5.おうじさま

 声を発したのは、見目麗しい金の髪と深い湖の色の瞳を持つ男性だった。どこかサード王子にも似た姿の彼は、王族のみがまとうことを許されている白と金の王族礼服に身を包み、ゆったりとマキナのもとに歩み寄ってくる。

 ……なお、サード王子はこの機会を逃せば好きな色の衣装を着用することが減る、とワガママを言ったせいで深い青の正装である。


「フロウア先生!」

「やあ、マキナ」


 マキナがその名を呼んだことで、この男性が今彼女の演説に名の出たデザイナー、フロウア・シャナンであるとこの場の全員に知れる。

 そして彼の容姿がサード王子とよく似たものであり王族礼服を着用していることは、彼のもう一つ……否、本来の名に関する噂を皆に肯定させるものであった。もっとも、大多数の者は既に気づいていることではあったのだが。


「この後、僕の工房を見学に来る予定だっただろう? 遅いからね、心配して迎えに来たんだよ」

「申し訳ございません。ご覧の通り……と申しますか、少々手間取っておりまして」

「みたいだねえ。念のため、ちゃんと着てきてよかったよ。中に入るのに、失礼な格好はできないからね」

「………………あにうえ」


 マキナと穏やかに言葉をかわすフロウア・シャナンに対し、そう呼びかけたのは他でもない、サード王子だった。その側でテスが、頬を赤らめてデザイナーの端正な顔を見つめ続けていることには気づきもしない。

 そうして兄と呼ばれた彼はマキナをかばうように彼女とサード王子たちとの間に立ちはだかり、満面の笑みに厳しい言葉を乗せて答えた。


「やあ、馬鹿弟。お前は晴れの場で、自分の婚約者に冤罪をかぶせて楽しいかな?」

「な、何をおっしゃるのですか、ファースト兄上!」

「ファースト殿下! あなたは事実をご存じないから!」

「僕をその名で呼ぶのなら、こちらもその名にふさわしい態度で相手すべきだろうね。プリム・チャンセラー、アッド・マーシャル、サクス・フュルスト。君たちに発言していい、とは言っていない」


 平然とサードを馬鹿呼ばわりし、その取り巻きたちに毅然とした態度を取るフロウア・シャナンの本名は、ファースト・キングダミア。この国の第一王子であり、同時にフロウアの名で服飾デザイナーとして絶大なる人気を誇る人物である。

 別に隠しているわけではないのだが、王子の地位を利用して商売するつもりはないこともあり普段はデザイナーとしての名で活動している。ゆくゆくは城を出て、自らの力で生きていくと決めているためだ。

 第一王子でありながら母親の身分が弟たちより低いため、ファーストの王位継承権はセカンド、サードに次ぐ第三位である。現在はセカンドの王位継承がほぼ確実視されていることもあり、継承が無事なった暁には公爵の位を得てキングダミア王家の臣下となる予定なのだ。

 これらは、事情に少し詳しい貴族や商人ならば知っている話だ。もっとも、フロウア・シャナンの存在すら知らなかったテスは当然そのようなことを知るわけもなく……彼女は今、「こんなかっこいいお兄様がいたなんて!」と目をキラキラさせている最中だ。


「馬鹿弟の取り巻き、君たちはどうしてサードを諌めなかったのかな? まさか、何も証拠がないくせにマキナ・フュルスト嬢を責め立てるなんて計画に乗ったわけじゃないよね?」

「……ぐっ」

「罪を責めるならせめて、きちんとした物証を取り揃えてこないといけないだろう? この国の未来を担うべき君たちがそれじゃあ、裁判官たちが嘆くよ?」


 弟と取り巻きたちをくるりと見渡して、ファースト王子は小さくため息をつく。この国にも裁判所と裁判官は存在し、正確に罪を裁くために証人や物証の存在は不可欠なのだ。

 そういったものなしにマキナを非難していた彼らを、扇動した者は。


「さて、バイカウント子爵のご令嬢」

「は、はいっ」


 ちらり、とファースト王子の視線がテスに向けられる。鋭いがサードよりも涼やかなその視線は、テスだけでなく多数の女性たちの動きを止めることに成功した。マキナだけはああ、いつものフロウア先生だわとほっこりしているのだが。


「フュルスト侯爵のご令嬢があなたの制服を切り刻んだり、階段から突き落としたりしたのは事実かな?」

「……は、はい!」


 さて、どこまで第一王子は話を聞いていたのだろうか。そういった些細な疑問を浮かべることすらなくテスは、ぱあっと顔をほころばせて大きく頷いた。

 その少女にファースト王子は、薄い唇の端を引きながら続けて問う。


「ふうん、そうなんだ。証拠はあるかい?」

「しょ、証拠、ですか?」

「そうだよ。今僕が言っただろう? 罪を責めるには、その罪が行われた証拠が必要だ。あなたがそこまで断言したのなら、他の誰が見てもマキナ・フュルストが犯した罪だという証拠があるはずだよね?」


 あくまでも穏やかなファースト王子の言葉は、しかしテスにとっては彼女を責め立てるものに聞こえたらしい。彼女の年齢より幼く見える顔は幾分ひきつり、そうして彼女は一歩退いた。


「しょ、しょうこなんて、ないですけど! でもわたし、ほんとうに!」

「へえ……階段って、構内だよね?」

「は、はい! 東校舎の一階と二階をつなぐ階段です!」

「そうか。残念だね」


 必死に、自分が被害者だと訴えるテスの顔を見つめるファースト王子の視線から、感情が消えた。言葉からも温度が消え、それを聞いていたマキナを含む全員の背筋がぶるりと震える。


「本当に突き落とされていたのなら、映像証拠が残るんだよねえ。王立学園ってさ」

「え?」


 ファースト王子が口にした言葉の意味を、テスは一瞬理解できなかったようだ。その反応におや、と少しだけ首を傾げた第一王子は、自分の位置をずらしてマキナと視線が合うように動いた。


「そういった事情は、入学式のときに説明されてると思うんだけれど……編入でも、そのときに説明は受けたはずだよ?」

「そのはずでございますわね。サード殿下や他の方々も、ご存知のはずなのですが」

「あ、そういえば」


 入学式のときに説明、といった言葉で第三王子や取り巻きたちは、どうやら思い出したようだ。

 それは、キングダミア王立学園に在籍する生徒たちの出自に関係する、構内の監視記録についてである。


「ほら、何しろ馬鹿弟みたいな王族を始め貴族の子女も通う学園だろ? 大商人の跡継ぎだっているし、特待生なんて何らかの才能があるから学園に来てるわけだしね」

「え、あ、えっ」

「だから、学園の構内はくまなく映像を残す魔術道具が仕掛けられているのさ。万が一、生徒に何かあった場合の証拠として」


 講堂内、天井に向かい顔を上げるファースト王子の仕草に、観衆は今この瞬間をも映像記録が取られていることを悟る。そうして慌て始めたテスの表情が、しまったという顔をしていることも。


「さて、バイカウント子爵家のお嬢さん。警備隊に頼めば、その日その時その場所の映像を探すことはできるけれど。どうするかな?」

「えっと、いえ、その」

「それがいい! さすがは兄上、良いことを教えてくださいました!」

「さすがはファースト殿下、頭が回られますな!」

「分かりましたか、姉上! あなたの悪行は、記録されているんですってよ!」


 にやり、とどこか悪どい笑いを浮かべながら問うファースト王子の前で、テスはひたすらうろたえる。サード王子や取り巻きたちは彼女の様子がおかしいことに気づかずに、これでマキナの罪を表沙汰にできると盛り上がっている。

 周囲の者たちは彼らの様子を見比べて、誰の言い分が正しいのかおそらく理解したであろう。場が白けてしまっているのが分かる。

 そうして、当事者であるはずがほぼ制服の演説しかしていないマキナは、小さくため息をついた。しかし、ファースト王子と視線が合うとふわり、と花のような笑顔を浮かべる。


「助かりましたわ。ありがとうございます、フロウア先生」

「気にしないでくれ、我が愛弟子マキナ。それよりも、映像開示で誰の悪行が晒されるのか、楽しみだねえ」


 お互いに微笑み合う二人を前に、自分たちの正義が認められると喜ぶサード王子たちを背後に、テスだけは盛大に顔を歪めていた。「う、うわ、ああ、ど、どうしよう」と呟きながら。

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