終章:常に在るもの
終章:常に在るもの 01
「ご多忙の中、急遽お時間を取って頂き、ありがとうございます」
ヴィヴィアンは一昨日と同じアフタヌーン・ドレスで、膝だけを軽く折り曲げた。
「もう一晩あるが、構わないのか」
見上げる玉座から、かの皇帝はこの間と同じように、肘をついて、自らの口でヴィヴィアンに話しかけた。
あの時と違う所といえば、隣に忠臣を置いているところか。彼は優しげではあるが、感情のわからない顔で、ヴィヴィアンをじっと見ていた。
「構いません――もとより、最初から決まっていたのです」
ヴィヴィアンは玉座をじっと見据えたまま静かに口を開いた。
「ほお? では早速、聞かせてもらおうか。――お前の後ろの男も、お前の返答が気になって仕方がないようだしな」
クク、と皇帝は人が悪い顔で笑いをかみ殺した。隣りのプレヴェールが、少しだけ咎める顔を玉座に向けていた。
ヴィヴィアンは一度目を閉じて、軽く息を吸って、目と口を開いた。
「私は、どの選択肢も選びません」
「――は?」
その声は後ろから聞こえてきた。
アラン1世も、プレヴェールも、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
この場にいる誰もが、ヴィヴィアンの言葉に驚いていた。
ああ、スカッとする。
ヴィヴィアンは周囲の反応に思わずにやりと口角を上げた。
一拍おいて、皇帝の声が玉座の間に響く。
「――どういうことか、説明してくれないか? 公爵令嬢よ」
「そのままの意味です。私は、陛下から頂いたティンダルの王女になる選択も、陛下の臣民として生きることも、誰かが持ってきた求婚の話も全てお受けいたしません」
「ヴィー!」
耐え切れなくなったエムが、切羽詰まった声でヴィヴィアンに声をかけた。
それもそうだろう。エムはヴィヴィアンに選択肢を与えるために奔走した。
打ち捨てていた手紙の主に連絡を取り、大陸一の皇帝につないでもらい、選択肢をヴィヴィアンが持てる様に取り計らい、母国から求婚する相手まで見つけ、連れてきたのだ。
その努力を、ヴィヴィアンは全て要らないと言ったのだ。
「お前が言ったのでしょう、私に選択肢を与えたい、と。なら、選択しないのも私の選択肢の一つよ」
ヴィヴィアンは貴婦人然とした態度で、エムにぴしゃりと言った。
「でも……」
「はははっ、確かに道理だな! おい、全てを見通せる魔法使いと言っても、たかが知れているじゃないか、ニコラ」
「陛下」
皇帝の笑い声が玉座に響き、プレヴェールがそれを咎める様に名を呼んだ。皇帝はどうにか笑いをかみ殺すと、上機嫌な顔のままヴィヴィアンを見た。
「しかし、選択しないならお前はどうするのだ? 与えられたものを拒むのなら、我が道を行くのだろう?」
「旅に出ます」
「旅? 何故だ。、身分を捨てたいだけなら我が民になれ。保護もしてやるぞ? 」
「たしかに、選択肢としては陛下の臣民が一番近くありますが――貴方の側仕えは御道のため使えるものは誰でも使うと、昨日仰いました。そんなところに私の大事な影を置いておけません。争いの道具に使われます。――ですので、エムと共に旅に出ます」
ヴィヴィアンの言葉に、プレヴェールの顔から表情が消える。先ほどの様にびっくりしない辺り、やはり使うつもりはあったのだろう。
もしかしたら、そのような取引が既になされており、ヴィヴィアンにのみ選択肢が与えられた可能性すらある。
ヴィヴィアンは思わず玉座から一段下がったところにいる、優男の顔を睨みつけた。
「殊勝な心がけだ、公爵令嬢……いや、娘よ。だがな、心がけだけでは生きていけない。没落した貴族が民になれずに野垂れ死ぬのはその為よ。 貴様は今後一切そのようなドレスも着られず、人に傅かれることもなく生きる――それにお前は耐えきれるのか?」
皇帝の言葉に、ヴィヴィアンは思わずくすりと笑ってしまった。
同じことを、少し前に言われたことを思い出したからだ。その男は言っていた。
公爵令嬢として過ごし、大往生で死ぬまで下々の者を見下して扇を仰ぎながら贅沢三昧して生きたいのだろう、と。
その時ヴィヴィアンは否定できなかった。当時の自分は、貴族の生活を振舞えない自分には、価値がないと思っていたからだ。
でも、今は違う。
「陛下は、何が陛下足らしめると思いますか」
「――何?」
「わたくしは、今の私を私足らしめるのは、誇りだと思います。そして、わたくしの誇りは、故郷で関わったすべての人の心の中の私です。だから、彼らを一人でも犠牲にする選択肢を、私は取らない――私の影も、貴方達になど、差し上げません」
豪華なドレスなど無くても、人に傅かれなくても、矜持があれば背筋を伸ばして生きていける。私が誇りを持ち続ける限り。
そして、誇りは故郷に在る人の心に在り続ける『ヴィヴィアン・クロムウェル』だ。
私の心は、誇りは既に彼らの中に在る。
それで十分で、それが至上だ。
「私の誇りを取る――それがわたくしの選択です」
ヴィヴィアンの言葉に、皇帝は一拍黙った後、腹を抱えて笑った。
不気味なほどの笑い声が、玉座の間に響き渡る。
「なるほど、成程!誇りを取るか、ハハ、面白い――あの将軍の妾になると言った時には、斬り捨ててやろうと思っていたが……いいだろう、無罪放免でお前を逃してやる。お前の大事な誇りの一つと共にな」
「陛下!」
「あの娘風に言うなら、剣が俺の誇りだ。剣を振るうには眼がいるが、これ以上の手足は要らぬ。感覚が鈍るからな――ニコラ、手出しするなよ」
「……御意」
「お心遣い、感謝いたします」
ヴィヴィアンは今度こそ、左脚を斜め後ろの内側に引き、右脚の膝を軽く曲げて挨拶をした。
そうして綺麗な所作で踵を返すと、呆然と立っているエムを一瞥して、歩を進めた。
「何してるの、エム。早く来なさい」
豪奢な玉座の間からピンと背筋を伸ばして退室するその姿は、どこまでも公爵令嬢だった。
* *
「エム、あなた服をいれていた鞄などある? さっさと荷造りをしないといけないわ」
あんな啖呵を切ったのだ、すぐに出て行かなくてはならない。
借りていた部屋に着いたヴィヴィアンは、なんてことないようにエムに話しかけた。
「……んで」
「なあに?」
「何であんなこと言った! 僕がヴィーのために、どれだけ、どれだけっ……!」
「そうね、エムは私の為によく動いてくれていたと思うわ」
「なら!」
「でも、どうしてお前を犠牲にしないといけないの」
ヴィヴィアンはそっとエムの頬に触れた。指の先にある、エメラルドの瞳が涙で濡れて、一層の輝きを増していた。
選択肢を与えたい。
そう思ってくれたことは、ヴィヴィアンにとって、とても嬉しいことだった。
選び取ることがない中で、選ぶ選択肢を与えてくれた。その為に必要な思考を与えてくれた。
人と話す度、人から心を貰う度、ヴィヴィアンの心の中には、いつもエムへの感謝があった。
でも、だからこそ。
今のヴィヴィアンにとって、何よりも必要で、何よりも失いたくないものは、誇りと、エム――彼そのものだった。
「どうして、他の人間などにあげなくちゃいけないの――お前は私のものなのに」
エムはその言葉に破顔して、自身の頬に添えられたヴィヴィアンの手に自身の手を重ねた。
「僕は……俺は、君の安寧だけが、救いなのに――それ以外、何もいらないのに」
まるで、懺悔の告白をするような、苦しげな声だった。
「私の安寧を願うなら、貴方自身がずっと側にいて。――陽の元でも闇の中でも、影のように」
ヴィヴィアンはもう片方の手をエムの頬に伸ばすと、背を伸ばして、俯くエムの鼻に自分の鼻尖をくっつける。
「そしていつか、一緒に死んで頂戴」
愛を語るには近く、愛を乞うには遠く。けれど、離れるには遅すぎた。
それがヴィヴィアンとエムの距離であり、在り方だった。
「……やっぱりわがままだ、ヴィーは」
エムは濡れた目から雫を一つ落とすと、観念した様に笑って、ヴィヴィアンの唇に自分のそれを重ねた。
そして、まるでこれが現実であることを確かめるかのように、彼女を掻き抱いて、しばらくの間、離さなかった。
ヴィヴィアンも腕を伸ばして、エムの首に顔を埋めた。
ああ、心が安堵する。
どこか満たされなかった心が満たされる感覚に、ヴィヴィアンは目を閉じた。
今までよりずっと近い、そしてずっとなりたかった距離と温もりがそこにはあった。
ずっとこうしたかったのは、お互い様だったのだ。
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