第390話 玲愛と盗聴器 前編

 都内高級ホテル、パーティー会場にて伊達家懇親会が開かれていた。


 経済界の重鎮が集まるパーティーの中で、玲愛はいつも通り適当に挨拶を終えると、 隅のテーブルに座り誰も話かけるなオーラを発する領域展開を行っていた。

 彼女の婚約が決まり、その左手に指輪を輝かせて以降、◯◯会社の社長息子や、銀行頭取の息子なんかがスーパーカーだのクルーザーだの自家用ジェットだのを自慢しに来ることは激減していた。

 通常の婚約ならば家族デッキで話題を広げられるが、複数婚という前例のない結婚生活はどこに地雷が埋まっているかわからず、彼女に対して結婚はおろか男の話題もタブー視されていた。

 しかしながら大多数がラインをわきまえている中、空気を読めずライン越えしてくる人間もいる。

 かく言う、伊達家のひ孫会社にあたる鰐崎不動産の鰐崎鎧亜わにざきがいあ(28)も、その空気の読めない人間だった。


「やぁ玲愛さん、お久しぶり」


 玲愛は旧友のようにやってきた鰐崎に顔をしかめる。

 親会社の重役が出席するパーティーで、ピンク髪に日サロ焼けした肌で来るという絵に書いたようなチャラ男。

 彼の父親はデキた人物なのだが、その子供が同じくデキた人間になるとは限らない。親の金で豪遊を繰り返す、バカ息子へと育っていた。

 彼が玲愛に好意を寄せているのはわかっており、フラれても立ち向かう自分がカッコいいとでも思っているのか、ぞんざいに扱われてもヘラヘラとした顔でやってくる。

 玲愛とて根性のある人間は嫌いではないが、この男は例外で他者を下げて自分を上げる傾向があるので、心底嫌いだった。


「いやぁ、この前プライベートジェットでモルディブに行ってきまして。実に快適な旅でしたよ。でも食事だけは問題がありまして。旅先ってあんまり料理美味しくないこと多いじゃないですか? でも気を使って美味しいとか言ってしまいますよね? でもオレは違います、不味いものには不味いと言い切りますし、自分の舌には自信があります」


 聞いてもないことをペラペラと喋る鰐崎に、玲愛はファーストパンチからきっついわと思いながら冷めた目を向ける。


「オレがこの料理は不味いと言ったら向こうのシェフが怒り出しましてね、仕方なく日本からシェフを呼び出して、本当の料理というものを教えてやりましたよ。そしたら向こうのシェフは謝って自分の非を認めたんです。実に爽快な気分でしたよ」


 現地料理にケチをつけるのも、わざわざ日本から料理人を呼び寄せるのも見苦しい。相手の謝罪で自尊心を満たす辺り、コンビニ店員に土下座を強要する、程度の低い人間と同じである。

 鰐崎の心底小物感あふれるエピソードにげんなりする。


「今度玲愛さんも一緒にどうです? オレのヨットで地中海をクルージングさせてあげますよ」

「結構、既婚者なので」

「おっとそういえばそうですね。結婚生活いかがですか?」


 いきなり地雷原を踏み越えてきて、周囲の空気がピリつく。

 当然彼女の切れ長の瞳が、更に鋭さを増す。


「私は他人に私生活を詮索されるのが一番嫌いだ」

「まぁ複数人とのご結婚ですからね、あまり触られたくないのはわかります、わかります。あっお相手さんまだ結婚できる歳じゃないから、結婚はまだなんでしたっけ? 玲愛さん、婚約の前から言わせていただいておりますが、あなたを幸せにできるのはこの鰐崎鎧亜だけですよ」

「……私に喧嘩を売っているのか?」


 まるで悠介が馬鹿にされたように感じ、玲愛はピキる。

 マンガなら会場全体が凍りつき、パーティー参加者全員が氷の彫像にされる威圧感。周囲には怖気が走る。しかしライオンの尾を踏んづけていると気づけない鎧亜は、それをジョークだと思って受け流す。


「いずれ世界をとる男、鰐崎鎧亜には貴女のような女性が相応しい」


 ナルシストの目をした鎧亜が近寄ってくる。玲愛はすっとポケットに手をいれると、ドレスに忍ばせた改造スタンガンの安全装置を外す。通常より電圧が上がったスタンガンは、インドゾウですら一撃でノックアウトできる威力がある。

 これ以上一歩でも近づいてみろ、お前をインドゾウみたいにしてやると玲愛は意味不明なことを考える。


「玲愛さん、逆に聞きますが夫の良いところを言えるのですか? 相手はまだ子供でしょう」

「……優しいし、優しい」


 子供の恋愛みたいなことを言ってしまい、しまったと顔をしかめる。

 玲愛は悠介のことで煽られるとIQ3にまで低下する傾向があった。

 鎧亜も同じことを思ったのか、クククと笑みを浮かべる。


「オレも一度だけ彼の顔を見たことありますが、彼があなたに釣り合うとは思えない」

「少なくともお前よりかは根性も度胸もある男だ」

「玲愛さん一人を愛するとも言えない人がですか? 複数人と婚約する男が優しいとは思えませんが」

「その件はこちらで解決している話だ。部外者の貴様が口を出す話ではない。わきまえろ」


 さすがに鈍感な鎧亜でも、彼女の冷えた瞳に気づく。


「オレはあくまで一般論を語っているだけですけどね」

「おい……これ以上ガタガタ言うなら」


 すり潰すぞと言いかけた時、スマホにラインが入る。

 それは悠介からで【今日すき焼きだから早く帰ってきて\(^o^)/】という、なんとも気の抜けたメッセージだった。

 しかしそれを見た直後、玲愛は立ち上がる。


「玲愛さんどちらへ?」

「帰る。夫から早く帰ってこいと言われた。帰る。すぐ帰る」

「まだパーティーは始まったところですよ?」

「私は夫の言葉が最優先だ」


 懇親会など知ったことか、おうち帰るとスタスタと会場を退出していく。

 それを見送った鎧亜はくそぉと地団駄を踏む。


「玲愛さんを簡単に呼び戻せるなんて、なんて羨ましい奴なんだ!」


 どうにか自分が入り込む隙はないかと考えるが、恐らく破局してくれない限り勝負にすらならないだろう。


「本人から別れるとは言わなそうだしな……」


 ならば社会的に、どうやっても認められない環境を作るしかない。


「こうなったら週刊誌に連絡して、スキャンダルを撮ってもらおう」




 数日後、三石家アパート――


 本日はゴミ出しの日で、俺と静さんは早朝から町内の集積所にゴミ袋を出しに行こうとしていた。

 12人も暮らしているとゴミもそれなりに多くなり、毎度5,6袋くらい捨てている。

 ゴミを一時保管しているアパートの裏へと向かうと、その前で静さんが首を傾げていた。


「どうしたの静さん?」

「悠君、最近おかしなことが起きるの。ゴミの日になるまで、溜まったゴミ袋はアパートの裏に置いて保管しておくんだけど」

「うん、いつもそうだね」

「それがなくなってるの」

「ゴミ袋が?」

「ええ……」


 確かにいつもゴミを置いておくスペースにゴミ袋が一つもない。


「清掃業者が持っていった?」

「アパートの裏まで入ってくるかしら?」


 確かに、わりと深い位置にあるので不法侵入を疑われる。というか昼に持っていったなら、多分静さんが気づく。


「これだけ綺麗になくなるってことは、カラスなんかじゃないもんね」

「ゴミ泥棒かしら?」

「それメリットある? お金になりそうな空き缶とかはちゃんとリサイクルに出してるし」

「う~ん、わからないわ」


 しかしながら見知らぬ誰かが勝手にアパート内に入って、ゴミ袋を盗み出しているとしたら不気味な話である。

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