2話


「いちいち京都まで戻ってくるの面倒でしょ? 東京に住めば?」


「したら桐将も東京に住みたがる思うけどなぁ? うちのいる場所があの人の家になるんやさかい」


「アハハっ、だる」


「ふふふっ、うざ」


 いつも通りの重い軽口に、ネロが呆れて鼻で笑う。


 防風カプセルの中で寛ぐ二人。

 無言でボトルを差し出してくる灰音に、紗命もいつもの様にグラスを傾ける。トクトクと注がれるシャンパンが、ネロの身震いに合わせて少し揺れた。


「あら、美味し」


「今日の仕事先のオーナーがくれてね。気に入ったならあげるよ」


 トン、と前に置かれた高そうなボトルに、紗命が目を細める。


「……あんた、うちに毒味させたん?」


「まっさか〜」


 ソファの背に両腕を回した灰音が、足を組んでカラカラと笑った。


「ボスさんの下部組織の事務所だし、心配ないでしょ」


「藜はんの? ほな大丈夫かぁ。事務所ってことは、今日の仕事はモデル?」


「そ。誘われたから女優業にも手出そうかな〜って言ったら、桐将君怒っちゃってさ」


「自分の妻のキスシーンとか、あの人発狂するやろなぁ」


「ククっ、可愛いよねぇ」


「ふふっ」


 灰音はあの嫉妬を我慢する様な顔を思い出し、ニヤけてしまう口にチョコを放り入れる。


「だから当分はモデル以外やるつもりないかな。うちと、実家にもお金入れたいけど、歌の印税とか諸々で結構入ってくるから問題ないし。たまに新大陸行ってお小遣い稼げば安泰でしょ」


「せや、あんた桐将の実家だけやなくて、うちの実家にもお金振り込んどるやろ? それもお父さんとお母さんに口止めまでして、何考えとるん?」


「だって紗命、知ったらグチャグチャ言ってくるでしょ?」


 あっけらかんとしている彼女に、紗命は溜息を吐く。


「うちの実家にはうちが入れてるさかい、大丈夫やよ」


「別に良いって。私は自分の実家ないんだから、その分持て余してるんだよ」


「……」


 言葉に詰まった紗命に、今度は灰音が溜息を吐いた。


「紗命の親なんだから、私の親でもあるでしょ? ただの感謝だよ感謝。勿論、迷惑だって言うならやめるよ?」


「……迷惑なわけあらへんよ、おおきにね」


「はいはい」


 返事代わりに手をヒラヒラと振る灰音に苦笑し、紗命もテーブルの上のチョコを口に入れる。

 舌の上で転がるチョコは、自然と頬が緩んでしまうくらい甘ったるかった。



「ここらでええかな」


「うん、ありがとネロ! 先帰ってて!」


「グルルゥッ」


 低空飛行するネロから飛び降りた二人。

 空中で紗命をお姫様抱っこした灰音が、音もなく地面に着地する。いきなり空から降ってきた人間に、主婦さん達がギョッと立ち止まった。


 近所のスーパーに入った二人は、ショッピングカートを転がして商品を物色する。


「メニューどうする? てか結局、桐将君今日帰ってくるんだっけ?」


「帰ってくるんは明日やな。ん〜、灰音なんか作りたい料理ある?」


「お! 私最近エスニックにハマってんだよね〜!」


「道理でキッチンがカレー臭かったわけやわぁ。ゆまはんに迷惑かけてないやろね?」


「二人で楽しく実験してるよ」


「実験台は?」


「アリス」


「可哀想に」


「何を言う、ご褒美だよ」


 足りなくなってきたスパイスを見比べる灰音の背中には、あらゆる辛さのカレーを食べさせられたアリスの怨霊がしがみついている。


「んじゃ明日は私に任せなさいな!」


「はいはい」


 紗命はカートを押しながら、ルンルンと商品を入れてくる灰音を追うのだった。

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