第246話 TUNDEREIA Ⅳ

 翌日――


「それで、どこに向かっている?」


 デネブ自らが運転する流線型のスーパーカーの中で玲愛は尋ねた。


「とても綺麗な景色があるんだ、そこを君と一緒に見たい」

「ふん……」


 バックミラーを見ると、恨みがましい目で玲愛を見つめる巴の姿があった。その顔は明らかに、なんで私が一緒に連れてかれてるのよと語っていた。

 二人きりとかマジムリホントムリと玲愛がごねたせいで、巴が急遽ついていくハメになったのだった。

 と言ってもデネブのボディガードがいるので、もとから二人きりというわけでもない。


「ついた。ここだよ」


 玲愛たちを乗せた車は、きっちり周りを黒塗りの防弾車で護衛されながら目的地へと到着した。

 そこは地元でも有名な大きな湖で、今の時期湖面が凍り、陽の光が当たると湖全体が虹色に煌めいて見えるのだ。


「綺麗……」


 巴は白い息を吐きながら、ロマンティックゥと呟く。

 一方玲愛は、寒い早く帰りたいと顔をしかめていた。


「晴れて良かったよ」

「そうだな、この景色だけは素直に美しいと思う」


 気づくと王子お付きのボディガード達が、てきぱきと椅子やテーブル、ストーブの準備をしていた。


「この景色を見ながら飲む紅茶は格別なんだよ」


 三人がキャンプ用のくせに、やたらと豪華な椅子に腰かけるとタキシードを着た老年の執事から、湯気の上がったティーカップを手渡される。


「執事のセバスだ。僕の世話役だよ」


 執事は「どうぞ、冷めないうちに」と丁寧な礼をして下がっていった。


「ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」


 玲愛と巴は礼を言ってからカップに口づけた。

 口の中に広がる紅茶の暖かさが、じんわりと体にしみる。

 玲愛はリラックスしながら美しい虹色の湖を見て、ゆっくりと白い息を吐いた。


「良いところだ」

「お褒めいただき光栄だよ、ミスレイア」

「私にミスは必要ない」


 カップに口づけながらそう言うと、デネブは喜んだ表情になった。


「………あぁ、ありがとうレイア」


 それからしばらく湖畔を眺めていると、観光客らしき家族連れがやってきた。

 どうやらキャンプをしに来たようで、親がテントの準備をしている中、兄弟とおぼしき少年二人が凍った湖に降りていく。


「ここは人が乗れるほど厚い氷が張っているのか?」


 玲愛の問いにデネブは顔をしかめる。


「いや……そんなに厚いとは聞いていない。確か立ち入り禁止だったはずだが」


 デネブがパンっと手を打つと、先ほど紅茶をいれてくれた老年の執事が現れる。


「爺、あれは大丈夫なのか?」


 氷の上に乗る少年をデネブが指さす。


「非常に危険でございます。保護者に注意して参ります」

「頼む」


 執事は速足で近くにいる保護者に駆け寄っていく。


「子供くらいの体重なら大丈夫だと思うが、ここ数日気温が上がっている。氷が薄くなってる部分もあると思う」


 心配そうな目で少年の姿を見るデネブだったが、当人達はおかまいなしに湖の中心ではしゃぎまわっている。

 その時氷がピシッと音をたて、その直後ドボンと水音が鳴る。

 玲愛たちの嫌な予感が当たり、薄くなった氷が割れ少年の一人が湖に落ちたのだ。


「パパ、兄ちゃんが落ちた!」


 一緒に遊んでいた少年の声が響く。


「早く湖から出るんだ! ヒビが入っている!」


 王子の叫びに氷上にいた少年は慌てて岸へと戻った。

 湖に落ちた少年の顔がすぐさま水面に浮かんでくるが、泳げないのか水中で暴れて、周りの氷をどんどん砕いていく。


 丁度執事が注意していた最中だった為、保護者も異常に気付き、父親はすぐさま助けようと氷の上に立とうとした。

 しかし子供の体重を支えられない氷が、大人を支えられるわけもなく、簡単に割れて父親は水中に落下してしまう。

 父親はなんとかボディガードたちによって引き上げられたが、一瞬で体温を奪われぐったりとしていた。


 皆の気が動転している中、デネブは「救助隊レスキューを呼べ!」と叫んだ後に、氷の上に乗ろうとする。

 

 デネブが足をかけた瞬間氷にパキッと亀裂が走り、体重をかければ割れてしまう事は目に見えた。


「くっ……無理か」


 少年は湖の中心で、今はなんとか厚くはった氷にしがみついているが、いつ力尽きて水の中に沈んでもおかしくはない。


「あれじゃ救助隊が来る前に凍死してしまう」


 見殺しにすることはできない。デネブは覚悟を決めて氷の上を踏み込んだ。

 しかし当然のように氷は割れ、靴の中に冷水が入り、そのあまりの冷たさは腰をぬかしてしまうほどだった。


「いけません王子!」

「し、しかし爺」

「この寒さで湖に落ちれば死んでしまいますぞ!」


 デネブは強く言われて、悔しさで歯噛みする。何もできないのかと強く拳を握りこんだ時。


「すまないなデネブ、バカ王子なんて言って。お前はきっと良いやつだ」

「えっ?」


 デネブが後ろを振り返ると、その脇を玲愛がすり抜けて行った。


 その場にいた全員が唖然とした。


 一人の女性が、まるで何事もない普通の道のように、ヒールをカツカツとならして氷の上を歩いていくのだから。

 誰もが沈黙し、氷の上を歩く美しい女性に見惚れる。


「どうして……彼女は落ちないんだ?」


 デネブの疑問はもっともだった、それに執事が答える。


「彼女の身のこなし、ただものではありませぬ。凄まじいバランス感覚で、地面に全く圧力をかけない歩き方をしています。また靴音で氷の厚い位置を判断して、的確に割れない場所を選んでいますぞ」

「そんなことができるものなのか?」

「にわかには信じがたいことですが……現実に起きております」


 玲愛はカツカツカツと一歩一歩モデルウォークで氷上を歩き、溺れかかっている少年の前に立つ。

 少年は下半身を水につけ、氷にしがみついたままぐったりとしている。

 湖の中を掻き回した為か、泥や藻に汚れた少年は触れることを躊躇してしまう姿だった。


 玲愛は少年の着ているパーカーの首元に手を伸ばすと、水に濡れて重くなった体を片手で引きずりあげ、汚れなど一切気にせず抱き上げた。

 氷の厚い位置から救出したが、二人分の重みに虹色の床がパキッと嫌な音をたて、無数のヒビが入る。

 だが焦らず、来た時と同じ歩調でゆっくりと岸へと戻っていく。

 全員が固唾を飲んで見守る中、誰かが呟いた。


「氷の女王」と。


 デネブもただただ、その美しさに見とれるしかなかった。


「爺、彼女の着替えを……。それと体を乾かせる場所、近くのホテルでもどこでもいい。ダメというなら買い取れ。早く!」


 デネブは周りに指示をだしながら、氷の女王に完全に心を奪われていた。


「なんて神々しいんだ……僕の嫁を全て失っても……君を……」



 岸につくと丁度到着した救急車に少年と父親は乗せられ、慌ただしく去って行った。

 その様子を見届けて玲愛達は小さく息を吐く。

 泥と冷水に濡れているのに、全く気にした様子のない玲愛をデネブは熱っぽい目で見つめる。


「レイア……僕は」

『ピロロロロロロ』


 丁度王子の声を遮って、玲愛のスマホが鳴り響いた。

 その着信音は途切れてはまた鳴り、途切れてはまた鳴りを繰り返していた。

 今まで全く鳴らなかったのが嘘のようで、ひっきりなしに鳴り続ける。


「なんだ?」


 スマホを取り出して画面を見てみると、玲愛の顔が大きく曇った。

 メールと着信通知は待ち焦がれていた人物と妹からだ。

 恐らく本当にメールが止まっていたらしく、中には見過ごせないものが入っていた。


『俺、玲愛さん達との許嫁関係破談になりました。助けて( ;∀;) 』


 自分がいない間に家で何かあったと気付き、すぐさま部下に連絡する。


「三島私だ、家で問題が起きた。すぐ帰国する。飛行機は臨時便を作れ、いくら積んでも構わない大至急だ」

「レ、レイア?」

「すまないデネブ、緊急の用事ができた。国に帰らせてもらう」


 唐突なことに困惑するデネブ。


「えっ、用事というのは?」


 玲愛は泥を拭い、上着だけかえると、降り出した小さな氷の結晶、ダイヤモンドダストを背に小さく笑みを浮かべる。


「隠すつもりはなかったがフィアンセが国で待っている」

「フィ、フィアンセ?」

「あぁ、私を落とした男だ」

「薄氷の上でも落ちない君をかい?」

「あぁ、見事に叩き落とした男がいる。私の人生はそいつにやった」

「……その男性がとても羨ましいよ」

「200人も嫁を持ってよく言う」


 玲愛はクスリと笑ってから、やってきた車に巴と共に乗り込んで空港へと向った。

 残されたデネブは、ずっと車の後ろ姿を眺め続けていた。


「……………」

「フィアンセがいらっしゃるとは思いませんでしたな王子。わたくしも、あの氷の女王を口説き落とせる人物を見てみたいものです」

「爺、彼女と共同ビジネスをしたい。こちらがどれだけ不利な条件でも構わない。彼女に協力したい……」

「王子、あなたはフラれたのですぞ」

「……わかってるさ。でもレイアは生涯僕の”推し”だよ」


 デネブは「去り際も美しい……」とすっかり骨抜きにされていたのだった。



「帰国できない!? そんな馬鹿な話あるか!」


 空港にて怒鳴り散らす玲愛。


「現在カナダ周辺で感染症が広がっている為、日本への入国審査が厳しくなっていて……」


 詰め寄られて困る三島だったが、文句を言われてもどうにもならない。


「私は感染症なんて……ゴホッ……」

「……………」

「あんた王子にうつされたわね……」


 玲愛と一緒に帰ることになった巴だったが、冷静に風邪の原因を言い当てた。


「ふざけるなよ! 発熱したら隔離期間があるだろう! 三島なんとか金で私だけでも入国させろ!」

「無茶言わないで下さいよぉ」


 せっかくのチャーター便もむなしく、日本に近いカナダの空港で足止めをくらうことになったのだった。




 TUNDEREIA            了





――――――――

あとがき

あまり物語の意図とかを書くのは好きではないのですが、意図とかなりズレて伝わっているので少しだけ注釈を。


今回の話は玲愛は姉気質で、悠介とかぶって見えたデネブを放っておけず、その姿にデネブがべた惚れしてしまうトラブルの話です。

オチとしては結局王子だろうがなんだろうが、玲愛はよその男にはなびかず、颯爽と帰っていきます。

その姿にデネブは自分の入る隙きはないんだなと気づいて、嫁ではなく推しという形で玲愛を応援しようとするお話でした。


本編の流れで玲愛が寝取られると予想された方が多かったのかもしれませんが、そういうことは起きません。

また一部トリガーキャラにヘイトが集まってますが、物語のためご容赦下さい。

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