序章:私はレディ・クロムウェル 02


 * *



 ヴィヴィアンから荒唐無稽な話を一通り聞き終えたエムの感想は一言。なるほどね、だけだった。


 気が触れたと言われても致し方ないような話を否定されなかったことは、ヴィヴィアンの心に少しの安寧をもたらした。


「つまりヴィーはその子爵令嬢を誘拐しないし、没落の決定打になる不正の証拠を掴み、それをもみ消したいと」

「――ええ」

「そして、自分はのうのうと公爵令嬢として過ごし、大往生で死ぬまで下々の者を見下して扇を仰ぎながら贅沢三昧して生きたい、と」

「そ、そこまでじゃあ……」

「でも午後の紅茶と天蓋のないベッドで寝たくないんだろ? 綺麗な宝石も手放せない」

「……それは、そうだけど」

「なら、僕の言ってる通りじゃない」

 エムは笑った。言葉はどう聞いても馬鹿にされているのに、馬鹿にされていない気がするのは何故だろうか。つい本音が口から出てしまう。影のなせる技なのだろうか。


 ヴィヴィアンは目の前の椅子に我が物顔で座り、羊皮紙を捲る自分の影を見た。

 闇色のローブから覗く脚は長く綺麗だ。影の癖に。悪魔の化身だからか。



「結論から言うけど、そんな証拠はないよ」

「………は?」

 ない、無い? ないのに証拠があると言っていたのかあの本は。

 でもそれを言うなら証拠がなくても没落してしまう程、脆弱なのか私の家は。この国一番の貴族だというのに。


 ヴィヴィアンが混乱で落としたティーカップを床すれすれでエムはキャッチすると、残りをゆっくりと飲んで口を開いた。

 完全に彼のお茶請けは主人の混乱した顔である。



「ヴィーの言ってたことだと、税金を領主が取過ぎていることについて王太子が糾弾するって話だよね」

「そのはずなの、何の証拠をもってそうされたのか、詳しくは覚えてないんだけど」

「そこが変なんだよ。なんで王家が自分の領土じゃない領民についてとやかく言ってくるの?」

「へ?」

「確かにこの国は、全ての領土が王様のもので、貴族連中はあくまで貸してもらってるっていう体になってる。でも、別に領民から幾らまでしかとっちゃいけません、なんて決まりはないよ。なにせ君ら王侯貴族の収入は税収。取れれば取れる程いいのは王様も同じ。下々の者は生かさず殺さず、だよ」

 ヴィヴィアンは後に知ることだが、ティンダル王国への国王への貴族諸侯の義務は戦の時の出兵義務だけの単純なものである。


 王国は本来すべて王の領地だが、王国すべての土地を管理するのは不可能だ。だから、貴族諸侯に統治権を与えた。貴族諸侯は土地を好きに経営していい権利を享受するかわりに、有事に軍を国へ派遣する義務がある。しかもその軍の費用は諸侯自身持ちとする。そんな主従にもならない、相互契約なのだ。


「逆に聞くけど、ヴィヴィアンはどうして王様が偉いと思ってるの?」

「それは、神様がこの土地の王になるにふさわしいとお認めになってるからよ」

「つまり他の領地を束ねてるからじゃないよね」

 わかってるじゃない、というエムに、ヴィヴィアンは混乱した。でもあの本では確かに、悪逆非道だから没落したのだ。税を不正にとっている証拠があると、突きつけられたのだ。


「不正の証拠云々はともかく、クロムウェル家は近々没落するかもしれない――それには答えられると思うよ」

「本当に?」

 頭が混乱しているヴィヴィアンは、エムの言葉に食いついた。


「まずこれを見てみて。ヴィーはどうやら文字と数字は読めるみたいだから」

 エムはそう言うと、羊皮紙の紙を一枚机に置いた。端々が黄ばんでいて、ボロボロである。相当古い紙のようだ。


 少し馬鹿にされたような気がしたが、今のヴィヴィアンにそのことについて口に出せるほどの余裕はない。

 素直に渡された紙を見る。王家と七公爵、そして単位がわからない数字が記されていた。


「これはそれぞれの領土の広さが書いてある。この中で数が一番大きいのは?」

「王家の領土よ……あら、でも公爵家でうちが一番の大きさじゃないわ」

 列挙は領土順ではなかったが、数字が読める様になったヴィヴィアンはどの数が一番大きいかは分かった。

 羊皮紙の中で、クロムウェル家は七公爵のなかで4番目の大きさだ。


 ヴィヴィアンの教育係の女家庭教師が言ってたのは『クロムウェル家は公爵家で一番の領土を持っています』だったので、ヴィヴィアンは思わず首をかしげた。


「じゃあ次にこれを見て」

 次に出された羊皮紙は比較的きれいなものだった。端もまだしっかりとしている。

「王家が変わらず大きいけど、うちが2番目になってる! うちの領土の数が大きくなってるけど……これは、他の領土が縮んでる?」

 古い羊皮紙と比較的きれいな羊皮紙を手に取って数字を比べてみれば、それは一目瞭然だった。

 ヴィヴィアンの行動に、エムは驚いて口を半開きにしていたが、数字を見比べるのに必死な彼女はそれに気づかなかった。

エムは気を取り直すと、話を続けた。

「そう。これは50年前に起こった王家の内紛で、クロムウェル家が今の王家側についたから。他の四公爵家は反対側勢力についた。だから領土を減らしたんだよ。 で、さらに15年前、カラムの民がいたバッチェ地方が平定されて、褒賞として新たに公爵領が増えた。それがクロムウェル公爵領一の穀倉地帯・ルゥルだよ。すると、どう?」


 ヴィヴィアンの手に、さらに新しい羊皮紙が渡された。先ほどよりも文字はずっと見やすく、そしてその数字は驚くべきものだった。

「うちの方が、王家より若干数字が大きい……?」


「そう。つまりクロムウェル公爵家は、王から土地を貰っていながら、王よりも大きい土地を持ってるんだよ。それだけ主要な働き、軍事力を有してる証拠だよねまあ想定外は君の浪費癖かな、多分ルゥルの収益が君の年間の服飾費をなんとか賄ってるんじゃない?」

 さすがに領内一の穀倉地帯でなければ賄えない程浪費はしてないはずだ。さすがに。

 そうは思うもののヴィヴィアンは確証が持てない、基準がわからないことが、これほど不安になることだとは。ヴィヴィアンは初めて自分の金遣いを恐ろしいと思った。


「とにかく、今の王様は、本当は君を息子の婚約者になんてしたくなかったはずだよ。でも前王の時の借りがあり、加えて15年前のバッチェ地方の借りもある。土地と軍事力は国内でも筆頭。公爵家を冷遇することは難しい。きっと渋々だったはずだ」

「なら、バッチェ地方を平定しようなんて、思わなければ良かったじゃない。それがなければうちは筆頭になることもなく、私を渋々婚約者にすることなんてなかったでしょう」

 ヴィヴィアンは自分の口から出た言葉に少し悲しくなる。

 貴族である以上、政略結婚は仕方がない。仕方がないが、心情はまた別の問題である。事実を突きつけられると、やはり辛い。


「それは無理な話だよ。さっき君も言ったろ、王たる資格は神が与える。今の王家は聖マール教によって正当性を認められている。皆の信じる神様に認められているというのを根拠に、ね。そしてこの国の近くのマール教の聖地は聖イスベが死んだと言われるバッチェのノイノン。――異教徒・カラムの民からバッチェを奪還したという事が、正当性を増すのにもってこいなわけだ。50年前どころか、王国の始まった100年前からずっと待ってたカラムの民の弱体化。奪還はもはや悲願であり義務だよ。たとえ王家の自前の軍が弱くても、連合軍として進軍した暁に、憎き公爵領に土地をあげなければならないとしても、ね」


 聖マール教。この国どころか、大陸にかつて栄えたマール帝国によって広められた宗教だ。前世の世界にも、似たような大きな宗教はあったようだ。ローマという大きな国と、その国教であった宗教が。もっとも、前世の彼女の生きていた時代は宗教と政治は分離していたらしいが。


 ヴィヴィアンにはその感覚が解らなかった。では何を以て王として、何をもって政をおこなうのか。見えざる尊い存在がお認めにならないまま、どうして政が行えるのか、混ざり合った今でもわからない。



 でも、もっとわからないのはエム。どうして、聖イスベを召天なさったと言わないでいられるのかしら。



 目の前の自分の影を見る。肌はどう見ても若者なのに。知っていることは年上の家庭教師のようなのに。言葉は畏れ知らずの野蛮人だ。

 そんなヴィヴィアンの怪訝な様子を知ってか知らずか、顔の見えないエムはそのまま飄々と話を続ける。


「公爵家の立場としては、まず50年前に筆頭公爵家になって地盤を固めたね。次に15年前、軍事力は健在なことと、王家進出への足掛かりだ。でも3度目も軍事力とはいかない。なにせ今度は敵は外ではないし、何より周りが納得するような正当性がなければいけない。連合軍を組まれたらさすがに勝機も未確定になるし、金もかかる。なら、血から染めようと思ったんだろう。そこでヴィー、君の出番ってわけ」

「――私が王太子と結婚して産んだ子なら、公爵の血筋になるってことよね」

「そう。でも、王家だって馬鹿じゃない。公爵家の目論みはとっくに知っているだろうね。だから、軍事力強化に力を注いできてるんだ。現に軍事力はあがってるし、素晴らしい人材が現れた」


 エムがそういうと、さらに一枚ヴィヴィアンに羊皮紙を手渡した。

 そこには細かな数字の羅列ばかりで、ヴィヴィアンは全くわからなかったが、その羊皮紙のタイトルは読めた。『クルス地方への南方遠征における軍事費詳細』


「5年前の遠征のことじゃない。あの、マクラウド将軍の出世のきっかけになった」

 政治にも歴史にも興味のないヴィヴィアンだが、その事だけは知っていた。20代の若さで将軍になった彼は社交界の婦人達の憧れだ。

 ヴィヴィアンの発言に、エムはへえ、と笑った。


「さすがのヴィーも『ノース伯の爵位なし』は知ってるんだね。そう、クルス地方への進軍は王家にとって領土拡大以上に価値があった勝利だったんだよ。王国軍の武力と、素晴らしい騎士がいることを確認できたんだからね。そうなれば後は目の上のたんこぶを取りたい。――王家は準備さえ整えば明日にでも反乱の事実でもでっち上げて、神の名のもとに国王軍が進軍してきたって不思議じゃない状況なんだ」

「でも、でっちあげないのは……出来ないから?」

 ヴィヴィアンが口を挟むと、エムはそうだ、と一つ頷いた。


「王家も欲しいのは正当性なんだ。こっちのは、キッカケと大義名分だけどね。――例えば非常識で悪徳なご令嬢の捕縛により判明した。クロムウェル公爵家は国を転覆させる悪徳公爵家ゆえに討伐する、とか、ね。君は王家にとってもとても重要な鍵だね。悪い意味だけど」

 大筋では君の前世の話は本当だったと言えるね、とエムが歌う様に言った。


 エムの言ったことを頭で噛み砕き、理解できたヴィヴィアンは、大きくため息を吐いた。


 シートン子爵令嬢を私が誘拐しなければ、不正の証拠さえ隠滅すれば、ヴィヴィアンは自分の処刑も家の没落もなくなると思っていた。


 しかし違うのだ、もうとっくに舞台は整っていたのだ。シートン子爵令嬢は、いや、ヴィヴィアンという公爵令嬢は、ただのマッチ棒の先でしかなかった。



「まあ僕は、正直体も細く、癇癪持ちだし、頭は良くなくて気だけ強い。良いとこはその見た目だけ。そんな君は、王妃にはいいけど、あまり国母には向かないと思ってたんだ。でも前世の記憶だっけ、その通りだとすれば、君はまあ王妃にすらなれずに死んじゃうね」


 ご愁傷様、と笑う顔に、思わず扇を投げつけた。


 ヴィヴィアンの投擲能力などたかが知れている。エムが顔の前に出した手に当たると直ぐに床に落ちた。顔をかばったエムの手のひらには傷すらついていない。


「お前ッ、私はお前の主人なのよッ!言葉が過ぎるわ!不敬よ!」


 ヴィヴィアンは立ち上がり、腹の底からの憎悪を叫んだ。エムはそんな彼女の癇癪を一身に受けならも、飄々とした姿勢を崩さない。


「でも、ヴィーの話では君は近々王命で断頭台だろ? 世間的にはどっちの方が不敬なんだろうね?」

 ヴィヴィアンは咄嗟に、手元にあったティーカップを投げつけた。

 ガチャン、と高い音を出してお気に入りだったカップは無残な姿になった。エムの手のひらに今度はうっすらと血が滲む。


 じんわりと赤く滲むそれに、ヴィヴィアンは自身の瀉血を思い出す。

 こんな人でなしでも、血は赤いのか。


「ヴィー、冷静になれ」

「煽ったお前が言うの!?」

「ヴィーの言うことが本当なら、誰もが君の失言と失態を願っている。 皆が君の癇癪と短慮を望んでいる。君が贅沢をする気だった王家自体が一番、君の処刑を、その口実を、喉から手が出るほどに欲しがっている」

 

 エムのいつにもない冷静な言葉につられて、ヴィヴィアンの頭も少しだけ冷静になる。


「君が今みたいに激昂して、奴らの手のひらで踊れば、旦那様は君を見捨てる可能性だってあるよ。あの人は君の父である前に公爵であろうとしている。それは君も、この16年間でいやという程理解しているだろ?」


 目の上のたんこぶを取り去りたい王家。

 公爵家の台頭が煩わしい貴族たち。

 実子でさえ切り捨てる父。

 没落に片足を突っ込みながらも、使用人を対等に思えない私。


 みんなみんな、人でなしばっかりだ。

 

 蹲りたくてたまらない。しゃがもうとしたヴィヴィアンの身体を、エムが支えた。

 細いくせに力が強い。自分で体を支える気のないヴィヴィアンはそのままエムにしなだれかかった。


 ふしだらだ、とどこかで警鐘が鳴るのに、今はその警鐘に従うことが出来ないヴィヴィアンはエムの胸に自分の頬を擦りつけた。

 応える様にエムの手がヴィヴィアンの細い肩をぎゅっと握る。


「……エム」

「なに」

「お前は私の味方?」

「違うね」

「……っ」

「言ったろ、僕はお前の影……影は、陽の元でも闇の中でも、ずっとある」

「そう。そうなのね……」

 ヴィヴィアンはそれだけ言うと、息を大きく吸い、縋るようにくっつけていた身体を押した。

 そして1つ深呼吸をすると、背筋をぴんと伸ばした。


「エム、お前の命私に捧げなさい。 ……お前が本当に私の影というなら、私が死ねばお前も死ぬわ」

 せいぜい、私が死なないように努めるのね。





 エムは、目の見えない顔で満足そうに口角を上げて、ティーカップの残骸が散らばる床に跪いて一礼した。それは影と言うより従者の様であり、忠誠を誓う騎士のようだった。


 もう2度と、蹲ってなどやるものか。

 これから、私に何千の悪意と憎悪が来ても、この足で地面を踏みしめなければならない。

 泥水だって啜ってでも、その惨めさを見せないぐらいの麗しさをもって、矜持と歩かねばならない。


 ヴィヴィアンはこの時、改めて自分がクロムウェル公爵令嬢であることを認めた。


 そして何があっても生き残ることを心に決めたのである。




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