Re:START‐07(026)


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 ステアはキリムと別れて自宅で装備を脱ぐと、半袖の白いシャツにラフな黒いズボンに履き替え、「クラム全書」の150年前に出版された初版を読んでいた。


 電気がないのでランプや松明の明かりと、光のクラムに反応するヒカリゴケが照らす。冷暖房設備は無く、トイレも必要ない。水が必要なら洞窟内のいたる所で汲むことが出来る。


「俺についての記述は……今はもっと増えているのだろうか」


 初版には「クラムステアは両手に剣を持ち、人型をした武神である」としか書かれていない。そのページをめくろうとして、ステアはふと手の甲が汚れていることに気づいた。


 洞窟内にいくつかある湧水地点の、一番近い所で汚れを落とそうと考えたステアは、着替えを手に持って向かう。水辺に立って誰もいないことを確認すると、ステアは服を着たまま水に入った。


 そして頭まで潜った後、潜ったまま頭をごしごしと洗うような仕草をし、そして服を脱ぎ、体も申し訳程度にタオルでこすっていく。


 汗をかかないからか、基本的には表面についた汚れを取ることが出来れば十分だ。ステアの水浴びはかなりいい加減である。


 そしてもう一度潜り、水面から顔を出すと近くの岩に腰掛け、そして裸のまま服をゴシゴシと洗い出した。


「お前も来ていたのか、ステア」


「ディンか」


「あとでノームとニキータと、ワーフも来るぜ」


「……あの3匹の会話は意味不明で聞くに堪えん」


 ステアが服を洗い終わる頃にディンが現れ、そして服を上だけ無造作に脱ぐと、水の中に倒れるように浮かぶ。いい加減なのはどうにもステアに限った話ではないようだ。


「ははは、どこかズレてんだけど成立してるんだよな」


「成立? あいつらの話に意味などあるものか。興味だけで行動する精霊は手に負えん」


 どのクラムも自分が一番だと思っていて、その拠り所は全く異なる。


 見下したような発言をするも、実際にはワーフに頼んだり、ニキータに頼まれたりと関係は良好で、互いを尊重している。価値観が重ならない部分を無理に合わせないのがクラムなのだ。


「そういえば、今日無作為召喚で呼び出されたんだが、お前の主が今噂になってんだと」


「キリムが? 何故だ」


「そりゃあ言われなくても分かるだろ。資質値が99の新人召喚士が、この時期に1人で行動してるってな」


「……面倒な話題だな」


 主であるキリムが認められるのなら、もちろんステアだって誇らしい。けれど今は好奇の的として注目を浴びているだけだ。認められたわけではない。


「そのキリムくんをどこのパーティーが手に入れるか、それを賭けてる奴もいるそうだ」


「あいつはどこにも入らん」


「キリムくんが言ったのか?」


 ステアは召喚士以外に全く興味がない。もっと言えば、今は主であるキリム以外の召喚士にも興味がない。


 キリムが仮にどこかのパーティーに入ったとしても、その仲間に興味など持つことは無いだろう。


 だがキリムが加入したいと言うならそれを止める権限はないし、強い仲間が出来れば四六時中ステアがついている必要もない。主である事を辞めると言いだす事はなくとも、場合によってはもう帰っていいと言われる日もあるだろう。


「我が主を装飾品のように考えている輩に任せはせん。そんなくだらん連れなど邪魔なだけだ」


「でもお前がずっと一緒にいてやる訳にもいかねえだろ。人には人の暮らしがある。いずれ旅人を引退する日も来る」


「だから今のうちからキリムの為に、仲間の審査でもしてやれと言うのか」


「ステア。お前何を苛ついてんだ? 何にも興味がなかったお前が、そんなに主に執着するとはね」


「苛ついている? 俺が? はっ、馬鹿な事を」


 ステアはディンに指摘されるまで、自分がキリムに執着しているなどとは考えた事も無かった。一緒に旅をしてやる、デル討伐に手を貸してやる、最初はそのはずだった。


 けれど今は確かに主を失う事、必要とされない事を恐れていると気付いた。


「俺はてっきりお前がキリムくんとカーズでも狙ってんのかと思ったぜ」


「カーズ、あるべき主従、か。いつ現れるのか、もう既にこの世を去ったのかさえ分からない真の主への憧れなど、持ち合わせていない」


「まあ、それは全クラムに共通した考えだな」


 あるべき主従とは、1体のクラムの長い生涯のどこかで、ただ1人だけ現れるという特別な召喚士との主従関係を指す。


 その召喚士は真の主であり、クラムの真の力を解き放つ存在だとされている。そのためには召喚士がクラムの血を飲み、カーズという関係になる必要がある。


「今の主の寿命が尽きたなら、次の主を見つければいい。退屈ならそうやって血をくれる召喚士を確保するのも手だ、そうお前が言った」


「そうだけど。主の死を経験したくないがために、200年の間1度も主を持たなかったお前が何を偉そうに。詩人メルリトに続く、第2のカーズはどのクラムになるのやら。もしキリムくんがそうだったら?」


「考えた事はない」


「お前の血を飲ませたら分かる事だ。やってみるといい」


 ディンはコップに血を注ぐような仕草をし、灰色の顔色でめいっぱいニカっと笑って見せる。だがステアの顔色は冴えない。


「それには相応の覚悟をさせなければならない。もしも真の主だったなら、キリムは人でなくなるんだぞ。寿命も老いもなくなり、クラムのようになる。知人の死もいつの間にか遠い過去になる」


「ま、それを恐れてクラムの血を飲む事を拒否した召喚士も、拒否されたクラムも大勢いるからな。俺は1度経験したけど……それからの主だった者の死はつらい」


 あるべき主従であっても、召喚士がクラムの血を飲まなければカーズとはなれない。だが、あるべき主従であるのかを知るには、実際に血を飲んでもらう必要がある。


 嫌がる召喚士に無理矢理血を飲ませたところで、その後がどんな関係になるのか……クラムだって分からない訳ではない。現実には拒否された時点で信頼関係は崩れ、主従は解消となる。


「元からクラムである俺達はいい。だが人は自分だけが取り残される人生を楽しめるのか。メルリトの主は幸せか」


「瀕死の主を死なせたくないメルリトが口に含ませ、運よくカーズにはなったが、目覚めずにもう500年って話か。召喚された状態で主が死ねばクラムは消える。カーズになればどちらかの死でもう片方も死ぬ。楽にもしてやれないんだよな」


 ステアはまだキリムにあるべき主従やカーズの事を伝える気はなかった。


 今の時点でキリムを見捨てる気はなく、かといって万が一拒否された後も一緒にいてやれる自信はなかったからだ。


「面倒を見ると約束した。デルを捕らえるという目標にも手を貸すと約束した。血も美味いし資質も高い。今はまだそんな話をするべき時ではない」


「なんだかんだ、お前は優しい……おっと、騒がしい3匹がお出ましだ」


 ステアとディンが真剣な話をしていると、そこへノームとニキータ、それにワーフがやってきた。


 耳や手足が大きな小人と、2本足で歩く猫とウサギ。見るからに愉快な仲間たちだ。


 鼻歌……おそらくは人が歌っているのを耳できいただけだろうが……を口ずさみながら、ワーフは悩みなど何もないような満面の笑みで「よう!」と手を上げて挨拶する。


 気が抜けたステアとディンはそれ以上話すのをやめ、互いに頷いた後で3匹を次々と水の中に放り込んだ。


「わっ! 何をする! 何をする!」


「乱心だ! 人型クラムの乱心だ!」


「うるさいぞ能天気共、少しは悩んでみろ」


 ステアはそう言い放つと、滅多に見せないいたずらっ子のような笑みを浮かべた。そしてディンと共に1度着た服を再び脱いで水に飛び込み、3匹を相手に騒ぐことにした。


 やがて訪れる主との別れの事、カーズの事を今は意識したくなかった。



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