第九節 猫耳
夏の真っ盛り、俺達は馬車に揺られて王都東側の主要街道を進んでいた。
今回受けた依頼は、商業馬車の護衛の依頼だった。
中級以上のランクが必要となる依頼だったが、ロザリーは、中級冒険者なので、俺達はこの依頼を受けることはできる。
しかし、俺は腕っぷしに全く自信はないので、今回はギュスターヴも一緒についてきた。
この酔っぱらいは、ほとんど仕事をしていないくせに、銅等級冒険者の肩書がある。
実力は誰もが認めるほどで、聞いたところでは元王宮の近衛騎士だったというエリートらしい。
何がどう間違ってここまで落ちぶれたのかはわからないが、剣の腕前は錆びついてはいないらしく、あの傭兵ギルドですら一目置いているそうだ。
今俺達がやっている護衛の依頼だが、王都では本来は傭兵ギルドがほぼ独占状態らしい。
かつて、傭兵ギルドと商業ギルドがもめて、その後商業ギルドの一部は傭兵ギルドの傘下になった
だが、商業ギルドも一枚岩ではないようで、それを良しとしない派閥もあるそうだ。
それもそうだ。
海千山千の利にさとく、ずる賢い商人たちがそうそうおとなしくは従わないだろう。
今回の依頼主も傭兵ギルドと距離を置く派閥らしく、冒険者ギルドの近くの商店からだった。
依頼内容は、馬車でほぼ一日で行ける距離にある、山を越えた王都近郊の町への商品の運搬を護衛することだった。
この日は到着したら商品をおろして、その町で1泊、次の日に王都への商品を積んで帰ってきて仕事は完了になる。
商品は怪しげなものではなく、王都で流行りの服飾品などを運び入れて卸し、帰りには王都で人気のあるその町の工芸品や特産品の辛口白ワインを王都に運び卸すというもので、真っ当な商人の仕事だ。
その町にかけての街道沿いは王都に近く、治安もいいので滅多に盗賊は出ない。
また、モンスターは出るが、人畜無害な雑食うさぎのウサッフィーなどの動物、危険なのは、せいぜいゴブリン、イノシシみたいなベイブドン、熊に似たテッドクマー、ぐらいらしい。
本当に危険なのは、際どい名前だと思う。
馬車の乗り心地はきっとひどくて、酔うかもしれないと覚悟していたのだが、御者兼馬のケンタウロスの運転がうまいのか、それとも馬車に何か仕掛けがあるのか、揺れもひどくはなく、乗り心地は悪くはなかった。
「うむ、これは順調ですな」
依頼主である恰幅のいい商人のおっさんは唐突に呟いた。
依頼主の商人は、商店主、社長でもある。
しかし、この商人にはポリシーがあるらしく、社長自ら営業、運搬、買い付けと忙しく動いているようだ。
「そうですね。このままだと、俺たちはただの無駄飯ぐらいですね」
俺も暇だったので、商人と他愛のない話をすることにした。
ロザリーは後ろを警戒しているし、ギュスターヴは二日酔いなのか、ぐうすかと寝ている。
山の中にはまだ入ったばかりだ。
山とはいっても、木は生い茂っているが、丘ぐらいなだらかな山道だ。
「いやいや、何を言いますか! アルセーヌ殿たち護衛の仕事がないほどいいことはないのですぞ! 言ってしまえば、護衛というのは保険のようなものですからな!」
「保険、ですか。確かに、俺も痛いのは嫌ですからね。何事もないのは嬉しいですよ」
「ハッハッハ! アルセーヌ殿はまだ若いのにずいぶんと謙虚ですな! もっと勇ましく剣を試したい、とは言わないのですかな?」
依頼主は大きな腹を揺らして楽しそうに笑った。
それに対して、俺は苦笑いだ。
俺は正直に言っただけだ。
謙虚っていうよりは、ただ単に戦いは好きじゃないし、自信もない。
一応は、毎日素振りしたり、体を鍛えているが、実戦経験は全くと言っていいほどない。
傭兵ギルドのザコにはボコボコにやられたし、この間はうまいこと逃げただけだ。
ゴブリンを倒したのもロザリーだし、俺は剣すら交えていない。
狩りに出ても、水に浮いているだけのグミン、小動物のウサッフィーを罠で捕まえたぐらい。
この俺のどこに強気の発言ができる要素があるのか。
「そういえば、ケンタウロスのケニーって奴隷なんでしたっけ?」
ケンタウロスのケニーは、今この馬車をたった一人で引いているケンタウロスのことだ。
上半身は屈強そうなゴリマッチョな男の肉体美、下半身は馬の半人半馬、この世界だと獣人に分類されるらしい。
「そうですぞ! ケニーは奴隷だが、ワシの家族みたいなものです!」
「押忍!
ケニーは話が聞こえていたのか、走りながら話に入ってきた。
見かけ通り体育会系な話っぷりだな。
「家族、か。やっぱり、馬車を引いているケンタウロスは、みんな奴隷ですか?」
「うむ、そうですぞ! 奴隷でなければ、この聖教会圏では獣人は生きていけませんからな!」
依頼主はさっきからやたらと声が大きい。
商人というやつは、こううるさくないとできないものなのだろうか?
悪い人間では無いと思うけど、自己主張が強そうで、ちょっと苦手かもしれん。
「うーん。たった一人で、この大きさの馬車を引くぐらい力が強いのに、奴隷というのはやはり……っ!?」
ケニーは、馬車を走らせるのを急に止めた。
俺と依頼主は、危うく馬車から落っこちそうになってしまった。
どうしたんだろうか?
休憩にはまだ早い。
俺は不意に立ち上がろうとしたら、後ろから止められた。
「バカ野郎、いきなり立ち上がるんじゃねえ。盗賊だったらどうする? 死にてえのか」
ギュスターヴはいつの間にか起きていて、声を潜めていた。
あのやる気のない酔っぱらいのギュスターヴが、いつになく真面目な顔をしている。
これは間違いなく緊急事態だ。
俺達は、ギュスターヴの合図を受け、辺りを警戒しながら馬車を降りた。
「あ、あれは……?」
ロザリーは、前方の異変に気がついた。
馬車が倒れ、人が転がっていた。
人の周りには血溜まりが広がっている。
「チッ、盗賊か?」
ギュスターヴは剣を抜き放ち、警戒心を高めた。
俺達はギュスターヴを先頭に少しずつ近づいていった。
「ひええ! 助けてくれ!」
倒れている馬車の影で気が付かなかったのだが、その向こうには頭の禿げたデブのおっさんが何かに襲われていた。
その何かは、大きなナイフ(よく見ればダガー)を手にして、今まさに襲いかからんとしていた。
「お、おーい! 助けてくれー!」
男は俺達に気がついて助けを求めた。
その何かは俺達に気がついて飛びかかってきた。
と思ったら、急に方向を変えて茂みの中に飛び込んだ。
そして、予想外の後方から飛び出てきて、ロザリーに向かって飛びかかった。
「きゃあ!?」
まずい!
ロザリーは後衛の魔術師だ。
直接攻撃には弱い。
「やべえ!? しまった!」
ギュスターヴからは距離が遠く、間に合わない。
ヤバイ!
と思ったら、俺はいつの間にか盾を構えてヤツの正面に立っていた。
「のわぁー!?」
「きゃああ!?」
そして、俺はとんでもない衝撃で後ろに吹っ飛ばされ、後ろにいたロザリーを巻き込んだ。
俺達は二人まとまってごろごろと転がっていった。
「いてて。おい、ロザリー? 大丈夫か!?」
「う、うん。大、丈夫」
ロザリーはちょっと目を回しながら、ズレたとんがり帽子をかぶり直している。
ふぅ、よかった。
大丈夫そうだ。
俺は、ホッとしたと同時に正面にいる何かがようやくわかった。
猫の耳のついた獣が2足で立っている。
獣人、か?
返り血なのだろうか?
体中が赤黒くなって、血まみれだ。
『シャーーー!』
やたらと興奮していて、毛が逆立ち牙を見せて威嚇してくる。
完全に理性が飛んでいるような目をしている。
「おい! ネコちゃん、こっちだぜ!」
ネコの獣人は、体の向きを変え、挑発してきたギュスターヴに飛びかかった。
俺には見えるだけでも限界の速さだが、ギュスターヴは剣で相手のダガーを軽くいなして、腹を蹴り上げた。
『ゲボぁ!?』
ネコの獣人は、何メートルも後ろに吹っ飛ばされて、胃液を吐きながら咳き込んでいる。
つ、強え!
このおっさん、やっぱり只者じゃねえ。
「よう、ネコちゃん、まだやるかい?」
『う、く……ぐぐぐ!』
ギュスターヴがゆっくりと歩きだすと、ネコの獣人は勝ち目がないと悟ったのか、ダガーを拾い上げて、茂みへと逃げ込んだ。
ギュスターヴは危険がないことを確認して、俺達の方に歩いて来た。
「お前ら、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
ロザリーはローブについた土を払って、杖を拾った。
俺は、木の盾にダガーのキズがついて、ちょっとアザができたぐらいだ。
「はい、大丈夫です。話には聞いていたけど、ギュスさん強いですね?」
「ああ? これぐらい大したことねえよ。それに、相手はまだ子供だ」
「え!? あれでまだ、子供……」
マジかよ!?
俺って、子供以下の戦闘能力か。
俺はがっくりと肩を落とした。
「まあ、落ち込むんじゃねえよ。元々、獣人族は人族より生まれながら身体能力が高いんだ。それでも、お前はロザリーちゃんを守った。俺様ですらしくじったのに、よくやった!」
「うん、そうよ! アルがいてくれなかったら、私やられてたわよ!」
何か二人のフォローが心に痛いけど、誰もやられてないし、良しとしよう。
「あの、ギュスターヴ殿? もうよろしいのでしょうか?」
依頼人の商人は、ケンタウロスのケニーの後に隠れながら声をかけてきた。
依頼人の事をすっかり忘れていた。
こっちも大丈夫そうだ。
「ああ、今は危険なことはねえよ。まずは、あちらさんの問題を片付けようぜ」
ギュスターヴは後を指差した。
その先には、倒れた馬車の横で、股の濡れた頭の禿げたデブのおっさんが青い顔でへたり込んでいた。
ギュスターヴ主導のもと、俺達は死体を1箇所に集めた。
生の死体を初めて運んだが、死にたてホヤホヤだし、損傷もひどくないので嫌な感じはしなかった。
それにしても、まだ子供なのに、世紀末のザコの格好をした傭兵ギルドの連中を3人も殺したのは凄まじかった。
獣人は間違いなく強い種族だな。
「さてと、何があったか聞かせてもらおうか?」
「う、うむ、実は、あの化物が……」
と、何が起こったのか、デブのおっさんはやかましく説明した。
商品を王都に持ち帰ろうとしたら、突然襲われたそうだ。
護衛の傭兵たちを殺されて、もう少しで自分も危ないところだった、と言っている。
しかし、自分はただの商人で、ただの被害者だということをやたらと強調していることが何か引っかかった。
それに、あの獣人の目は物取りではなく、恨みのこもった目だった。
「ふん! 化物、か。どっちが化物なんだろうな?」
ギュスターヴの蔑む言葉に、商人は反応した。
「な!? ワシは被害者だぞ! 何を根拠にそんなことを!」
「ふむ、それはあなたの商売に関係しているのではないのですかな?」
依頼主の商人も何かに気づいたようだった。
鼻で笑って、汚いものを見る目で見ている。
「何かわかったんですか?」
俺には、ピンとくるものがなかったので聞いてみた。
「まあ、こういうこった!」
ギュスターヴは、幌馬車のホロを開けた。
そこには、猫耳の獣人の少女が檻の中に入っていた。
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