第209話 雷火と満員電車
事の始まりは雷火ちゃんからのアキバに行きたいというお誘いだ。
どうやら同人ショップに新刊が大量入荷したということで、我々はその真相を調べるためアキバ奥深くに調査に向かうことにした。
時刻は正午過ぎ。駅前で待ち合わせという、いかにもカップルがやりそうな事をして彼女を待つ。
待ち合わせ時刻10分前になった頃、小さなハート型の鞄を肩にかけ、リボン付きのブラウスに赤のチェックスカート、黒ニーソの天使がやって来た。
雷火ちゃんは俺に気づくと小走りで駆け寄る。
「すみません遅れました」
「いや、俺が早く来ちゃっただけだよ」
「二人っきりでお出かけって、あんまりなかったですよね?」
「確かに、意外と二人って珍しいかもしれない」
「じゃあデートですね、これは」
雷火ちゃんは嬉しそうにクルリと回ると、茶色い長い髪と、スカートがふわりと舞う。
「あっ、手の怪我大丈夫ですか?」
「こっちも全然大丈夫」
俺の掌は大分回復しており、右手には包帯が巻かれているものの腕は吊ってはおらず、スマホくらいなら普通に持てるようになっていた。
多分荷物は左で持つことになるが、日常生活に大きな不自由はない。
「じゃあ行こっか?」
「はいっ!」
俺と雷火ちゃんは駅の改札に入ろうとして、いきなり出鼻をくじかれた。
「あちゃ、接触事故の為現在運休中か」
駅の周りには俺達と同じく大勢の人がたむろしており、皆かわりの交通手段をスマホで検索しているようだった。
「むー、いきなりデートの邪魔するとかやってくれますね、国鉄」
「まぁ風にも雪にも人にも弱いからね、遠回りになっちゃうけど地下鉄があるからそっちで行こっか」
「はい、そうしましょう」
地元の駅から電気街はさして遠くはないのだが、地下鉄を使うと倍以上の時間がかかるのでできれば使いたくはない。しかし運休しているのではしょうがない。
二人ですぐ傍にある地下鉄への階段を下りていくと、簡単に予想できたことだが人がごったがえしていた。
「うわぁ……凄い人ですね」
国鉄運休の煽りをくらっている為、プラットホームには企業戦士が列を成している。
ほとんど隙間なくあふれる人の数を見ると、イベント帰りかラッシュアワーを彷彿とさせる。
「見ているだけでげんなりしちゃうね」
「でも行くしかありませんね」
「確かに。覚悟を決めよう」
数分して電車が来る。人ごみに押し込まれるようにして乗り込むと、予想通りすし詰め状態と化していた。
このぎゅうぎゅう詰めの不快感、こんなの毎朝経験している企業戦士はほんとすごいと思う。
俺はなんとか雷火ちゃんのスペースだけは確保する為、扉付近に陣取り、両手を扉について空いた前のスペースに雷火ちゃんをいれる。
パッと見は壁ドンしながら至近距離で見つめあうカップルに見えなくもないが、後ろから迫るオジサン集団の圧力に耐えている為、微塵もそんな雰囲気になることができない。
「ぐぉぉぉっ、結構きつい!」
「だ、大丈夫ですか?」
胸の前で、雷火ちゃんが心配そうに俺を見上げる。
「大丈夫だよ。雷火ちゃん息苦しくない? 多分めちゃくちゃ酸素薄いよ」
「わたしは大丈夫です。日本の混雑は酷すぎですよね」
「確かにそうだけど、この人たちが経済を回しているおかげで今の日本があるわけだからね」
安易にお父さん臭ーいとか、汚ーいとか、息臭ーいとか言ってはいけない。
人と人の圧力がこんなにも凄まじいものだとは、そりゃ祭りとかでケガ人も出ると納得してしまう。
そんな必死に外圧から耐える俺の姿を見て、雷火ちゃんは。
抱きっ♡と、正面からべったりとくっついてきた。
「あの、雷火ちゃん?」
「なんでしょう?」
特に気にした様子もない彼女は、そのまま俺の胸に顔を埋める。
「えーっと……」
俺が困惑しているのを見ても特に気にした様子もなく。
「公衆の面前で堂々と悠介さんに抱き付けるときが来るとは、わたしも思っていませんでした」
彼女は顔を胸にグリグリと押し付けながら、深呼吸なんかしてくるもんだから恥ずかしくてしょうがないのだが。
「あの雷火ちゃん、というか雷火さん。恥ずかしいのですが」
「大丈夫ですよ、きっと誰も見てません」
その意訳としては、誰も見てないからくっついてもいいという事になるのだろうか?
「男の人の匂いですね、悠介さん実はフェロモンとか出してるんじゃないですか?」
「フェロモンて……」
また、すーっと息を深く吸い込む雷火ちゃん。
その度にくすぐったくって身をよじる。しかしそれを逃がすまいとぎゅっと抱きしめられる。
俺が諦めて心頭滅却しながら念仏を唱えていると、雷火ちゃんはブラウスのボタンを一つ二つと外す。
「あの……雷火さん?」
「はい」
はいではなくてですね。
「君の可憐なオパーイが見えちゃうよ」
「大丈夫です、多分正面からじゃないと見えません」
それは俺に見えてもいいと言うことなのか。
乗客は通常の倍以上。じっとしていると汗がにじみ出てくる車内、それは目の前の少女も例外ではなく、汗が鎖骨を伝い一滴胸につぅっと流れていくのを目で追ってしまう。
胸の膨らみにかけて緩やかなカーブを描いた滴は、胸の谷間へと消えていった。そこにはレモン色の下着が見えており、はっとして顔を背ける。
「良い反応ですね、姉さん達が可愛いっていうのがよくわかります」
「あんまり年上をからかっちゃダメだよ」
恐らく赤面している俺が、何を言っても情けないだけだと思う。
「たまには攻めの姿勢も大事かと思いまして」
「俺は苦手だよ、その、なんていうか、困る」
雷火ちゃんがクスクスと小悪魔的な笑みを浮かべると、キーッとブレーキ音と共に車体が大きく揺れる。その直後、急に雷火ちゃんの体がぴんっと伸びた。
「どうしたの?」
「その……えっと。し、知らない人の手が、わたしの臀部に……」
確認するとサラリーマン風のオジサンの手が、雷火ちゃんのお尻と扉の間に挟まってしまったのだ。
さっき揺れたせいだろう。オジサンの手はねじれており、痛そうにしている。
痴漢などではなく、たまたま手が扉と尻の間に挟まってしまった事故だとわかるのだが、雷火ちゃんとしては尻を触られているのと一緒だから恥ずかしいだろう。
俺は雷火ちゃんの腰を強く抱き寄せ、なんとか隙間をあけるとオジサンはさっと手を抜く。
俺はまた他人の手が挟まらないように、両手でギュッと彼女のお尻を掴んだ。
「ひにゃあっ!」
かわいい悲鳴を上げ、口を押さえながら俺の胸に顔を埋める雷火ちゃん。
「う~、今触ってるのって悠介さんの手ですよね?」
「違うよ」
顔を赤くして怒っている少女に、ほんの少しの逆襲。
シレっと嘘をつくと、雷火ちゃんは「えっえっ?」と慌てて、体を強張らせる。本当に痴漢被害にあっているのかもしれないと思ったのだろう。
「俺じゃないよ」
と言いつつ、むにむにと尻を揉む。そこで彼女も気づき頬を赤らめながらジト目になる。
「絶対に悠介さんの手ですよね? 包帯の感触ありますよ」
「バレたか」
「ほんとびっくりしたんですからね、セクハラですよ」
「大丈夫、誰からも見えてないよ」
「それさっきわたしが言ったセリフです」
「これは雷火ちゃんのお尻を守るバリアだから」
「かなり自我を持ったバリアですね」
その状態のまま電気街近くの駅で下りると、雷火ちゃんはハート形の鞄をぺいっと俺の頭にぶつける。
「変態です、痴漢です。わたしの許嫁は痴漢男でした」
「相手との合意があってやった」
「そんな性犯罪者みたいな言い訳言ってもダメです」
依然として雷火ちゃんの顔は赤い。
ほんとに怒っちゃったかなと思ったが。
「ごめんね」
「いえ、悪いことしてるみたいで凄くドキドキしました……。満員電車悪くないですよね……。痴漢もののエロゲ買って帰ろうかな」
許嫁が変な性癖に目覚めてしまったかもしれない。
「帰りも満員電車でしょうか?」
「その頃には多分国鉄が復旧してるんじゃないかな」
「そ、そうですよね」
ちょっとがっかりしている雷火ちゃん。
しかし今度は帰宅ラッシュに巻き込まれることを、今の俺たちは知らない。
雷火と満員電車 了
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