現実の世界に不満を抱く男子中学生が、邪神の力で異世界へと転移し、そこで内なる悪魔(欲望)を解き放つダークファンタジー

読み方は自由

序章 現代篇(現代直送)

第1話 内なる悪魔は

 目に見える悪魔は、それ程恐ろしくはない。彼らの容姿や言動、その行動などに震える事はあっても、「それ」を目に見えない脅威として捉える事はないからだ。本当の恐怖は、透明な世界にこそ潜んでいる。水のように澄んでいるそこは、実は淀んだ闇で満たされているのだ。普通の人には決して見えない……それこそ、純粋な闇に覆われて。その闇は、どんな人間にも備わっている。人間が人間として生まれて来たように、その因子が先祖から脈々と受け継がれているのだ。教室の中で、クラスの男子と(楽しげに)話す彼にも。

 

 彼は……深澤ふかざわ栄介えいすけは、自分の裏側に潜む魔物、「内なる悪魔」に気づきながらも、表面上では「普通の人間」を装い、周りの世界にも溶け込んで、その悪魔をひたすらに隠し続けていた。この悪魔は、周りには決して知られてはならない。世間の常識を知り(とは言っても、あくまで一般中学生の範囲内だが)、人並みに社会の暗部を学んでは来たが、それと比較してみても、その悪魔はやはり異常で、しかも常軌を逸したモノだった。

 

 、その内容をそっと囁き続ける。悪魔は彼がぼうっとする瞬間、学校の昼休みや、家での入浴時、就寝前の意識にすっと現れては、実体の無い姿を形作って、彼の心に「それ」を話し始めるのだ。「いつまで、善人をやっているのだ?」と。お前は、根っからの悪魔なのに。お前が求めているのは、どんな悪にも勝る存在。

 

 神がお前の更正に匙を投げ、地上の人々にも「お前の悪事を受け入れよ」と命ずるような存在だ。絶対の悪……少なくても「限りなく悪に近い存在」でありながら、それを罰する事もできず、その悪行を唯々受け入れ、「自分への称賛、盲信、服従、溺愛しか許さないような存在になりたい」と思っているのに。

 

 いつまで、自分に嘘をついている? お前が普段……ほら? また、やっている。お得意の作り笑い。それで周りの人間関係が上手く行く、「面倒くさい事からも逃げられる」と言う気持ちも分かるが、それでは、いつまで経っても満たされない。純粋な水が、より純粋に濁って行くだけだ。濁り切った先に待っているのは、魂が罅割れた世界。周りが「良い」と思うモノに「良い」と肯き、「悪い」と思うモノに「悪い」と応える、空っぽな世界だけだ。

 

 そんな世界は、お前は望んでいない。お前は「悪」と言う主導権を持って、「世界のすべてを蹂躙したい」と思っている筈だ。世界中の富を手に入れて、権力の剣を振りかざし、あらゆる女を丸裸にする。パソコンの画面に映る女体は、「商売」の値札が付いた裸体だ。無料の裸体ではない。お前が見たい裸体は……肌の味を知りたい女体は、今の視界に入っているモノ、現実の女である筈だ。そいつらの服を剥ぎ取り、その操を奪って、自分の印を刻みたいと思っている獲物。あるいは既に貫通済みでも、自分の印を上書きできる獲物。お前の心は、「それ」を求めている。理性の鎧がどんな抑えても、その事実からは決して逃れられない。お前は己の本能に従って……噛み砕いた言い方をするなら、悪い事をしたくて堪らない筈だ。

 

 栄介は、悪魔の声から意識を逸らした。心情的な意味でも、また、現実的な意味でも。彼が聴き入る悪魔の声には、それに一種の陶酔を与え、現実との境界を曖昧にする効果がある。現実世界の住人……この場合は、「友人」と言って良いだろう。その友人が「おい」と話し掛けなければ、内なる悪魔とひたすらに戯れられる程の。

 

 栄介は相手の声に応え(どうやら、休み時間が終わったらしい)、その相手に「ありがとう」と言って、自分の席に戻った。

 


 授業が始まったのは、それから数分後の事。クラス委員が周りのクラスメイト達に「着席」を促して、彼らがそれに従ってからすぐの事だった。彼らは教師の出席確認に応え、それが終わると、ある者は真面目に、またある者は憂鬱な顔で、学校の授業を聞きはじめた。栄一も理科の教科書を開き、ノートのページに化学式を書きはじめたが、それを書き終えた所で、制服のポケットからスマホを取りだし、机の中にスマホを隠しつつ、その画面をさっと点けた。

 

 栄介は、画面のロックを外した。いつもの暗証番号……最近では指紋認証なんて物もあるが、個人的に何となく嫌だったようで、面倒ながらも暗証番号を使っている。暗証番号は13桁の数字、不吉ながらも何処か浪漫溢れる数だった。

 

 彼はネットのアイコンに触れて、そのページを開き、ページの検索エンジンに「ネット小説、異世界」と入れた。何の躊躇いもなく、ランキングの上位をチラッと見る動きにも、迷いがまったく見られない。精々、「あ、この作品、ランクが上がった」と思うくらいだ。それ以外の反応は、本当に皆無。隣で授業を聞く女子の方が(理科が苦手なのか)まだ、表情が豊かだった。

 

 彼は自分のマイページを開き、ブックマークした作品の最新話が更新されているかを確かめて、更新されている物があったら、これまた周りに気づかれないように、その内容をじっくりと読みはじめた。第〇〇話「新しいスキル?」と題された話を、何処か淋しげな顔で読みはじめたのである。

 

 彼は周りの様子を時折確かめはしたが、周りが自分の行動に気づいていないのを確認すると、スマホの画面にまた視線を戻して、物語の内容をまた読みはじめた。物語の内容は、控えめに言って神だった。まず、冒頭の文章が良い。前話の最後から繋がる構成で、読み手の意識をすぐに異世界回帰させる。それまであった現実世界がすっかり消え、まるでテレビのチャンネルが切り替わるように、目の前の景色がすっかり変わってしまうのだ。


 つまらない教室の風景は、浪漫溢れる中世都市の町並みに。二酸化炭素の化学式が書かれた黒板は、錬金術師が羊皮紙に書いた金の精製方法に。生徒達がノートに黒板の文字を書き写す音は、市場で果物を売り捌く商人達の声に。机の上から落ちた消しゴムは、道行く冒険者の財布から落ちた銀貨に。それぞれの形を保ちながらも、その光景に重層的な意味を与えていた。

 

 彼は、その光景に胸を踊らせた。自分ももし、その世界に行けたら? こんな世界からは、さっさとオサラバできるのに。ここは、悪魔の快楽を潰す最悪な世界だ。あらゆる秩序が法律化され、その法律が良識によって守られている。正に「理性的」とも言える世界。そこから逸して罪を犯そうとしても、その人間には厳しい罰が待っている。「罰金」と言う罰から、「死刑」と言う罰まで。本当に多種多様だ。公的な刑罰からは免れても……本当は駄目なのだろうが、「私刑」と言う罰もある。個人が個人に対して行う処罰だ。法がそいつを裁けないのなら、自分が法に代わってそいつを裁く。


 行動の動機としてはあまり褒められたモノではないが、「正義を貫く」と言う視点では、それも決して否めない……寧ろ、人間としては当然のように思えた。人間は基本、「正しく生きたい」と思っている。「周りとの折り合いをつけて、自分の人生を最大限に生き抜いてやろう」と思っているのだ。それが、どんなに辛い事であっても。「善」と言うモノは、それだけで人間に自信を付けるのである。

 

 彼はその自信が、自信の裏にある偽善が嫌いだった。本当に善を尊ぶ人なら、それの見返りを決して求めない。自分が社会に害を及ぼす存在なら、色々と考える筈だし、そもそも生まれて来ようとさえ思わない筈だ。自分は、社会に必要ない。必要ないなら、生まれてくる必然もない。善が本当に人を救うのなら、最初の時点で厳しい線引きが成される筈だ。そこに住まう人々を守るために、綺麗な水だけを流し続ける筈である。

 

 だが……現実はその真逆、綺麗な水を隠れ蓑にして、汚濁をばんばん流している。排水処理はおろか、ろ過器にも通さないで、腐った水を際限なく流しているのだ。未だに世界から悪が無くならないのは、その証拠と言って良いだろう。悪は、人間にとって標準的な感情なのだ。善は、それに野次を入れる邪魔者でしかない。昨今の異世界転生モノに文句を言う読者は(小説の感想欄や、まとめサイトなども偶に見ている)正常なのかも知れないが、それにはどうしても共感できなかった。

 

 自分の欲望を満たして何が悪い? 


 欲望は、人間が生きる上で必要な要素だ。睡眠欲がなければ、人間はあっと言う間に死んでしまうし、食欲も「食物連鎖」の都合上、重要な役割を担っている。性欲は、次世代に命を繋げる大事なシステムだ。それらがもし、欠けてしまったら? 人間は、まず生きて行けないだろう。種として栄える事もできない。理性で欲望を抑える社会は、一見理想的な世界だが、一歩間違えば、味も素っ気も無い、無味乾燥な世界になってしまう。生きているのか、死んでいるのか、分からない世界。そんな世界に生きていても、きっと楽しくないだろう。善が悪を封じ込めた世界は。

 

 栄介は小説のページを閉じ、ついでにスマホの画面も消した。欲望の世界は、終わった。チーレム万歳の異世界も、画面を消したらただの現実世界に戻ってしまう。様々な制約に縛られた、つまらない現実に。14歳の少年が生きるには、あまりにも退屈な世界に。少年はたった一度しかない14歳の時間を、誰かが決めた善によってその自由を縛られていた。「はぁ」の溜め息からも、その思いが窺える。

 

 ……あっちの世界に行きたい。

 

 彼は黒板の文字に意識を戻し、憂鬱な顔でノートにそれを書き写した。

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