第二十節 ありえないこと

―アルカディア大陸南西部 グランド・リムズ―


「ゴホゴホ」


 私は風邪を引いて寝込んでしまっていた。

 体がふわふわして、咳が止まらなくて辛い。

 このまま世界に溶けていきそう。


「……むにゃ? ヴィッキーたま、大丈夫ですかニャ?」


 私を看病していたはずのレアが、私の横で寝ていた体をぴょこんと起こした。

 心配してくれていたんだろうけど、一緒になって寝てしまっていたみたいだ。


 もし女中頭のデボラに見られたら、真面目に看病しなさいって、怒られるんだろうなぁ。

 でも、辛い時に寄り添ってくれるだけでも嬉しいかな?


 レアは、私のおでこに置いていたぬるくなった濡れタオルを取った。

 それから私の熱を測ろうと手を置いた。


 ああ。

 肉球のついた手がひんやりとして気持ちいい。


「ニャー? まだ熱がありますニャ」

「……うん、そっか。ごめんね、レアちゃん」


 私はまだ熱が下がらなくて申し訳ない気持ちで一杯だ。

 せっかく楽しかった旅も私のせいで台無しだよね。

 みんなに迷惑ばっかりかけている。


「フニャ? ヴィッキーたまは悪くないですニャ。ご主人たまも仕方がないって言ってましたニャ」

「うん、そうだけど。……だって、わたくしのせいで、ここで足止めさせてしまっているし」

「そんなことはないですニャ。ここで一息つくのに丁度いいってみんな言ってましたニャ」

「でも、ロザリーさんの研究の邪魔してるのじゃない、かな?」

「ニャハハ! ロザ姉たまも気にしてないですニャ! ヴィッキーたまのことを心配してましたニャ! ロザ姉たまは優しい人ですニャ!」


 と、レアは良い笑顔で笑った。


 それぐらい、私も分かっている。

 あの人が、優しい人だって、知っている。

 自分の目標に向かって頑張っている人だし、ライバルの私ですら素敵に思える人だからよく見ているつもりだし。


 でも、あの二人が一緒にいるのが当たり前のようにしっくりと見えてしまうのは悔しい。

 私だって、一人の女として見てもらいたいのに。

 やっぱり、私がまだ子供だから……


「ヴィッキーたま、どうしたんですかニャ? 何だかつらそうですニャ」


 レアは寝ている私の顔を心配そうに覗き込んでいる。


「う、ううん! な、何でも無い」


 私はハッとして、ウールの掛け布団を顔まで引っ張り上げた。


 はぁ。

 何だか弱気になっちゃってるなぁ。

 体が辛いから気分まで沈んできちゃった。


「ニャ! ロザ姉たまが帰ってきましたニャ!」


 レアはぴくんと耳が反応して、嬉しそうに玄関までトコトコと歩いていった。

 少し待つと、本当にロザリーたちが帰ってきた。


「ニャーン! お帰りですニャ!」


 レアは、ロザリーに抱きついてスリスリと甘えた。


「うん、ただいま、レア」


 と、出迎えられたロザリーも嬉しそうに笑顔だ。

 この二人は、本当に仲が良くて私も思わず笑顔がこぼれた。


「ヴィクトリア様、お加減はいかがですか?」


 ロザリーは、恋のライバルの私にも優しく声をかけてきた。

 年上の余裕ってやつなのかな?

 やっぱり負けたくない。


「ええ、もう大丈夫ですわ」 


 私は弱いところを見せたくなかったので、強がって答えた。

 でも、そんな私の見栄もあっさりと見破られた。

 ロザリーは、レアが換えてくれた濡れタオルを取って、熱をみた。


「……まだ熱がありますね。ダメですよ、ヴィクトリア様、無理をしてはいけません」


 ロザリーは私をたしなめるようにやんわりと注意をした。


「こ、これぐらい大したことではありません」


 私が無理をして起き上がろうとしたら、また怒られた。


「ダメです。体調が悪いのに無理をしてはいけません。ヴィクトリア様が王女様だから大事を取っているわけではないのですよ。誰でも、体調が悪い時に無理をしても何も良いことはないのです。他の人の迷惑になります」

「……はい」


 私はしゅんと小さくなった。


「私も、子供の頃に熱を出して、無理をして実家の宿屋を手伝おうとしたことがあります。ですが、その時に同じように両親に怒られました」


 と、ロザリーは落ち込んでしまった私に笑いかけた。

 本当に、この人には敵わないなぁ。

 こういう人が姉みたいな人っていうのかなぁ?

 私はホッと安心したように、また眠りに落ちた。


 どれくらい眠ったのかな?

 外が少し赤くなっている。

 部屋の中には誰もいない。

 私は少し体調が良くなったので、外に出てみた。


 何か様子が変だなぁ?

 みんな心配そうな顔をしているけどどうしたんだろう?


 私が近づこうとしたら、フレイヤが私に気づいて駆け寄ってきた。


『キャンキャン!』

「どうしたの、フレイヤ?」


 何か慌てているようだけど、何がなんだかわからない。

 他のみんなも困ったような顔をしている。


 あれ?

 何か違和感があるような気がする。

 ……あ!


「あれ? アルセーヌ様は? ロロとイシスもいませんけど?」


 そうだ。

 アルセーヌたちと一緒に散歩に行っていたのに、どうしてフレイヤだけがいるんだろう?

 私が不思議そうに言うと、ロザリーが困ったように説明してくれた。


 アルセーヌたちがいつまでも散歩から帰ってこなくて、フレイヤだけが慌てたように走ってきたので、何かがあったことは分かったらしい。

 それで散歩していた辺りへと見に行ったけど、誰もいなかった。

 また村へと戻ってきて、どうしようかと話し合っていたところだった。


 私は何か嫌な予感がして、不安になって無意識に北の大地でもらった首飾りを握りしめていた。

 そんな私を心配してくれたのか、フレイヤがすり寄ってきた。


「ありがとう、フレイヤ。わたくしは大丈夫だよ?」

『本当に? ヴィーちゃん悲しそう。』

「へ!?」


 え、え、ええ!?

 い、今、フレイヤが、喋った!?

 私は熱でおかしいのかな?

 でも、これが熱による空耳じゃなかったら?


 私は、ゴクリとツバを飲み込んでもう一度フレイヤに話しかけた。


「ね、ねえ、フレイヤ? わたくしの言っていること、分かる?」

『ん? フーはいつも分かるよ? でも、ヴィーちゃんたちが分かってくれないんだよ?』


 フレイヤはキョトンとした顔で私を見上げている。


 やっぱり!

 なんでか分からないけど、突然フレイヤの言っていることが分かるようになった!

 普通ならありえないことなのに!

 奇跡なの!?

 飼い狼と話が出来るなんて、何て素敵なのでしょう!


「うにゃ? どうかしたのですかニャ、ヴィッキーたま?」


 レアは首を傾げて不思議そうに私とフレイヤを見ている。

 私はハッとして、興奮してフレイヤをまくし立てた。

 フレイヤはびっくりしたように、私の質問に答えてくれた。


 それで、何が起こったのか私達は分かった。

 アルセーヌたちが何者かに連れ去られてしまったことが、やっと分かったのだ。


・・・・・・・・・


―フランボワーズ王国 河川地帯 ボー・ヴェンハイム砦近く―


 タッソー軍から投降してきたマルシャルによってもたらされた情報により、エドガール軍が夜の闇に紛れてやって来ていた。

 その姿はまさに影の如く、物音を立てずに静かである。

 

「……よし、ここからは普段どおりの装備に戻るのだ」


 エドガールの合図とともに、兵たちは甲冑を着込んだ。

 威風堂々とした一軍である。

 ただし、その旗印はタッソー家の物だった。


 ここでもまた、軍師リュウキの奇策が光っている。

 エドガール軍全体が、そっくりそのままタッソー軍に化けて、敵中を堂々と進軍してしまおうというわけである。


 この戦場の中、少人数ならかえって怪しまれる。

 ならばいっそ、一軍丸ごとなら、ありえないことと思うだろう。

 人間の常識という盲点をつく。

 なぜこんな発想ができるのか?

 それは『リュウキ』だからとしか言いようがない。


 軍全体を化けるとはいうが、実はそれほど変装の必要はなかった。

 敵味方に分かれているとはいえ、同じフランボワーズ王国、さらに同じ河川地帯の兵たちである。

 将クラスになれば話は別だが、兵たちの装備はそれほど大きく変わる物はなかったからだ。


 しかしながら、エドガールやギュスターヴは敵味方双方にあまりにもその存在は知れ渡っていた。

 この二人だけは、さすがに変装をして兵卒に紛れ込んでいる。

 

 ならば、誰がこの全体指揮を執っているのか?


 リュウキは、ソレル砦の守備に残っている。

 信頼の厚いアンリはあまりにも若すぎて、敵に怪しまれるかもしれない。

 クレベールは全体指揮を執るにはあまりにも頼りないが、それだけではなく、元主君家のクレベールでは万が一気付かれる可能性もあった。

 他の小領主たちでは、この一大決戦の指揮を任せるほどの信頼関係を築けてはいない。


 こうした中、全体指揮を任されたのは、何とクレベールの副将リューセックだった。

 能力に関しては間違いない。


 この男は『ザイオンの民』のスパイであり、もちろんリュウキもそのことはすでに見抜いている。

 だが、リュウキは裏切られる可能性は無いと踏んでいた。

 今は利害関係が一致しているので、この戦いでは寝返ることはない。

 むしろ、『ザイオンの民』はこの戦いを決して落とすわけにはいかないので、リューセックは全力で挑むことは分かっていた。


 『隠者』と『ザイオンの民』との間では、すでに水面下で高度な駆け引きが行われていたのだ。


「どちらへ行かれるのですか?」


 ここで、エドガール軍は突然足を止め、ヒヤリとした空気が漂った。

 軍の先頭で、敵の哨戒兵が軍務に忠実に質問をしていたのだ。

 だが、リューセックは堂々としたものだった。


「うむ! 王家のバカ王子が後方を荒らす事を懸念されたタッソー様が、後方の守備を増強するため遣わされた軍である!」

「ハッ! 増援感謝いたします!」

「うむ! かのドラ息子がうろつくかもという報もある。心して見張るのだ!」

「ハハッ!」


 哨戒兵が、リューセックに頭を下げて道を開けた。

 と、そこでリューセックは思い出したように話を続けた。


「ああ、そうだ! 我らはここに来る前に、何度も同じように足止めされておる。そこでだ。この先におる守備兵に我らのことを伝えておけ! お前の働きで我らが順調に進めたならば、タッソー様に良い報告をしてやるぞ?」

「ハハッ! ありがたき幸せ!!」


 哨戒兵は喜色顔で、全力で砦門まで駆けていった。

 

「プクク。あやつも大した役者ではないか。この敵地のど真ん中でハッタリを利かすとは、図太い肝をしておる」


 このやり取りを軍の中ほどで聞いていたエドガールは、吹き出しそうになるのを堪えていた。


 そして、エドガール軍がタッソー軍の兵糧の保管拠点ボー・ヴェンハイム砦前にやって来た。

 守備兵たちは何の疑いもなく、エドガール軍を砦内に招き入れたのだった。

 全軍が砦の中に入ると、エドガールは高らかと号令をかけた。


「全軍、火を放てい!」

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