第7話 彼女と温泉旅行③

 俺は心とキスをしている夢を見ていた。災難続きだった俺のために神様が幸せをくれたのだろう。の感触や吐息の音まで完璧に再現されていた。

――いや、ちょっと待てよ。夢って感触や音って聞こえたっけ。

 

「あ、おは……よう」

 

 心はサッと離れ、顔を赤らめながら呟いた。

 

「……おはよう」

 

 やはり、あれは夢ではなかったようだ。俺は旅行最終日の朝を心のキスで目覚めることになった。とてもいい気分だ。

 

「ねぇ……私が何してたか知ってる?」

 

 心は真っ赤な顔で恐る恐る尋ねてきた。

 

「なんのこと?どうかした?」

 

 俺は知らないふりをした。これで知っていると答えた場合、確実に気まづくなるのをわかっていたからだ。

 

「そ、そっかぁ。いや、なんでもないの」

 

 心はさっきのことを思い出したのか、更に顔を赤くして呟いた。

もぅ、心たんったら照れ屋さんなんだからぁ。

 

「さっき、お姉ちゃんキスしてたよねー。しかも、一回じゃなくて何度も何度も。くーくんもバリバリ起きてたし。あ、息子もバリバリ起きてたね」

 

 ゆめは少し機嫌悪そうに言い放った。こんの妹がぁ!せっかく俺が穏便に終わらしたのに、これじゃかえって逆効果じゃないか。

 

「む、息子……むむむ、息子って」

 

 心は顔を手で隠し、こっちを見たかと思ったら目を逸らす。それを何回も繰り返していた。ゆめちゃん……最後のことだけは言わないで欲しかった。こんな俺でも恥ずかしい気持ちはちゃんとあるんだからね。

 

「いやぁ、今日も天気がいいなぁ。心も空を見るんだ。ほら、綺麗だぞぉ」

 

 そう言って誤魔化しながらカーテンを開けていた俺に追い打ちをかけてきた。

 

「なんでくーくん知らないふりしたの?」

 

「そ、それはだなぁ……。寝ぼけててあんま覚えてなったからだよ」

 

 苦笑いをしながら答えたが、多分目がすごい泳いでいたに違いない。ゆめと心はじーっとこちらを見つめてくる。そんな俺を救ってくれたのは心の両親だった。

 

「おーい、帰るぞ」

 

「あら、朝から仲がいいこと。でも、もう帰るから準備してね」

 

 二人は納得いっていないようだが、渋々頷いた。初めて心の両親に感謝の気持ちが込みあがってきた。

 俺たちは行きしと同じように車に乗った。また地獄の時間が始まるのかと思ったが、二人はぐっすり寝ていた。まるで、昨日寝ていないかのようだった。

 

 

 *

 

 

 これは昨日の夜のことだ。私はくーくんが寝るのを待っていた。さっきはキスが一回しかできなかったので、もっとしたかったからだ。くーくんが寝ているか確かめるため、腕をつまんでみる。よし起きない、完全に寝ている。そう思って起き上がった時、お姉ちゃんも起き上がってきた。

 

「「げっ」」

 

 自然と声が出てしまった。しまった。今ので、くーくんが起きてしまうかもしれない。杞憂だったようだ。全く起きる気配はなかった。

 

「ちょ、なんでゆめが起きてるのよ」

 

「お姉ちゃんこそなんで起きてるの」

 

「えっと、それは――って別にゆめには関係ないでしょ」

 

「じゃあ、私もお姉ちゃんには関係ないじゃん」

 

 これじゃ何もすることが出来ない。どうしようと考えていた時だった。

 

「ちょっと、外散歩しない?」

 

「うん」

 

 旅館を出たところには川が流れていた。川沿いでは無数の蛍が小さな光を身に付けて、踊っているかのように飛んでいた。

 

「あのね、私さ、空牙くんの寝顔が見たくて起きてたの」

 

「そうなんだ?」

 

「ゆめは何のため?」

 

「キス……したくて」

 

 私は正直に言った。くーくんのことが好きだが、お姉ちゃんのことも同じくらい好きだからだ。

 くーくんはお姉ちゃんの彼氏だ。私が手を出してはいけないことは頭の中ではわかっていた。でも、私の身体が言うことを聞いてくれない。これは単なる私のわがままだってことも分かってる。でも、どうしても諦めきれない。

 

「……そっかぁ。正直に言ってくれてありがとう。ゆめも空牙くんのことが好きなんだよね」

 

「好きだよ。お姉ちゃんに負けないくらい好き」

 

「私はゆめのこと好きだけど、空牙くんだけは譲れない」

 

「わかってる。譲ってもらおうなんて思ってない」

 

「そう。それならいいの」

 

「でも、絶対にいつか振り向かせてみせる」

 

「そんな日はこない。絶対に負けない」

 

「じゃあ、どっちが勝っても文句なしだからね。私、お姉ちゃんのことも大好きだから」

 

「いいよ。私も、ゆめのこと大好きよ。これを言うのもなんだけど、私たちもう付き合ってるから私の勝ちじゃないの?」

 

「そ、それはなしだから!振り向かせれば私の勝ちで、無理だったらお姉ちゃん勝ち!」

 

「ふふふ、わかったよ」

 

 やっぱりお姉ちゃんは優しい。私のわがままを聞いてくれる。でも、それだけ自分に自信があるってこと。さっきも口では笑っていたけど、目は真剣だった。

 

「それで、これからどうするの?」

 

「部屋に戻って寝るんじゃないの?」

 

「それじゃ面白くないでしょ。眠っている空牙くんをかけて勝負しましょ」

 

「気を使わなくてもいいんだよ?」

 

「別に使ってないよ。そっちの方が面白いかなって」

 

「勝負の内容は?」

 

「今日はじゃんけんで決めましょ」

 

「じゃんけん?つまんないじゃん」

 

「想像してみて?勝てばキス。負ければそれを眺めてるだけ。負けた時のこの絶望感がやばいでしょ?」

 

「言われてみれば確かに」

 

「じゃあいくよ。ジャーンケーン――ポン」

 

「そんなぁぁあ」

 

 私は負けてしまった。キスをするチャンスを逃したのはすごく悔しい。でも、お姉ちゃんと久しぶりの全力勝負が楽しかったりもする。

 

「いぇーい。私の勝ちー。あ、あとこのこと空牙くんには内緒だからね」

 

「わかったぁ」

 

「じゃあ戻ろっか」

 

 お姉ちゃんはそう言いながら私の手を握ってきた。お姉ちゃんと手を繋ぐなんて何年ぶりだろうか。私が泣いていたら頭を撫でてくれる手。困っていたら差し伸べてくれる手。今も私とお姉ちゃんを繋いでくれる手。お姉ちゃんいつもありがとう。恥ずかしくて言葉にすることは出来ないけど、いつか言えたらいいなと思い、私はぎゅっと手を握り返した。

 

「じゃあ、キスするから」

 

 そう言って二時間がたった。もう朝が来ようとしている。早くして欲しい。正直もう眠たすぎて何も考えられなかった。

 

「もー、早くしてよ。眠いんですけど」

 

「わかってる。わかってるから」

 

 お姉ちゃんは何度も深呼吸をしては、顔を近づけ、あと二センチくらいのところで辞めてしまう。こんなのを二時間見続けられる自分を褒めたい。

 

「何回も、キスしたことあるんでしょ?」

 

「……あるけど、それは起きてる時だから。なんか、寝てる時だと緊張するの」

 

 私は言っていることがいまいち理解できなかった。

 

「やらないんだったら私がやるよ?」

 

「そ、それはだめ。勝ったんだから私がするの」

 

「はいはいどーぞ。早くしてください」

 

「見てなさい」

 

 そう言ってお姉ちゃんはなぞるように自分の唇を舐めた。上唇も下唇も入念に。その湿った唇をくーくんの唇にそっと押し付けた。私の体はなんともないはずなのに、胸の奥がすごく痛かった。それと同時に胸の奥が苦しくなった。この痛みは、絶対に消すことは出来ない。まるで呪いにかかったかのように。

 お姉ちゃんは何度も何度もキスをしていた。キスをするのを見る度に胸の痛みは増した。

 くーくんは目を開けていたが、お姉ちゃんはそれに気づいてないのか、離れようとしなかった。くーくんは嬉しそうな顔をしていた。それが悔しくて悔しくてたまらなかった。


どうしてそんな顔をするの?


彼女じゃない私の時もそんな顔してくれるのかな?


やっぱり彼女じゃないと無理なのかな?


私はどうしようもない気持ちになっていた。

 何か二人で話をしているようだ。私はくーくんが起きた時、咄嗟に寝ている振りをしていたので、こちらを気にしている様子はなかった。

 一瞬でくーくんが嘘をついているのはわかった。

お姉ちゃんにキスをされていることを知っているくせに、知らないふりをした。

私は、なぜ嘘をついたのか気になったのと、このどうしようもない気持ちをぶつけたくて、お姉ちゃんとの約束を破ってしまった。くーくんに対しても強い口調になってしまったし、余計な事まで言ってしまった。私は本当に最低だが、こうなった以上は問い詰めるしかない。なんで嘘をつく必要があったのか……を。

答えまで後一歩のところで邪魔が入った。このタイミングで来るとかまじで――。もう、車で問い詰めるしかない。そう思っていたが、いざ車に乗ると自然とまぶたが落ち、意識は遠ざかっていった。

 

 

 

 

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