CARSE-07(045)


 宿屋に戻ると、キリムは寝間着同然の恰好から普段着に着替え、慌てて集合場所へと向かった。


 キリムは白い半袖のシャツに、黒いカーゴパンツ、靴はサンダルだ。一方のステアは……。


「ステア、装備のままじゃ出かけられないよ! 私服は?」


「いつもの寝間着ならある」


「えー……よりによってあの寝間着はちょっと」


 ステアを始めとする多くのクラムは、はるか昔の人の習慣を受け継いでいる。当時夜には寝間着を着ると教わったのか、ご丁寧にわざわざ寝間着を買って着用しているのだ。


 もちろん、装備じゃなければいいという話ではないし寝間着は問題外だ。とりわけいつもステアが着ている、前ボタンで可愛らしいウサギがプリントされた寝間着など、どう私服だと言い張ったところで寝間着にしか見えない。


「あー……じゃあ装備の下にいつも着てるアンダーシャツでいいよもう。いや、んー……やっぱり駄目かな、なんか違うよね」


「みすぼらしくなければいいのだろう。何の問題がある」


 ステアは悩んだ末に一度服を漁りに帰り、黒いニットのノースリーブの襟を立て、膝あてを外しただけのゆったりとした白いズボンを穿いて戻って来た。


 そこまではセーフなのだが……。


「おかえり、かっこいい服……靴は?」


「ない」


 足具はそのままだ。普通の靴は持っていないらしい。


 胸元までのファスナーを開け、ニットの上からでもスタイルの良さが分かる逸材だというのに、靴がこれでは少々無理がある。


「ステア、後で靴を買おう。持ち歩かなくてもステアの家に置いてたらいいから」


「二度とこの町に来なければいいだけの話だ」


「……ステアだけお留守番する?」


「断る」


「この先、旅人だとバレたら入れない町もあるんだ。ジェランドって島は召喚士の立ち入りが禁止されているらしいし」


 ステアは自身の足具を見ながら暫く考え込んだ後、履き口に入れていたズボンの裾をそっと出した。足具の脛の部分を隠せば何とかなると思ったのだろう。


「まあ、俺もサンダルだし……どこかで靴を買おうよ」


 妥協した2人が旅人区域の出入り口に向かうと、もうマルスとリビィとサンが待っていた。


 リビィとサンはいつもローブを着ているが、リビィの今日の装いは淡いピンクのワンピースだ。サンは白い半袖シャツにカーキのカーディガンを羽織ったパンツスタイルで、彼女らにとって久しぶりのお洒落だ。


「キリム君おっはよー! もうお昼近いけど」


「あ、おはよう。今日の恰好、2人とも見違えるね」


「そう? ……ってどういうこと?」


「可愛いなって。旅をしてると、お洒落なんてする機会が無いから、俺はこんな服しか持ってないんだ」


「ありがと! 聞いた? マルス。キリム君はちゃんと可愛いって言ってくれたよ?」


「はいはい、可愛い可愛い」


 マルスは少し照れながら、面倒くさそうに返事をする。


 挨拶という習慣がないステアは、腕組みをしてマルス達を見下ろしたままだ。可愛い、カッコイイなどというお世辞を言う気もなく、そもそもお世辞が分からないかもしれない。


 とりわけステアは、キリム以外が何をしようと人であるか否かくらいの認識しかしていない節がある。


「旅人はなあ……服を揃えたところで持ち歩けねえもんな。いざ服って言われても何着ていいか分かんねえし」


 マルスは黒い半袖シャツに青いハーフパンツ、それに赤いスニーカーを履いている。お洒落とは言えないが、一般的な恰好としては問題ない。


「あーでもそれは分かる。あたしもローブばっかりで、むしろ私服が落ち着かないもん」


 一人だけやたらと石畳の上をゴツゴツ叩く足音を響かせつつ、一行はブリンクの実家を目指す。


 街の中央には円形の大きな広場があり、そこを中心身分の高い人の家が集まっているのだという。白壁が美しい家々より一際目立つのが、広場の北にあるベンガの代表貴族の館だ。


 城とまでは言わないが、とても大きなその4階建ての赤い屋根の白い屋敷は、広場から伸びる芝生の道と繋がっていて、彫刻や小さな池も見える。田舎育ちで大きな街を拠点にしてもいないキリムにとっては別世界だ。


「まさかブリンクの実家って、この辺じゃないよね?」


「商店をやってるって話だから、こんな上級貴族の居る所じゃないはず」


 マルスの歩くペースが落ち、ポケットから地図を取り出して確認する。そしてキリムの横に並ぶとキリムの手を取り、こっちだと言って通りを右へと曲がった。それを見たステアの顔はあからさまに歪む。


「あの、ステアさん? 何かありました?」


 サンが不思議そうにステアに訊ねると、ステアは当然のように「気に入らない」と前置きをしたうえで、マルスの行動を非難した。


「あいつ、俺の許可も我が主の許可も取らずに気安く触れたぞ」


「え? ふふっ、まるで飼い主が他の犬を可愛がったみたいな拗ね方」


 通りは広く、青空の下に白い壁と白い石畳が並び、家々の窓には色とりどりの花が鉢に植えられている。ゴーン程ではないものの、生活の買い出しではなく散歩のようなのんびりした人々が行き交い、喫茶店のテラスもゆっくりと時間が過ぎている。


 しばらく歩き、貴族の屋敷などがなくなった辺りで左に曲がり、何ブロックか進むと、マルスは可愛い雑貨が置いてある店の前で立ち止まった。


 店先のアンティークの椅子にはぬいぐるみの兎が置いてある。その横のテーブルには白い上品なカップと皿、店の中には動物の形を柄につけたスプーンや水筒、旅人向けの日誌帳、花柄のバッグなども沢山見えた。


「ここだな」


「うわぁ、なんか可愛い小物がいっぱい置いてある!」


「ほんとだ! やーん欲しい! え、ブリンクの実家ってこんな可愛い雑貨を置いてるお店だったんだ! いいなぁー」


 皆が店先で騒いでいると、お洒落な白い木枠の扉が客の来訪を告げる鈴を鳴らす。そして内側からはブリンクが店の扉を開けて顔を出した。


「やあ、みんな来てくれたんだね、中に入ってよ。母さん、みんな来てくれたから部屋を使うよ」


「はい、あらいらっしゃい。息子がいつもお世話になっています。おやつにケーキを焼いているの、紅茶も用意してるから、さ、あがって頂戴」


 迎えてくれたのはピンク色のエプロンとポニーテールが似合う品のある女性だった。少し体格のいいこの女性がブリンクの母親だ。


「お邪魔します、お店、素敵ですね」


「あら、有難う。さあ、2階にお上がりなさい」


 笑顔を絶やさないブリンクの母親に案内され、皆は2階のリビングに通された。木目のフローリングの上に足の細い食卓テーブルがあり、店とは雰囲気が違うすっきりとした室内だ。


「すごいね、本当に都会っ子だ」


「リビィも都会っ子じゃん」


「んー、でもゴーンってちょっとガサツというか、商人の街って感じじゃない? こういう貴族っぽい雰囲気のところは憧れる」


「あたしなんか、普通に農村の農家の出だからさあ。初めて大陸で寄ったイーストウェイですら大都会だよ。分かるよね? キリムくんなら分かってくれるはず」


 マルスはゴーンでの生活が長く、ミスティに住んでいた時期があると言っても田舎者とは呼べない。サンは唯一の田舎者仲間であるキリムに、迫るような表情で同意を求める。


「うん、分かる。色んなところに寄ってるけど、一番綺麗で凄い町かも。あ、でも俺は……クラムの洞窟の雰囲気も好きだな」


「ならば、毎日俺の住処で寝泊まりしてもいい」


「毎日家から旅先に通う旅人なんて嫌だよ……」


 ステアは眉間に皺を寄せ、「お前の家ではないだろう」と首を傾げた。キリムは帰る場所を捨てた旅生活を決意している。一方でステアは、あくまでも自分の住処は寄るだけの場所だからセーフだと思っていた。


 この2人の噛み合っているようで噛み合っていない様子に、皆からは思わず笑いが漏れる。暫くするとブリンクの母親が焼いたケーキの甘い香りが流れてきた。

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