Merkmal-09(088)


 キリムは残ったハンバーグのひとかけらを口に放り込み、マーゴ達に頭を下げる。自身の会計分をテーブルに置こうとすると、ダーヤが「奢りだよ」と言ってキリムとエンキ、それにステアの分の代金を代わりにテーブルに置いた。


「すまない」


「……わお、クラムステアに感謝されるなんてね、今日はいい午後の休暇を過ごせそうだ」





 * * * * * * * * *





 ゴジェの工房に戻ると、ステアはエンキにワーフを召喚するように指示した。ワーフが不調だからあまり気が進まないと言いながらも、エンキはゴーグルに触れながらワーフに呼び掛ける。


 ほどなくして現れたワーフは、一見特に不調に見えなかった。けれど、どこか口数が少なく、そしていつもふわふわだった毛並みにツヤがなかった。


「やあやあエンキ。おはようかな? それともこんばんはかい?」


「こんにちはの時間です、ワーフ様」


「おっと、お昼なのか。ノウイと洞窟の時間がズレているから分からなくなっちゃった。それで、今日はどんな用事なのかい?」


「ワーフ。不調というのは本当か」


 エンキが言い辛そうにしていると、あまり遠慮を知らないステアがいきなり本題に入る。ワーフはエンキに召喚された喜びからにこやかにしていたが、ステアの問いかけで表情が固まり、つぶらな瞳を潤ませた。


 ワーフはしょんぼりとして、次第に悲しみを深めていく。普段は全く見せない姿にエンキもキリムも驚き、ステアも不思議そうに眉間にシワを寄せた。


「ワーフ、どうした」


「オイラ最近作りたいものが浮かばなくなって、何を作っても巧くいかないんだ」


「はっ。あれだけ無理難題を言って材料探しをさせていたくせに、その情熱が無くなったのか」


「分からない、でも何も作れないんだ。ううう……」


 ワーフは泣きじゃくりながらエンキに縋りつく。エンキに慰められ、頭を撫でられ、ワーフはいっそう抱きつく力を強める。これではどちらが師匠なのかわからない。


「ワーフ様、俺はいつでも慕ってますよ。そうだ、少し相談に乗って欲しい事があるんですけど」


 エンキはワーフを宥めるように、優しく声をかける。しばらくは返事もままならなかったが、ワーフは頼られる事で安心したようだ。深呼吸をし、聞かせてごらんと言って涙をぬぐった。


 エンキの相談に乗っているうちに、ワーフはいつもの調子を取り戻していく。技法についての指導からデザインとの駆け引き、更には選定すべき素材まで的確に指示を出し、およそスランプとは思えない。


「不調だと言ってたけど、そうでもなさそうだね」


「いや、俺はワーフがあのように取り乱すのを初めて見た。そうだな、少し酷だが……おいエンキ、ワーフの召喚を解け。そしてゴーグルをテーブルの上に置いてみろ」


「え?」


「確かめたい事があると言っただろう」


 エンキとワーフは作業を止め、エンキがワーフの召喚を解く。だからと言ってその場からいなくなる訳でもなく、ワーフは不満そうに再召喚を強請る。


 エンキがゴーグルに手を掛け、そしてテーブルの上に置く瞬間。ステアが確かめたかったのはその瞬間のワーフの変化だった。


「置いたけど、これからどうするんだ?」


「ワーフ。エンキの手からゴーグルが離れた瞬間、何か痛みなどはなかったか」


「ん? 痛みは特にないよ」


「……思い過ごしか」


 ステアが何を確かめたのか、キリムはそれをようやく察した。


 状況だけを見れば、ステアの不調とワーフの不調はよく似ている。召喚された時は調子が良く、召喚されていないと調子が悪くなる。


 それはつまり。


「カーズ、もしかしてそういう事かな」


「そうではないかと考えた。だが俺の時とは事情が異なるようだ。俺は召喚されている時に腕輪を外されると胸に杭を打たれたように痛みがあった」


「え、そんなに痛かったなら早く言ってよ」


「と、とりあえずもう一度召喚しても宜しいですか? ワーフ様」


「うん、もちろんいいとも! はやく呼んでおくれ!」


 エンキが再びゴーグルを掛け、ワーフを召喚する。ワーフはとても嬉しそうに飛び跳ね、早く製作の続きをやろうとエンキを急かす。


「この状態じゃ、カーズかどうかの確証はないね」


「そのようだ」


 ワーフが不調である原因はまだ何も探れていない。しかしエンキと出会い、共に製作をしだしてからというタイミングには、何か意味があるように思える。


「エンキ、エンキは何か……自分の変化がある?」


「変化と言われて思い当たるほどじゃねえけど、ワーフ様と作ってると仕上がりが俺の実力以上だと思える時がある」


 エンキには変化の有無を尋ねたが、キリムは自分に何か変化があるのか、その自覚がまるでない。ステアを召喚している事で自分に何が起きているのか、それを考える暇もない命がけの戦闘を繰り返してきたのだから、無理もないのだが……。


 キリムは考えるうち、ふと他の召喚士と自分との違いを思い出した。それは今まで当然のように接してきたエンキに対し、唐突に湧き上がった疑問でもあった。



「ねえ、エンキさ、ワーフを召喚して、限界だって力尽きたことある?」


「あ? いや、一緒に鍛冶してたら時間なんてあっと言う間だし、もう疲れたとかそんな事考える暇ねえよ。そりゃ終わったら力尽きてるけどな」


「じゃなくて、召喚自体だよ。一度呼んだら、どれくらいそのまま?」


「どのくらいって、そうだな、まあ来てもらってから帰っていただくまでだな。2,3時間の時もあるし、丸2日一緒に製作してる時もある」


 その発言に、キリムは驚くと共に、確信する。


「ねえ、エンキ。召喚の勉強をした事はないんだよね? あ、いや……俺も父さんと母さんに習っただけなんだけど」


「召喚の勉強なんてしてねえよ。召喚士ギルドに行く前、チラっと調べものしたくらいだ。どうせ召喚士にはならねえし」


 エンキはキリムの問いかけの真意が分かっていない。


「そんな状態で霊力を使うって、凄い事なんだ。一般的な召喚士がクラムを呼んでいられる時間だって、長くて数時間って言われてる」


「は? っつうことはあれか、俺なんか召喚と違う事してんのか?」


 エンキは他人の事になると察しがいいが、自分の事になると全く頭が働かないらしい。紺屋の白袴、灯台下暗し、己の事をしっかり見れないのはキリムも同じかもしれない。


「ワーフが戦闘型じゃないっていう事、それも理由と思う。でも、自分に必要なだけ召喚し続けられるって、やっぱりエンキとワーフって、カーズの可能性があるよ」


「はっ? えっ、俺が? 召喚士じゃねえのに?」


「だから、召喚士かどうかじゃなくて、召喚者かどうかなんだよ」


「俺が、ワーフ様と?」


「おいらとエンキが!? それは嬉しいね! とても嬉しいよ!」


 鍛冶の神を従える鍛冶師。神の加護を受ける鍛冶師。それはこの上ない喜びだ。エンキはその可能性を考え、思わず笑みがこぼれる。


「俺が、ワーフ様と……キリムとステアみたいな事だよな! ああ、そうだったら最高だ! ワーフ様、不調だなんて言っていられませんよ!」


「うんうん! そうだね、その通りだ! 何でも作れるような気がしてきたよ!」


 エンキは人ではなくなる事を深く考えていないようだ。それどころか、永遠に鍛冶が出来ると言ってワーフとハイタッチをして喜んでいる。


「キリム」


「えっと……何?」


「お前が強くならなければならないのは勿論だ。だが、あるべき主従であることを……いや、何でもない」


「言いかけてやめないでよ、何かあった?」


 ステアはキリムから視線をそらして腕組みをする。


「俺もカーズになれると喜ぶお前が見たいものだ」


 ステアが珍しく拗ねた事で、キリムはプッと噴き出す。


「わーい、嬉しいなあ、カーズだあ!」


「……演じるならもっと上手くやれ」


 そう言ってキリムのおでこを弾くステアは、どこか嬉しそうに見えた。

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