第十六節 駄女神降臨

―アルカディア大陸西部 世界樹の大森林、世界樹の根本―


「なんてこったパンナコッタ!」


 『大いなる神秘グレートスピリッツ』の正体が、まさかの駄女神イシスだったことに動揺しすぎて、俺は新喜劇的なギャグを思わず叫んでしまった。

 恭しく跪いていたロクサーヌらエルフたちに凄まじい形相で睨まれてしまい、慌てて口をつぐんだ。


 イシスは俺が奇声を上げたことに気がついていないようで、にこやかに微笑んでいる。

 世界樹の目の前にある祭壇の上にいるが……


 ……ん?

 体が浮いているような……あれ?

 うっすらと透けている?


 初めて会った時と同じように着ている羽衣も透けているけど、体も透けている。

 背景もこことは違って、まるでどこかの部屋の中のようだ。

 ということは、ホログラムみたいに実態がなくて、本体は違う場所にいるのか?

 うーむ。

 俺にはよくわからん。

 様子を見よう。


「『大いなる神秘グレートスピリッツ』よ、私は嵐の中にあなたの声を聞きます。あなたの息吹は、万物に生命を授けています。どうか私の言葉を、お聞き届けください。私たち小さき弱き者たちには、あなたの知恵と力が必要です。一枚一枚の木の葉や一つ一つの岩に隠していった教えのすべてを、私に間違いなく理解できるよう知恵と力をお授けください」


 ロクサーヌは、仰々しい祈りの言葉を囁くと、大仰な箱に入った供え物を捧げた。

 その箱を見て、イシスは眩しいばかりの満面の笑みになった。


「す、凄いオーラだわ。これが、『大いなる神秘グレートスピリッツ』。おごそかで、気高い感じがして神秘的で尊い、まさにすべてを超越した存在。でも、何かは説明できないけど、懐かしいような癒やされるような、まるですべての起源を感じさせてくれる安心できる存在」


 ロザリーが大真面目な顔で涙を流し、祈るように跪いていた。

 後ろを見ると、他のみんなも同じようにしている。


「え、マジで?」


 俺は、ポカーンとしていた。

 

 うーむ。

 確かに、あの駄女神はこの世界の創造主だから、この世界のみんなは正体を知らなくても、魂の奥底で神の存在を感じることが出来るのだろう。

 俺は、元の世界の神に会ったことが無いから知らんけど。

 俺はもう少し様子を見ることにした。


「ありがとうございます。わたくしからは、この知識の書を授けましょう」


 と、イシスが手をかざすと、祭壇の上に何かが現れた。

 よく見ると、不朽の名作アニメ、某有名スタジオ制作、空飛ぶ城のDVDだった。


「あ、ああ! ありがとうございます!」


 ロクサーヌは新しいDVDを手に入れて狂喜乱舞しそうになっている。

 エルフたちも、うおお!と大歓声を上げていた。

 

 俺は、見ていて頭がクラクラしてきた。

 ま、マジかよ。

 世界観が色々とおかしい元凶は、こいつかよ!

 女神自ら何してやがる!

 

「うふふ。喜んでくれて何よりです。では、わたくしは、うっふっふ!」


 イシスは、いつの間にか供え物の箱を手元に持っていた。

 そして、その箱を開くと、でかい真っ赤なイチゴの乗ったショートケーキ、チョコレートケーキなどなど、大量のケーキが入っていたのだ。


「ああ、美味しそう! 何から食べよっかな~?……よーし、イチゴちゃんが良いかな? いっただっきまーす!……もにゅもにゅもにゅ。は、はわわぁー!? お、ー、し、幸せ♡」


 駄女神イシスは、神の威厳も微塵も無く、うっとりと恍惚な顔だった。

 だが、みんなはこの駄女神の醜態を見ても、厳かに跪いている。


「な、なぁ、みんな、あれ、見えないの?」

「あれ? 何を言ってるの、アル?」


 ロザリーは不思議そうに首を傾げている。


 も、もしかして、この世界の人間にはあの駄女神の姿は見えないの?

 そ、そうだ!

 大狼ダイアウルフならどうだ?

 動物なら人間より霊感強いはずだし!


 舌を出しておとなしくおすわりをしていた子狼のロロに聞いてみた。


「なぁ、ロロ。お前も見えるだろ?」

『ん? 何が? 何か眩しいだけだよ?』

 

 どうやら、みんなあの駄女神の醜態が全く見えていないようだ。

 最後のお楽しみに取っておいたイチゴを頬張ると、イシスは満足したように一息ついた。


「はぁ、美味しかったなぁ。後でロティちゃんにも食べさせてあげようっと!……あ」

 

 イシスは、俺が冷たい目で見ていたことにようやく気がついた。

 そして、ダラダラと冷や汗を流した。


「……も、もしかして、見てました?」

「……見てました」


 俺達は、無言のまま見つめ合った。

 どうやら、こっち側からは何も見えないだろうと思っていたようだ。

 イシスは、んんっと咳払いをするとキリッと真面目な顔になった。


「ようこそここまでお越しくださいました。ずっとお待ちしていましたよ?」

「……いや、口元に生クリームが付いてるぞ」

「はうわ!?」


 イシスは急いで口元をテーブルの上に置いていたハンカチで拭った。

 もうやだ、この駄女神、グダグダすぎ。


「それで、わざわざ呼び出して、俺たちに何か用でもあるのか?」

「ええ、実は……」

「ダメ」

「え? まだ何も言っていませんよ?」

「うん、絶対にろくなことじゃないから、聞かない」

「ええ!?」


 イシスはまさか断られると思っていなかったようで驚きを隠せていない。


 それもそうだろ?

 この駄女神の要件なんて絶対にろくなことじゃないという予感がビンビンする。


 しかし、イシスは今にも泣きそうに瞳を潤ませた。


 クッ!?

 ま、またこのパターンか?

 だが、今の俺には効かない、効か、き……効きました。


「……わ、分かったよ、聞くだけ聞いてやる」


 俺が渋々といった感じで頭をかいた。

 イシスは、こいつチョロって感じでニヤリとしたような?


 イシスが長々と説明をすると、どうやらこの世界に降臨して俺達と一緒に冒険したくなったらしい。

 だがしかし……


「ダメに決まってんだろ!」

「な、なぜダメなのですか!?」

「自分で言ったじゃねえか! 神が直接この世界に入ると力が強すぎてぶっ壊れるって!」

「うっふっふ。それならば問題はありません。なぜならば、抜け道があるのです!」


 イシスは自慢げにでかい胸の前で腕を組んだ。


 く、クソ!

 どうする?


 俺はこの駄女神が仲間に入ったことを想像してみた。

 今の状態でも俺のキャパを超えているのに、この以上はToLOVEる、いや、混沌カオスな未来しか見えない。

 

「……だったら、一つ条件がある」

「な、なんでしょう?」


 俺が静かに自信満々に交渉を挑んだ。

 イシスは、緊張したようにゴクリとツバを飲み込んだ

 

「仲間になるなら、ケーキの交換はなしだ!」

「な、なんですって!?」


 イシスは驚愕して恐れ慄いている。


 クックック。

 こいつは読み通りだ。

 この駄女神には、周囲が見えなくなるほどの甘いものへの欲求を押さえられる訳がないからな。


「フッ! 無理なようだな? では、おとなしく諦めるが良い」

「そ、そんな……くっ、殺せ!」

「……え、そんなにケーキがないの嫌なの?」

「あ、当たり前です! ケーキのない天上界なんて、牛丼の肉抜きのようなものなのですよ! 魚の乗っていない寿司のようなものなのですよ!」

「お、おう。ならば、諦めろ!」


 俺は勝ったと思って一方的にイシスとの会話を終わらせた。

 っていうか、俺って悪役っぽかったな。


 俺達は祭事を終え、エルフの村へと帰っていった。

 しかし、俺は甘かった。

 駄女神イシスは、俺の想像のはるか斜め上を行くことを知らなかったのだ。


・・・・・・・・・


―フランボワーズ王国王都、王宮内―


「陛下! 何ということをされたのです!」


 フランボワーズ王国王宮内で、宰相ジラールの悲鳴のような怒号が響き渡った。

 その顔は激しい怒りに紅潮し、わなわなと震えていた。

 そのジラールに対して、フランボワーズ国王ルイ15世はまたいつものくだらない説教かと不貞腐れたように玉座に肘をついている。


「何ということとは、何だ?」

「な!? ご自分が何をされたのかも分かっておられないのですか!?」


 ジラールは主君のあまりの愚鈍さに、呆れ果てさらに怒りで腸が煮え返るような感覚を感じている。


 王の隣に控えていた特別な近衛騎士、最強の戦闘人形はジラールの叛意を感じたのか、ピクリとその手を腰の剣に動かした。

 ジラールは、その戦闘人形の恐ろしさを知っているため、踏み出そうとする足を止めた。


 その逆隣りにいた愛妾は、ジラールを嘲るようにクスリと笑い、王に耳打ちをした。

 王はようやく合点がいったのか、ああっと小さく声を漏らした。


「なるほど、お前が怒っておるのは、余がお前に何も言わずに貴族たちに増税を課したからか?」

「そうです! 財政改革を行わねば、国庫の破綻という状況が近いということは分かっております! ですが、特権階級の貴族たちに何の根回しもなく増税するなど、猛反発は免れませんぞ!」

「何を心配することなどある? 『名士会』を召集して、承認させれば良いではないか?」

 

 『名士会』とは、国王の指名によって有力な名士を集めた諮問機関のことである。

 名士とは、王族、高位聖職者、将官、大領主、高等法院の有力者などから成る。

 

 王はあっけらかんと答え、何を心配するのかと脳天気なままだ。

 ジラールは、また怒りが高ぶり、激しい頭痛が襲ってきたが、こめかみをもみほぐすように押さえ、どうにか足元を踏ん張った。


「何を甘いことを考えておられるのです! 確かに、名士たちは陛下によって選ばれた者たちです! しかし、同時にそのメンバーたちは特権階級の者たちなのですよ! いかに財政危機を訴えても、免税の特権を簡単に放棄するはずはありませんぞ!」

「フンッ! それをどうにかするのがお前の仕事だろうが」


 王はしれっと自分の思いつきで始めた大増税をあろうことか、過労死寸前まで働いていたジラールに丸投げをした。

 そして、ジラールの怒りは限界を突破し、大爆発を起こした。


「巫山戯ないでください! 自分で勝手にやって手に負えないからって、部下に丸投げするんじゃねえ、この『畜生王』が!」

「な!? 何だと、貴様! 無礼にも程があるぞ!」


 とうとう臣下の礼を捨てたジラールは、王を罵倒した。

 王もまた憤慨し、玉座から立ち上がり、ツバを飛ばしながらジラールを怒鳴りつけた。


「無礼がどうした! こっちは命を削って、この国を支えてるんだ! 様々な国家の危機に対してどのように対処すべきかを自ら考えて、行動して、5人分ぐらいの動きをしていたのだ! 外交から国内政策まですべて手掛けてきてんだ! この私に代われる者がいるなら出してみやがれ! てめえの不始末の尻拭いなんぞやってられるか! こっちどれだけ苦労しているのか、分か、わか、わかr……あ、あえ、お、おかひ、く、くひが、まw……」


 ジラールは白目を剥いて口から泡を吹き、大きく全身が痙攣をした。

 そして、牛のように大きないびきをかいていた。

 

 国家盛大に己の生涯を懸けた恐るべき枢機卿は、突然意識を失い倒れた。


 その理由は、長年に渡る過労によりジラールの健康は大きく損なわれ、多くの疾患を抱えていたからだ。

 それが、極度のストレスや激しい怒りによって高血圧を招いて、脳梗塞を起こしたのだ。

 そのまま永遠に意識を取り戻すことはなかった。

 宰相シャルル・ジラールは、呆気なく『憤死』したのだった。


「哀れだね? 国家なんてものに忠誠を誓った末路が、こんな惨めなものだとはね?」


 宰相ジラールの細い遺体を前に、第七王子リシャールは皮肉に笑っていた。


 この一連の流れを仕組んだのは、この悪魔の子リシャールだった。

 国家が財政難で破綻寸前なことは、リシャールはとっくに調べ上げていた。

 ぬかりなく、影で暗躍する『ザイオンの民』からも裏付けを取っていた。

 そして、王に無茶な大増税をするように、その愛妾に唆せ、すでに仕組ませていた。


「クスクス。ストレスは溜め込んだら身体に毒だよ? とりあえず、これで厄介な宰相は消えた。でも、この後が大変だな。王家は完全に国中を敵に回したのだから。さて、次はエドガール兄上がうまくやってくれるだけかな?」


 リシャールはニヤリと笑い、窓から目には見えない河川地帯の方を眺めた。

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