CURSE-03(041)
* * * * * * * * *
その頃、ステアは自宅に帰り着き、そして錠剤を口にしていた。と言っても、口に頬張るものの、飲み込むことが出来ない。近くにあった水の入った瓶をつかむと、口をあけ、そして水で錠剤を流し込む。
そして一息ついたステアの表情は、戦いの為に存在する勇敢なクラムとは思えない程疲れ切っていた。
「……俺に何が起こっている?」
今まで召喚される頻度は決して高くなかった。キリムと出会うまでは、ニキータから当たり前のように血や錠剤を分けてもらっていた。
けれど、今は幾ら摂取しても自分に吸収されているようには思えない。それどころか、この頃は口に含むことにも嫌悪感を覚えるようになり、こうして無理矢理流し込まなければならなくなっていた。
毎晩眠るようなことは無かったのに、最近は寝なければ疲れが取れない。先週は一度、起きられずにキリムとの待ち合わせの時間に遅れてしまった。
「……キリムの血が、俺に何か影響を及ぼしている? それともキリムからの召喚に俺が耐えられなくなっているのか」
キリムが原因なのか、それともステアが原因なのか。いずれにしても、考えたところであまり良い結論を導けるとは思えない。
クラムは基本的には夢を見ない。厳密に言えば生物とは異なる彼らにとって、就寝というのは例えば機械が電源を切られているような、目をつぶって停止しているだけにすぎない行為だ。
しかし、ステアはこの頃、寝ている間にも意識があるような錯覚があり、それが人で言うところの夢だと気づくのに数日を要した。
毎晩見るその夢は、毎日同じ場面が繰り返される。その夢はステアの眠りの中で、いつも少しだけ進んでいく。
『戦いにもだいぶ慣れてきたと思うんだ』
『ああ、そのようだ』
『このままデルを捕まえに行くぞ! なんて気が早いかな』
『慣れてきたくらいで倒せる相手か』
夢の中ではなんの変哲もない旅が続いていた。キリムは楽しそうにステアと会話をし、現れた魔物を狩る。相変わらず不愛想な返事でも、ステアにとっては上機嫌だ。
そして宿に戻った後、ステアは1日の終わりに差し出された腕をつかみ、何も躊躇せずに牙を立てる……。
昨日そこで終わった夢が、今日も少しだけ進む。
キリムの腕の僅かな傷から、温かい血がステアの口に流れ込んでくる。
キリムの我慢しなくてもいいんだよという声が聞こえ、心まで満たされるようなひと時が訪れる。
そこで目覚めるのだろう、ステアは夢の終わりをそう悟った。
しかしながら目を開けた瞬間、視界にあったのは自分の部屋ではなかった。鮮やかな赤が広がり、それは炎でもなく溶岩でもなく、赤い湖のようだった。
「俺は……家で寝ていたはずだが」
状況のおかしさに気づき、辺りを見回そうとした時、ぬるっとした感触に固まる。ステアの顔、そして手のひらは何か温いもので濡れていた。
それが何なのかを確かめようと、自身の手を見た時……。
「血、なのか?」
血に浸したかのように真っ赤な自身の手に驚いて顔を上げると、そこにはキリムが横たわっていた。清々しい表情で、討伐後の達成感に浸っているかのようだ。
「何だ。俺が知らん間に、一体何を倒した」
「我慢しなくてもいいんだよ」
キリムが再びそう口にした時、真っ赤だった背景は元の色を取り戻した。天井まで届く程高い本棚が並ぶ、薄暗い書庫の床で、ステアは目の前の光景を理解する。
「お、俺が……キリムを」
ステアはキリムの腹の中に手を突っ込み、内臓から滴る血を吸っていたのだ。
「俺は……! はっ」
その状況に耐えられなくなり、ステアは珍しく大きな声を発すると飛び起きた。目が覚めて見た光景と思っていたのは、まだ夢の中の出来事だった。
「お? 起きたな。大丈夫か」
ディンが心配そうにステアの顔を覗き込む。最近夜にはいつも帰ってきているため、ディンや他のクラムが顔を出していた。
ステアの家にも鍵はなく、クラム達は出入り自由だ。クラム達は代わる代わる訪れ、ステアからその日1日の出来事や、人の世の動きを聞き出すのが楽しみらしい。
今日はいつも起きている時間にステアが寝ていたため、ディンは起きるまで待つつもりだった。ところがステアがうなされ始め、心配になって覗き込んでいたのだ。
「お前、どうしたんだ? 訪ねてみたら灯りも付いたまま、ベッドに倒れてうなされていたぞ」
「これは現実なのか……?」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ、寝ぼけるクラムがいるかよ」
「キリムは……? キリムは大丈夫か!」
「キリム君? 何かあったのか? まさか魔物との戦いで……って、お前なんて酷い顔してんだ。どうしたんだよその弱り切った顔は」
ディンはステアの消耗しきった様子に驚いていた。クラムだというのに目には力が無く、クマまで出来ており、心なしか痩せて見える。少なくとも万全の状態ではないことは明らかで、ともすれば激しい戦闘を行ってきたのかとすら思えた。
「キリムを、俺は……」
おかしいと感じたディンは、まだ覚醒していない様子のステアに、落ち着くように諭す。
ディンとは誕生が数十年しか変わらない。とはいえ、少しは兄貴分というつもりがあるのだろう。
ディンはそっとステアの背をさすってやる。次第に落ち着きを取り戻しだしたステアは、自分が寝ている間に見たものを少しずつ話し始めた。
「つまり夢の中で、お前がキリム君を引き裂き、食べていた、と」
「ああ」
「そもそも夢ってもんが分かんねえんだけど、よりによってそんな光景を? 顔色も悪いし、キリム君に血を貰って来いよ、足りてねえからそんなになるんだ」
「先週から我慢している」
「何でだ? キリム君に何かあったのか? その様子じゃ持たないぞ、消えちまう」
ディンは当たり前の事を言ったつもりだが、ステアは首を振り、それを拒否した。
「駄目だ、キリムの血を……飲んではいけないんだ」
「だから何でだよ! キリム君に何かあったのか? どうして俺に相談しない!」
「違う、キリムじゃない、これは俺の問題だ」
「なんだよ、隠さずに言ってみろ。知られたくない事なら黙っていてやるから」
ディンは興味本位ではなく、本当に心配していた。ディンの不安そうな顔を見ると、いつも自信と不愛想に満ちているステアも観念したようだ。
「最初は液体の、瓶に入った血が飲めなくなった」
「ああ、ニキータから買う血か? なんでだ」
「分からない。キリムの血を飲む回数が増えて、少し前にキリムが耐えられずに倒れた。それも、俺は倒れた瞬間まで口を離せなかった」
「美味過ぎて、なんて馬鹿な事は言わないよな」
ステアは冷たくディンを睨み、その問いには答えなかった。美味しくてというだけでは説明がつかないからこそ、こうして悩み、キリムの血を拒否しているのだ。
キリムが耐えられない程の血を求めてしまう事で、キリムの邪魔になっているのではないか。そう思いながらも、ステアはキリムの役に立っているという自負もあった。
「美味いかと言われたなら断言できる。誰にも譲りたくない程美味い。だが血を目当てに傍にいると思われたくない」
ならば血を貰わずに役にだけ立てばいい。そう考えたのだが……キリム以外の液体の血は喉を通らなくなり、錠剤も口に含んだだけで吐き気がするようになった。
その結果、キリムはステアを心配し、旅のペースを落とそうとしている。結局邪魔になってしまっているが、主従を解く事だけはどうしてもしたくなかった。
クラムとしての本能なのか、主を失う事が恐ろしくて仕方がないのだ。
「幸い、なんとかまだ戦いは出来る。無理矢理血を求める事もない」
「つまりお前は、キリム君の血以外を受け付けない体になっている、と」
ディンは、ステアの発言を頭の中で整理する。そしてまさかと呟くと、ステアに告げた。
「あるべき主従、カーズ」
「……考えなかった訳ではない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます