
リアは、時が止まったような感覚に襲われた。
両腕は骨で出来た刀のようになっており、手が存在しない。片腕を振り下ろすと同時に、カブリコの黒髪が少しだけ揺れる。この時、カブリコとリアの視線が重なった。
口裂け女のような頬が切れている口、真っ白な肌と荒んだ目。カブリコは笑顔でこちらを見ており、死を連想させられた。
「っ!?」
しかし、リアは背後から襟を掴まれて、そのまま力任せに廊下の壁に叩きつけられた。振り下ろされた刃がリアに触れる事は無く。背中を強打したリアはせき込みながら正面に視線を向ける。
――瞬間だ。リアを助けて真っ二つにされた先輩の姿が、視線の先に映った。
「……っな!?(バキ)」
何か、大切な物が壊れた音がした。そのあとは不思議と恐怖は消えており、震えが止まる。それと同時にいつも以上に集中力が発揮されて、自分がこのあとどうすればいいのか手に取るように分かった。
そこからの記憶は曖昧だ。スポーツバックの中に入っているエクスプロージョンを手に取り、それを使いながらゾンビを殺した。しかし最後はどうにもならず、天井を破壊して自爆した所までは何となく覚えている。
気が付いたら、リアは見知らぬ部屋で寝ていた。
暴れ回るリアを一言で述べるなら『獣』だ。涙を流しながら笑っており、知性とは正反対の感情的な暴力を繰り返す。天才だからこそ、人の何倍以上も人の感情が理解できてしまい、天才だからこそ、人の何倍以上も残酷な選択を効率的に行える。
助かるために人を殺せるからこそ、壊れるのもまた早い。
【4月7日(水曜日)/0時00分】
リアはエクスプロージョンの地図を眺めながら洗面台に向かう。そのまま、使い物にならなくなった制服を丁寧に脱ぎ、それを折り畳んで地面に置いた。
そのあと風呂場へと向かい、シャワーで赤く染まった髪を流していくと、そこから綺麗な金髪が姿を現す。返り血がお湯と一緒に流れ落ちる光景を真顔で見ながら、鏡に映る自分の姿に視線を向けた。
「はは、誰だい? これは?」
乾いた笑みを浮かべている自分自身を睨みつけて、鏡を本気で殴る。理由は分からない。拳から流れる血とひび割れを起こした鏡。分割されたように、鏡に映る自分の姿が増えてしまった。そのあと、自問自答をしながらリアは自分の気持ちに折り合いを付けていく。
それは感情のコントロールが生存率を高めると理解しているからだ。しかし、それはあまりにも機械的なやり取りであり、内面に届いているようには見えない。
(今の私なら、先輩を救えただろうか?)
「当たり前なのだよ」
(また、同じ失敗を繰り返してしまうのではないのかね?)
「ありえないのだよ」
(私は生きていたいのかい?)
「確定事項だ。考えるまでも無いのだよ」
(ならどうする?)
「この出来事を起こした馬鹿を殺す」
(それでも私は、あの幸せな時間が忘れられない)
「はは、はは、あれ? 何だい――これは?」
聞こえるのは、乾いた自分自身の声とシャワーの音。誰もいない、見知らぬ家の風呂場でただ一人。まるで、世界から切り離されたような孤独感を抱く。
流れる涙が、どれだけ自分自身の気持ちに整理を付けていないのかを体現していた。「全く、私もまだまだだね」などと言いながら、声を上げて――少しだけ泣いた。
(もう目の前で、大切な人が死ぬ姿だけは見たくない)
リアはそのあと、風呂場から素っ裸でリビングへと向かう。片手にはエクスプロージョンが握られており、リアは辺りを見渡しながらリビングに設置されているテレビの横に視線を向けた。そこに置かれているのは、写真立てだ。
微笑ましい家族の写真――真ん中に娘が座っており、その左右には父親と母親の姿。娘の正面にはバースデーケーキが置かれている。ケーキにはろうそくが14本立っており、娘の年齢だと予想した。
写真の左下には去年の『5月02日』と日付が記載されており、ろうそくの本数から計算すると中学3年生ということになる。あと少しで高校生になれたかもしれないのに。
「もしかすると、君は私の後輩になっていたかもしれないね」
何気ない普通の生活が続いていれば、そんな未来もあったかもしれない。すでに失われた日常を思い出しながら、天能リアは覚悟を決めた。リアは写真を見ながら口を開き、「きっかけをくれて感謝するのだよ」と言い残して、その瞳は獰猛な獣のように鋭さを増していく。
そしてリアは恩を受ければ、恩でお返しをする。この家を隠れ家として使わせてもらっている以上、この恩はどこかで返えしたいと思う。それはリアの性格であり、人として常識的な考え方だ。何かしてあげられることはないかと考えたが、誰もいない家を見渡してため息が漏れた。
「ふぅ、そうだね。もしも君が生きていたら、私は命がけで君を守ろう」
リアは写真に写る可愛らしい少女の顔を見ながらそう言うと、その少女の顔をしっかりと覚えた。
■□■□
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