10.気ままな散歩とバタークッキー

「ユーリィ、ちょっとこちらに来なさい」


 デボラさんが調理場にまで呼びに来ました。どうやら妖精王さまからお話があるそうなのです。

 ちょうど焼きたてのバタークッキーを並べて冷やしているところでした。アツアツのクッキーが甘い匂いで誘惑してきますが、試食はお預けです。


 昨日の作戦会議でシンプルイズベストな品を出してみようかということになったんです。素朴な味でおいしいですよね。

 エプロンを外しても甘い匂いがついて来ている気がしますが、仕方がありません。そのまま旦那さまの執務室に行っちゃいましょう。


「失礼します」

「おお、来たな」


 妖精王さまがいつも以上にラフな格好をされています。白いシャツに黒いズボン姿です。いつもはベストや上着も合わせてるんですけどね。どうしたんでしょう。


「気晴らしに行くぞ。つきあえ」

「あ、あの私にはメイドとしての仕事が……」

「ユーリィ、妖精王さまからのご命令が優先よ」


 えっ?!

 デボラさんまでどうしたんですか?


 気晴らしってことは遊びに行くようなものですよ。でもまあ、ナタンさんも一緒に行くみたいですし大丈夫……なんでしょうか?


『デートデート』

『ナタンもいるよ』

『三角関係?』


 妖精さんたち、無邪気な顔で不穏な単語を並べないでください。確かに謎のメンバーですが。

 個人的には至高の紳士ナタンさんとのお出かけなのでこの上ない幸運ですけど。


「さ、外に出るんだから着替えなさいな」


 デボラさんに客室に連れていかれて、そこにはなぜか淡い若草色の小花柄の可愛いワンピースが置かれてあって。着せてくれました。デボラさんの娘さんのお古だそうですが、新品と遜色ありません。


 それから鏡台の前に座らされると髪を結ってくれました。


「せっかく綺麗な色の髪をしているんだからちょっとはおめかししようとしなさい」


 そう言って私の水色のサテンのリボンで髪を結ってくれました。ダスティパステルで、上品な色合いです。


 よそ行きの服を持ってなさいと言われているんですが、そんな出かけることないし、いっかと思って先延ばしにしてたんです。

 服は必要最低限しか持っていませんし、アクセサリーは仕事用の髪留めくらいしか持ってませんのです。お給料は本と貯金に充ててるんですよね。


 おお! 町娘ファッション!


 鏡に映った自分をまじまじと見ちゃいました。さすがスーパーメイドのデボラさん。上品なヘアスタイルにしてくれたので淑女感が出たような気がします。

 お団子スタイルなんですが、編み込みも入れてるのでオシャレです。


 さて、今から馬車に乗っての移動です。

 スーレイロル家の馬車、座席はふかふかで乗り心地最高です。


 で、なんで私の隣が妖精王さまなんでしょうか?


 向かいの席のナタンさんがいたたまれないような目をしてます。そうですよね。執事がご主人さまより広々とした席に座ってるのは外聞が良くない気がします。

 妖精王さまは……まあ、いつもの通りそんなのお構いなしです。妖精さんたちとの森での生活を聞かせてくれました。


 普段は森に入ってきた人を道に迷わせたり、かと思えば一緒にお酒を飲んだりもしているようです。ちなみに妖精さんたち、あんなあどけない顔してお酒飲んでるんですね。カルチャーショックです。


 退屈と言ってる割には充実した日常を送っているようです。王ともなればもっと刺激が欲しいんでしょうか。力を消耗してまで乗っ取っていますもんね。


 しばらく走らせると、牧草地帯に着きました。


 ふわん、ふわんと浮いている生き物がいます。綿羊です。どうやらここは牧場のようです。


「うわぁっ! 初めて見ました!」


 もっこもの毛に覆われた丸い体の羊で、角が2本あります。ちなみに鳴き声はメェ~じゃなくてモッフ~です。蹄はハート型なんですよ。とってもキュートでしょう?


 旦那さまの姿が見えたので牧場の方が話しかけてきました。中身の妖精王さまは興味津々で聞いています。最近の羊毛のとれ具合とか売り先について話してくれました。

 刈った綿のような毛は街の工房に売っているようです。それを糸にする工房やフェルトにする工房があるんですって。辿っていったらよい工場が見つけられそう……。


 ……はっ! つい前世の仕事感覚で話を聞いてしまいました。


「ほれ、触ってみろよ」


 妖精王さまが手を掴んできてそのまま綿羊の身体に当てました。勢いあまってボスっと手が埋まったのですが、綿羊は気にしていない様子。

 触り心地、ふわっふわです。とろける綿菓子です。


「アハハハ、羊に取り込まれそうだな。こっから見たら新種の魔物だ」

「魔物だなんて酷いです。淑女に対して使う言葉じゃないですよ」


 夢中になって触っていると、妖精王さまに笑われてしまいました。


 続いて薬草の農園を訪れました。

 浮遊魔法でふよふよと宙を浮く畑にはびっくりして腰を抜かしてしまいそうになりました。畑が空を飛ぶなんて、さすがは魔法の世界です。


 収穫するときは飛行魔法が付与されたブーツを履いて空を飛んで採るんですって。

 草癒の日に見たハーブたちは日本のハーブと似ていても全く違う育て方をされていたんですね。


 深呼吸すると、胸の中が爽やかな香りの空気で満たされました。身体が軽くなった気がします。


「腹減った~」

「妖精王さま、実は今日のおやつを持って来ていたんです。お召し上がりください」


 帰りの馬車の中、バタークッキーの包みを開けて妖精王さまに出すと、彼は1枚とって食べました。


「ちょっとは気分転換になったか?」


 もしかして昨日言ってた気晴らしをさせてくださったんですか……?

 奔放な妖精王さまからの心遣い、感激です。強引ですけど、お陰様で焦燥感がおさまりました。


「はいっ! 素敵なお誘いをありがとうございます。とっても楽しかったです!」


 妖精王さまがいきなり咳き込みました。クッキーが詰まったようです。大丈夫でしょうか?


「ウィルと呼べ」

「――えっ?! 一介のメイドが友人のように呼ぶだなんて無理です」

「命令だ」


 反論しようとすると、妖精王さまはクッキーを私の口に放り込んできました。片手しか動かせないのに器用なお方です。ナタンさんがやれやれと首を横に振っています。


 ほのかにバターが効いたクッキーは、口の中でほろほろと崩れていきました。


「クッキーおいしいですね」

「自画自賛だな。……まあ、確かに美味い」


 妖精王さまは――ウィルは、口元をほころばせて満足げです。また袋に手を伸ばすと、今度はご自分の口に運んでいます。


 やがて馬車の中は静かになりました。妖精王さまは、何やら思索に耽るような表情で流れゆく街並みに目を向けています。いつもはよくお喋りしているのに珍しいです。


 ウィルもとい旦那さまの横顔は、絵画にでも描かれていそうなほど綺麗です。整った鼻梁、長い睫毛は目元に影を落としています。穏やかな空のような水色の瞳が伏せられ、そこはかとなく寂寥を感じさせます。


 巷で流行っている小説に出てきそうな、少し陰のある貴公子。このような面持ちなので、王都の貴婦人やご令嬢たちは旦那さまに夢中になるのかもしれませんね。


 何やら悩んでいるようにも見えますし、お屋敷に着いたら一番にお茶をお持ちしましょう。

 口の中の水分をクッキーにとられてしまった私は、呑気にもそんなことを考えながら窓の外を眺めました。


 甘いようなしょっぱいようなバターの味が、口いっぱいに広がっていったのです。


 お屋敷に戻ると、門の前に人だかりができていました。綺麗なドレスを着た令嬢たちです。デボラさん対応しています。彼女たちが乗ってきた馬車があちこちに停まっていますね。


 もしかして、王都から遠征してきたんですか……?

 まるでアイドルの追っかけですね。


「おおっ! 可愛い女の子たちがいっぱい来てくれてるじゃん」

「妖精王さま、黙ってついて来てくださいね?」


 珍しくナタンさんが笑顔に圧を含んでおります。普段は穏やかな人の気迫って強力ですね。さすがの妖精王さまも言い返せませんでした。


「皆さま、旦那さまは療養中のためどうかお引き取り下さいませ」


 馬車から降りて門の前を通ると、ご令嬢たちが妖精王さまの周りに集まります。が、拒絶反応のことを知っているためか、一定の距離を保っています。物差しで測ったかの如くキチっと間隔を空けているのです。


 妖精王さまが歩くと一定の距離を保ったままついて来ます。

 なんとも不思議な光景。


「スーレイロル伯爵、私たちお見舞いに来ましたの」


 緩く巻き毛がちの亜麻色の髪の女性が、すっと前に出てきました。パッチリとした緑色の瞳は旦那さまの姿を捕らえると潤んでいます。恋する乙女ですね。


「カサンドル嬢、申し訳ございませんが旦那さまは大変お疲れです」

「ええ、良いのです。一目でもお姿を拝見できて私たちは嬉しゅうございます」


 ナタンさんが間に入って、帰るよう促しました。

 この人がブランシュ嬢……お人形さんみたいに可愛らしい方ですね。肌とか真っ白ですよ。雪のようです。


「一日でも早く王都に戻られるのをお待ちしております」


 唐突に視線がこちらを向いて――睨まれてしまいました。

 もしかして私、悪役令嬢ならぬ悪役メイドポジションでしょうか?


 ……悪役メイドって弱そうですね。秒で断罪されそうです。

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