第29話 すれ違い

【引き続き、微ネトラレ注意】


 義人が自分の彼女として花梨を紹介してくる。

 その展開に、総也はめまいを覚えた。

 同時に、心の中の自分が総也を叱りつける。


(今更どの面下げてお前が花梨に関わるんだ? いつから花梨はお前の所有物になった? そもそもお前は真理亜を選んだだろうが)


 と――。

 正論だった。

 正論すぎた。


「そ、そうか。それは、おめでとう……」


 声が尻すぼみとなっていくのが隠せない。

 いつからだろう。

 花梨は絶対に総也の下を離れないと思い込んでいたのは。


 こうなるかも知れないことは、容易に想像できて然るべきだったのに。

 彼は、花梨の幼馴染みという立場に甘えていたのだ。


「ははは……」

「……? どうしましたか?」


 いきなり乾いた笑い声を漏らした総也に、花梨が心配そうに話しかけてくる。

 それは、まるで赤の他人を心配するかのようだった。


(気持ち悪い……! 俺はどこまでキモい男だったんだ……!)


 総也は、内心で自分を蔑む。

 真理亜を選んでおきながら、花梨を所有したような気持ちになっていた気持ち悪い男。

 それが総也の自己評価だった。


「いや、すまない。なんでもないよ。それよりも、本当におめでとう。末永くお幸せに」

「いえいえ。そちらこそ、来音さんとお幸せになってください!」


 祝福の言葉を述べると、花梨は嬉しそうに祝辞を返してくれた。

 その他人行儀な態度に、総也はいよいよ笑いを隠せなくなった。

 自分が滑稽だった。


「総也くん……」


 そんな総也の内心を見透かしていたかどうかは分からないが、真理亜は憔悴する総也の異変にいち早く気づき、心を痛めた。

 彼の力になりたかった。

 しかし、何をすればいいのか、彼女は何も思いつかなかった。

 彼女はあまりにも、あまりにも無力だった。


 ――その日は1日中、総也は上の空だった。

 そして、真理亜は1日中、自分の無力さに苦しんでいた。


「総也くん、帰りましょう」


 魔法の実習が終わった後、未だ上の空のままだった総也に真理亜が声をかける。


「あ、ああ……」


 席に座ったまま、総也が間抜けな声を出す。

 そんな総也の様子に、真理亜は心底困り果てた。

 どうしていいか分からなかった。


 だから、そのまま自分の席に腰掛けてしまう。


「……」

「……」


 しばし、無言の時が続く。

 すると、花梨が2人に声をかけてきた。


「あのー、桐崎さんに来音さん? そこにいられると掃除ができないのですが……」


 掃除機を持ってきた花梨(掃除当番)が困り顔で彼ら2人に話しかけてくる。

 まさに他人行儀だった。


「あ、ああ! すまない。ほら、真理亜、早く行くぞ!」

「え、ええ……」


 総也が真理亜の手を取って教室を出る。

 真理亜は、彼に引っ張られるようにしてついていった。


「むぅ……ラブラブで有名なバカップルって聞いてたんですけど、意外と倦怠期?」


 花梨はその2人の後ろ姿を見つめながら首を傾げてみせた。


********************


 結局、今日も2人は車の中で無言であった。

 そのままリムジンは来音邸に到着する。

 真理亜は車を降りようというところで――。


「あ、あの……!」

「ん……」


 勇気を振り絞って総也に声をかける。

 それに、総也は生返事を返す。

 真理亜にまたストレスがかかった。


「き、今日は、その……よ、寄っていきません、か?」

「ん……ああ、いいぞ。行こうか」


 上目遣いで真理亜がおねだりをすると、やはり総也は生返事で応じた。

 いよいよ真理亜のキャパは限界に到達しようとしていた。


 2人は車を降りて来音邸の玄関をくぐる。

 そして、大広間の大テーブルに向かい合って、メイドの出した紅茶に口を付けた。

 しばし、無言で紅茶を楽しむ時間が続いた。

 尤も、今の総也と真理亜に紅茶の香りを楽しむ余裕など皆無だったわけだが。


「……」

「……」


 気まずい。

 真理亜はあちこちに視線を向けてみせる。

 だが、やがて、ついに口を開いた。


「その……春日野さんのことは何と言ったらいいのか……。その、まずは祝福してあげませんか? としか……」

「そりゃお前は諸手を上げて祝福できるだろうな。ライバルが減ったんだから」

「――ッ!!」


 愛情を欠片も感じられないその冷たい言葉に、ついに真理亜のストレスは臨界点を超えた。


「なんで……」


 真理亜の声が震える。


「なんで、分かってくれないの……?」


 その言葉から感じられたのは、紛れもない怒りだった。

 真理亜が怒っている。

 その事実にようやく総也は自分が酷いことを言ってしまったことに気づき、慌てて謝罪する。


「すまん! こんなこと、言うつもりじゃなかったんだ……。その……すまん!」


 テーブルに額を擦り付けて総也は謝罪する。

 だが、最早真理亜を止めることは叶わなかった。


「もう、いいです……! 見損ないましたッ!!」


 そして、強化魔法で硬化させたローファーで大広間の大テーブルを蹴り上げる。

 それは軽々と宙に吹き飛ばされ、壁際まで吹き飛ばされた。


「ガッ!?」


 テーブルに顔を伏せていた総也は必然、その顔を跳ね上げられる。

 頭部を強打されたことで軽い脳震盪となり、そのまま朦朧とした意識のまま後ろに倒れこむ。

 彼の側に、真理亜はツカツカと歩いてきてみせた。

 そして、総也の上に馬乗りになって体重をかける。

 彼の襟首を掴んで、強引に揺さぶり、彼を無理やり覚醒させた。


「あなたにとって私ってなんなんですかッ!? 私はあなたの贖罪の――自己満足の道具じゃありませんッ!! オナニーなら自分一人でやってくださいッ!!」


 憤怒の形相で真理亜が総也を睨む。

 感情の色が見えない真理亜なら何度も見たことがあった総也だったが、しかしここまでの激情を表に出して冷静に怒っている真理亜を見るのは初めてだった。

 (俺にとってお前は大切な人で、だからお前のことを愛してやりたい一心で……)という言葉自体は思いついた。

 だが、真理亜の凄みを前にして、総也はそれを口にすることはできなかった。


「あなたにとって……あなたにとってわたしはなんなの!? ペットか何か!? 所有物!? そんな愛なら……そんな愛なら、わたしはそんなの欲しくないッッ!!」


 そして、真理亜は総也の襟首を放して、彼の上でさめざめと泣き始める。

 彼に馬乗りになったまま、真理亜は顔を手で覆って泣き始めた。


「お前こそ……」


 今度は総也の方が、憔悴しきった様子で呟いた。


「お前こそ、俺に何を期待してるんだよ……。お前が俺に何をして欲しいのか分かんねーよ……。お前こそ俺のこと何だと思ってるんだよ……。俺はお前のママじゃねーんだぞ……」

「そんなこと最初から期待してないッッ!!」


 真理亜が泣きわめきながら叫ぶ。


わたしは……! わたしはぁ……!!」


 だが、そこから先が続かない。

 真理亜には、自分が本当は何を総也に求めているのか。それが具体的には分かっていなかった。

 ガックリと肩を落として、自嘲気味に微笑む。

 そして、力なく続けた。


「結局、あなたにとってわたくしは春日野 花梨と同程度の存在だったというわけなのですね……」


 真理亜は、自分が本当は何を求めているのか、それが分かっていなかった。

 だから、彼女は短絡的な手段に訴え出てしまう。


 キィン……と、空間に緊張が走る。

 その瞬間、総也は異変を覚えた。


「ま、りあ……? お前、何を……?」


 真理亜に何かをされた。

 身体を動かして真理亜から逃れようとする。

 だが、身体が動かない。

 そう、身体が動かないのだ。


「真理亜……やめろ、やめるんだ……!」


 嫌な予感がして、しかし身体はビクとも動かない。

 ただ、口から言葉を喋れるだけ。

 彼の四肢はまるで金縛りにあったかのように硬直していた。

 肉体の制御権が、完全に真理亜に渡っていた。


「もう、いいです……」


 真理亜は、感情の見えない、焦点を見失った眼で総也を見下ろした。


「あなたがわたくしのことをペットのように愛するのでしたら、わたくしの方もあなたのことをペットのように愛して差し上げます……」


 その眼は、総也のことを見ているようで、総也のことを見ていなかった――。

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