うまくできない私達の(後編)

「う……うう」

 シャワーを頭から浴びながら私はぼろぼろと泣いた。

 最悪だ。

 いくら泣いても気持ちは晴れない。なのに涙は止まらない。

 最悪。本当に最悪。

 今すぐ何処かへ逃げ出したい、それが無理なら消えちゃいたい。無理だ無理だ。いやだいやだ。

 そんな気分でいると、脱衣所のドアが軽快に開け放たれた音がする。

「桜子ちゃ~ん、倒れたりしてないよね~?」

「……えっ?」

 うそでしょう? なんで来たの?

「大丈夫なんで……大丈夫、ですから……!」

 出て行ってよ。来ないで。

「片付け終わったら行くって言ったでしょう?」

「だからって……!」

 なに脱いでるの? やめてよ! 

 私の願い虚しく、宮子さんは入ってきてしまった。

「桜子ちゃんと裸の付き合いがしたくて来ちゃった」

 なにそれ。やめてよ。

「…………」

 宮子さんのすっぴんと裸を初めて見た。

 どっしり構えてこちらを見据える彼女にどうしても『出てって』と言えなかった。


 さっと体を洗った宮子さんは私の頭にシャワーを浴びせてくれた。鏡越しに顔が見えたりしなくて助かる。

「張り切り過ぎちゃったかなぁ、って思ったのよね」

「……なにが?」

 私はもう取り繕う余裕なんてなくて、キツい口調で返事するのが精いっぱいだ。

「うまくできないの、私。適切な距離感ってものがよくわかんなくて」

「そうね」

「人見知りなのに、仲良くしたい相手や好きな人にはつい近づいちゃうし、大きなお世話焼いちゃったりね……」

「そう」

 少し、わかった気がする。きっとこの人はずっと私に対して何かしたかったんだ。たぶん初めて会ったときから。

 わからないことを澄まし顔でやり過ごしている私とは違う。

「それでたまに勘違いさせちゃったりしてね……男女問わず」

 困ったねぇ、と笑う宮子さんを可愛らしいと思った。いい人だな。愛嬌があってちょっと丸い感じがして。私と違って可愛い。

「だから、得意なんだよゲ○処理!」

「ちょっと、言葉を選んでっ……!」

 敢えて茶化してくれいるってわかるのに、私は噛みついてしまう。私は本当に可愛くない。

 振り返り、睨みつける私の肩に宮子さんは手を乗せて瞳を覗き込んだ。

「それとも……責められた方が桜子ちゃんは楽、かな?」

 優しい瞳でそう言われた途端、涙が溢れてきた。

 敵わないな、ホントに。

 嫌な自分を隠したままにさせてくれない。

「ごめんなさい。ごめん、なさい……宮子さん」

 きっと、どこかで引っかかり続けてきた言葉だ。それは結婚式の時からかもしれないし、帰省した時からかもしれない。

 あなたのことを祝福できなくてごめんなさい。家族と認められなくてごめんなさい。何も言わず、近づこうともせずにいてごめんなさい。迷惑かけてごめんなさい。

「……うん」

 少しだけ寂しそうに宮子さんは笑って、それから直接触れたりはしないように、そっと後ろから抱擁してきた。しばらくお互いに何も言わず、そうしていた。

 シャワーの音だけが響くお風呂場に私達二人だけ。

 それが少しだけ心地よくて、宮子さんにちょっとだけ背中を預けてみた。

 そしたら、ぎゅってされた。

「……おっぱい押し付けないでよ」

「ええ⁉ 桜子ちゃんから甘えてきたんでしょう?」

「そういうとこ、正直苦手」


「桜子ちゃんの髪ってキレイだよねぇ」

「どぉも」

 シャワーを終えた私達はリビングに移動した。それから宮子さんに髪を乾かしてもらった。そこまでは、まあ、よかったんだけど私は現在彼女に膝枕されている。時計は午前三時を回った。

 髪も乾く頃合いになってお父さんがおずおずとリビングに現れた。私はなにか言おうとしたけど、言葉が出なくて、お父さんもそんな感じだったんだけど、宮子さんがいきなり私を横倒しにしてしまった。

 抗議しようとしたけど、目配せしてきたから成り行きを眺めているとお父さんは満足げに頷いてリビングから去っていった。宮子さんが言うには『あれで心配性なところがあるから、コレが一番』だそうだ。なんか納得してしまったのと、抵抗する気力がもうないからか私はこの状況を受け入れてしまった。

 不意に宮子さんが訊ねてきた。

「ねえ、桜子ちゃん……?」

「なに?」

「なんであのお酒を選んだの? あの人の影響? 好きだものね、あの銘柄」

「…………」

「…………」

 まあ、気になるよね。実際、思い入れは私にもお父さんにもある。

 そしてたぶん、ママにも。 

「……理由」

「うん?」

「いつか、教えてあげる。だから……んっ」

 私は小指を差し出した。宮子さんは躊躇わずに小指を絡めてくれた。

「なにも聞かないで、好きなままでいさせてあげて。約束」

「……はい。約束、しました」

 これだけできっと宮子さんはいろんなことを察したと思う。それでも胸の内を確かめる代わりに繋いだ小指を離せなかった。

 そうしているうちに私は彼女の名前を呼んだ。

「宮子さん」

「なぁに?」

 用事なんてなかったから、つい思い付きを口にしてしまった。

「お酒、飲み方とか、色々……教えて」

「いいわよ、連休中に飲み比べとかしてみましょうか? 三人で」

「それ……」

「嫌、だった?」

 嫌だと言ってもいい、そう語っているような瞳を見上げて笑いかけてみる。

「意外と、楽しそう」

「やった。じゃあ、決まり。約束ね」

「うん」

 固く結んだ手を振りながら宮子さんが笑う。

 本当はありがとうって言うところなのだろうけど、これでいい。今はまだ。

 この人と正直な気持ちで話すことだって私には冒険だったのだから。

 もう、眠ろう。次の冒険がいつになるのかなんてわからないからね。

 宮子さん、このまま眠らせて。

 そんなこと言ったら、この人は困るかな?

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午前三時の小さな冒険 世楽 八九郎 @selark896

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