*6片*
朝の十一時、待合室に顔を出すと、いつもより気色の華やかな美桜さんが待っていた。淡い水色のワンピースには白い花が描かれていて、彼女によく似合う儚げな印象。化粧も詳しくはわからないが、お洒落をして来てくれたことはわかって、心に暖かい風が吹く。
ほんの少し赤く染まった瞳は、昨日のせい。僕らは言葉を交わすことなく、暫く泣き続けた。どちらともなく顔を見合わせ、濡れてヒリヒリと痛む頬を無理矢理持ち上げて笑った。家に帰ってからも、眠りにつく直前まで他愛もないメールのやり取りを繰り返して、肝心なことは言葉にしなかった。お互いに心の準備がしたかったんだと思う。
「行こっか」
「うん」
ぎこちなく重ね合わせた手を、強く握り締めた。
待合室から見えていた桜は一本だったが、実際には何本もの桜の木がズラリと並んでいて、昼や夜にはたくさんの人がこの桜を眺めていた。しかし、もう既に半分は緑色に変わっていて、残す桜もあっという間に散ってしまうのだろう。
そんな僕の悲しみを振り払うように彼女は声を上げた。
「優輝さん、見て見て、すごく綺麗」
「もう少し見に来るのが早かったら、きっともっと綺麗だっただろうな」
開花宣言から満開になっていた頃、ニュースでもお花見客の賑わいを取り上げていた。その頃の桜なら彼女に似合っていたに違いないが、緑色に変わろうとしているこの景色は、彼女との時間が終わろうとしていることを示しているようだ。
強張ってしまう顔の筋肉を感じながら、桜を見上げると、胸元に少し乱暴な衝撃が来て顔を下ろす。
「またそんな顔して」
細い腕が拳を突き出しているが、彼女の垂れ下がった眉は、切なさを隠し切れていない。お互い様だろ、という意味を込めて笑いかけると、それを汲み取ってくれたらしい。
桜並木を、一歩一歩踏みしめながら歩く。
僕の手を握る美桜さんの力が強くなったのが合図だった。
「知ってたんだね」
「美桜さんも」
桜の木の下に設置されたベンチに座るが、手を離す気にはなれなかった。
「ねぇ、優輝さんにはどんな風に見えるの?」
やわらかい風が吹いて、残り少ない桜を散らす。舞い降りてきた桜を眺めていると、美桜さんの肩にふわりと乗った。
僕を見上げる彼女の顔の周り。出会った日は、この桜と同化していた淡い色だったのに、鮮やかな桃色に変わってしまっている。時々カウントをするように弾けて散るのが苦しくて、掴めないと知っているのにそこで手のひらを握った。
「ここに、ある日突然淡いピンクの何かが散る。そこから一週間のカウントダウンが始まって、日に日に色が濃くなって、弾け散って消えるんだ」
握った手を開くと、美桜さんはそこに自身の手を重ねて頬をすり寄せた。まだ、彼女は暖かい。
「黄色の時は寿命、ピンクの時はなんて言うんだろう……病気とか事故とか」
「天命」
閉じられた瞼から、長く艶やかなまつ毛が頬に影を作った。
「私は、自分のしか見えないけど、ずっと体に数字が刻まれてるの。私にだけ見える、カウントダウン」
頬に添えた手も、ベンチの上で繋いだ手も、温もりを取り逃さぬよう強く握る。そのせいで震えているのか、それとも別の何かが震えさせているのかはわからないし、明確にするつもりもない。
僕が一週間前のそれを突然認知できるのとは違い、彼女は自分自身のカウントダウンを毎日眺めていたのか。
「じゃあ六日前に美桜さんが僕にぶつかったのは」
「わざと」
出来過ぎた偶然かと思っていた出会いが、それ以上の奇跡を以て作られた必然だったらしい。目を合わせていると、意味もなく笑いが込み上げてくる。あんなに必死で握り合っていた手が自然と離れ、声を上げて笑った。
浮かんだ涙を拭いながら、僕は問う。
「前も聞いたけどさ、なんで一週間? 一日じゃ寂しいっていうのはわかるけど……正確な日数がわかってるならもっと前からでもよかったじゃん」
僕は一週間しか『見えない』が、ずっと『見えている』彼女なら、もう少し前に声をかけることも出来ただろうに。
「だって一ヶ月も一緒に居てくれるかなんてわかんないじゃない。途中でやっぱりやめたって言われるのも、離れた方がいいかもって思うのも嫌だし」
唇を尖らせて上目がちに言う彼女は、その仕草がよく似合うことを自覚しているのだろう。見え透いたあざとさが美桜さんらしくて、憎めない。
「やっぱり、一週間でよかった」
それなのに、作り物みたいに綺麗な表情が急に寂しげに歪むから、胸を締め付ける。
「もし、私にもまだ『これから』があるなら」
風がまた吹いた。桜が、自らの命を人の目に焼き付けながら散っていく。
「今度は、友達から始めてくれますか?」
「約束だ」
絡めた小指から温もりを感じる。
高々二十数年しか生きていない僕らだが、その全ての日々で学んできた。どれだけもがいたって、抗ったって、今世でこの約束が果たされないことを、僕らは誰よりも知っている。
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