第88話 甘やか(義)姉妹

 窓から爽やかな光が差し込む朝――

 やわらかいベッドから出たくないと思うのは、当然の心理であり冬場なら尚更だろう。

 このぬくもりを手放して学校に行けなんて、拷問にも等しい。


「おはようユウ君」

「ぁー……おはよ静さん」


 耳元で囁かれる優しい声と、後頭部に当たる極・形状記憶軟体物質により、自分がベッドの柔らかさではなく人間の柔らかさに包まれていることに気づく。

 首を少し動かすだけで、頭の下に敷かれた大ボリュームのキングスライム二匹が揺れる。

 まぁなんだ、簡単に状況を言えば、静さんの腕に抱かれながら乳枕で寝ていた。

 決してこれはバブってオギャってるわけではなく、事後スパークして朝チュンしてるわけでもない。先日怪我した後頭部のケアである。

 いつもは低反発枕を使っているのだが、それだと痛いから、なにか柔らかくて頭が置けるものがないか考えた結果こうなった。


 わかる。俺もそうはならんやろと言いたくなるが、静さんに抱かれているうちにスヤーとなってしまったわけだ。

 というわけで、ここ数日寝る時は静さんと添い寝、というより抱かれ枕状態で寝ている。

 ほんとくっついて寝る安心感すんごいの。

 寝るまでずっといい子いい子と頭なで続けてくれるし、俺死んだら生まれ変わって静さんの子供になりたい。

 そんな輪廻転生ホラーみたいなことを考えていると、彼女は俺の後ろ頭を優しく撫でる。


「だいぶコブも小さくなったね」

「そうだね。もう2、3日くらいで治りそう」


 あの後藤乃さんから病院で精密検査を勧められ、水咲所有の病院でMRIだかIRIだかわかんない装置に入れられて脳みそを調べられた。

 結果判明したのは、俺の頭は石より硬い鉄頭だったということだけ。


「ユウ君、もう配達バイトウーバー○ーツなんかしちゃダメよ」

「う、うん。ウーバーじゃないけど」


 このケガは配達バイト中に、自転車ですっ転んで後頭部を打った……ことになっている。

 静さんを騙すのは心苦しいが、喧嘩でこうなったって言うと泣かせてしまいそうだし。


「もうそろそろ静さんと一緒に寝るのも終わりかな」


 そう言うと静さんは、突然我が子が外国語を話しだしたみたいに首を傾げる。


「……なんで?」

「いや、傷も治りそうだしね」

「ダメよ、頭の傷は遅れてやってくるかもしれないし。いきなり記憶障害起こすかも」

「そ、そうかな」

「そうよ。大事を見て後3ヶ月はこのままじゃないと」

 

 長ない? 大事見過ぎでは?


「でも静さんに迷惑だよ。上に乗っかられると重いでしょ? それにこんだけくっついて寝るのも……」

「そんなことない。姉弟なら普通だから心配しないで」


 そうかな……そうかも……。


 ちなみに風呂にも普通に一緒に入ろうとしてくる。

 最初は手を怪我したわけじゃないからいらいなよって、恥ずかしさ8割見栄2割で断ったのだが「姉弟なんだから普通よ」と言われると、そうかな……そうかも……とすぐ丸め込まれてしまう。

 ダメだこの人と一緒にいると、ほんとに柔らかい綿で全身を包まれているかの如く、甘やかされてしまう。


「ユウ君、朝食作ってくるね。もうちょっと寝てるかしら?」

「うん、もうちょっとだけ」

「じゃあ出来たら起こしてあげるから」


 そう言って静さんはキッチンへと向かう。俺は家庭的な義姉の後ろ姿を見やる。


「静さんパジャマにしてくんないかな……」


 透けたネグリジェは高校生の精神衛生上良くない。

 まずい、自立する意味で一人暮らししたのに、これでは元の木阿弥である。

 ダメ人間にされてしまうんじゃー、でもそんなエンディングがあってもいいのでは? などと堕落したことを考えつつ、彼女の匂いが残るベッドにバフッと顔を埋める。

 するとふとベッド横のサイドボードにメモ帳が置かれているのが見えた。

 なんだこれ? 昨日の夜こんなのあったっけ? と思い手にとってみると


『シチュエーション:ケガのケア――添い寝、お風呂介助、抱き合って寝る、一緒の朝、恥ずかしがる彼、寝ている間にキス』


「マンガのネタにされとる……」


 多分近いうちに恋夜の主人公はケガすることになるな。

 後最後の寝ている間にキスって、これはただ思いついただけだよね? 実行してないよね? 昨日の朝、ずっと上の空だったのってそれが原因じゃないよね?


「俺のファーストキス既に奪われてる説」



 学校の昼休み、教室にて――

 相野は手を合わせながら、俺の後頭部に礼をする。


「何やってんだお前?」

「このケガは恐らくラブ神様が落とした天罰でしょう」

「疫病神じゃん」

「ラブ神様は、異性に関して調子に乗っている男に天罰を落とす神なのです」

「名前詐欺じゃん」

「これ以上女の子とイチャイチャすると、さらなる天罰が下るでしょう」


 どう考えてもラブ神が童貞が産み出した邪神な件について。


「やかましいわ。それより俺は、お前が海パンのゴム抜いたの忘れてないからな」

「それはもう贖罪しただろ」


 そう、あの件はエロゲ一本で示談が成立している。

 後江口が盗撮した雷火ちゃんたちの水着写真は、俺が全て責任持って押収した。


「で、これまだ痛いの?」


 相野はツンツンと俺の後頭部を突く。


「やめろ、さわんな。まだズキズキすんだから」

「チャリでこけるとか間抜けの極みだな。今度からヘルメットと肩パッドしてチャリ乗れ」

「やだよ。世紀末かよ」


 そんな話をしていると、2年の教室前に火恋先輩と雷火ちゃんがやってきた。

 昼食時のこの光景は最早恒例となっており、今更冷やかす人間はいない。


「悠介さん、お昼にしましょう」

「たくさん食べてケガを治さないとね」


 二人は教室内に入ると、使われていない机を借りて席をくっつけ合わせる。

 その上に本日も火恋先輩特製お重がでんと置かれる。

 漆塗りで高級感のある重箱を開くと、大きな鰻の蒲焼きと牡蠣フライが見える。

 醤油タレの匂いが香り、実に美味そうだ。だけど、なんか食べ物に偏りがあるような……。


「たくさん食べてくれ。この鰻にはすっぽんを粉末にしてまぶしてある。こっちの牡蠣フライはアルギニンの含まれるマカを衣にして揚げてあるんだ」


 火恋先輩、それってほとんど精力がつくものばかりでは?

 そのうち赤まむしの蒲焼きとか出そうで怖い。

 まぁ栄養があることは間違いだろうから、多分傷にはいいと思うけど(適当)


「「「いただきます」」」


 手を合わせてからお箸を探すが、俺の分がない。

 雷火ちゃんは箸を探している俺を見てニッと笑うと、手にしたフォークで鰻を突き刺し俺に差し出す。


「ケガしてますから食べさせてあげますよ。はい絶滅危惧種と名高い鰻です」


 食べにくくなること言うね……。


「牡蠣も美味しいと思う。食べてくれ」

「「あ~ん」」


 二人は俺に食べさせようと、フォークと箸を近づけてくる。


「き、気持ちはありがたいんだけど、別に手をケガしたわけじゃないから……」

「遠慮するのはよくない」

「そうですよ。どっちかって言うとわたし達がやりたいだけですから」


 二人は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、はよはよと口を開けることを促してくる。

 渋々差し出されたものを食す。体が少しカッカッしてくるが味は上手い。

 同級生の痛い視線に耐えながら食事を進める。


「あの……気になってたんだけど、雷火ちゃんも火恋先輩も食器かえた方がいいですよ」

「なんでですか?」

「いや、その……」


 同じフォークや箸を使いまわしてるのが恥ずかしいのだが……。

 彼女たちはあまり気にしない方なのだろうか。

 俺の使った箸が火恋先輩の口の中に入っていく。これは最早、間接ディープキスでは?

 火恋先輩はチラリとこちらを伺うと、邪な考えが読まれたのか「フフッ」と笑みを浮かべながら箸を軽くねぶる。

 絶対わざとだ! いつもそんなお行儀悪いことしないもん!




 そんな感じでキャッキャ言ってる後ろで、相野は野球部の金属バットを手にしながら江口と話していた。


「なぁ江口、これでオレの後頭部ぶん殴ってくんねぇ? オレも女の子に可哀想って言われながらチヤホヤされてぇ」

「オメがやっても多分誰もチヤホヤしてくれねぇべ。むしろバカって言われるからやめとけ」



 放課後――


「じゃあ俺、今日もう一回病院呼ばれてるから」

「はい、お気をつけて」

「何か問題があったら連絡してくれ。国外に良い脳外科医がいるから」


 その医者の世話にはできればなりたくない。

 伊達姉妹と分かれ学校の外へと出ると、すぐに俺の前を白塗りのリムジンが遮った。

 自動で後部席のドアが開くと、中には制服姿の月の姿が見えた。


「今日はフルコースだな」

「病院まで送るわ。話したいこともあるから」

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