第23話 変わらない関係と変わりゆく状況


「ふぅん…。そうゆうことだったのね…」


 呟くような鈴香すずかの声が広い病室にやけに響いたように感じる。

鈴香は複雑そうにしながらも何か合点のいった表情で俺たちを見ていた。

俺ときょうは突然のことに呆気に取られてしまったが、すぐに我に返り、鈴香に問いただす。


「鈴香…、今の話聞いてた?」


「今の話って言うと、宏人と倉科さんのよく分からない契約についてのことかしら?」


 …どうやらさっきの話はほぼ聞かれてしまっていたらしい。

俺と杏は無言で目を合わせる。

おそらくは同じことを考えているのだろう。


 それもそのはずだ。

鈴香にこの契約についてバレてしまったのは確かに問題だけど、そんなことより今は考えなければいけないことがある。

鈴香に契約について知られてしまったことにおける最大の問題は"あれ"しかない。


「きょ、杏!これは事故だから仕方ないよな!デットボール案件じゃないよな!?」


「えっ!?」


 俺は大慌てで杏に問いかけた。

例の契約の内容には契約の話が外部に知られてしまった場合、ペナルティーが発生する。

そして、ペナルティーの内容はデットボール、すなわち俺の大事な息子の死を意味する。

それを回避することが俺が今、一番やるべきことだ。


「ほら、鈴香も扉越しだったからよく聞こえてないと思うから!これはもうほぼ聞こえてないと言っても間違いではないだろ?なっ?」


「はっきり聞こえたわよ。扉も少し開いていたみたいだったから」


「余計なこと言うんじゃねぇ!!俺の大事な息子がかかってるんだ!」


 早口で弁明する俺と対照的に杏は俺の重要な確認にポカンとしていた。

驚いている場合じゃないだろ!?

俺にとっては死活問題なんだよ!


「なっ?杏。これは不幸な事故なんだ。俺もわざと漏らしたわけじゃなく、偶然の不幸が重なっただけなんだ。ほら、一回までなら誤射ってよく言うだろ?野球で言うとまだワンアウトだ。だからまだツーアウトあるよな?」


 自分でも何を言っているか分からなくなっているが、俺は思いつく限りの弁明を捲し立てた。

だが、杏はなおも動揺して俺の話を聞いているかいないか分からない。


「おい杏!ちゃんと聞いてくれ!将来有望な俺のむす…ああ、めんどくせぇ!将来有望な俺の大事なチン…」


「堂々とセクハラしてるんじゃないわよ!!」


「ぶふっ!?」


 俺が杏に分かりやすく説明しようと思ったら鈴香の大声と共に、俺の顔にタオルが投げつけられた。

どうやら入口付近にあったタオルを俺に投げつけた。

おい、一応怪我人なんだからもっといたわれよ!

あと病院なんだから大声を出すんじゃない。


 すると、鈴香の大声出したおかげか杏はハッと正気を取り戻した。

その姿を見て俺は再度、弁明をする。


「杏、今回のはたまたまだからセーフでいいな!玉だけに」


「ええ、そうね…。私としてはそれよりも考えることはあるのだけど…」


 杏は俺の勢いに若干引いていたが、とりあえずは無罪判決を下してくれた。

よし、これで言質はとれた。

とりあえずは息子の命の危機は去ったということでいいだろう。

俺がホッと胸を撫で下ろしていると、


「そろそろ、いいかしら?」


 鈴香はそう言って俺が寝ているベッドの横まで歩みを進めた。


「まず、宏人。怪我の具合はどう?」


「ああ、案外大したことなかったから大丈夫だ。明日にも退院できるらしいし。心配かけて悪かったな」


 多分、鈴香がここにいる理由は俺の様子を見に来てくれたのだろう。

鈴香は俺の言葉を聞いて安心したように軽く息を吐き、言葉を続けた。


「ごめんなさい。今回、宏人が怪我をしたのは私にも少なからず責任があるわ。私が変に焚きつけたせいでこんなことになってしまって…」


 鈴香は申し訳なさそうにうつむきながら言った。


「鈴香が責任を感じることはないぞ。むしろ鈴香には感謝してるくらいだ。あの時、鈴香が追いかけてきてくれたから杏の怪我を防げたんだからな」


 もしあの時、鈴香が来てくれなかったら杏のところに行くことなく、俺はあのまま帰っていた。

そうなれば、杏が怪我をしたかもしれないし、さらに酷いことになっていたかもしれない。

今回の件のMVPを決めるなら俺は鈴香だと思っている。


「だからそんな顔するなよ」


「ありがとう。そう言ってもらえると救われるわ…」


 鈴香は顔を上げ、優しく微笑んだ。

やっぱり鈴香に暗い顔は似合わない。


「よし!これで、めでたしめでたしだな!いやぁー、よかったよかった!じゃあ二人ともまた学校で…」


「それでさっきの宏人と倉科さんの契約について詳しく教えて欲しいわ」


 俺が無理やり話を終わらせようと締めの言葉を言おうとしたとき、俺の浅はかな思惑などお見通しとばかりに鈴香は逃してはくれなかった。

 俺はどうしたものかと考える。

当然契約上、俺が部外者にこの契約を話すのは何の言い訳もできないくらいにアウトだ。

だか、鈴香はさっきある程度は俺たちの話を聞いていたようだし、以前から俺と杏に何かあることを鈴香は勘づいている様子だった。

ここで、仮に誤魔化すとしても並大抵にはいかないだろう。

というかこの状況で誤魔化すのは無理だと思う。


 俺は杏をチラッと見ると、軽く頷いた。

杏もここまで来たら誤魔化しは効かないと思っているようだ。


「この話は口外しないようにして欲しいんだけど…」


 そう前置きをして俺は覚悟を決める。


「実は俺と杏は一応恋人同士なんだけど、それは契約上でそうゆう関係になっただけなんだ」


「はっ?なにそれ?」


 鈴香は目を丸くして疑問の声を上げる。

俺も逆の立場だったら同じような反応をしていたことだろう。


「俺の親父って店やってるだろ。で、売り上げも上がって来たから新店舗を開こうって話になったんだ。そこで融資をお願いしたのが杏の親父さんの銀行だったんだ」


 鈴香は口を挟まずに黙って俺の話を聞いている。


「その融資の条件として俺と杏の男女交際契約ってのをバカ親父が勝手に結んで、こうゆうことになってるんだ」


 鈴香は考えをまとめているように黙っている。

そして考え終わったのか、深く息を吐いた。


「はぁ、そうゆうことだったのね…。これで最近の宏人の行動にも納得いったわ」


「そんな俺おかしかったか?」


「だって私が見てた限り、宏人と倉科さんは接点なんかなかったはずなのにいきなりだけど付き合い始めたんだからおかしいと思うわよ。それに付き合ってからの宏人もなんか変だったし」


 これは前にも聞いていたし、俺も自分の行動をおかしいとは思っていたので反論はない。


「で、宏人はホントにこんな契約続けるつもりなの?」


 鈴香から見たら、というか他の人から見たら、俺たちの関係はおかしなものに見えるかもしれない。

鈴香が理解できなくてもそれは仕方ないことだと思う。


「前までは納得はしてなかった。けど、今はもう認めてる」


 そう、俺は俺の意思でこの契約を認めた。

以前は、親父を説得したり杏から契約を解消してもらおうといろいろ動いていたけど、一度決めた以上もう撤回するつもりはない。


「はぁ、そう…。じゃあ、それについては私は何も言わないわ。宏人が一度決めたら聞かないのはよく分かってるから…」


 鈴香はもう一度ため息をつき、呆れたようにそう言った。

長い付き合いの鈴香は俺の性格は分かっているから何を言っても無駄だと判断したんだろう。

そしてまた何かを考えるように黙り込んだのちに、


「けど以前は納得してなかったんでしょ?ならその時点でお父さんに言えば良かったじゃない。こんな契約認めないって」


「何度も親父を説得したけど、いろいろ言い訳して話聞いてくれないんだ」


「宏人のお父さん、そんな人じゃないでしょ。それはおかしな話よね…」


 鈴香は俺の親父と会ったことがあるし、話をしたことだって何度もある。

親父の人柄を知っている鈴香としては疑問に思うだろう。

そして鈴香は何かを思いついたように視線を杏に移した。


「倉科さんが何か関係してるんじゃないの?」


 鈴香の口調はどこか確信を持っているような言い方だった。

鈴香の中で何か心当たりがあるということなのか?


「そ、それは…」


 案の定、杏はひどく動揺した様子で言葉を濁す。

その様子を見るに鈴香が言ったことは間違ってないという印象を受けた。

親父が契約を頑なに解消しなかったことと杏は何か関係があるのか?


 そこで俺に根本的な疑問が浮かぶ。

そもそも親父たちの融資の契約に俺と杏を巻き込む必要がどこにある?

融資してもらう立場の親父からその条件を言い出すのはおかしな話だから、おそらくは銀行側からの条件と考えるのが普通だ。

ということは俺たちの契約に杏が関わっている可能性も否定できない。


「杏、親父が話を聞かなかった理由知ってるのか?」

 

 俺の問いかけに杏は目を泳がせたのちに観念したかのように口を開いた。


「確かに、融資の条件にヒロくんと私のことを加えるように父に言ったのは私よ。そして融資の交渉の席で私がヒロくんのお父様にお願いしてこの条件を承諾してもらったわ」


 ここで新事実が判明した。

俺たちの男女交際契約は杏が発案だったようだ。

そして、だから親父は杏のお願いを飲んだからあんなに頑なに契約を解消しなかったらしい。


「責めるわけじゃないけど、何でそんなこと言い出したんだ?」


 杏が前から俺に好意を持ってくれていたことはさっき分かった。

けどそれなら、そんな契約という回りくどくめんどくさいことしなくても普通に想いを伝えて恋人になるようにすればいいのではないのか?


 鈴香も俺と同じ疑問を持っているらしく杏の言葉を待っている。

すると杏の顔がブワッと赤く染まり、うつむきながら小さな声で、


「…勇気がなかったの」


「「えっ…?」」


 俺と鈴香の驚きの声が重なる。


「私はずっとヒロくんのことが好きだった。けれど、告白どころか話をすることさえ出来なかった。だから魔法を使ってヒロくんと確かな繋がりを持とうとした。契約という魔法を使って…」


 もっと複雑な理由があると身構えていただけに何とも杏らしくない答えに呆気に取られてしまう。

いや、さっきの今まで強がってきたという言葉から本当の杏はこうなのかもしれない。

俺もまだ経験はないけど好きな人に告白するということは勇気がいることということは分かる。

とりあえず俺は、杏が使った契約という手段が正しいかどうかは別として納得出来た。

だけど…


「立場を利用して無理やり契約で縛るようなことはちょっとずるいんじゃない?倉科さんみたいになかなか一歩踏み出せない人はいるのに…」


 鈴香の言葉にはまるで自分のことのような想いがこもっていた気がする。

鈴香の意見も当然分かる。

契約という方法は正攻法ではない。

鈴香の言ったとおり、杏は自分立場を利用して契約を結ぶように仕向けた。

それは特別な立場にない人間からしたら卑怯に映るのも分かる。


 だが、俺はどちらが正しいかは判断できない。

杏の使えるものは何でも使うというのも悪くないと思うし、鈴香の意見も正しいと思う。


「…私も正しいことだとは思ってないわ」


「だったらこんな契約すぐに解消するのが筋なんじゃないの?」


 鈴香の言葉に杏は痛いところを突かれたように押し黙ってしまう。

杏は自分で言ったように無理やりこの契約を結んだことに負い目があるのだろう。


「鈴香、それについては杏は契約を続けたいって言って俺もそれを了承した。当人同士が認めたんなら問題ないだろ?」


 鈴香が何を言おうとこれは俺と杏の問題だ。

俺は杏が自分で決めた意思を尊重してやりたい。


「まぁ、そうよね…。私がとやかく言う筋合いはないわよね…」

 

 鈴香は少し悲しげな表情でそう呟いた。

その表情を見て俺の心は痛む。

鈴香は俺のことを心配してこう言ってくれているのは分かっているから。


「けどさっき言ってたわよね。宏人が倉科さん以外の人を好きになったらこの契約は解消するって」


「まぁ、そうゆう事になったけど…。杏はそれで良いんだよな?」


 俺は杏をチラリと見ると、顔を歪めて居心地悪そうにしている。

これが苦虫を噛み潰したよう顔というやつか。


「うっ…。そ、そうね。それで良いわ。……ただ、三田村さんには聞かれたくなかったけれど…」


「それさえ守ってくれたら私はもう何も言わないわ。宏人もこのことを忘れないようにしておいてね」


「お、おう…」


 鈴香はまるで勝ち誇ったかのような表情を浮かべている。

追加の条件は鈴香に関係のないはずなのにどうしてそんな顔してるんだ?


「じゃあ、私はそろそろ帰るわ。宏人、お大事に。

また学校で会いましょ」


「お、おう。来てくれてありがとな」


 そう言って鈴香は帰っていった。

なんだかんだあったけどこれでホントに今回の騒動は終わりだ。


「じゃあ、杏もそろそろ帰ったほうがいいだろ」


 時計も見ると杏が来てから結構時間が経っていた。

杏の家は門限があると言っていたし、あまり遅くなるのもいけないだろう。


「………」


 杏はまだ渋い顔をして何かも考えているようだった。

そしてしばらく黙り込んだのちにようやく口を開いた。


「ヒロくん…。必ずヒロくんに私を好きになってもらうから。誰にも負けないくらい頑張るから」


 杏はそう宣言して病室を出ていった。

杏の姿が見えなくなると俺はため息混じりの口調で呟いた。


「これからどうなるんだろうな…」


 これからも一応これまで通り、俺と杏は恋人関係だ。

だけど、いろいろ変わったこともある。

そして、これからも変わっていくのだろう。


 今後、どのように俺たちの関係が変わっていくのかは今の俺には分からない。

ただ、後悔のないように俺は自分の意思で選択していけばいいだけだ。


      ※※※※※※※※※※※



『厄介な人に厄介なことを聞かれてしまったわ…。

これから間違いなく三田村さんはヒロくんにアプローチしてくる」


『だけど私は絶対に負けない。必ずヒロくんを堕としてみせる!』



『宏人があんな事になってるなんて予想外だったけど、まだ私にもチャンスは十分あるわ』


『倉科さんには悪いけど私だって譲れない。私の想いだって誰にも負けてないから』

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