dedication-06(105)
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スカイポートの孤児院を出たその日の昼。キリムとステアはミスティ地区の門の前に立っていた。
相変わらず乾いた礫砂漠の中にぽつんと佇む小さな集落は、旅立った時と何も変わっていない。雲1つない青空は海辺よりも高く感じ、キリムは久しぶりの空気を胸いっぱい吸い込んだ。
「帰って来た……本当はステアに頼めばいつだって帰って来れたんだよね」
「ああ。俺に言えばいつでも連れてきてやった」
「いやあ、何か成し得ないと帰れない気がしてさ。今なら胸を張って帰れるって、ようやくそう思えたんだ」
「そうか。俺も思えば久しぶりだ。グラディウスの墓にも参らなければならん」
およそ10か月ぶりの故郷では、東と西の門にそれぞれ当番が時折立つくらいで、警備が厳重とは言えない。他の町や村では必須な記帳や身分証の提出も求められない。
キリムの背丈よりも低い柵が囲んでいるだけの集落は、実質的に結界のみで守られているようなものだ。そのような入村者管理をしても無駄な程、良くも悪くも開かれている。
そんなミスティは、キリムにとって16年間慣れ親しんだ土地だ。寂れた脆い村だとしても、どこを訪れた時よりも心が落ち着く。キリムは門をくぐって村に入ると、門の柱に寄りかかって座り、昼飯のパンをかじっている男に声を掛けた。
「おお、キリムか! 随分と立派になったな」
「ご無沙汰してます、おじさんも元気そうだ」
「おう! オリガが全然帰ってこないと言って怒っていたぞ、戻ってきたなら寄ってやれ」
村は狭く、全員が顔見知りだ。短い白髪頭を掻きながら、歯があちこち抜けた老人はニッコリ笑って宿屋の方を指した。
「ステア、お昼ご飯も食べたいし、オリガさんの所に行っていい? その後で父さんや母さん、それにみんなのお墓に行きたい」
「分かった」
キリムの家もあるが、もう誰か他の者が使っているかもしれない。たとえ空き家のままだとしても、長く空けているせいでベッドも埃をかぶっているはずだ。掃除から始め、料理出来る状態までこぎつけるのはきつい。だからと言って足代わりに何度も瞬間移動をさせる事も躊躇われた。
「こんにちはー」
宿につくと、キリムは誰もいないロビーに向かって声を掛けた。しばらくすると食堂の方から宿の女将であるオリガが緑のエプロン姿で出てくる。
「あら、あらら! おかえりなさい、半年ぶり? いや、それ以上か。随分立派になったんだってね、噂は聞いてるよ」
「どんな噂か知らないけど、大げさだよきっと。オリガさん、ご飯をお願いしてもいいですか?」
「いいわ、じゃんじゃん食べて! 午後から商人の定期キャラバンが来るはずだし、全部食べつくしてくれて構わないわ!」
オリガはキリムの背中を半ば強引に押して食堂の椅子に座らせる。
見たところ、この時間に滞在している宿泊者はいないようだ。午後にはキャラバンが来ると言うから、その1組が泊まるかどうかだろう。
「肉でいいかい? 稼いでいるんだってね。しっかり食べて、繁盛させてちょうだいね!」
「ははは……」
オリガのウインクに、キリムは思わず懐の心配をする。
「ステアは何かいる?」
「ビール」
「ステアってほんとビール好きだよね。味わう様子もなく水みたいに飲むけど」
オリガはキリムの水とステアのビールを先に運んできた。ステアは特に乾杯をする事も、キリムが水に口をつけるのを待つ訳でもなく、ビールの炭酸などなかったかのようにゴクゴクと飲み干した。
「味わってる?」
「ああ」
本当は何でも良かったのではないか。そう思えてくるが、ステアは果実酒や甘い飲料は飲もうとしない。およそ人ではありえない飲み方でも、珈琲とビールは気に入っているようだ。
そのうち前菜など何もなく最初に牛のステーキ肉が運ばれてきて、厚切りのじゃがいもを揚げてソースを掛けた郷土料理、焼き立てのパン、肉の出汁が効いたスープ、後になって唐揚げとじゃがいもサラダが運ばれてくる。
「ちょっと、オリガさん! こんなに食べられないよ!」
「残ったら夜に持ち越してもいいし、お弁当にしてあげてもいいし。勿論今日は泊まるんだよね? ん? まさか日帰りなんて言わないよね?」
「あ、泊まります! 俺とステア、2人分お願い」
特別視されず、顔なじみとして接して貰えると、キリムの表情から硬さが取れる。オリガは旅の様子を聞いてくるだけで、キリムがどんな功績を残したのか、どれだけの決心で村を旅立ったのか、そんな事は気にしない。
キリムは必要以上に自分の決意や功績に固執していたと気付く。満腹になった頃、キリムはステアでさえ滅多に見ない程くつろいでいた。
「オリガさん、部屋はどこを使ったらいいです?」
「ああ、階段上がって一番右奥の部屋がいいね」
結局キリムは全てを平らげ、オリガに礼を言った後、食べ過ぎのせいで随分とゆっくり階段を上っていく。
部屋に荷物を置くと、キリムとステアは少し休憩して墓地へと向かった。
* * * * * * * * *
「久しぶりになっちゃったね、父さん、母さん」
キリムはイーストウェイで出会ったアビーのように、幽霊でもいいから出てきて欲しい、そう願いながら小さな白御影の墓石に手を合わせる。ステアもその横で見よう見真似で手を合わせていた。
「暫く……何百年か何千年かはまだ父さんと母さんと一緒に眠る事はなさそう。元気にしてるから心配しないで」
ステアはその言葉を聞き、キリムが人としての人生を捨てる決意を報告しているのだと理解した。キリムが何故この村に立ち寄ったのか。ステアはその動機がただの里帰りではない事に気付いた。
キリムはそれから友人の墓、戦いで散ったクラムの慰霊碑へと手を合わせる。
「ステア、どうかした?」
キリムはグラディウスの慰霊碑に手を合わせ、横に並ぶステアの顔を覗き見た。その顔は腑に落ちないとでも言いたそうだ。
「グラディウスの核を埋めてあると聞いたが」
「え? ああ、うん。埋める所は俺も見たけど」
「1年以上経つが、芽が出る気配がない」
「えっ? 何の芽?」
キリムはステアが真顔で唸るのを不思議そうに見つつ、何となくステアが指す芽とは何かを察した。
「土に埋めたのだから、1年も経てば芽が出るはずだ。グラディウスが幾つか成れば喜ばしいのだが、もしや枯れてしまったか」
「あー、そういうことか。ステア、あのね。土に埋めたから芽が出るんじゃなくて、種だから芽が出るんだよ。例えば俺の核である俺の心臓を土に埋めても、俺は育たない」
「ふむ。核だけでは駄目だという事か」
「いや、違う」
「土では駄目なのか」
種を埋めたら芽が出るという断片的な知識を正す為、キリムは野菜や果物の仕組みを説明しながら村を回って畑を見せた。それでもステアは何が違うのかと不思議がって首を傾げる。
キリムは最終的に「クラムの核には発芽の栄養がなく、土からも栄養を取れない」という暴論でステアを納得させた。
そうやって村を歩いていると、すれ違う村人の誰もがキリムに対して「おかえり」や「立派になったね」などの言葉をくれ、キリムの顔は嬉しそうに緩む。
有名な召喚士キリムではなく、この村では成長したキリム坊やなのだ。
「坊やか。あの老婆3人組のようだ」
「ヤチヨさん達、孫の方が俺より年上らしいからね、あれは仕方ない」
果物を買おうと村に1つしかない食品店に寄った時も、キリムは店主の男に頭をぐりぐりとなでられた。この村ではキリムは片書きなどないキリム坊やでいられる。
いずれキリムの知人は全員老いていき、このような扱いを受ける事もなくなるだろう。こんな何でもない時間でも、のちのキリムにとって大切な時間だ。
辺りが薄暗くなり、キリムがそろそろ宿に戻ろうと言い出すまで、ステアは他愛もない村自慢や、挨拶まわりに付き合って歩いた。
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