第252話 月はオタク嫌い Ⅲ
そんなこんなで、月のオタク嫌い克服を約束して水咲邸宅を出る。
俺は帰りのリムジン内で、明日どこに行けばいいものかと頭を悩ませていた。
「お悩みのようですね」
運転席の藤乃さんが、バックミラー越しにイケメンスマイルを送ってくる。
「トラウマ克服なんて、そんな簡単にできるわけないですよ。藤乃さん、月が握手会で襲われた経緯教えてくれません?」
「あの日はもともとお嬢様の体調が優れなくて、休んではどうかと提案したのですが、無理を押されて握手会に出席されました。そこそこ大きな書店が会場で、参加者は約400人ほどでしたね」
「凄い人の数だったんですね」
「わたくしは別件でトラブルが起きていて、そちらの対応をしている最中に事がおきました」
「変なオタクが月を襲っていたと」
「はい、参加者の悲鳴で気づいたのですが、その時には既に30代前半くらいの男性がお嬢様に組み付いていました」
犯人結構いい歳だったんだな。
「相手が刃物とか持ってなくて良かったですね。藤乃さんが助けたんですか?」
「いえ、お嬢様が背負投げで暴漢を地面に叩きつけていました」
「お嬢様強すぎん?」
「ケガがなかったのだけが幸いでした。恐らく水咲の資産目当てではなかったのでしょう」
「犯人は何か言ってたんですか?」
「周囲にいた参加者が聞いた話では、僕のお人形になってドゥヒンと言いながら抱きついたとか」
「それはキモイ。早急に塀の中に入れた方がいい」
「逮捕された犯人は、お嬢様の追っかけをしていたようで」
追っかけとは、ファンが推しを追いかけて、全国どこにでもついて回る行為のことだ。
「月はアイドルでもないのに」
「お嬢様は美人でございますし、テレビにも何度か出演しています」
まぁあの毒吐きツインテは、黙っていれば美少女なのは間違いないし、ああいったちょっと気の強そうなタイプが人気なのもわかる。
月のオタク嫌悪は、もしかしたら嫌悪から恐怖症、もしくは憎悪にレベルアップしてる可能性もあるな。
状況はあまりよくない、多分これは時が解決してくれるような心の傷ではないだろう。
「私どもに協力できることがありましたら遠慮なくお申し付け下さい、最大限のバックアップをさせていただきます」
「ありがとうございます、どうするか考えます」
家に帰って、一晩悩みぬいた末に結論がでた。
変に逃げてもダメだ、月のメンタルの強さなら遠ざけるよりオタクの生態を知った方がいい。
「……よしオタクどもに触れてみよう」
◇
翌日――
「ねぇどこ行くの?」
「もうつく」
まだまだ寒さが厳しい中、俺と月は並んで電車に乗っていた。
彼女はトレードマークであったツインテを下ろしてロングのストレートヘアになっており、服装はブラウスの上にリボン付きの厚手のコートを羽織っている。見た目だけならセレブなお嬢様にしか見えない。
彼女自身いつもの快活な感はなく、テンションも低めだ。
昨日喋れる程度に回復したものの、本調子には程遠く稼働率30%ってところか。
「よし、ついた」
アキバ駅から裏路地をいくつか通り、俺たちは1階にリサイクルショップ、2階にカードショップが入った古びたテナントビルを外階段から上がっていく。
錆びた階段を上っている最中、あまりの怪しさに月が声を上げる。
「なんで外から入るのよ、エレベーターくらいないのここ?」
「あるけど壊れてる」
「はぁ!? メンテ義務があるでしょ!」
相変わらず怒ると元気になってくるやつだ。
「階段もボロくて歩きにくいし」
「ブーツなんか履いてくるからだぞ」
「デートって聞いたから!」
月はキレかけて言いよどむ。
今のはデートって聞いたからオシャレしてきたって言いそうだったな。
俺は後ろを歩く月の手をとる。
「俺が引っ張っていけばいいだろ」
「…………」
手をつなぐと急に大人しくなった月を連れて、5階のフロアに入り、[日本玩具撮影会]と書かれた扉の前で立ち止まる。
「いかにも怪しさ満点なんだけど、まさかここに」
「入るぞ」
俺はコンコンと控えめにノックしてから扉を開けると、中は薄暗く学校の教室くらいのフロア内に、プロジェクターを一台配置し何かの上映会を行っていた。
俺たちは邪魔にならないよう、一番後ろに置かれたパイプ椅子に座る。
椅子はプロジェクターを中央にして左右に3列ずつ配置されており、そこには若者から中年まで様々な顔ぶれの男性が、真剣な表情でスクリーンを眺めていた。
スクリーンに映し出されているのは、昔のロボットの玩具で皆それを見て「渋いねぇ……」と声を漏らしている。
「ここは昔の玩具や、最近発売されて出来栄えの良かった玩具の写真を撮ってきて上映する場なんだ」
「は、はぁ?……」
月は「なるほど、わからん」と言いたげに首を傾げていた。
まさかデートでこんなわけのわからないところに連れてこられるとは、夢にも思わなかっただろう。
「じゃあ次、入江君よろしく」
「は、はい」
発表を終えた男性がカメラとプロジェクターに繋がっているコードを抜きながら、次の発表者を促す。
そこには俺の見知ったイガグリ頭のオタクが、ちょっと緊張した面持ちで前に出た。
「お、オデの撮ってきました写真は、今年冬のワンダーランドフェスティバルに出展された最新玩具の写真です」
プロジェクターと入江の持っているカメラが繋がれると、スクリーンいっぱいに戦車の玩具が映し出される。
それを見た参加者は「入江君渋いねぇ、いやぁ渋い……」とおっさん青年、みな玄人顔で頷く。
被写体にはなんら感情移入できなくても、あらゆる角度からとられた写真からは、本当に撮影者は戦車が好きなんだろうという情熱がひしひしと伝わってきた。
「では前回に続きまして、ワンダーランドフェススカートコレクションにまいりたいと思います」
戦車の写真が終わったのか入江はデジカメをカチカチと操作すると、今度は硬派な戦車とは全く違う、最新美少女フィギュアがスライドショーで映し出される。
そのどれもが全体を映すわけではなく、たなびくスカートばかり撮られている。
戦車を見て玄人顔していたおっさんたちは、今度は「これは渋いねぇ……」と芸術評論家のように唸りながら、美少女フィギュアのスカートを鑑賞していた。
当然自分の理解を超えたやりとりに、月は肘で俺をどんと突く。
「ねぇ、あの人達さっきから渋いしか言ってないんだけど。ただフィギュアのエロ写真眺めてるだけじゃないの!?」
「あの人たちは素人にはわからない審美眼で玩具を精査されている。戦車写真の渋いは、”この重厚感、90ミリ砲から戦車砲の音が聞こえてくるようだ、渋いねぇ”の意味を込めた”渋い”だ」
「フィギュアの方は?」
「”ギリギリパンツが見えるか見えないか1ミリの計算でスカートが造られている。メーカーと造形師のこだわりに賞賛を送りたい。匠の技だよ、渋いねぇ~”の”渋い”だ」
「わかるわけないでしょ! 通訳いるわよ!」
「彼らレベルの歴戦級オタクになると、”渋い”だけで全てが通じあう。生意気なこと言ってると俺らごとき潰されるぞ」
「オタクこわっ」
理解できない人間にはさっぱりわからない世界だろう。しかしそういうディープな世界がここにはある。
ガヤガヤと二人で騒いでしまったせいで、前に座っていた男性が振り返る。
「ちょっと、彼女うるさいよ。彼氏静かにさせてよ」
「どうもすみません。静かにさせます」
「彼女ってあたし?」
「お前以外誰がいるんだ」
「彼女か……傍から見るとそう見えるのね」
なんでこいつ怒られたのに、ちょっと喜んでんだ。
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